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「ハインリヒお兄様!」
ぱあっと顔を輝かせて、ピッパは弾丸のようにハインリヒの元へと駆け出した。その勢いにハインリヒが体をこわばらせる。
あわやハインリヒに抱きつこうとした瞬間、横からさらうようにカイがピッパ王女を抱き上げた。
「ピッパ様、兄君とはいえ、いきなり男性に抱き着くなんて、はしたないですよ」
ピッパとカイは従兄妹同士だ。身分差はあれど、非公式の場では気安い間柄だった。
「カイだって、淑女をいきなり抱き上げるなんて! 失礼しちゃう!」
「立派なレディ相手でしたら、誰もそんな無作法なまねはいたしませんよ」
そんなことをするのは、どこぞの公爵くらいなものである。
「まあ、わたくしは立派なレディではないと言いたいの!? 不敬だわ!」
「ピッパ様! きちんと挨拶もできない王女が、淑女として認められるわけありませんでしょう?」
後ろで控えていた女官のルイーズにお小言を言われ、ピッパは小さな肩をすくませた。
カイが笑いながらピッパを下ろすと、王女は流れるような動作で「ごきげんよう、お兄様」と、ハインリヒに向かって、王女にふさわしい美しい礼を取った。
「ああ……ピッパも元気そうでなによりだ」
そう言って柔らかく微笑むも、ハインリヒは決してピッパに近づこうとはしない。昔はよく頭をなでてくれたり、先ほどのカイのように抱き上げてくれたものだった。
そのかわりのように横からカイがピッパの頭をポンポンとなでる。
「もう! カイはそうやってすぐわたくしを子ども扱いして! 不敬よ、不敬! せっかく楽しくお話していたのに、カイのせいで台無しだわ!」
そう言って頬を膨らませる。
そうだ。ハインリヒは自分をきちんと淑女扱いしてくれているのだ。以前のように触れてこなくなった兄への寂しさを、そう思うことでピッパは誤魔化そうとした。
「ああ、随分と楽しそうな笑い声が聞こえましたね。一体何をお話されていたんですか?」
カイが話題を変えるように言うと、ピッパは瞳を輝かせ頷いた。それで機嫌が直ってしまうから、ピッパはまだまだ子供だ。
「そうなの! 今、アンネマリーの話をしていたのよ! ねえ、お母様、アンネマリーは次はいつ王城に来るの? 先日、褒美を贈ったのでしょう?」
ピッパの言葉に、思わずカイはハインリヒの顔を見た。もともと不機嫌だった顔の眉間には、さらに深いしわが寄せられている。
「ええ、褒美は喜んでもらえたようよ」
幼い娘に向けるには妖しすぎる笑みを、イジドーラはその口元に浮かべた。
数日前にアンネマリーからお礼状が届けられたが、それとは別に母親のジルケからもイジドーラは手紙を受け取っていた。アンネマリー同様、お礼の言葉がしたためられていたが、遠回しにイジドーラの行動を責めているような文面でもあった。
「それで、アンネマリーはいつ王城へ来るの?」
「そうね……次に顔を見るとしたら白の夜会だけれど……その時はきっと無理ね」
白の夜会はデビュタントのための舞踏会だ。その日、デビューを果たす者は、家族と共に出席するのが常なので、王家のごり押しで夜会後に王妃の元へ呼ぶわけにはいかないだろう。
「じゃあその次は?」
せがむように聞いてくるピッパに、イジドーラは少し考えるようなしぐさをした。
「次と言ったら……そうね、新年を祝う夜会があるわ。その日、アンネマリーには、離宮の星読みの間に泊まらせましょう」
「義母上……!」
星読みの間は以前もアンネマリーが滞在していた部屋だ。イジドーラの含みを持たせた言葉に、ハインリヒが非難するような声を上げた。
そんなハインリヒの様子には気づくことなく、「そんなに先なの……」とピッパは落胆の色を見せる。
「やはり、アンネマリーは直接、褒美のお礼に来るべきだわ! ねえ、クリスティーナお姉様もそうお思いになるでしょう?」
「ピッパ様! アンネマリー様は社交界デビューの準備でお忙しいと申し上げましたでしょう? ご自分がアンネマリー様とお話ししたいからと、我が儘ばかり言ってはなりません」
ルイーズにたしなめられると、ピッパは可愛らしく頬を膨らませた。
「だって、アンネマリーに会いたいのだもの。…………そうだわ……そうよ! それがいいわ!」
突然、飛び跳ねるようによろこびだしたピッパに、一同の注目が集まる。
「ねえ、ハインリヒお兄様! お兄様がアンネマリーと結婚すればいいのよ! そうすれば、アンネマリーはずっと王城にいられるわ!」
ピッパは頬を紅潮させて瞳を輝かせた。無邪気に爆弾を落とされたハインリヒは、目を見開いて固まっている。




