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ふたつ名の令嬢と龍の託宣【なろう版】  作者: 古堂素央
第2章 氷の王子と消えた託宣

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11-5

     ◇

「今日はおもしろいお客がやって来たわね。あの騎士はエーミール・グレーデンでしょう? あの堅物(かたぶつ)で有名な男が女性連れでこんなところにやってくるなんて。本当に驚きだわ」


 鈴を転がすような声で笑う貴族街の聖女を前に、付き人の女性はかぶっていたフードを背中に落とした。


「あの赤毛のご令嬢はどなたでしょうか。あまりお見かけしない方でしたね」

「そうね……。でも、彼女、無知なる者だったわ。託宣は受けてはいないようだけれど、これだけ水鏡(みずかがみ)が反応するなんて……。ねえ、アルベルト。あなたは彼女が誰だか知っているのではなくて?」


 背後の暗がりに声をかけると、奥に置かれたついたての陰から気配なくひとりの男が姿を現した。


「いえ。わたしも存じ上げませんね。()()()()いはそれなりに教育を受けたご令嬢のようでしたが……。赤毛のご令嬢は男爵家になら何人かいたと記憶しておりますので、そのうちのどなたかではないでしょうか」


 この国の貴族は公爵を筆頭に、侯爵、伯爵、子爵、男爵、準男爵、その下に貴族ではないが騎士(ナイト)の地位がある。この国では領地を持つのは子爵位以上と決められていて、男爵位以下はそのほとんどが一代限りで王から(たまわ)るものだ。


 ディートリヒ王は国へ貢献(こうけん)した者に、わりと気前よく爵位を与えるため、歴史上でいちばん男爵が多い王となっていた。


「そう。アルベルトも知らないなんて、お父様も男爵を増やしすぎなのではないかしら?」

「ディートリヒ王は賢王(けんおう)であらせられます。クリスティーナ様……貴女(あなた)様こそ、このような場所で(まじな)()真似事(まねごと)など、王女としての自覚が足りないのではありませんか?」

「その名はここでは出さないでちょうだい。それに(まじな)いではないわ、宿世(すくせ)の占いよ」


 少し(わずら)わしそうに身に着けていたヴェールをはぎ取ると、その下に隠されていたプラチナブロンドの髪がさらりとこぼれた。付き人の女性は何も言わずに、ヴェールを取った占い師、クリスティーナ王女の髪を手櫛(てぐし)で整える。


「ありがとう、ヘッダ」


 王女は付き人の女性に微笑むと、その女性、ヘッダにヴェールを手渡した。


「何が宿世の占いですか。ここは導かれた者のみがたどり着く場所……などと、王女として言っていて恥ずかしくはないのですか?」

「あら、この格好もなかなか様になっているでしょう? こういったものは形から入るべきとイジドーラお義母(かあ)(さま)もおっしゃっているもの。……本当なら市井(しせい)におりて占いの(やかた)を開きたかったのに、アルベルトがどうしてもダメだと言うから、こうして貴族街で店をかまえてあげたのじゃない」


 第一王女付きの従者であるアルベルトは、何を言っても響かないクリスティーナに深いため息をついた。


「一国の王女が平民相手に占いなど、お止めするのは当然です。まったく、心配するこちらの身もなってください。貴族相手でも、いつ王女と知れるかと冷や冷やしているというのに……。それに託宣(たくせん)()から水鏡(みずかがみ)の一部を持ち出すなど、神殿に知れたら一体どうなることか」

「声だけでわたくしとわかる人間など、貴族にだって数えるほどしかいないじゃない。お父様の許しは得ているし、神殿にだって見つからなければどうということはないわ。だいたい、この水鏡は自らわたくしの手に落ちてきたのよ? それこそ龍の(おぼ)()しでしょう?」


 細い指先で目の前の丸い水晶をなぞりながら、クリスティーナ王女はくすくすと笑った。


「それに……」

 たのしそうに笑っていた王女の菫色(すみれいろ)の瞳がすっと細められる。


「せっかく高祖伯母(おおおばあ)様から受け継いだこの力だもの……。ハインリヒの託宣の相手を探すために、使わないなんてどうかしているわ」

「クリスティーナ様……お気持ちはお察しいたしますが、王子殿下のお相手は神殿と王家が手を尽くして探しております。今さら貴族の中から見つかるとは思えません」

「だから市井におりて占いをしたかったのに……」

「なんとおっしゃられましても、わたしの意見は変わりませんよ」


 表情を変えず言うアルベルトに、クリスティーナは再びくすくすと笑った。


「ほんと、あなたってつまらない男ね。ねぇ、ヘッダもそう思うでしょう?」

「いえ。わたくしの口からは何とも……」


 ヘッダが困ったように返答したところで、入口の扉のドアベルががららんと耳障(みみざわ)りな音を立てた。


「あら? 今日は大入りね」


 ヘッダは慣れた手つきで王女にヴェールをかぶせて整えると、自らもフードを目深(まぶか)にかぶりなおして入口へと急ぎ向かった。いつものように訪れた貴族を迎え入れる。


「ようこそおいでくださいました、貴族の旦那様」


 長身の青年とハニーブロンドの令嬢が目に入る。ヘッダは見知った黒髪の青年貴族の顔を認めると、はっと息をのんだ。目深にかぶったフードの頭をさらにうつむかせ、恐る恐る隣に立つ令嬢へと目を向ける。令嬢は緑の瞳を(またた)かせて、物珍しそうにあたりを見回している。


