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ふたつ名の令嬢と龍の託宣【なろう版】  作者: 古堂素央
第2章 氷の王子と消えた託宣

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10-8

「エーミール様、こちらです」


 エラが選んだ店は何の変哲(へんてつ)もない雑貨屋だった。貴族街に店を構えている以上、庶民にとっては高級店なのだろうが、最上ランクとは言い難い店だ。


「こんな店でいいのか?」

「この店がよいのです」


 にっこりと微笑んで、エラは扉に手をかけようとする。それに慌てたエーミールが、エラの手を取り自ら扉を引いた。

 ちりりんと軽やかな音が店内に響く。ほかに客はいないようだ。ほどなくして奥から店の者と思しき男が顔を出した。


「いらっしゃいませ、旦那様、お嬢さ、まぁ?」


 ふたりの来店ににこやかだった店員の目がみるみるうちに見開かれ、語尾が不自然に跳ね上がった。


「エラお嬢様! こちらにいらっしゃるなんて、何かございましたか!?」

「今日は、リーゼロッテお嬢様のお供で来たの。少しお時間をいただいたので、何か買って帰ろうかと思って」

「え? お嬢様からお代をいただくなど」

「いいのよ。今日は素敵なスポンサーがいらっしゃるから」

「へ?」


 目の前のやり取りを見て、エーミールはここがエデラー商会の店であるのだと気がついた。エラの家の店で買い物をすればエデラー家の(えき)となる。どうせ店の中でいちばん高価な物を選ぶのだろう。

 エラは思った以上に狡猾(こうかつ)な女のようだと、エーミールは鼻で(わら)った。自分にしてみればこのような低ランクの店での買い物など痛くもかゆくもない。なんなら店ごと買い取ってやってもいいくらいだ。


「あちらの旦那様は……? はっ、もしやエラお嬢様……庭師と別れたばかりなのに、早速(さっそく)新しい恋人に(みつ)がせようと……ぐほぉっ」


 エラの右アッパーがエーミールの死角で炸裂(さくれつ)した。腹をえぐるように(こぶし)を突き立てる。笑顔を作りながらもこめかみに青筋を立たせて、エラは早口でささやいた。


「なんでハンスがそんなこと知ってるのよ! それにエーミール様は恋人などではないわ。いい? よく聞いて? 今日のことは絶対に誰にも口外しないこと。ぜえったいに! もちろん父さんにもよ!」


 念を押すように子供の頃からつきあいのある男、ハンスに小声で話しかける。


「ほう……エーミール様……グレーデン侯爵家の次男坊ですね……これはまた大物を釣り上げて……」


 さすがお嬢様、とつぶやきながら品定めするように目を細めるハンスに、再びエラは拳を作った。もちろんエーミールには見えないようにだが。


「わかりました! わたしは何も見ていません! 今日エラお嬢様が来たことも、社交界きってのモテ男と手に手を取って歩いていたことも、わたしは何も見ていませんとも!」


 ハンスの言いようにエラは眉をひそめたが、下手によその店で買い物するより変な噂が立たずに済むだろう。自分がエーミールに贈り物をされたとあっては、社交界でどう噂されるかわかったものではない。エラはどんな噂がたっても別段(べつだん)困らないが、エーミールにとってはおもしろくはないはずだ。

 グレーデン侯爵家は歴史の深い貴族だ。昔ながらの貴族社会の規律を重んじ、エデラー家のような新興(しんこう)貴族(きぞく)を快くは思っていない。その程度の常識はエラもきちんと持ち合わせていた。


「いい? エーミール様に恥をかかせない程度の物を選んで出してちょうだい」


 エラのその言葉にハンスの目がキランと光った。彼がいつも売り上げを計算するときにしている目だ。きっとこの店で一番高い物を売りつけるつもりなのだろう。エラはため息をついて小声で付け加えた。


「絶対にぼったりしないで。値段は原価(げんか)()れしない程度で提示するのよ?」

「えぇ~」


 男爵令嬢とはいえ、エラも商売人の娘だ。その目利(めき)きをごまかすことなどできない。ハンスは落胆(らくたん)の色を隠しもせずに、エラの言うことに従って店にある最高級の品物をいくつか並べてみせた。


「こちらのクラバット・ピンなどは素敵ですね」


 エラは伺うようにエーミールを見上げた。クラバット・ピンとは貴族の男性が首元に巻くスカーフを止めるために使うピンのことだ。


「そんなもの、女性のあなたは使えないだろう? それとも誰かに渡したいのか?」

「い、いえ、その、エーミール様にお似合いではないかと……」

「誰がわたしのために選べと言った。余計なことは考えずに、あなたが欲しい物を選んでくれ」


 エーミールは苛立ったように言った。女性など宝飾品(ほうしょくひん)を与えてやればそれでよろこぶと思っていた。なのになぜエラは素直にそうならないのか。


 こういった場面で大概(たいがい)の女性は、自分と(そろ)いになるようなものをねだってくる。もしくは、婚約者同士がよくするように、お互いの瞳や髪の色の宝石などを選んで、揃いの物をエーミールにも身に着けさせたがる。


「別にこの店でなくてもいいだろう? 欲しい物がないのなら他の店をあたればいい」


 エラは困ったように目の前に置かれた品々に目をやり、そして最終的に別の(たな)に置かれた宝飾品に目を止めた。


「でしたら、こちらのお揃いの……」


 エラの言葉に、エーミールはそらみたことかと半ば笑いかけた。エーミールは義理で女性に物を買い与えたことはあるが、揃いの物を贈ったことは一度もない。だがエラのためになら買ってやってもいいだろう。


「ブローチを」


 そう言ってエラが手に取ったのは、ふたつの小さなブローチだった。この国にブローチを男が身に着ける習慣はない。エーミールはエラがなぜそれを選んだのかが理解できずに、無意識に眉根を寄せた。


「こちらを……リーゼロッテお嬢様とお揃いで着けられたら、とてもうれしいです……」


 うっとりとした様子で頬を染めるエラを前に、エーミールは目を見開いた。よく見るとエラが手にするブローチには、リーゼロッテの瞳の色によく似た緑の石がはめ込まれている。


「……エラお嬢様、そんなんでは本気で婚期を逃しますよ」


 ハンスがぽつりともらしながら、残念な子供を見るような視線をエラに送った。

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