第11話 逢瀬の秘め事
「守り石が原因なのか?」
自身の執務室で書類に目を通しつつ、ハインリヒは聞き返した。
「わからない……石が干渉して、目詰まりの原因になっている可能性もあるが」
こちらも書類を片手にジークヴァルトは答えた。リーゼロッテはこの場には来ていない。今日は一日、客間で休むよう侍女のエラに伝えてあった。
「普段は石に力を込めるついでに、石を通してダーミッシュ嬢の力の流れを確認していたんだが。……昨日は、石を外した状態で直接流れをみた」
「そうしたら、彼女の力が暴走しそうになった?」
「ああ」
そう答えながらも、何か納得はしていない口ぶりだった。
「腑に落ちていない顔だな、ヴァルト」
「初日も石を通さなかったが、その時は力の暴走はなかった。それに昨日ダーミッシュ嬢の中で、何か、別の力をうっすらと感じた。本来の力を隠そうとする……薄い膜のような力だ」
気づかせないくらい薄いのに、とても強固な。
「膜……、か」
もう一度そう呟いたジークヴァルトをハインリヒは見やった。
「では、問題は守り石ではなく、その薄い膜、ということか?」
「その可能性は高い。だが、もう一つ気になることがある。石を通さず流れを見たとき、オレの力が引き込まれる感覚があった。力を注ぎこみすぎて、容量オーバーになった可能性もある」
「リーゼロッテ嬢の中に、ヴァルトの力がか?」
「あくまで、オレの感覚だが。ダーミッシュ嬢にあの時どうだったか聞いてみないことには何とも言えない」
リーゼロッテの力に関しては、イレギュラーなことばかりだ。
異形の者の姿が視える人間は、貴族・平民にかかわらずある程度存在するが、それらを浄化する能力は主に王家とその血筋が入った者に特異的に現れるものだった。全員に発現するわけではなかったが、龍との契約による付随的な能力と昔からみられている。
しかし、力の強弱はあれど、彼女のように力があるのに全く使いこなせないなどの事例は、今まで聞いたこともないし、調べたところ記録にも残ってはいなかった。
ハインリヒなどは、力の存在自体、なぜあるのか、なぜ使えるか、どう使うのかなど、考えるまでもなく当たり前のものだと認識してきた。
「もし、力を流し込めるなら、外へと導くことも可能かもしれないな」
ハインリヒの言葉に、ジークヴァルトも頷いた。
「やってみる価値はあるが、ダーミッシュ嬢は力を感じる能力も弱い。焦るのは危険かもしれない」
「そうか……。しかし、今まで彼女はどうやって力を制御していたのだ? ヴァルトの話だと、その“力の目詰まり”とやらは日々悪化しているのだろう? 生まれてこの方、それがずっと続いていたとすると……今頃彼女の体はどうにかなっているはずだ」
茶会で小鬼を背負った姿はある意味圧巻だったが、日常であの状態がずっと続いていたとしたら、リーゼロッテの命はすでになかっただろう。ため込んだ力の放出、異形の浄化など、必ずどこかでリセットが行われていたはずだ。
「とにかく、明日にでも彼女に確認するしかないな」
ハインリヒはため息交じりに言った。もっと休ませてやりたいが、今は時間が惜しい。正直、ここまで手こずるとは思っていなかったのだ。
ダーミッシュ家には、リーゼロッテの身柄の拘束は一カ月と期限をきってある。一度領地に帰すにしても、何らかの進展はしておきたかった。
それに、リーゼロッテの問題ばかりにかかわってもいられない。ハインリヒ自身のこともあるし、最近、王城内で異形の数が増えてきていると報告があがっている。異形が視える者・視えない者にかかわらず、怪我をする者や体調を崩す者などが増加していた。
王城勤めをする者に配った守り石の消費が激しいのもそのためだった。それほど質のいい守り石ではないが、ジークヴァルトが力を込めたものだ。今までなら、渡して半年程度は問題なく使えていたのが、このところあっという間に力を消費してしまっていた。
異形を浄化できる人間は限られている。ハインリヒの護衛近衛隊の一部は、その能力に長けた者たちが所属しているのだが、そのほとんどが国の各地へと任務に赴いていた。その任務は異形の仕業と思わしき事件の調査など特殊なもので、すべて秘密裏に行われている。
カイも本来は特務隊のひとりだったが、ジークヴァルトの代わりの王太子の護衛として王城に留まっていた。他の人間も手の空いた者から城に呼び戻しているが、ここのところ人手が足りない状況が続いている。
そんなこんなで最近は、頭の痛いことばかりだ。ハインリヒは癖のように、手に待った懐中時計の蓋を開けたり閉めたりを繰り返した。
「さあ、ハインリヒさまー、お仕事の時間ですよー」
そんなときカイが上機嫌で執務室に顔を出した。あれこれ話しつつも、書類仕事はきちんとしていたので「サボっているように言うな。今も仕事中だ」とハインリヒは不機嫌そうに返した。
「わかってますって。おふたりでひとりの女の子の話で盛り上がっていたなんて、絶対に言いふらしませんから」
「誤解を招くようなことを言うな」
「誤解も何も事実でしょー。さあ、公務が待ってますよ。今日はご婦人が多い場所なので、はりきっていきますよ!」
その言葉に、ハインリヒはさらにげんなりした。
「ちゃんと全力で働けよ、カイ」
「もちろんです! 王子殿下の魔の手からご婦人方は全力でお守りしますとも!」
カイに背中を押されて出ていこうとするハインリヒが、ジークヴァルトを振り返った。
「そうだ。今日の午後、クラッセン侯爵令嬢がリーゼロッテ嬢のもとを訪れる予定になった。ヴァルトは邪魔するなよ」
ハインリヒはそう言い残して、カイと共に公務へと向かっていった。
ひとり残されたジークヴァルトは、横で浮かぶ守護者ののんきな顔をちらりと見やった。子供のころからずっとそこにいる存在だ。鬱陶しく思うこともあったが、今では会話することもない。
守護者と言っても、守られたことなど一度もなかった。例えそれが、自分が死にそうな場面であったとしても。
期待すべき相手ではないと、ジークヴァルトはいつものように意識からその存在を追いやる。
ここ最近毎日会っていた婚約者が、今そばにいない事実に、ジークヴァルトにはなぜが物足りなさを感じていた。
その感覚自体が謎に思えて、ジークヴァルトの視線は、しばし書類の文字を上滑りしていた。




