表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ふたつ名の令嬢と龍の託宣【なろう版】  作者: 古堂素央
第2章 氷の王子と消えた託宣

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

170/494

4-2

     ◇

 本神殿から王城までは、王族専用の隠し通路がある。他の貴族たちと違って、外に出なくとも王城へと移動が可能だ。その通路へと向かうためにイジドーラ王妃はディートリヒ王に手を取られ、ゆっくりと神殿の廊下を進んでいた。


「あら、ゲルハルトお兄様」


 向かう先にひとりの貴族が立っているのを認め、王妃は王の手を離れた。そのままその貴族の方へ歩み寄る。

 それを見とがめるような視線を王妃に向けた貴族は、王に向かって貴族の礼を取った。


「王におかれましては、ご健勝(けんしょう)でなによりでございます」

「よい、顔を上げよ」


 ディートリヒ王が静かな声で言うと、貴族は緊張した面持(おもも)ちで顔を上げた。彼はイジドーラの兄で、ザイデル公爵家の当主だ。


「ザイデル公爵、息災(そくさい)か?」

「はい、おかげさまで万事(ばんじ)平穏(へいおん)に……」

「まあ、ゲルハルトお兄様はあいかわらずお(かた)いこと」


 王妃が(さえぎ)るように言うと、ザイデル公爵は「王妃殿下」と再び(とが)めるような視線を向けた。


「よい。積もる話もあるだろう。余は先に行っている」

「お心遣い感謝いたします、王」


 イジドーラが優雅に微笑み、ディートリヒ王は青のマントを(ひるがえ)して廊下の先に去っていった。


「……イジドーラ……言いたくはないが、もっと王を(うやま)うことはできんのか」

「まあ、これほどまでに敬愛(けいあい)申し上げておりますのに……お兄様の目は節穴(ふしあな)ね」

「まったく、お前というやつは……」


 呆れかえったように言った後、ザイデル公爵は至極(しごく)真面目な顔になった。最近、耳に入ってくる妹の言動は、王の立場を傷つけるようなことばかりだ。最も、噂話は過大に誇張(こちょう)されているのだろうが。


「あのお方あってこその今の平穏(へいおん)だ。お前も……ザイデル家も……」

「もちろん心得ておりますわ。セレスティーヌ様と王に救っていただいたこの身ですもの。これまで通り、命をとして王にすべてを(ささ)げるつもりですわ」

「……分かっているならいい。あまり王を困らせるなよ」


 くぎを刺すように言うと、話はそれだけだとばかりにザイデル公爵は腰をかがめ、白いレースの長手袋をはめた王妃の手を取った。そっと持ち上げ、唇が触れない絶妙な距離を保って、(うやうや)しくその甲に口づけるふりをする。


「では、王妃殿下。これにて御前(おんまえ)失礼いたします」


 ザイデル公爵は(きびす)を返して、神殿に向かう方向へと去っていった。


「お兄様もわかっていないわね、王はわたくしに困らせられたいと思っておいでなのに。ねぇ、そうでしょう、ルイーズ?」


 後ろに控えていた古参の女官をちらりとみやる。


「恐れながら、わたしには判断いたしかねます」

()(まま)を言う方もたいへんなのよ。でも、そうしないと王が()ねてしまうもの」


 口元に笑みを()くと「行くわよ」とだけ言って王妃は廊下を進み始めた。その後ろを女官のルイーズが続き、数歩離れた距離を保ちながら護衛の女性騎士が後を追う。


 王族専用の隠し通路まであと少しというところで、イジドーラ王妃は眉をひそめた。ほんの一瞬、その歩調が(ゆる)められたが、すぐさま王妃は何事もなかったように前へと進んだ。


「イジドーラ王妃」


 だらしない体つきの禿()げあがった神官が、イジドーラ王妃を呼び止めた。下品な笑いを口元に乗せ、王妃が足を止めて当然とばかりに、行く手を遮るように立ちはだかる。

 本人は優雅に礼を取っているつもりのようだが、大きな腹がその動きを完全に邪魔している。その手につけられた趣味の悪い腕輪が、じゃらじゃらと耳障(みみざわ)りな音を立てた。


