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ふたつ名の令嬢と龍の託宣【なろう版】  作者: 古堂素央
第2章 氷の王子と消えた託宣

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7-2

     ◇

 ざあっと草原を冷たい風が駆け抜ける。

 ジークヴァルトは慎重に手綱(たづな)(あやつ)り、馬をゆっくりと歩かせていた。


 自分の目の前の馬の背に、横抱きに乗せたリーゼロッテを(うかが)いみる。怖がっている様子はないが、吹く風にその頬がいつもより赤くなっていた。

 もっと厚着(あつぎ)をさせるべきだったろうか? 本格的な冬が来るのはまだ先だが、そろそろ初雪がちらついてもおかしくない時期だ。


「寒くはないか?」

 問いかけながら、細い腰に回した腕にぐっと力を入れた。遠慮がちに離れていた体を自分の胸に引き寄せる。


「はい、大丈夫ですわ」

 そう言ってリーゼロッテはジークヴァルトをはにかむ笑顔で見上げた。


「そうか」と返すと、ジークヴァルトはリーゼロッテから目をそらし、馬の歩くその先のはるか遠くを見据(みす)えた。


 彼女に微笑みかけられると、どうしたらいいかわからなくなる。胸の奥がざわついて、一瞬で思考が飛んでしまう。ジークヴァルトは自分の中ではじけそうになる何かを慌てて抑え込んだ。


 その衝動(しょうどう)が一体何なのか、自分でも理解ができない。だが、ソレの(おもむ)くまま、身をゆだねるのは危険だと理性が告げている。


 ぎゅっと眉根(まゆね)を寄せると、ジークヴァルトは無言で馬のわき腹を軽く()って馬を走らせた。


 リーゼロッテの様子を確認しながら、速度を上げていく。リーゼロッテは(りき)むことなく馬の動きに身をゆだねていた。


(馬にもだいぶ慣れたようだな……)

 そう思うと自然と口元がほころんだ。


 屋敷の裏から続く(ゆる)やかな登り勾配(こうばい)の小道を登りきると、領地の街並みが見渡せる高台へとたどり着く。そこはジークヴァルトの子供のころからのお気に入りの場所だった。


 ひとりきりになりたいとき、いつも馬を()ってはこの場所にやってきた。

 時には暮れ行く街並みを眺め、時には朝焼けに街が目覚めるさまを、マテアスが迎えに来るまで何時間でも()くことなく見つめていた。


 だが、今、この場に来るのは随分(ずいぶん)と久しぶりの気がする。思えば、春に彼女に再会してから、一度もここへは来ていなかった。彼女のためにしばらく王城に詰めていたということもあるが、ただ単に、ここに来る理由がなかったのだろう。


「まあ!」

 高台を登りきって、一気に開けた視界にリーゼロッテが感嘆(かんたん)の声を上げた。


「これがヴァルト様の治めるフーゲンベルク領なのですね」

「ああ」


 リーゼロッテは瞳を輝かせて、馬上からぐるりと街並みを遠くまで見渡している。身を乗り出すように辺りをのぞき込むのと同時に、ジークヴァルトの胸元の外套(がいとう)をつかむ手に力が入った。

 その感触(かんしょく)にジークヴァルトはわずかに身じろいだ。小さな白い手に心のどこかを一緒につかまれた気がして、知らず眉間(みけん)にしわが寄る。


 どうしようもなく胸のどこかがざわざわとする。こんなとき、無防備(むぼうび)に身を預けてくる彼女にいわれのない苛立(いらだ)ちを感じる自分がいた。

 この感情は危険だ。これに飲まれると彼女を泣かせることになる。


 同じ託宣を受けた相手として、彼女を守るのは自分の責務(せきむ)だ。そう分かっているはずなのに、時折(ときおり)彼女を無茶苦茶にしたい衝動に駆られるのはなぜなのか。


