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不意にジークヴァルトがクッキーを差し入れる手を止めて、リーゼロッテをじっと見つめた。唇にクッキーのかけらが残っている。
どうしてか自分が食べさせるといつも唇を汚してしまう。こんなにも小さな口で、彼女はいつもとても綺麗な食べ方をするというのに。
薔薇色の頬に手を添えてそっとその唇を親指で払う。触れるか触れないかの力加減で、クッキーのかけらははらりと落ちた。
リーゼロッテは黙っておとなしくしている。これはもっと触れてもいいということだろうか?
ジークヴァルトの心の動きと共に、周りにいた異形たちがざわりとうごめき始める。
「ふおぉっ! ヴァルト様、そこまでです!」
執務室の調度品がかちかち鳴り出したを見て、マテアスが慌ててジークヴァルトを止めに入った。
「え?」
リーゼロッテが我に返ったように顔を上げると同時に、ジークヴァルトがマテアスを睨みつけた。
これ以上執務室を破壊されたくないマテアスは必死の形相だ。妨害が功を奏してか、執務室はすっと静けさを取り戻した。
マテアスが大きく息をついたその時、執務室の扉のノックが来訪者を告げる。マテアスが扉を開けると、紅茶を用意したエラが緊張した面持ちで立っていた。
「エラ様、いいところにいらっしゃいました」
にこりと笑ってマテアスはエラを執務室へと招き入れた。
「お茶をお持ちしました。遅くなって申し訳ありません」
公爵家の執務室に足を踏み入れるのは、エラは初めてのことだった。慎重に紅茶のセットを乗せたワゴンを押して入る。
周りにいた小鬼たちはエラが近づくと、慌てて蜘蛛の子を散らすように逃げていく。エラの周囲だけ、ぽっかりと異形のいない空間ができていた。
「……まあ! お嬢様……!」
目に入った光景に、思わず声がもれ出てしまった。
リーゼロッテはジークヴァルトの膝の上で横抱きにされていた。しかもジークヴァルトの手はリーゼロッテの頬に添えられている。
(お嬢様っ、ラブラブ!? ラブラブなの!?)
エラは頬に手を当てて赤面した。
そんな様子のエラに気づき、ぽけっとしていたリーゼロッテは我に返った。自分の頬に添えられたままだったジークヴァルトの手を咄嗟に外して、慌てたように体を起こす。
「ち、違うのよエラ。わたくし、おなかが空いて力が抜けてしまったの。だからヴァルト様にクッキーを食べさせてもらっていたのよ」
それも令嬢としてどうなんだと言うところであったが、リーゼロッテのことを誰よりも把握しているエラはさっと表情を改めた。最近、お嬢様がお腹を空かせて倒れることはなかったが、病気はまだ完治してないのだ。
エラは異形の者や浄化の力にまつわるトラブルは、すべて病気のせいだと思っている。公爵家に来たのも、リーゼロッテの治療のためだと聞かされていた。
「あの、ヴァルト様。わたくしもう大丈夫ですわ」
リーゼロッテが上目遣いでそう言うと、ジークヴァルトは一拍置いてから、リーゼロッテをひょいと抱え上げて隣のソファへとそっと降ろした。
「エラ様、せっかくですので紅茶を淹れていただいてもよろしいですか?」
マテアスの言葉にエラは頷き、慣れた手つきで紅茶を淹れていく。
リーゼロッテはクッキーを食べた後だから、きっとのどが渇いているはずだ。今日はストレートで飲める口当たりの軽い茶葉にしよう。
そう考えたエラは、リーゼロッテが子供の頃から好んで飲んでいる紅茶を選んで用意をした。
「ありがとう、エラ」
微笑んでリーゼロッテは紅茶を一口ふくんだ。ほっとする味がする。エラが淹れる紅茶は、世界でいちばんおいしい。リーゼロッテは安心したようにほうと息をついた。




