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ふたつ名の令嬢と龍の託宣【なろう版】  作者: 古堂素央
第2章 氷の王子と消えた託宣

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11-6

 水晶に見えるその球は、王城の奥深くに隠された「託宣の間」と呼ばれる部屋に置かれる水鏡のほんの一部だ。


 大きな(はい)に枯れることなく滾々(こんこん)と湧き出る水鏡から、ある日唐突(とうとつ)に跳ね出た水が王女の手のひらに落ちてきた。液体だった水鏡はクリスティーナの手のひらで丸い(かたまり)となり、それからというものクリスティーナはその水鏡を通して不思議なものが視えるようになった。


 それまでもクリスティーナは、人の未来と呼べるものを不意に視てしまうことが時折あった。しかし、それはちょっとした出来事で変化をするような(おぼろ)げな未来で、予知と言えるほどのものではなかった。しかし、この水鏡を手にしてから、意識を集中すれば、その者の未来をより鮮明に視ることができるようになったのだ。


 だがそれは、誰の未来でもと言うわけではない。託宣を受けた者の未来は常に不鮮明で、まるで(はば)まれているかのように見渡せない。


 その水鏡がリーゼロッテを前に、かつてない反応を見せている。球体の中で水がさざめき、やがて目に見えるほどの(うず)が内部で巻きおこる。


「あなたの知りたいことを占ってあげたいけれど……それは無理なようね」


 水鏡が(ほの)かに白光し始める。こうなったらクリスティーナにはもうそれを止めることはできはしない。本来、水鏡とは占いなどではなく、龍がその者に課した宿命を、ただそこに映しだすための媒体(ばいたい)でしかないのだから。


 クリスティーナは両手を水鏡の球にかざし、その上でゆっくりと交差させていく。リーゼロッテは()きつけられたように、その指の動きをじっと目で追った。


 光がヴェールをはためかせ、やがてクリスティーナ自身が光を(まと)い始める。託宣が再現されるその前兆(ぜんちょう)だ。


「リーゼロッテ・メア・ラウエンシュタイン……(なんじ)、星読みの血を()ぎし者」


 クリスティーナの口から操られるように声が発せられる。(うつ)ろな瞳は目の前のリーゼロッテを映しているようで映していない。


断鎖(だんさ)を背負う龍の(たて)(つがい)……彼方(かなた)より選ばれしその御魂(みたま)……()ちた者は()がれ……すべての(ゆが)みを(ただ)す聖なる泉……やがては龍の(ともしび)となり……もしくはその終焉(しゅうえん)を告げる者……」


 つらつらと紡がれる言葉に感情は(こも)らない。何者かに憑依(ひょうい)されているようなその様は、神ががったものを感じさせ、リーゼロッテは(まばた)きすることも忘れて、目の前の貴族街の聖女の姿をただ見つめていた。


慈悲(じひ)(ゆる)し、断罪、破滅……(なんじ)がゆく道はすべてが正しく、すべてはそれに従い受け入れるのみ……」


 放たれる光が最高潮に達したその瞬間、水鏡の表面に亀裂が走り大きな音を立てて弾け飛んだ。それと同時に渦巻くように中の水が天井高く立ち昇ぼる。その量は、その中に収められていた容積をはるかに超えていた。


 咄嗟(とっさ)に目をつぶりリーゼロッテが短い悲鳴を上げたときには、すでにジークヴァルトの腕の中だった。飛沫(ひまつ)が降り注ぐ瞬間を覚悟するも、一向にその時は訪れない。恐る恐る瞳を開けると、宙に浮かんだ白く光る液体が(きり)のようにふわりと広がり、そのまま魔法のようにかき消えた。


 テーブルに目をやるとそこにあったはずの水晶が跡形(あとかた)もなく消え失せている。リーゼロッテは無意識にジークヴァルトの胸に体を寄せ、向かいへと視線をやった。

 そこにはいつの間にかひとりの若い男がいて、気を失ったようにぐったりしている貴族街の聖女を支えるように抱きしめていた。まるでジークヴァルトと自分を鏡に映したかのような体勢だ。


