10-2
ふたりはしばらく無言で進むと、廊下が少し広くなったところに出た。ここは廊下が二手に分かれていて、曲がった廊下の先は王城の中心部へとつながっていた。いつもはこのまま真っ直ぐ進むのだが、その廊下の付近にはいつも以上に騎士たちがごった返していた。
王城の廊下は、決して狭いわけではない。大の大人が4~5人くらい並んで歩いても余裕なくらいだ。しかし、今日はガタイのデカい騎士たちの人だかりができていて、むさくるしいことこの上なかった。
リーゼロッテは、みなの視線が一斉に自分に向けられたことに驚き、反射的にジークヴァルトの後ろに隠れた。それまでがやがやしていた声も、ふたりの登場にしんと静まり返った。
「あの、フーゲンベルク副隊長。いつもお連れになっているそちらご令嬢は、いったいどなたなのですか? 我々にもぜひ紹介してください!」
ひとりの騎士が、前に出てジークヴァルトに声をかけた。周囲の騎士たちは、お前よくぞ言った!という雰囲気で前のめりに聞き耳を立てている。
「……お前たちには関係ない」
絶対零度の無表情で、ジークヴァルトが威圧するように返した。「ええー、そんなー!」と、あちこちから抗議の声が上がる。
そんな時、騎士たちの人だかりが割れ、奥から一人の体格のいい壮年の騎士が現れた。他の騎士に比べると騎士服が立派な装飾で、ジークヴァルトのように偉い立場の人のようだった。
「あ、隊長。副隊長がひどいんですよ。こんなにかわいいご令嬢を独り占めして」
「バカか、お前らは。こちらのご令嬢は、副隊長の婚約者殿だ」
周囲にどよめきが広がる。うそだ、ずるい、妖精が悪魔の手に、など、非難のうずが巻き起こった。
「いや、すまない。こいつらが迷惑をかけたね。ああ、失礼した。わたしはブルーノ・キュプカー。護衛騎士団近衛第一隊の隊長を務めさせてもらっている」
「いえ、わたくしこそご挨拶が遅れて申し訳ございません。わたくしは、リーゼロッテ・ダーミッシュと申します。こちらこそ、ジークヴァルト様を独り占めしてしまい、申し訳ありませんわ」
リーゼロッテは、優雅な振る舞いで完璧な淑女の礼をとった。その可憐な姿に、周囲から息をのむ声が上がる。
「いや、ダーミッシュ嬢の護衛は王太子殿下からの命だ。きちんとした職務だから、あなたが気にする必要はない」
やさしい声音に、リーゼロッテは領地にいる義父・フーゴを思い浮かべた。そして、キュプカーのブルネットの髪と榛色の瞳に、ふと既視感を覚える。
「あの、キュプカー様……キュプカー様はもしや、ヤスミン様のご血縁の方でいらっしゃいますか?」
「おや、娘とお知り合いでしたかな? 迷惑をおかけしていなければいいのだが」
キュプカーの榛色の瞳がキラリと光る。あのミーハー娘が、ダーミッシュの妖精姫と知り合いだったとは。さぞや狂喜乱舞したのではないだろうか。
「いえ、先日の王妃様のお茶会でご一緒させていただいたのです。ヤスミン様には、とても親切にしていただきましたわ」
淑女の微笑みを口元に乗せ、リーゼロッテはあの日のヤスミンを思い浮かべる。とても似ている父娘だと思った。
「ああ、なるほど。妖精姫と名高いダーミッシュ嬢とお会いできて、娘もさぞや喜んでいることでしょう」
「その呼び名は……とても、恥ずかしゅうございます……」
消え入りそうな声に、キュプカー隊長は豪快に笑った。
「ははは、ダーミッシュ嬢は本当に妖精のように愛らしい方だ。フーゲンベルク副隊長、くれぐれも職務を忘れるなよ」
そう釘をさすと、キュプカーは周囲にいた騎士たちを見やった。
「お前らも何サボっているんだ? キリキリ働かないと職務怠慢で会議にかけるぞ。その際は半年の減給か鍛錬か選ばせてやる」
大きくはないがよく通る声で周囲をひと睨みすると、騎士たちは慌てて解散していった。近衛一番隊の鍛錬は、それはそれは地獄のようであると、もはや伝説にすらなっていた。
「では、わたしもこれで」
一礼してから颯爽と廊下を去っていくキュプカー隊長を見送りながら、リーゼロッテがぽつりとつぶやいた。
「……かっこいい方ですわね」
(あれ、ジークフリート様といい……リーゼロッテってば実はオジ専?)
自分で自分に脳内突っ込みをいれていると、リーゼロッテの視界が急にかしいだ。
「んきゃっ」
見ると、ジークヴァルトがリーゼロッテを横抱きにして抱えていた。急に視界が高くなり不安定な体勢に、思わずジークヴァルトの首にしがみつく。
「ななな何をなさるのですか」
「危険だ。やはりお前はオレが運ぶ」
言うなりジークヴァルトは大股で廊下を進み始めた。
「や、ジークヴァルト様、先ほど恥ずかしいと申し上げたはずです!」
「“荷物のように“運ばれるのが嫌なのだろう?」
抗議の声を上げるが、そう一蹴された。だから横抱き、いわゆるお姫様抱っこなのか。一瞬納得しかけて、リーゼロッテはかぶりを振った。
「そうではありません! いえ、もちろんそれもあるのですが、抱きかかえられるのは淑女としてとても恥ずかしいのです! それに危険と言っても、先ほどは問題なく歩けましたわ。小鬼も寄って来なかったではありませんか」
「そっちではない」
リーゼロッテは、先ほどよりジークヴァルトの顔が近いことに動揺しつつも言いつのった。
「そっちでなければどちらだというのですか? そもそも、廊下には護衛の騎士様がいっぱいいらっしゃるではありませんか!?」
「危険だろう」
「どこが危険だというのです!?」
騎士がいっぱいいて一体何が危険なのか。この上なく安心・安全だと思うのだが、ジークヴァルトとの会話はどうもかみ合わない。
「どう考えても危険だろう。馬鹿なのかお前は」
リーゼロッテは二の句が継げずに、小さな口をパクパクした。
(ば、バカなのはお前だ―――!)