 己の守護者に肉体を操られたあの日のことが、落とせない汚れのように、ジークヴァルトの脳裏(のうり)にはずっとこびりついたままでいる。

 決して自分の意志ではなかったが、嫌がる彼女を抑え込んだのはまぎれもなく己の無骨(ぶこつ)なこの手だった。

 彼女の匂いも、触れた肌のすべらかさも、指先が感じたあの熱さも、すべてが生々しくいまだこの体に残っている。


 ジークハルトの蛮行(ばんこう)()(がた)い怒りを覚えるのと同時に、確かにあの時自分は、(あらが)(がた)い喜びを感じていた。彼女がもたらす感覚のすべては、自分の中に(ひそ)仄暗(ほのぐら)い欲望をかきたてた。


 彼女の恐怖はどれほどのものだったろう。

 守護者の意志のまま動かされたこの手の感触に、嫌悪(けんお)歓喜(かんき)がないまぜになって、自分はもう彼女のそばにはいられないのだと、ジークヴァルトはその時に悟った。


 誰よりも彼女の近くいることを許された自分が、彼女をいちばんに傷つける。

 その事実にジークヴァルトは打ちのめされた。


 それだというのに、あの日、泣き叫びながら助けを呼ぶ彼女が口にしたのは、今まさに彼女を(はずかし)めている自分の名だった。

 その瞬間、内から一気に(あふ)れ出た感情の正体を、ジークヴァルトはいまだに知ることができないでいる。


 あの時彼女に名を呼ばれたその直後、ジークヴァルトの記憶は飛んだ。

 気づくと守護者の存在は遠のいて、リーゼロッテをこの胸に抱きしめていた。


(――いつかオレは彼女を壊す)


 あの日、彼女の髪に触れるこの指先は、どうしようのないくらいに震えてしまった。


 全幅(ぜんぷく)の信頼をおいて、いまだに彼女は自分にその身を預けてくる。そのことにジークヴァルトは戸惑い、そして己自身に恐怖を感じた。


 このままではいずれ自分自身が、守護者(ジークハルト)と同じことをしでかすだろう。いや、もしかしたらもっとひどいことを()いるかもしれない。あの日、彼女に向けられた感情の(たかぶ)りは、あまりにも(けもの)じみていた。

 それは確信であり、ジークヴァルトの中では避けられない確定事項だった。


(そばにいれば触れずにはいられない……)

 ならば彼女から離れるより他はない。己からリーゼロッテを守るには、それ以外に手立ては考えられなかった。


 その結論に至って、一度はリーゼロッテから距離を置いた。有事(ゆうじ)の際はすぐに対応できるようにと、つかず離れず。忙しい毎日にそれはたやすく実現し、それでいて、その日々は必要以上にジークヴァルトの精神を削っていった。


 夜、自室のソファに座り、幼い彼女の肖像画を見上げるだけの日々が(いく)ばくか続いた。

 その肖像画は、五歳のときにこの自室にやってきたものだ。一日の終わりに心を無にしてその絵を見上げるのは、子供のころから続く習慣だった。


 以前と同じ日々に戻っただけのはずなのに、絵の中の彼女の笑顔をただ見上げていても、昔のように心が晴れることはなかった。


 ジークヴァルトは自分はどこか欠落(けつらく)した人間なのだと、子供のころから理解していた。人の言う()()(あい)(らく)を、自分の中に見出(みいだ)すことができなかったのだ。


 過ごす日々は、目の前の課題にひとつひとつ対処していく単調なものだった。幼い時から次期領主として育てられ、そして当主となった今もそれは何も変わらない。数ある選択肢の中から最善のものを選びとり、解決すれば次の問題に。うまくいかなければ新たな策を。ただひたすら、その繰り返しの毎日だった。


 そこには喜びも、哀しみも、楽しみも、怒りも、何ひとつ存在しない。必要なものは言わずとも手に入る立場であったし、腹が(ふく)れれば食べるものもなんでもよかった。

 自ら欲するものなどひとつもない毎日に、時折どうしようもなく息が詰まった。


 そんなとき、肖像画の彼女の笑顔を見上げていると、なぜか()いだように心が落ち着いた。


 それが今、その屈託(くったく)のない笑顔を見上げているだけでは満たされない。それどころか、日ごとに何かがカラカラに乾いていく。本物の彼女を知ってしまった今では、何もかもが足りなすぎた。


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