「お怪我はございませんか?」


 その男が静かな声音で口を開いた。どうやらこちらに話しかけたようだ。「こちらは問題ない」と、むしろ向かいの聖女を気遣うような視線をジークヴァルトは送った。


 部屋の入口から付き人の女性が取り乱したように駆け込んでくる。ジークヴァルトたちには目をくれず、彼女はそのまま聖女の元へと駆け寄った。


「クリスティーナ様!」

「大丈夫よ、ヘッダ……」


 男の腕から体を起こし、クリスティーナは安心させるように目を細めた。気丈に立ち上がると姿勢を正し、リーゼロッテへと向き直った。


「怖い思いをさせてごめんなさい。見ての通り、今日はもう占うことはできそうにないわ。悪いけれど、このままおひきとりいただいてもいいかしら?」

「あの、今のはわたくしのせいで……?」

「……いいえ、あなたのせいではないわ、貴族のお嬢様」


 ゆるく首を振ると、クリスティーナは背後に立つアルベルトに視線で促す。アルベルトは何も言わずにヘッダにクリスティーナを預けて、部屋の入口へと足を向けた。


「そこまでお送りいたします」


 物腰は柔らかいものの、有無(うむ)を言わせぬように扉の向こうへと手を指し示す。


「いくぞ」


 ジークヴァルトはリーゼロッテの手を引き、それに従った。途中、リーゼロッテは立ち止まり貴族街の聖女を振り返った。静かに淑女の礼を取ると、ジークヴァルトに促されるまま部屋を出ていく。その後ろ姿を、クリスティーナは静かな瞳で見送った。


「こんな……こんな(ひど)いことが起こるなんて……」


 隣で声を震わせるようにヘッダが言った。同じようにリーゼロッテの背を見送っていたヘッダのその表情は、抑えきれないほどの憎しみに満ちている。


「あなたにそんな顔をさせるなんて、確かにとんでもなく酷いことね」


 責めるでもないクリスティーナの静かな言葉に、ヘッダの顔が苦し気にゆがむ。今にも泣きだしそうなヘッダに、クリスティーナははずしたヴェールを手渡した。


 黒い台座の上に視線をおくる。そこにあったはずの水鏡は、跡形(あとかた)もなく消え失せてしまった。


「そう……あの鏡はすべて、わたくしのためにあったというわけね」


 彼女と自分を今日ここで引き合わせるためだけに、龍はあの水鏡をこの手によこしたのだ。


「言われずとも、覚悟は決まっていると思っていたけれど……」

「クリスティーナ様……」

「大丈夫。大丈夫よ、ヘッダ。わたくしはこの国の王女として託宣を果たす義務がある」


 本来なら、隣国へ嫁ぐのは第一王女である自分の役目だったはずだ。それをまだ十六だったテレーズは、泣きごとひとつ言わずに陰謀(いんぼう)渦巻(うずま)く隣国へとひとり旅立った。誰ひとりとして味方のいない見知らぬ地で、妹はどれだけ恐ろしい目にあっているのだろう。そう考えると、今でも身が凍る思いだ。


「わたくしひとりが逃げ出すわけにはいかないのよ。わたくしはそのためだけに生かされてきた……」


 ヘッダに、と言うより自分に言い聞かせるようにつぶやいた。知らず、右手の甲を反対の手で握りしめる。そこには自身が受けた託宣の(あかし)が刻まれている。


「……そして、それは彼女のせいではない」


 彼女が背負うものは、自分の想像をはるかに凌駕(りょうが)していた。ふたつめの託宣を受ける者は過去にも存在はしたが、龍に慈悲などないのだろうか。

 その重さすべてが、あの細い体に課せられているのだ。自分はその中のひとつの歯車にすぎない。だが、それは決して欠かすことのできない歯車だ。


宿世(すくせ)とは逆らえぬ深き(ごう)……だからこれは、あなたのせいではないのよ、リーゼロッテ・ラウエンシュタイン」


 確かめるようなクリスティーナのその言葉を、ヘッダはただ隣で聞いていることしかできなかった。


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