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「申し訳ございません、リーゼロッテ様。ただ今、主は来客中でして、お話は午後から改めさせていただいてもよろしいでしょうか? せっかくお越しいただいたのに、こちらの不手際で連絡が間に合わず、誠に申し訳ございません」
執務室に行くとすまなそうな顔をしたマテアスに、深々と頭を下げられた。
「まあ、そんな、頭を上げて。ジークヴァルト様はお忙しいのですもの。わたくしのことは気にしなくて大丈夫よ」
「はぁ……いつもいつもリーゼロッテ様のご厚意に甘えてしまい、申し訳ございません」
困り眉を下げて言うマテアスに、リーゼロッテは微笑み返した。そう思うなら、夕べのような仕打ちはあれきりにしてほしい……頭ではそんなことを考えながら。
「代わりと言っては何ですが、今朝方早くに、アデライーデ様がお戻りになられています。リーゼロッテ様のお時間が空けばいつでも部屋に来てほしいとおっしゃっていましたから、これから会いに行かれてはいかがでしょう?」
「まあ! アデライーデ様が?」
思わず声が弾む。ジークヴァルトの姉であるアデライーデは、公爵令嬢にもかかわらず王城の護衛騎士団に所属している。今は遠方で任務にあたっていると聞いていたので、まさか今日会えるとは思ってもみなかった。
「でしたらわたしがアデライーデ様のお部屋までご案内しますぅ」
後ろで控えていたベッティがマテアスに視線を送る。
「はい、ベッティさん、よろしくお願いしますね」
マテアスに見送られて、ふたりは廊下を歩きだした。その後ろをカークがゆっくりと着いてくる。
「ベッティは、アデライーデ様のお部屋の場所を知っているの?」
ベッティは最近この公爵家に来たと聞いている。それなのに彼女の足取りにはまったく迷いがなかった。不思議に思ってリーゼロッテは目の前を歩くベッティに問いかけた。
「はいぃ、公爵家の間取りは一通り頭に入っていますぅ。このお屋敷は迷路みたいでなかなか覚えがいがありましたぁ。おかげで三日もかかっちゃいましたけどぉ」
「たったの三日で……!?」
幾度となく行き来している公爵家の廊下だが、よく行く場所ですらリーゼロッテはいまだに道順を覚えることができていない。それを三日で覚えたというのだ。驚くのも当然である。
「ベッティはすごいのね……わたくし、いつまでたっても迷子になりそうで……。ねぇ、何か覚えるコツなどがあるの?」
日本の記憶でも、自分は救いようのない方向音痴だった。知らない通りで一度どこか店に入ると、その店から出たときに、通りの右から来たか左から来たかわからなくなるのだ。来た道を戻っているはずが、全く違うところに行きついてしまう。そんなこともざらだった。
「コツですかぁ? そうですねぇ……そんなこむずかしいこと考えなくても、一度通った道を記憶すればそれでいいんですよぅ」
「え? そんな簡単に言うけど……」
廊下はどこへ行っても似たような景色だ。似たような扉、似たような置物、似たような花瓶に生けられた似たような花……。特徴的なものもあるにはあるが、屋敷が広すぎてその大半は似たり寄ったりだった。
「簡単ですよぅ。ほら、ここの廊下のこの壁には特徴的な傷がついてますしぃ、曲がった先の天井には、ほら、あそこ、猫みたいな形のシミがありますでしょうぅ?」
ベッティが指し示すのは、ほんの小さな傷だったり、よく見ないと分からないようなシミだったりで、とても参考にはできそうにない。信じがたいことにベッティは、本当に公爵家の屋敷内を把握しているようだった。
「……ベッティは本当にすごいのね」
「お勤め先でいつまでも迷子になっていたらお仕事にならないじゃないですかぁ。みなさんこのくらいのこと普通にやってますよぅ」
(エラだって案内人がいないとダメなのに……絶対に普通じゃないと思う……)
リーゼロッテのそのつぶやきが口から漏れる前に、ふたりはアデライーデの部屋の前に到着した。




