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「みな様、よろしいですか。この位置に一点集中で力を注いでください。集めた力で執務室を包む力が弱まったところで、物理的に壁を壊しにかかります」
公爵家の屋敷は石造りの頑丈な造りだが、この執務室をはじめ主要な部屋はさらに強固に設計となっていた。賊に対する籠城用でもあったが、逆に敵に籠城された時の対策として、壁のごく一部が弱く作られていた。
その場所がどこにあるのかはその部屋によって様々で、その存在と位置を知る者はごく限られている。
マテアスの指示の元、皆が廊下の壁に向かって半円状にずらりと並ぶ。
エマニュエル、エッカルト、マテアス、ユリウス、エーミールの順に並び、各々がマテアスの指示した壁の一点へと手をかざした。
ヨハンだけがマテアスの背後に立ち、その手に大きな鉄製のハンマーを携えている。
ここにいる者はみな力ある者だったが、ヨハンは中でもいちばん力が弱かった。ハンマーに力を通して待機しているものの、ヨハンの役目はどちらかというと物理破壊要員だ。
「さあ、みな様、準備はよろしいですか。持てる力を持って、一点集中でお願いいたします!」
一斉に力が注がれた。
様々な色加減の青が混ざり合う。やがてその青は溶けるように、純度の高い白金の力となってその場で過密な渦を巻いた。
「……っく」
誰ともなく苦痛の声が漏れる。合わさった力はその一点において相当のものになっていた。
しかし力の壁は微動だにしない。時折わずかに揺らめいて、高速の力を受け流している。
(あまり長くはもちそうにありませんね……)
みなの表情を見やり、マテアスは一か八かの勝負に出た。みなの力が最高潮に集まっている今を、逃すわけにはいかなかった。
「さあ、ヨハン様、出番ですよ!ここに目がけて力の限りぶちかましてください!」
うおりゃぁぁぁ、とヨハンがその合図で振りかぶっていたハンマーを振り下ろす。
ハンマーが壁に叩きつけられようとしたほんの一瞬前、執務室を包んでいた強大な力が何の前触れもなくぱちんとはぜた。
「あ」という、誰からか漏れた声の直後に、ドゴっ、というハンマーがめり込む鈍い音が廊下に響いた。壁に手をかざしたままの格好で、固まったまま誰もが動けない。
しんとした静寂に包まれたその場に、きぃ……という密やかな音が響いた。
音がした方向に首を向けると、みなが並ぶ廊下の少し先にある執務室の扉が、ひとりでにゆっくりと開いていった。
かと思ったら、目の前の壁、ヨハンがハンマーを振り下ろした場所が、ガラガラと大きな音を立てて一気に崩れ落ちた。ぱらぱらと細かい砂粒が舞い上がり、ゴホゴホと口元を抑えながら一同は後ずさった。
砂煙が落ち着いてきたその場所をみやると、人ひとりが通れるほどの穴が、ぽっかりとアーチ状に開いている。この壁は一点を狙って外力をかければ、キレイに穴が開く設計なのだ。
「………………」
微妙な空気が流れる中、ヨハンが目の前の壁の穴と開いたドアを交互に見やり、申し訳なさそうにぽそりとつぶやいた。
「マテアス……もしかして、壁に穴開けた意味、なかったんじゃ……」
この場にいる誰もが思ったことを口にする。
執務室を包んでいた力は、ヨハンのハンマーが壁を直撃する前に、自然に解けたように感じられた。あれほどの力が、自分たちの注いだ力だけで無効化したとは到底考えられない。
「いや、積極的に行動した結果でのエラーだ。致し方あるまい」
ユリウスの言葉に頷く一同の中で、エーミールだけが不服そうに片眉を上げた。
「みな様はもうしばらくここで待機していてください。エマニュエル様、わたしと一緒に室内へお願いします」
気を取り直したようにマテアスが指示をする。
騒いでいた異形の者たちは今は落ちついている様子だが、中でふたりがどうなっているかはわからない。今回の異形の騒ぎ方は、今までの騒動の比ではなかった。
最悪、ジークヴァルトの手でことが行われていたとすると、リーゼロッテの姿をむやみに人目にさらすこともできない。そう考えたマテアスは、女性であるエマニュエルにだけ同行することを求めた。