「……占いをご希望されるのは、そちらのお嬢様でよろしいですか?」


 平静を装ったつもりのヘッダの声は、思った以上に低く、そして震えていた。許されることなら、今すぐにでもあの()まわしき令嬢を殺してしまいたい。そんな思いがこみ上げてきて、ヘッダはその血の気の失せた唇をわななかせた。


「……ここは本当に占いの店なのか?」


 無表情の青年貴族が声低く問う。令嬢をさりげなく自らの近くに引き寄せたのは、ヘッダの殺気に気づいたからだろう。令嬢は何も疑うことない無垢(むく)な瞳で、その腕の中に収まっている。


「ええ、ここは来た者の宿世(すくせ)を占う場所……」


 不意に後ろから涼やかな声がかかる。ヴェールで顔を隠したクリスティーナが奥の部屋から姿を現した。ゆったりとした足取りでヘッダをかばうように前に立つ。

 その姿を目にした青年貴族がその身をこわばらせるのが見えた。


「ようこそ、導かれし者のみがたどり着く占いの館へ。早速、あなたから占いましょうか? 貴族の旦那様」


 ゆっくりとした口調で問う。はっと目を見開いた青年貴族は一度口を開きかけ、そのあとすぐにぐっと唇を引き結んだ。


「……いえ、わたしは遠慮させていただきます」

「あら、そう。まあ、あなたには必要のないことでしょうね」


 彼の態度から察するに、自分の正体にはもう気づいているのだろう。そして、王女である自分が、なぜここでこのようなことをしているのかも。


 くすくすと笑うクリスティーナを守るようにヘッダが半歩足を踏み出すと、クリスティーナはそれを片手でそっと制した。


「いいのよ、今は控えなさい。……大丈夫、まだ時は満ちてはいないわ。とりあえずあなたは今すぐ店をクローズにしてきて。これ以上、誰も入らぬように」

「……仰せのままに」


 控えめに頭を下げて、ヘッダは客人の脇をすり抜けるように入口へと向かった。決して令嬢と目を合わさぬよう不自然なほどに顔をそむけていく。そうでもしないと、自分を抑える自信がヘッダにはなかった。


「では、そちらのお嬢様は奥へどうぞ。ご心配でしょうから、旦那様もご一緒に」


 そう告げるとクリスティーナはひとり奥の部屋へと戻り、元いた占いの席へと優雅に腰かけた。しばらくすると青年に大事にエスコートされながら、蜂蜜色の髪をした令嬢が部屋の中にと歩を進めてきた。好奇心に満ちた瞳で部屋の中を見回している。


(――リーゼロッテ・ラウエンシュタイン。彼女こそが……)


 その姿は、彼女の母であるマルグリットに瓜二(うりふた)つだ。いや、マルグリットの(まと)う力にも圧倒されたが、目の前にいる令嬢の清廉(せいれん)な緑の力は、クリスティーナの目にはより(まばゆ)く映った。


「さあ、こちらにおかけになって?」


 テーブルをはさんだ向かいの椅子を(すす)めると、リーゼロッテは戸惑ったように自分の手を離そうとしない(となり)の青年、ジークヴァルトの顔を見上げた。ジークヴァルトはクリスティーナの背後の闇に視線を向け、かすかに眉間にしわを寄せている。


(アルベルトの存在にも気づいているようね)


 王太子である弟の護衛を務める身だ。そのくらいのことは訳はないのだろう。しかし、アルベルトに殺気がないのを察したのか、ジークヴァルトはリーゼロッテの背をそっと押した。


 彼はそのまま部屋の入口へと身を寄せた。アルベルトよりもヘッダの動向の方が気になるのだろう。何しろリーゼロッテに向けられた彼女の殺気は、まぎれもなく本物だったのだから。


 リーゼロッテが静かに目の前の椅子にゆっくりと腰を掛ける。王女である自分ですら見とれるほどの美しい立ち居振る舞いだ。


 リーゼロッテは大きな緑の瞳を瞬かせ、興味深げにテーブルの中央に乗せられた水晶を覗き込んでいる。つるりとした球面にリーゼロッテの顔が上下逆に映しだされ、リーゼロッテはそれを不思議そうにじっと見つめた。


水鏡(みずかがみ)が彼女に反応している……)


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