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アンネマリーに見送られながら、クラッセン家のエントランスを出たリーゼロッテは、馬車の停まる場所へと移動した。
控えの部屋で待っていたエマニュエルと途中で合流したが、泣いた後の顔はごまかされなかったようだ。周囲の目もあり、すぐに問いただされることはなかったが、後である程度は事情を話さなければならないだろう。
馬車の前に数人の人影が見え、着ている服装から公爵家の護衛たちだと分かる。冷やしたとはいえ、泣きはらした顔を見られたくないと、リーゼロッテは不自然に見えないようにそっと視線をそらそうとした。
しかし、大柄な人物が二名並んでいるのが視界に入り、リーゼロッテはそのふたりを思わず二度見した。
(か、カークがふたりいる……!)
リーゼロッテの姿を認めると、並ぶカークのうち、ひとりが跪いて騎士の礼を取った。もうひとりはそのまま静かに立っている。
近づいてよくよく見ると、騎士の礼を取ったカークは公爵家の護衛服を着ており、立ったままのカークは古びた鎧を身に着けたひげ面のいつものカークだった。
「リーゼロッテ様、こちらは公爵家の護衛騎士をされているヨハン・カーク様です」
ふたりを交互に見つめて目を白黒させているリーゼロッテに、跪く護衛服のカークの横に立ったエマニュエルが声をかけた。
「ヨハン……カーク……さま?」
「はい!リーゼロッテ様! ヨハンと申します! いずれ子爵家を継ぐ身ではありますが、この命に代えてもリーゼロッテ様にお仕えする所存です!」
ヨハンは巨体を地面にめり込ませそうな勢いで、さらに深い騎士の礼を取った。
「ヨハン様は、カーク子爵家の跡継ぎでいらっしゃいます」
すまし顔で言うエマニュエルは、どこか含んだ笑いを見せた。
「え?カーク子爵? ……もしかして、ヨハン様はカークの……」
「はい! そこの異形、不動のカークは、わたしの先祖であります!」
代々、公爵家の傍系として名を連ねてきたカーク家は、邪魔物扱いされている不動のカークの存在のせいで、昔から周りの者に軽んじられてきた。自分だけなら我慢も効くが、大事な家族がそのせいで辛い目に合うのは、ヨハンには耐えがたいことだった。
ヨハンには年の離れた妹がいる。あと数年で社交界デビューをする可愛い妹は、そんな状況では良い縁談を望めるとは思えない。カーク家の宿命だと半ば諦めていたヨハンだったが、リーゼロッテが公爵家にやってきてから、状況が一変したのだ。
「あの……ヨハン様、お顔を上げてくださいませ。わたくしにそのように礼を取る必要はありませんわ」
リーゼロッテは伯爵令嬢でヨハンは子爵家の人間なので、貴族階級的にヨハンが下である。礼を取るのはおかしくはない。だが、今ヨハンがとっているのは、王族に対して示すような騎士の中でも最大級の礼を尽くすものだった。
「とんでもありません! わたしはジークヴァルト様とリーゼロッテ様に、生涯、命を懸けてお仕えすると誓ったのです!」
本当に命を捧げそうな勢いに、リーゼロッテは困惑した。公爵家当主であるジークヴァルトならともかく、まだ婚約者の身の自分にそこまでする意味が分からない。
「ヨハン様はリーゼロッテ様に感謝されているのですよ」
「感謝とおっしゃられましても、わたくしヨハン様にお会いするのは初めてで……いえ、そういえば王城からダーミッシュ領に戻るときに、もしかしたらヨハン様はいらっしゃった……?」
王城の馬車留めで、初めてジークヴァルトの姉・アデライーデに会った時のことを思い出す。その時、一緒にいた騎士の中に、この大柄なヨハンがいたような気がする。
「ご記憶頂けて光栄です! 確かにあの時わたしは、リーゼロッテ様の護衛の任をジークヴァルト様から受けておりました!」
「まあ、そうだったのですね。あの時は領地まで護衛してくださってありがとうございました。とても心強かったですわ。あの……とにかく、もうお立ちになって……?」
