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◇
数日後、ダーミッシュ家にひとりの来客が訪れた。リーゼロッテは伯爵家の居間で、義母のクリスタと共に淑女の礼で来訪者を迎え入れていた。
「伯母様、ご無沙汰しておりますわ」
「まあ、リーゼロッテ! 随分ときれいになって!」
来たのはクリスタの姉ジルケだった。ジルケはアンネマリーの母親である。彼女は夫のクラッセン侯爵と共に隣国で暮らしていたが、アンネマリーの社交界デビューの準備のためにアンネマリーと共に帰国していた。
「ようやく会えたわね、リーゼロッテ」
帰国後、ジルケは幾度かダーミッシュ家へ訪問していたが、リーゼロッテが王城や公爵領に滞在していたため、なかなかふたりは会えないでいた。アンネマリーとよく似ているたれ気味の瞳をやさしく細めて、ジルケはリーゼロッテをやさしく抱きしめた。
(アンネマリーの体型はジルケ伯母様譲りなのね……)
豊かな胸に顔をうずめて、リーゼロッテはその柔らかさについつい羨望のまなざしを向けてしまう。
「ジルケ伯母様、先日は素敵な贈り物をありがとうございました」
リーゼロッテは誕生日のプレゼントとしてジルケから隣国の絹織物を贈られていた。ここブラオエルシュタインでは見ない美しい光沢を放った織物だ。今、その布を使ってドレスを仕立ててもらっている。
「誕生日にはお祝いに来られなくて悪かったわね。でも、気に入ってもらえたのならよかったわ」
「はい、とても美しい絹織物で、わたくしドレスが仕上がるのが楽しみですわ」
先日、仮縫いの状態で試着してみたが、動くたびに色合いが変化してなんとも美しいドレスに仕上がっていた。その布地が珍しいのか、お針子たちからもそのドレスは絶賛の嵐だったのだ。
「ふふ、アンネマリーにも同じ布地でドレスを作らせているの。ふたりお揃いで夜会に出たら、注目の的間違いなしね」
「あら、それは素敵ね、お姉様」
隣で聞いていたクリスタもうれしそうに微笑んだ。
ジルケとクリスタは若い頃は亜麻色の髪の姉妹として、社交界では華々しい存在だった。ふたりとも婚約者がいるにもかかわらず、独身時代は求婚が絶えなかったそうだ。そんなふたりはお揃いのドレスで、よく夜会に参加したものだ。
「昨日、仮縫いでクラッセン家にマダム・クノスぺが来ていたのだけれど、マダムはリーゼロッテがよほど気に入ったようね。久々に血がたぎると目を輝かせていたわよ。……あれはきっと、マルグリット様にドレスを着てもらえなかったせいね」
「マルグリット母様に……?」
マルグリットはリーゼロッテの実母のことだ。三つの時にダーミッシュ家に養子に出されたリーゼロッテは、マルグリットのことは朧気にしか覚えていなかった。
「ええ。マダムはずっとマルグリット様にお願いしていたのに、結局はドレスを仕立てさせてもらえなかったらしいの」
「マルグリット様は公爵令嬢でいらっしゃるのに、ドレスや社交にまるでご興味をお持ちでなかったものね……。あんなにお美しいのに、わたくしも残念に思っていたの。だからマダムは、マルグリット様そっくりのリーゼロッテに、自分のドレスを着せたくて仕方ないのね」
「わたくしはそんなにマルグリット母様に似ているのですか?」
優雅に微笑みかける義母クリスタに、リーゼロッテはこてんと首をかしげた。
わずかに残る記憶の中の実母は、確かに髪の色も目の色も自分と同じだった。将来自分はこんな大人になるのだろうと思えるほどに、自分と実母は似ていると思う。
王城で鎧の大公に母親に間違えられたし、王妃付きの女官も自分の顔を見て母マルグリットの名を呼んでいた。
しかしリーゼロッテは、王城の離宮でイジドーラ王妃に言われたこともひっかかっていた。
「王妃様はマルグリット母様のことをご存じなのでしょうか……?」
