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ぽつりぽつりと雨足が強くなっていく。エマニュエルに促されたリーゼロッテは、急激に強まった雨にジョンへ声をかける暇もなくその場を離れた。
急ぎ足で屋敷の中に入ったが、着ていたドレスはぐっしょりと濡れてしまった。前髪からもぽたぽたと滴が落ちて、乾いた床に黒いシミを作っていく。
ふと窓から外を見ると、バケツをひっくり返したような雨の中、ジョンが同じ場所で膝を抱えてうずくまっているのが目に入った。
(あのままでは風邪をひいてしまうわ)
異形のジョンに、リーゼロッテはそんなことを思った。
(せめて傘があればいいのに――)
そう思った瞬間、リーゼロッテの体から緑色の力が立ち昇った。
視界の悪い豪雨の中、枯れた木の枝に濃密な緑が絡みついていく。それはまるで生い茂る葉のように木々全体に広がった。
すべてを覆いつくすように。哀しい異形を雨から守るように。
リーゼロッテは何が起きたのか理解ができず、呆然とその景色をただ見つめていた。
今までずっとしゃがんだままだったジョンが、不意に緩慢な動きで立ち上がる姿が目に映った。ジョンは何かを確かめるようにじっと上を見上げた。そして、ゆっくりとこちらを振り返る。
リーゼロッテはジョンと目が合ったように思った。鼻先まで伸びた前髪がふわりと舞いあげられ、そこから覗いたさみしげな瞳。そして額に光る、仄暗い赤い輝き――。
滝のような雨に景色がぼやける中で、それだけがやけに鮮明に映った。
「リーゼロッテ様!」
エマニュエルは傾いだリーゼロッテに駆け寄って、その体を腕に受け止めた。
「こちらをお食べになってください」
明らかに力を使いすぎて脱力しているリーゼロッテの口内に、エマニュエルは無理矢理クッキーを押し込んだ。
ひとつまたひとつと震える指でクッキーを差し入れる。リーゼロッテはうつろな瞳で、ゆっくりとクッキーを咀嚼した。
少しずつリーゼロッテの頬に赤みがさしていく。ほっとしたのもつかの間、雨に濡れたリーゼロッテの体が、思った以上に冷たいことにエマニュエルは気づいた。
「父さん! マテアス! 誰でもいいから早く来てちょうだい!」
子爵夫人らしからぬエマニュエルの大きな声が、公爵家の廊下に響いていった。
◇
王城に知らせが届いて、ジークヴァルトは急ぎ領地に戻ってきた。馬車も使わず豪雨の中、馬で休まず駆けてきたジークヴァルトは、全身ずぶ濡れの状態だった。
屋敷の床が濡れるのも気にせず、ジークヴァルトは大股で歩を進めた。家令のエッカルトに詳細を報告させつつ、歩きながら濡れた服をそこかしこに脱ぎ捨てていく。
「それで今ダーミッシュ嬢はどうしている?」
「リーゼロッテ様はすっかり落ち着かれたご様子ですが、念のため部屋でお休みになっていただいております」
ジークヴァルトにタオルをかけながら、エッカルトが新しい服を差し出して、ジークヴァルトを手際よく着替えさせていく。
ふたりがリーゼロッテの部屋の前に到着する頃には、ジークヴァルトは髪は濡れているものの乾いた服を身にまとっていた。
扉をノックする前に部屋からエマニュエルが顔を出した。
「リーゼロッテ様は今眠っておられます」
そう言うエマニュエルの顔色はすこぶる悪かった。
ジークヴァルトは無言で部屋の中に歩を進め、リーゼロッテの寝台へと躊躇なく進んでいった。
リーゼロッテは規則正しい寝息を立ててぐっすりと眠っている。顔色は悪くない。ジークヴァルトは覗き込むようにして、その頬にそっと指を滑らせた。
頬から額へ、額から耳元へ。そしてまた頬へ。
最後に頭をひとなでしてから、ジークヴァルトはリーゼロッテの髪をひと房持ち上げた。蜂蜜色の髪にそっと口づけを落とす。
その指からするりと髪が滑り落ち、ジークヴァルトはようやく顔を上げた。
振り向くとエマニュエルが深々と頭を下げていた。
「申し訳ございませんでした。わたしがそばについていながら、リーゼロッテ様を危険な目に合わてしまいました」
「いや、エマの対応が早かったと聞いた。問題ない。一晩眠れば彼女も普段通り動けるだろう」
静かに言ってジークヴァルトはエマニュエルの顔を上げさせた。エマニュエルの目には涙が滲んでいる。
「エマも今日はもう休んでくれ。大丈夫だ。問題ない」
そう言ってジークヴァルトは、確かめるようにもう一度、リーゼロッテの髪をするりとなでた。
【次回予告】
はーい、わたしリーゼロッテ。予期せず力を使ってしまったわたしに頭を悩ませる公爵家の面々。力の制御の特訓の指導として、新たに選ばれたのはエマニュエル様で!? 今度こそものにできるように頑張りますわ!
次回、第28話「巡る奔流」 あわれなわたしに、チート、プリーズ!!