「先ほどの洗練(せんれん)された儀式といい、ますますご健勝(けんしょう)のようですな」


 王妃の体を上から下までねめつけるように見る神官に、後ろに控えたルイーズの顔がしかめられる。それを軽く手で制すると、王妃は妖艶(ようえん)な笑みを口元に浮かべた。


「ミヒャエル司祭枢機卿(しさいすうきけい)……あなたも変わらずの様子、何よりね」

「ありがたきお言葉……このミヒャエル、感激のあまり涙が出そうです」


 下卑(げび)た笑いを乗せ、再び王妃の体をじろじろとぶしつけに見ている枢機卿(すうきけい)に、後ろにいた女性騎士が気色ばんだ。


「控えなさい」


 王妃は静かな声で言うと、司祭枢機卿は大きな体をゆすって勝ち誇ったように(わら)い声をあげた。


「先日は、わたしの誕生を祝う会に出席してくださり、誠にありがとうございます。本来なら王太子殿下にご出席いただくはずだったところ、イジドーラ様(みずか)ら買って出ていただけたとか。美しいイジドーラ様に心から祝ってもらえるなど、光栄の(きわ)みですな」

「重要な執務を王より任され、王太子は日々忙しい身。些細(ささい)な公務くらい、引き受けてやるのが親心というものでしょう?」


 イジドーラ王妃が涼しい顔でそう返すと、後ろに控えた女性騎士が、()き出したのをごまかすような中途半端な息を漏らした。ミヒャエル司祭枢機卿は引きつった顔を赤くして、その女性騎士を(にら)みつける。


「さあ、王女が待っているわ。戻りましょう」


 そこをどけと(あん)ににおわせるが、ミヒャエルは不遜(ふそん)な笑みをたたえ、無理矢理イジドーラ王妃の手を取った。


「美しきイジドーラ様に青龍のご加護があらんことを」


 そう言いながら王妃の手の甲に口づける。レースの手袋越しにかさついた唇を押し付け、周りに分からぬようにねっとりとその甲を()め上げる。


 執拗(しつよう)に長すぎる口づけに、後ろにいたルイーズが咳払(せきばら)いをする。手の甲への口づけは敬愛(けいあい)忠誠(ちゅうせい)のしるしだが、常識ある者なら実際に唇を触れさせたりはしない。女性騎士は司祭枢機卿を睨みつけながら、腰に下げたレイピアに手を伸ばして、威嚇(いかく)するようにきちりと剣のつばを鳴らした。


 それを感じたミヒャエルは、不承不承の(てい)で王妃の手を離した。離す寸前に、王妃の手の甲を親指で()で上げる。

 イジドーラ王妃は身じろぎもせずその行為を受けいれると、何事もなかったように真っ直ぐに前を見据(みす)えて歩き出した。女官と女性騎士たちもその後に続く。


 去っていく王妃の背を眺めながら、ミヒャエル司祭枢機卿は唇の片端(かたはし)だけを上げて鼻で笑う仕草(しぐさ)をした。


「ふん、裏切り者の一族の小娘が」


 本来なら、あの娘は自分の物になるはずだったのだ。あの手袋に包まれた白い手も、白銀のドレスの下に隠された美しく(なま)めかしい体も。


(あの時、ディートリヒ王の横やりさえ入らなければ……)


 醜く顔をゆがませた後、ミヒャエルは不遜(ふそん)な笑みを漏らした。


「まあ、いい。涼しい顔をしていられるのも今のうちだ」


 そう、自分には本物の女神がついているのだから。


(青龍など、まがい物の神など比べ物にもならん)


 自分こそが王にふさわしい(うつわ)なのだ。女神の存在は、その(あかし)に他ならない。

「わたしが王になった(あかつき)には、慈悲(じひ)で一度くらいは抱いてやってもいい」


 イジドーラを自分の下に()()き白い肌を(あば)いていく。そんな想像を(めぐ)らせながら、薄ら笑いを浮かべたミヒャエルは、小さくなっていくイジドーラ王妃の背をいつまでも見送った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