リーゼロッテの突然の問いかけに、クリスタはジルケの顔を見た。姉のジルケの方が、マルグリットやイジドーラと親しかったからだ。
「ええ、もちろん。イジドーラ様もマルグリット様も、前王妃であるセレスティーヌ様の話し相手として、よく王城へ呼ばれていたから……。でも、どうしてそんなことをリーゼは聞くの?」
ジルケ自身もまた王妃の話し相手の一人として登城していたため、三人で顔を合わせることは多かった。
だが、マルグリットとイジドーラは、まるで水と油のような関係だった。表面上は穏やかにやっていたが、お互いが公爵家令嬢という立場上、慣れ合うことはできなかったのかもしれない。
そのふたりのどちらとも親しくしていたジルケは、あくまで中立の立場を貫いていたし、セレスティーヌ王妃もそんなふたりをただ見守っているだけだった。
「王城で……わたくしの顔を見た王妃様が、あまり似ていないとおっしゃったのです」
「そう……イジドーラ様が……」
少し考え込んだ後、ジルケはくすりと笑った。
「でも、言われてみればそうね。リーゼはマルグリット様にそっくりだけれど、性格はまるで似てないわ。マルグリット様は言いたいことははっきりとおっしゃる、どちらかというと男気溢れる方だったから……。そう言う意味ではリーゼロッテとは正反対ね」
実の母親が男気溢れる公爵令嬢だったと言われて、リーゼロッテは戸惑った。記憶の中の母は儚げな印象だったので、余計にそう感じてしまう。
「リーゼの性格はどちらかというとクリスタ似ね」
おっとりとして振る舞いも優雅なクリスタと並ぶリーゼロッテは、容姿は全く似てないものの、どこからみても似た者母娘だ。ふたりの醸し出す雰囲気が、周囲にそう感じさせている。
「ふふ、そうかしら? だとしたらうれしいわ」
クリスタがそう言って微笑むと、リーゼロッテは思わずクリスタに抱きついた。
「わたくしもうれしいですわ、お義母様」
「あら、成人を迎えたというのにリーゼはまだまだ甘えん坊ね」
ジルケにそう笑われたが、リーゼロッテはクリスタにさらにすり寄った。
「……リーゼも随分と大きくなったわね。背丈ももうすぐわたくしと同じになりそう」
慈しむようにクリスタが髪をなで、リーゼロッテは甘える子猫のように目を細めた。
「お楽しみのところ失礼いたします。リーゼロッテお嬢様、先ほど公爵様よりお手紙と贈り物が届きましてございます」
「まあ!」
伯爵家家令のダニエルの言葉にジルケが大げさに反応した。今回ジークヴァルトから届けられたものは、かわいらしいピンクの花束と見事な装飾の小物入れ、そして昨日送った手紙に対するそっけない返事だった。
「ジークヴァルト様は、こうやって毎日欠かさずリーゼに贈り物をしてくださるのよ」
クリスタがいたずらっぽく言うと、リーゼロッテは微妙な表情になる。
「若き公爵様が婚約者にご執心という噂は、本当だったようね」
「そんな噂があるのですか?」
ジルケの言葉に、リーゼロッテは目を丸くした。
「わたしはアンネマリーから聞いたのだけれど……王城勤めの女官や侍女経由で、社交界にも広まっているようよ。最近わたしが参加したお茶会でも、みなリーゼのことをあれこれと探りを入れてくるもの。デビュー前から社交界の話題をさらうなんて、さすがわたしの姪っ子だけあるわね」
ばちんとウィンクされ、リーゼロッテは閉口した。王城でジークヴァルトに抱っこされて運ばれていたことも貴族の間で噂になっているのだろうか。
(恐ろしくて聞けない……)
涙目になりながら、リーゼロッテはふるふると頭を振った。
「今日の贈り物は素敵な小箱ね。さすがフーゲンベルク領の細工は繊細で美しいわ」
ほうと感嘆のため息をついたあと、クリスタは誇らしそうにリーゼロッテを見やった。
「ふふっ、リーゼは本当にジークヴァルト様に愛されているわね。王都の流行りのお菓子に花束、ドレス、装飾品までありとあらゆるものを贈られているもの」
