第28話 巡る奔流
リーゼロッテが倒れた翌日、フーゲンベルク家の執務室では緊急の話し合いが行われていた。
集まった面々はジークヴァルトをはじめ、家令のエッカルトにマテアス、そして子爵夫人のエマニュエルだ。ここにいるのは全て力ある者、異形の者を祓う力を持った者だった。
公爵家には力ある者がこの他にもいるが、今日はリーゼロッテに近しい者にとどめられた。
浄化の力を有するのは、王家の血が濃く入った者だけである。
にもかかわらず、使用人であるエッカルトたちが力を持っているのは、その昔、エッカルトの家系アーベントロート家で、公爵家の人間によるおてつきがあったからに他ならない。
使用人であっても王家の血筋が入った以上、龍の託宣が降りないとも限らなかった。そういった事情でアーベントロート家は、王家の監視下に置くためにもフーゲンベルク公爵家で庇護を受けてきた。
そんな面々が神妙な顔つきでひざを突き合わせて話し込んでいる。
ジークヴァルトの守護者であるジークハルトが、その周りをふよふよと漂いながら、のんびりとその様子を見守っていた。
「昨日、リーゼロッテ様がお倒れになったとき、ジョンのいる枯れ木のまわりにリーゼロッテ様のお力がはりめぐらされておりました」
エマニュエルはジークヴァルトに昨日のことを、確認がてら再度報告していた。
『あー、あの木、なんか今もピカピカに光ってるよね』
ジークハルトが空中であぐらをかきながら楽しそうに言葉をはさんだ。その声はジークヴァルトにしか聞こえていないが、ジークヴァルトは完全に無視を決め込んでいる。
急な雨に降られたふたりは急いで屋敷の中に戻り、エマニュエルが近くにいた使用人にタオルを持ってくるよう指示をして、振り返ったらリーゼロッテは力を使い果たして倒れかけていた。エマニュエルが目を離したほんの一瞬の出来事だった。
「リーゼロッテ様がおっしゃるには、雨に濡れるジョンが可哀そうだとお思いになったとのことでした」
『ははっ、リーゼロッテらしいや』
力有る者が力を使い過ぎて倒れることは、子供の頃によくあることだ。そんなことを繰り返して、みな自然と力加減を身につけていく。
しかしそれは、制御が甘い状態で調子に乗って力を使うからこそ起こる事態だった。
「問題なのは、リーゼロッテ様がまったくの無自覚で、お力を使っていらっしゃることですな」
エッカルトが深刻な顔で眉間にしわを寄せた。マテアスも黙って頷いている。
驚いて飛び出す程度の力なら放っておいても問題はないが、昨日の状態は命の危険もあり得る事態だった。エマニュエルがすぐに菓子を差し入れなければ、リーゼロッテはどうなっていたか考えるだに恐ろしい。
「旦那様、差し出がましいと承知の上で申し上げます。リーゼロッテ様のお力の制御の訓練は、エマニュエルにおまかせになってはいかがですかな?」
「そうですよ、ヴァルト様。エマ姉さんならアデライーデ様のお力の制御の訓練も行っていましたし、一番の適任者でしょう? だいたいヴァルト様は子供の頃から訓練せずとも、力の制御なんて初めからできていたじゃないですか。そんなあなたがリーゼロッテ様の指導するのは無理がありますよ」
言うなれば、我流で力を付けた天才超一流選手が、年端もいかない子供に指導するようなものである。名プレイヤーが名監督になれるとは限らない。
特にジークヴァルトはすべてにおいて感覚で力を使っていた。そこに理屈も理論もない。ひょいと集めてぎゅっと縮めてぱっと出せば力は使えるのだ。
簡単だろうそらやってみろと言われても、初心者のリーゼロッテにできようはずもない。ジークヴァルトは全くもって指導者には不向きとしか言いようがなかった。
『制御云々以前に、ヴァルトは力を扱えなきゃ異形に襲われて死んじゃうからね。嫌でも身につくってもんだから仕方ないよ』
ジークハルトは肩をすくめてへらりと笑った。
「ご自分で教えてさしあげたい気持ちもわかりますけど、いい加減諦めたらどうなんです?」
『だけどヴァルトは誰にも触らせたくないんだよね。だったらさっさと自分のものにしちゃえばいいのに』
「………」
要するにジークヴァルトは独占欲で、リーゼロッテを他の者に任せたくないのだ。マテアスなどは心が狭い主に呆れ半分で笑って見ていたのだが、リーゼロッテの不利益になるのならこのままでいるわけにもいかないだろう。
「エマニュエルはあのアデライーデ様の制御の指導も経験しておりますし、旦那様の前で行えば、想定外の事態にもきちんと対応できるかと」
あくまでジークヴァルトの指示の元で行うことをエッカルトは強調した。
「アデライーデ様は力の制御ができるようになるまで、かなり時間がかかりましたからねぇ」
マテアスがしみじみとした様子で言った。
アデライーデはとにかく力の制御が苦手な子供だった。異形の浄化も常にオーバーキルだ。どんな小物にも全身全霊の力をもって焼き尽くす。そんな勢いの子供であった。
『一回オレも巻き沿い食らいそうになったっけ。あの時はちょっとやばかったなぁ。さすがはディートリンデの娘だけはあるよね』
「力尽きてところかまわずお眠りになっていらっしゃったものね」
エマニュエルもしみじみと言った。その口調にはマテアス以上の感慨が含まれている。
公爵令嬢にもかかわらず、アデライーデは疲れたらどこでもかまず寝てしまうのだ。
力の使い過ぎで行き倒れているのであるが、事情を知らない者からしたら、やんごとない公爵令嬢の一大事である。そのたびにアデライーデを回収しに行くのは、もっぱらエマニュエルの役目だった。
成人してからもしばらくはそんな調子だったので、社交界でアデライーデはフーゲンベルクの眠り姫と呼ばれていた。
そんなご令嬢がいまや王城騎士として立派に職務を果たしている。感慨深くもなるというものである。
「決して無理は致しません。どうか一度わたしにリーゼロッテ様をお任せいただけませんか?」
エマニュエルは同じことを繰り返すのが怖かった。
アデライーデも無茶なことばかりしていたが、命に関わるような力の使い方をすることは決してなかった。普通は無意識に自分の力をセーブするものだが、リーゼロッテは無知がゆえにその恐ろしさを自覚できていない。
『嫌なら四六時中離さないでいればいいのに。ジークフリートなんて始終べったべただったし。アデライーデを身ごもったのだって、ディートリンデが十六の時だよ? ヴァルトだって我慢することないんじゃない?』
「いかがですかな? 旦那様」
多勢に無勢とはこのことか。ジークヴァルトは途中で茶々を入れるジークハルトに対して眉間にしわを寄せつつも、観念して了承の意を伝えたのだった。




