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「お待ちしておりました、リーゼロッテ様。日に二度も足を運ばせてしまい、申し訳ございません」
満面の笑みでリーゼロッテを迎え、マテアスは部屋の中へとふたりを促した。ベッティは口を開くことなく、部屋の壁際へと移動する。
「旦那様との乗馬はいかがでしたか?」
「ええ、フーゲンベルク領が見渡せて、とても素敵な景色だったわ」
先程、ジークヴァルトとリーゼロッテが乗馬に行くことになったのは、マテアスが強く勧めたからだ。マテアスの中では、ジークヴァルトとリーゼロッテのお近づき計画が、着々と練られている。乗馬を勧めたのもその一環だった。
以前、突発的に参加したピクニックで、ジークヴァルトがリーゼロッテを再び馬に乗せるという約束を取りつけてきたことをマテアスは聞き及んでいた。それを有効に使わない手はない。
オクタヴィアの瞳作戦がアデライーデの手で台無しになったからこそ、マテアスが繰り出した次の一手だった。
「ジークヴァルト様、先程はありがとうございました。約束を覚えていてくださってうれしかったですわ」
リーゼロッテは淑女の礼をとりながら微笑んだ。これからは厚意には素直に応えよう。そんなことを思いながら。
ああ、と言ってジークヴァルトはリーゼロッテに座るように促した。
いつもの定位置のソファに並んで腰かけるふたりを見て、マテアスは満足そうに口角を上げる。
(旦那様がこじらせまくっていたおかげで、ここまで来るのに苦労しましたねぇ)
万感の思いにかられながら、仲良く座るふたりの前に紅茶のカップを置く。
しかし今の状況は、再びスタートラインに立っただけのことだ。リーゼロッテの心をがっちりつかむためには、ジークヴァルトにはもっと頑張ってもらわねばならない。
(とにかく油断は禁物ですね……このおふたりのことですから)
朴念仁の主に純真で鈍すぎる婚約者。周りがどうにかしないと、また思いもよらない方向へ行ってしまいそうだ。
お膳立てならいくらでもできる。ジークヴァルトのスケジュール管理をしている自分なら、最大限の働きができるだろう。最終的にはジークヴァルトの手腕にかかっているのが不安だが、そこはそれマテアスにはどうすることもできない。
それにリーゼロッテと過ごす時間を増やすということは、すなわちその分ジークヴァルトの執務時間が減るということである。そのしわ寄せを食うのは、ほかでもないこの自分であるのだが。
(ヴァルト様が本懐を遂げるその日まで、このマテアス、馬車馬のように働かせていただきましょう)
きらりと丸眼鏡を光らせて、マテアスは頼りない主の背中にエールを送った。
(なんにせよ、頑張れ旦那様……!)
公爵家で絶賛流行中のフレーズを胸中でつぶやきつつ、マテアスは執務机に座り仕事にとりかかった。
書類の束に手を伸ばしていると、ジークヴァルトがじっとマテアスの方を見ていることに気づく。いきなり放置されて困っているようだ。
(まったく、世話の焼ける……)
お膳立て以降のことは自力でやってもらわないと困るというのに、リーゼロッテのことになると途端に判断能力が欠如するらしい。領地経営でのジークヴァルトの決断の速さと的確さは、マテアスですらいつも舌を巻く。この落差は一体何なのだろう。
はぁと小さくため息をついてから、マテアスはあーんと口元に何かを入れようとする仕草をした。
それを見たジークヴァルトの眉根がぴくりと寄せられ、それからテーブルの上の菓子に視線を移した。
クッキー・キャンディ・チョコレートといろいろ並べられている中で、見慣れないカラフルな四角い菓子が目に入る。隣を見やると、リーゼロッテもその菓子をじっと見つめていた。
ジークヴァルトは手を伸ばしてその菓子を一つ摘まみ取ると、「あーん」とリーゼロッテの口元に差し出した。
一瞬戸惑うような仕草をしたが、リーゼロッテが素直に口を開けたので、ジークヴァルトはそっとその菓子を差し入れた。
小さな口の中に黄色い菓子が収まっていく様子をじっと見つめる。いつ見ても見飽きない光景だ。しかしジークヴァルトは周りの異形の者たちを騒がせないように、細心の注意を払っていた。
もごもご口を動かしていたリーゼロッテの顔がへにゃりとほころぶ。これもいつまでも見ていたい顔だ。
一瞬、異形がざわめいて、ジークヴァルトは慌てて腹に力を入れた。すぐさま異形たちは沈静化し、執務室は何事もなかったかのように静まり返る。
マテアスを伺うが、ほんの一瞬のことで異形がざわついたことには気づいていないようだった。
再びリーゼロッテに視線を戻すと、彼女はまた菓子をじっと見つめている。今度はオレンジ色の菓子が気になる様子だ。
ジークヴァルトは無言でオレンジ色の小さな菓子をつまみ上げると、リーゼロッテの口の中にそれを押し込んだ。
不意をつかれたのかリーゼロッテは驚いたように目を見開いた後、不満げな顔でジークヴァルトを見上げてくる。そして、口の中の菓子を飲み込むと「あーんは一日一回までですわ」と唇を尖らせた。
「あーんとは言ってない」
その可愛らしい唇を指でつまんでみたいなどと不埒なことを考えながら、ジークヴァルトはふいと顔をそらした。異形の者は騒いでいない。いい感じで感情をコントロールできているようだ。