「いえ、愛されているとかではなく……ジークヴァルト様はとても責任感のある方なのですわ……」
あれは婚約者として義務感にかられてやっているだけなのだ。意気消沈したようにうつむくリーゼロッテに、ジルケは不思議そうに首をかしげた。
「何か心配なことでもあるの?」
「心配ごとなどではないのですが……頂くばかりで心苦しいと言うか……その、もう少し回数を減らしていただけたらと……。もちろん贈り物はうれしいのです。うれしいのですが、さすがに毎日は頂きすぎなのではないかと思っていて……」
「まあ」
「やだ、リーゼ、あなたそんなことを気に病んでいるの!?」
微笑ましそうな反応のクリスタに対して、ジルケは盛大に吹き出しながら言った。
「馬鹿ね、贈り物くらい殿方に好きなだけさせておけばいいの。いい? リーゼ。贈り物っていうのはね、受け取った時点でもうその役目は終わっているの。受け取った後、それが使われようがどうしようが関係ないのよ。使いたいものは使えばいいし、気に入らなかったら売るなり捨てるなりしてしまえばいいわ」
「そんな……せっかくいただいた物を捨てるだなんて……」
「使われずに日の目を見ないなら、売り払って寄付に回した方がよっぽど世のためよ」
「そのかわり、大事に取っておきたいものは大切に使えばいいわ」
クリスタが助け舟を出すようにやさしく付け加えた。
「……リーゼはどうしてこんな謙虚な娘に育ったのかしら? アンネマリーもあまり物に頓着しない子だけど、それにしたってもう少しは物をねだるわ」
「リーゼにはずっと我慢のさせ通しだったから……もっと欲張りさんになってもかまわないのよ?」
クリスタの問いかけにリーゼロッテは困ったような顔をした。
「これ以上望んだら、ばちが当たりそうですわ」
リーゼロッテのそんな答えに、ジルケはクリスタと目を合わせてから、呆れたように大仰に頭を振って見せた。
「ところでジルケ伯母様……最近、アンネマリーの様子はいかがですか……?」
王城を辞す前に会ったとき以来、アンネマリーとは顔を合わせていない。リーゼロッテが領地へと戻ったあと、程なくしてアンネマリーも王妃の離宮からクラッセン領へと帰ったらしい。
リーゼロッテの誕生日には、贈り物と祝いに行けないことの謝罪の手紙がダーミッシュ領に届けられた。その後はあたりさわりのない手紙を交わす程度だ。
(アンネマリーと王子殿下のこと……わたしの口から伯母様に言うわけにはいかないけど……)
王妃の離宮で会ったアンネマリーはまるで元気がなかった。手紙には特に変わりはないとしか書かれていなかったが、いつもの彼女らしくないあの日の様子がずっと気にかかっている。
リーゼロッテの問いに、明るい表情から一転してジルケは神妙な顔つきになった。
「王城から帰ってきてから、あの子ったらため息ばかりで……何を言っても生返事だし、部屋に閉じこもってどこへも出かけようとしないのよ……。今日も一緒に行こうと誘ったのだけれど、体調がよくないと断られてしまったの」
王城滞在から戻ってきた娘の変わりように、ジルケはとても驚いた。少なくとも途中で一度領地へと帰ってきたときには、そんなそぶりはまったくなかったし、むしろアンネマリーは王城での生活に浮かれている様子だった。
王城で何かがあったのは明白だが、ジルケは娘を問い詰めるようなことはしていない。何か大きな問題があれば、王家から連絡が来るだろう。特にそのようなことは何もなかった。
「リーゼロッテ……よかったら一度、アンネマリーに会いに行ってやってくれないかしら……」
リーゼロッテに王城での様子を聞くこともできたが、ジルケはそうとだけ口にした。
「ええ、もちろんですわ! お義母様、いいですわよね?」
「そうね、お父様にお願いしてみましょう」
顔を見て安心したい。クリスタの言葉に、リーゼロッテは深く頷いた。




