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「せっかくのティータイムを邪魔してしまい、申し訳ございませんでした」
リーゼロッテをどうにかなだめ、ヨハンを元居た見えない位置に追い出すと、マテアスは手慣れた手つきで紅茶を淹れ直した。近くにいた使用人に目配せし、ワゴンを一つサロンの中まで運ばせる。
ワゴンに乗せられていたケーキをリーゼロッテの前にサーブし、その横に淹れたての紅茶を添える。
「本日はビョウのパイを用意させました」
「まあ!」
リーゼロッテの瞳が輝く。この時期のビョウは甘く、程よい酸味があってリーゼロッテは大好きだった。瞳を輝かせるリーゼロッテの手から、マテアスがそっと先ほどのハンカチを回収した。リーゼロッテは目の前のパイに夢中のようで、マテアスの行動を気にとめる様子はない。
リーゼロッテを泣かせたとあらば、何がしかの鉄槌を受けるのはやむなしだ。だが下手に隠そうとするは得策ではない。どうせ主にはカークを通して、先ほどのやり取りが筒抜けになっているだろう。
しかし、リーゼロッテの涙というプレミア付きのハンカチを差し出されれば、ジークヴァルトも黙らざるを得まい。マテアスは大事な切り札を、大切に懐にしまいこんだ。
「さあ、どうぞお召し上がりください」
何食わぬ顔のマテアスに促され、リーゼロッテはサクサクのパイにナイフを入れた。リーゼロッテも貴族の端くれである。ケーキだってナイフとフォークでいただくのだ。すべて木のスプーンで済ませていた頃が懐かしいというものである。
器用にパイを一口大に切り取ると、リーゼロッテはその小さな口に運んだ。何層にもなったパイ生地のサクッとした食感と、トロリとしていて適度な歯ごたえもあるビョウがまた絶妙だ。
(ビョウってまんまリンゴなのよね)
高級なアップルパイを前に、リーゼロッテの表情はとろけそうなものとなる。
「ふふ、わたくしビョウが大好きなの。とてもおいしいわ」
そこらへんはマテアスもエラからリサーチ済みである。どんなときにどの紅茶を選ぶのかなど、事細かなリーゼロッテ情報がマテアスの頭の中にはインプットされている。
「今がビョウの旬でございますからね。リーゼロッテ様にはご健康でいていただきたいと、料理長が腕によりをかけて作りました」
「いちビョウあれば怪我知らず……というやつね。ふふ、料理長にお礼を言わなくてはならないわ」
「そのお言葉だけで、料理長も感激すると思います」
そんなたわいもない会話でも、リーゼロッテにはうれしく感じる。
ダーミッシュ領にいた頃は、異形のせいでひとりさびしく食事を済ませていた。最近になってようやく家族と食卓を囲めるようになったのだ。
だが、公爵家では基本部屋で、ひとりきりで食べるのがほとんどだった。忙しいジークヴァルトと食事を共にしたことは一度もない。
「本日の王太子殿下の公務が終われば、しばらくは旦那様も王城へ出仕することはなくなります。先日、旦那様にお話があるとおっしゃっていましたでしょう? 明日にでもリーゼロッテ様のためにお時間がたっぷりとれますので、楽しみになさってくださいね」
マテアスにそう言われ、リーゼロッテはそうだった! というような顔をした。
「あの、マテアス……その件なのだけれど、今日、カイ様にお会いできたので、ジークヴァルト様にお話するのはもうよくなったの」
「「「「「えっ!?」」」」」
「えっ?」
自分の言葉に大仰に驚かれたことにも驚いたのだが、驚きの声が明らかにマテアスではない方向からも上がったので、リーゼロッテはきょろきょろとあたりを見回した。
サロンの入口から、先ほどの使用人たちがのぞき込んでいる。リーゼロッテが振り向くと、慌てたようにある者は荷物を運びだし、ある者は窓を拭き、ある者はそこら辺にあった壺を磨きはじめる。なんともわざとらしい、わたしたち仕事してますよアピールだ。
「リーゼロッテ様……それは一体どういう……」
マテアスは困惑を通り越して、絶望したような顔つきになっている。
「……先ほどリーゼロッテ様は、デルプフェルト様と随分と親しそうなご様子でしたね」
「ええ、カイ様には王城に滞在していた時に、とてもよくしていただいたわ。わたくしね、カイ様の淹れてくださる紅茶が大好きなの」
笑顔でマテアスを見上げたリーゼロッテは、マテアスが呆然と固まっていることにようやくそこで気がついた。
「あ……もちろんマテアスの淹れる紅茶もおいしいわ。……本当よ?」
「……ありがとうございます、リーゼロッテ様。わたしもまだまだ精進せねばならないということですね」
「いえ、だから、本当にマテアスの紅茶も……」
「ええ、重々承知いたしております。このマテアス、久々に燃えてまいりました」
(朴念仁のヴァルト様には、もっと、もっと、リーゼロッテ様のお心をがっちりつかんでいただかなくては!!)
