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ふたつ名の令嬢と龍の託宣【なろう版】  作者: 古堂素央
第2章 氷の王子と消えた託宣

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8-4

     ◇

「リーゼロッテ様、道中お気をつけて」


 公爵家のエントランスホールに大勢の使用人たちがずらりと並んでいる。その真ん中で、リーゼロッテはジークヴァルトと向き合って立っていた。


「ヴァルト様、今回もいろいろとよくしてくださってありがとうございました」

「ああ」


 そう言いながらジークヴァルトは手に持った菓子を差し出してくる。いったいどこに隠し持っているのか、いつも手品のように出てくる菓子に半ば感心しつつ、リーゼロッテは素直に口を開いた。


 もう羞恥心(しゅうちしん)には(ふた)をした。()境地(きょうち)で受け入れることに慣れてしまった自分が少し怖く感じるが、使用人たちの目の前で「あーん」と言えるジークヴァルトに比べればまだましというものだ。


(ジークヴァルト様には恥ずかしいって感情がないのかしら……?)


 そんなことを思いつつ、差し出された菓子を口にする。今日は大好きなチョコレートだ。安定のとろけるおいしさに、リーゼロッテの頬はいつものようにへにゃりと(ゆる)んだ。


 口の中のチョコがなくなると、何か言いたげなジークヴァルトがじっとこちらを見ていることに気づく。どうして反応していいかわからず、とりあえずその瞳を黙って見つめ返していると、横からさっと小さな箱が差し出された。

 見ると家令のエッカルトがチョコが数粒(すうつぶ)入った箱を、(うやうや)しくリーゼロッテに向けて(かか)げていた。


「……エッカルト?」

「さ、リーゼロッテ様もご遠慮なく……」


 さらにずいと箱を差し出され、どういうことかと困惑(こんわく)気味(ぎみ)にジークヴァルトを再び見上げた。ジークヴァルトは無言のまま、先程と同じように自分の顔をじっと見つめている。


(この状況で、自分で食べろ……ということではなさそうね)


 背中を冷や汗がたらりと伝う。これはあれか?あーんの往復(おうふく)作業(さぎょう)ノルマ()計画(けいかく)なのか?


 リーゼロッテの一挙(いっきょ)一動(いちどう)を、みなが固唾(かたず)を飲んで見守っている。もう一度エッカルトに顔を向けると、好々爺(こうこうや)の期待に満ち満ちた視線とぶつかった。


 胸の前で祈るように組んだ手にぎゅっと力が入る。ふるふると小さく首を振りながら羞恥(しゅうち)(うる)んだ瞳で見つめ返せば、エッカルトの方は細い瞳を悲し気に潤ませてきた。


 目の前にさし出された箱の中に視線を落とす。ここで(ケー)(ワイ)になりきれたら、箱のチョコ全部を自分でほおばって食べてしまうのに。

 しかし、淑女(しゅくじょ)としての矜持(きょうじ)がそれを許さない。いっそのことエッカルトにあーんをかましてみようか。


 一瞬のうちに脳内に様々な思いが駆け巡るが、自分がとれる選択肢はひとつしかない。それは初めから分かりきったことだった。


(これは使用人たちへのパフォーマンスなのよ)


 ジークヴァルトと婚約者である自分が、仲良くやっていますというアピールなのだ。使用人の士気(しき)にかかわる重要なミッションなのだ。


(きっとそうよ!でなければこんな茶番(ちゃばん)を、由緒(ゆいしょ)(ただ)しい公爵家で繰り広げるはずはないわ!)


 やけくそになってリーゼロッテは、その小さな指でチョコを一粒つまみ上げ、涙目でぎっとジークヴァルトを(にら)み上げた。


「ヴァルト様、あーんですわ」


 背の高いジークヴァルトの口元に、少し背伸びするような格好でチョコを差し出す。チョコをつまむ指先が小さく(ふる)えてしまうのは、羞恥(しゅうち)なのか怒りなのか、自分でもよくわからない。

 ジークヴァルトは身をかがめて、リーゼロッテの手からチョコを受け取ろうと薄く唇を開いた。背伸びをしているリーゼロッテが少しふらつくと、そっとその細い腰に手を()えて支えてやる。


 周囲にいた使用人たちの口から、ほぉ……とため息が漏れた。

 頬を染めて一生懸命チョコを差し出すリーゼロッテ。それを支えるようにやさしく包むジークヴァルトが、チョコを受け取り口にしている。


「「「あの甘いもの嫌いの旦那様が……!」」」


 歴史的一瞬をその目に焼き付けようと、使用人たちは目を皿のようにしてふたりを見守っていた。


「甘くはございませんか……?」


 甘いものは得意ではないと言っていたくせに、チョコレートを食べさせてよかったのだろうか? まあ、用意したのはエッカルトなので、そこまで責任を感じることもないのだろうが。


「ああ、問題ない」

「そちらはビターチョコになっております」


 エッカルトが補足するように付け加えた。その顔はいたく満足げだ。


 女性をまったく寄せつけなかったあのジークヴァルトが、かつてなく柔らかい表情で女性の手ずから菓子を口にしたのだ。ジークヴァルトの誕生の(おり)から、その成長を傍らで見守ってきたエッカルトにしてみれば、涙のひとつも出てくるシーンであった。


(今まで何も欲することのなかったジークヴァルト様が、ようやく手にしたしあわせなればこそ……)


 決して失うことのないように誠心誠意()くすのが、(つか)える者の(つと)めであろう。


「年を取ると涙もろくなっていけませんな……」


 胸元からハンカチを取り出すと、エッカルトは目頭(めがしら)にそっと押し当てた。その様子をリーゼロッテは複雑そうな表情でみつめている。


(この状況がいかにすごいことなのか、リーゼロッテ様には理解しがたいのでしょうが……)


「リーゼロッテ様、どうぞ道中お気をつけて。またここにお帰りになられる日を、使用人一同、首を長くしてお待ち申し上げております」


 エッカルトが深く腰を折ると、周囲の使用人たちも一斉にリーゼロッテに礼をとった。


「ええ、ありがとう」


 内心、引き気味に返事をしたリーゼロッテの髪が、不意にすいと()かれた。驚いて見上げると、静かな目をしたジークヴァルトが、無言でゆっくりと蜂蜜色の髪に指をくぐらせている。


 頭をなでられるのは久しぶりのことだ。

 少しだけ驚いたが、リーゼロッテは黙ってそれを受け入れた。見つめあいながら、ジークヴァルトの指がゆっくりと髪を梳いていく。


(これはいつまで続くのかしら……?)


 何も言わずに頭をなで続けるジークヴァルトに、リーゼロッテの頬が次第に赤く染まっていった。

 公開羞恥(しゅうち)プレイはもう勘弁(かんべん)してほしい。そう思って、リーゼロッテはそっとジークヴァルトの胸元のシャツをつかんで小さく引っ張った。


「…………!」


 ジークヴァルトは一瞬驚いたように目を丸くして、これまた驚いたようにリーゼロッテの髪に(から)めた手を慌てて引っ込めた。あまりにも性急(せいきゅう)な動作に、リーゼロッテの長い髪がふわりと宙を舞う。


「無意識だ」


 そう言ってふいと顔をそらしたジークヴァルトは、宙を見据(みす)えたままぎゅっと眉根を寄せた。

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