30-2
「お前、性懲りもなく……」
瞳はジークハルトに向けられていた。その視線だけで人を射殺せそうだ。
『カークに呼ばれたにしても、遅すぎじゃない? ジークヴァルト』
そこに反省の色はなさそうだ。楽し気に笑う守護者は、本当にぶれないとしか言いようがない。
『そんなに睨まないでよ。今のこの体じゃ、リーゼロッテの髪の毛一本すら動かせないよ。それに、ヴァルトだって同じことを繰り返すほどマヌケでもないだろう?』
「ヴァルト様……」
リーゼロッテは気づかわし気にジークヴァルトを見上げた。
『まあ、とりあえずは一件落着、っていうことで』
ジークヴァルトにぎろりと睨みつけられながら、満面の笑みのままジークハルトはふわりと浮き上がった。
『安心してよ。当分、リーゼロッテには近づかないから。まあ、そんなに心配ならカークをはりつけとけば?』
そう言い残すとするりと天井から出ていった。
守護者は他の者には感じ取ることができない。いかに力ある者を護衛につけようと、ジークハルトのちょっかいに対応できない状態だ。
現にそばで護衛をしていたエーミールは異変に全く気付いていなかった。突然息を切らしてやってきたジークヴァルトに、何事かと驚いていたくらいだ。
しかし、なぜだかカークにはジークハルトが見えているらしい。いきなりカークの思念が飛んできて、ジークヴァルトはやりかけの仕事を放り出し、慌ててリーゼロッテの元へと駆けつけたのだ。
「カークがヴァルト様を呼んでくれたのね。ありがとう、カーク」
リーゼロッテが笑顔を向けると、カークは照れたようにぽりぽりとひげ面の頬をかいた。
自分を抱き込んだまま天井を睨んでいるジークヴァルトをリーゼロッテは見上げた。
あの日以来、ジークヴァルトと会話らしい会話はしていない。久しぶりのジークヴァルトの温もりに、胸の奥にじりじりとしたものを感じた。
あの一件がジークヴァルトの隙から始まったのだとしても、悪いのはジークハルトであってジークヴァルトではない。決してジークヴァルトを責めているわけではないことを、リーゼロッテはわかってほしかった。
それにジークハルトの言っていたことが、ずっと心に引っかかっている。ジークヴァルトが生まれて此の方、異形の者に狙われ続けているということだ。
「ヴァルト様は……おつらくはないですか……? その……ヴァルト様は絶えず異形に狙われていると……」
リーゼロッテはためらいがちにそう口にした。
ジークハルトの言うことを鵜呑みにしていいものかわからない。自分が口出しすべき事ではないのかもしれない。だがリーゼロッテは、何も聞かなかったことにはできなかった。
ジークヴァルトは普段通りの無表情に戻って、静かにリーゼロッテに視線を向けた。
「……あいつの言っていたことは気にしなくていい」
そう言いながら、腕の中のリーゼロッテをそっと体から引き離す。
ジークヴァルトはサロンの大きな窓の外をみやってぽつりと言った。
「今、オレがオレであることに、何の疑問も憤りもない」
その言葉に迷いや嘘は感じられなかった。
「……ですぎたことを申し上げました」
リーゼロッテは小さな声でうつむいた。
ジークヴァルトはリーゼロッテに向き直ると、その髪に手を伸ばしかけて、途中で止めた。中途半端に伸ばされた手はぎゅっと握られて、それからゆっくりと下に降ろされていく。
「ダーミッシュ嬢……もし、ここにいるのがいやだったら……もう領地に戻ってもいいぞ」
その言葉にリーゼロッテは驚いて顔を上げた。久しぶりに真っ直ぐ見る青い瞳にぶつかって、咄嗟に口が開いていた。
「いいえ! いいえ、ヴァルト様、わたくし帰りませんわ! きちんと力の制御ができるようになるまで、こちらにおいてくださいませ!」
ジークヴァルトのせいで傷ついたりはしていないのだ。それが伝わるようにと、リーゼロッテは緑の瞳でその瞳をじっと見つめた。
「……わたくし、王妃様のお茶会でジークヴァルト様に見つけていただいて、本当によかったと思っております。王城に行かないまま誕生日を迎えていたら、わたくしそれこそおかしくなっていたかもしれませんもの」
異形の者たちの存在を知らぬまま領地で十五歳になっていたら、その日を境に突然見えるようになった異形にパニック状態に陥るのは必至だったろう。
「……そうか」
そう言ったきり、ジークヴァルトは口を閉ざした。見つめ合ったままその場にしばらく沈黙が降りる。ほどなくして、ジークヴァルトはリーゼロッテから瞳を逸らした。
「ああ、見つけましたよ! 旦那様、いきなり飛び出して一体何なさってるんですか!」
マテアスが慌てたようにサロンにやってきた。執務中に突然いなくなったジークヴァルトを探しに来たようだ。
「今戻る」
そう言ってジークヴァルトはそのままサロンを出ていった。リーゼロッテをちらっと一瞥しただけで、言葉をかけることはなく去っていく。
(こういうとき、いつも頭をなでていくのに……)
一人残されたリーゼロッテは、物足りなさを感じている自分に戸惑いを覚えた。子ども扱いはやめてほしいと常々思っていたのだから、よろこばしいと思っていいはずなのに……。
(やっぱりあの日のことを気にしているのかしら……)
日光がさんさんと降り注ぐサロンの中、リーゼロッテはもやもやした気持ちを抱えて再び小さくため息をついた。