静かに笑みをたたえるマテアスが、なぜだろう。ちょっと怖い。
「ですが、少々困りましたね。我が主はリーゼロッテ様のお願いを聞く気満々でいるようでしたので……」
そう言ってマテアスが眉を下げる。
(むしろそれだけを活力に、しぶしぶ王城へ出仕されていましたからねぇ)
「まあ、そうなのね。お時間を取っていただきたいとわたくしがお願いしたのに、やっぱりもういいですと言うのはあまりにも非礼よね……」
「いえ、そうは申しましても、主はリーゼロッテ様とご一緒に過ごせるだけでも十分ですから」
「でもそのようなわけには……」
「でしたら何か他に、旦那様におねだりなさりたいことはございませんか?」
他におねだり、と言われてリーゼロッテはこてんと首をかしげた。もともとの頼み事はおねだりとかそういうものではなかったのだが、マテアスの中ではなんだかそういう方向へ行ってしまっているようだ。
「そうね……でも、おねだりと言われても……」
しばし考え込んだ後、リーゼロッテはマテアスの顔をじっとみつめた。
「贈り物の回数を減らしていただくというのは……?」
「無理でございます」
「……では、あーんは人目のないところで」
「使用人の日々の活力ために、そんな無体なことはおっしゃらないでください」
「日々の活力……? よくわからないのだけれど……だったら、久しぶりにジョンに会いに行くのは……」
「まだ許可はお出しかねますねぇ」
「……じゃあ、白の夜会でわたくしとダンスを踊ってくださるよう、ジークヴァルト様にお願いするというのはどうかしら……?」
「婚約者である旦那様と踊られるのは当然のことですし、むしろ旦那様以外の方とは踊らないでいただきたいのですが」
「…………それなら、一度だけでもいいから、ヴァルト様とお食事をご一緒したいわ」
リーゼロッテがもうこれ以上はないと少々投げやりに言うと、マテアスがいきなり片膝をついて目頭をぐっと押さえた。
「申し訳ございません……主が多忙なばかりに、あなた様に寂しい思いばかりを強いてしまって……」
「え? いえ、そんな大げさな……」
「いいえ! こんなささやかな可愛らしいお願い事すら叶えてさしあげられない朴念仁な主ですが、どうか! どうか、お見捨てにならないでやってください!」
妙に芝居がかった仕草のマテアスに、リーゼロッテは引き気味になった。入口で様子を伺っていた使用人たちも、ハンカチを目に当てて懇願するようにこちらを見ている。
「ですが、ご安心ください。リーゼロッテ様のそのなんともいじらしい願い。今日にでもこのマテアスが叶えてさしあげましょう」
すっくと立ちあがり、マテアスは恭しく腰を折った。
「え、だからそんな大げさな」
「さあ、聞きましたか? 今夜は旦那様とリーゼロッテ様の初めての晩餐です! みな、気を引き締めて準備に取りかかりますよ!」
マテアスの号令で使用人たちが我先にと動き出す。
その日、公爵家は、いったいどんな賓客が来るんだと言うほどの晩餐の席を、ふたりのためだけに用意したのだった。




