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一時間も馬車が進めば、外の景色が雑多な街並みへと変化していく。王都へと入った証拠だ。整備が行き届いた大通りにさしかかると、リーゼロッテは下げられたカーテンの隙間から物珍しそうに窓の外を眺めた。
貴族令嬢なら大抵の者が、王都にある貴族街で買い物を楽しんだりしているが、リーゼロッテは諸事情により引きこもりな深窓の令嬢生活を続けてきた。馬車から見える王都の街並みは、目に映るものすべてが新鮮だった。
(ふあっ、これぞ異世界って感じ!)
本当はカーテンを開けてじっくりと観察したいのだが、公爵家の馬車は何かと注目を浴びやすい。中に乗っているのは誰だと、好奇心の目にさらされるのだ。
(残念だけど、公爵家の名に泥を塗るようなまねはできないものね……)
いつか王都へ買い物に行ってもいいかジークヴァルトに聞いてみよう。お忍びで平民の格好をするのが、ラノベでのデフォだろう。生粋の元庶民としては、平民に紛れるのはお茶の子さいさいだ。
そんなことを思いながら、リーゼロッテは名残惜しそうに窓から顔を離した。先ほどから、馬車が進んではすぐ止まるのを繰り返している。馬車通りが渋滞していて、なかなか前に進まないようだ。あまり窓からのぞき込んでいると、通行人と目が合いそうだった。
「ずいぶんと道が混んでいるようね」
エマニュエルがつぶやくと、馬車を止めた御者が窓越しに声をかけてきた。
「お嬢様、申し訳ありません。今王都は祭りの最中でして、どこの道もこんな感じで……。この通りを抜ければ混雑もましになると思いますので、もうしばしご辛抱いただけますか?」
「ああ、そういえばそんな時期だったわね」
「まあ、お祭りですの?」
リーゼロッテの瞳がキラキラと輝き、窓の外を見たそうにうずうずしている。言われてみれば、馬車の外は、祭りに浮かれたような熱気にあふれた人々の声が聞こえてくる。
「この国で昔から催されている庶民の祭りですわ。貴族が参加するようなものではありません」
たしなめるように言われて、リーゼロッテは慌てて居住まいをただした。しかし、馬車の外から聞こえる声に思わず耳をそばだててしまう。
「さぁあ、今年の優勝は誰の手に!? 龍の祝福コンテスト、いよいよ決勝戦の始まりだよぉ!」
煽るような大声に、周囲からどっと沸いた声が上がる。はやし立てる口笛が、あちこちで飛び交った。
「龍の祝福コンテスト?」
こてんと首をかしげたリーゼロッテに、エマニュエルは歴史の授業の教師のように、淡々とした口調で説明した。
「龍の祝福コンテストは、生まれつきのあざ……龍の祝福の美しさを競う大会ですわ。自薦他薦は問わずで、色、形、大きさ、男女別に様々な部門があります。総合優勝を果たした者には、一生遊んで暮らしていけるほどの褒賞が贈られますが、そのかわり入れ墨などで龍の祝福をねつ造した者には重い罰則が与えられます。一般投票が主ですが、祝福が人に見せにくい場所にある場合には、男性には男性の、女性には女性の、専門の資格を持った審査員が個別の審査を行います。まあ、毎年行われる平民の娯楽のような祭りですわ」
(ミスコン……いえ、むしろ、年末ジャン〇宝くじみたいなものかしら……?)
実際にこのコンテストは、長く厳しい冬を迎える前の風物詩的な庶民のイベントだった。総合優勝に該当者がないと、来年にキャリーオーバーされていくので、まさに夢ふくらむ平民の祭典なのだ。
(経済効果もハンパなさそうね……ああ、それにしても楽しそう……)
カーテンの隙間からおいしそうな屋台が並ぶ一角が垣間見える。道行く人々は、食べ歩きを楽しんでいるようだ。
なかなか進まない馬車から、それを指をくわえてみているしかなかった。淑女として実際に指のなどくわえたりはしないが、もし食べ物の匂いが届いていたら、おなかの虫が鳴ってしまったかもしれない。
貴族の食事はどれも高級でおいしいが、ジャンクフードの魅力を知っている身としては我慢しがたいものがある。
(王都に遊びに行けるよう、絶対にお願いしよう。食べ歩きは無理でも、どこかカフェとか入ってみたい……)
エラと一緒にお忍びデートを楽しむのもいいかもしれない。なんとかジークヴァルトを説得しようと、リーゼロッテは決意を新たにした。
「あら?」
道行く人ごみの中に、見知った人物がいたような気がしてリーゼロッテは声を上げた。
「どうかなさいましたか?」
「いいえ……何でもないですわ。知っている方がいたような気がして……きっと見間違いですわね」
そうだ。あの人物が庶民の祭りのさなかに出歩くなどあり得ない。
(ピッパ王女がいたかもなんて、思い違いも甚だしいわね……)
見事な赤毛に、金色の瞳。雑踏の中に、いつか王妃の離宮で会った王女殿下を見た気がした。
見間違えた少女は、すでに人ごみに埋もれてしまった。
馬車はゆっくりと動き出し、やがて混雑を抜けて軽やかに走り出す。その後は一度も止まることなく、馬車は公爵家へとたどり着いた。