いつまでも礼を取られてはいては落ち着かない。エマニュエルにも促されて、ヨハンはようやく立ち上がった。
隣に立っているカークと並ぶと、なかなかの威圧感である。ふたりは顔立ちというより骨格がそっくりで、やはり血のつながりがあるのだと納得する。だが、無精ひげを生やしたカークと違って、ヨハンは貴族らしくござっぱりした清潔感ある出で立ちをしていた。
「エマの言うように、わたしは、いえ、カーク子爵家は、リーゼロッテ様に救っていただきました! 感謝しても、感謝しても、感謝しても、したりません!!」
前のめりに熱く言われて、リーゼロッテは引き気味になった。そこは淑女として顔には出さなかったが、戸惑いは隠せない。困ったように淑女の笑みを浮かべながら、リーゼロッテは可愛らしく小首をかしげた。
「ヨハン様……申し訳ありませんが、わたくしそのような大それたことをした覚えはありませんわ」
「いいえ! カーク子爵家は長年フーゲンベルク家に仕えてきましたが、この不動のカークのせいで長い間一族郎党から疎まれておりました。しかし!! 何をやってもうんともすんとも反応しなかった我が先祖を、リーゼロッテ様はものの数秒で動かされ! しかも!! リーゼロッテ様の護衛という栄誉ある任まで与えてくださった!!! これを! これを! 感謝せずにどうせよとおっしゃるのですか!!!!!」
ドン引きしているリーゼロッテを置き去りにしたまま、ヨハンはぐいぐいにまくしたてた。実際に、公爵家の屋敷内をカークを連れて歩くリーゼロッテの効果は、ものすごいものがあったのだ。
ヨハンは幼少の頃から、カークの末裔と言う理由で、公爵家の家人たちから白い目で見られてきた。
とばっちりもいいところなのだが、いかんせんカークとヨハンは遠目に見た感じがそっくりすぎた。いかにヨハンが清潔そうな身なりをしていようとも、武骨で小汚く見える邪魔なカークと同等の扱いを、ヨハンは長い間うけ続けてきたのだ。
しかしここにきて、使用人たちのカークやヨハンを見る目が変わってきていた。リーゼロッテの護衛として働くカークを目にした使用人たちが、こぞってそれを褒めそやしているとの話も耳にする。
以前は生ごみをみるかのような視線を向けられたものだったが、今では尊敬交じりのものとなってきているのだから、ヨハンにしてみれば天地がひっくり返ったような心持ちである。
ヨハンは力ある者だが、その力量はエマニュエル以下だ。異形の者を視る能力も低いため、不動のカークの姿をぼんやりとしか認識できない。
しかしヨハンは、ソレが自分にそっくりだと長いこと異口同音に言われ続け、皆の認識の中では、ヨハン = 不動のカークとなっていたくらいだ。
好意を抱いている女性から軽蔑のまなざしで見られるのはこたえたし、何より大事な妹が陰で悪しざまに言われるのがたまらなく辛かった。不動のカークは先祖であるから、それでも耐えがたきを耐え、ヨハンは甘んじてそれをうけいれてきたのだが。
数百年続く呪縛からカーク子爵家を、リーゼロッテは瞬く間に解放してしまった。
リーゼロッテは地上に舞い降りた女神に違いない。眩いほどの清廉な気を纏う姿は、ヨハンの目には神々しくさえ映っていた。
「それはたまたまカークがわたくしの言うことを聞き入れてくれて……。護衛につけとおっしゃったのはジークヴァルト様ですし、それに、カークに護衛してもらって、わたくしもとても助かっておりますから……」
「おおお、なんというおやさしいお言葉! このヨハン、ジークヴァルト様とリーゼロッテ様への恩義は、一生! 決して! 忘れはいたしません!!」
「ヨハン様、そのようにまくし立てては、リーゼロッテ様がお困りになられます。それにここで油を売っていては、リーゼロッテ様のお帰りを首を長くしてお待ちになっているジークヴァルト様に申し訳が立ちませんわ」
「はっ! わたしとしたことが! リーゼロッテ様にひとこと感謝を伝えたかっただけで、悪気があった訳では……!」
「わかりましたから、そろそろ出発しましょう」
呆れたようにヨハンを一瞥し、エマニュエルはリーゼロッテを馬車の中へと促した。




