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◇
「あれ? ハインリヒ様、風邪でもお召しになられましたか?」
執務室に戻り椅子に腰かけるなり背中をぶるりと震わせたハインリヒを見て、カイは軽く小首をかしげて見せた。
「いや、大丈夫だ」
突然の悪寒に戸惑いつつも、王太子として体調管理をきちんとしている自負はある。ハインリヒは問題ないとばかりに、書類仕事の手を進めた。
「ハインリヒ様は最近働きづめですから、たまには気分転換なさってはいかがです?」
「お前は書類仕事に付き合わされるのが嫌なだけだろう?」
「うわ、人の好意をそんな風に取るなんて。そんなんじゃ下の者はついてきませんよ」
図星を刺されたくせに、カイはしれっとそんなことを言ってくる。
「今日は一日ここに籠るつもりだ。カイは好きにするといい」
「そんなことできるわけないじゃないですか。職務放棄でキュプカー隊長にどやされるのは勘弁です。どうですか?ハインリヒ様も久しぶりに騎士団の訓練に顔を出されてみては?」
ジークヴァルトは先ほど騎士団の訓練場に向かって行った。何でも今日の訓練に、知り合いの子供が見学に来るらしい。
「たまには体を動かして、ストレス発散するのもいいじゃないですか。ねー行きましょうよーハインリヒさまー」
子供のようにねだってくるカイに、ハインリヒはこんな時だけ調子がいいとあきれながらも、「しょうがない奴だな。だが一時間だけだぞ」、そう言って立ち上がった。
◇
騎士団の訓練場は、王城のはずれに位置している。基本的に訓練は屋外の専用の広場で行うが、今日のように雨の日は屋内で行うことが多かった。
屋内と言ってもかなりの広さがある。この国は一年の半分は雪に閉ざされるため、屋内でも十分訓練が行えるように備えられていた。
本日は三十名ほどの団員が訓練を行っていた。王太子付きの近衛第一隊の面々は、急な公務の取りやめにより臨時休暇が認められたため、ここにいるのはその他の王城警備にあたる騎士たちだった。
「うわ、なんでフーゲンベルク副隊長が訓練に参加してるわけ? 今日、第一隊は王太子殿下の警護だろう?」
「この雨で公務が取りやめになったんだってさ。第一隊の奴らはうらやましいことに臨時休暇がもらえたって」
「なんだそれ、うらやましすぎる。だったら副隊長も休んでればいいのに」
「だよな。今日はこの雨で麗しの令嬢たちの見学もほとんどないし、やる気なんかまったく出そうにない」
「しかもキュプカー隊長が指導に入るなんて、地獄かよ」
「オレ、それが嫌で城内勤務を希望したのに……」
フーゲンベルク副隊長は側にいるだけで威圧感がハンパないが、精神的に恐ろしいだけで特に実害があるわけではない。
その点、キュプカー隊長は訓練が厳しいことで有名だった。しかも一度怒らせるとそれはそれは恐ろしい目にあわされる。
「おい、そこ! 無駄口叩いてないで体を動かせ!」
すかさずキュプカーの怒声が鍛錬場に響いた。
騎士一同がびくりと体を震わせ、一層きびきびと鍛錬に励みだした。もう今日は黙って諦めるしかない。誰もがそう観念したとき救世主がひとり現れた。
「義兄上!」
場に似つかわしくない可愛らしい声が響き渡った。その声は澄んだ小鳥の歌声のようだったと、その場にいた騎士たちが後々語り草にしたくらいだ。
入口から、亜麻色の髪の美少女が優雅な足取りで歩いて来る。水色の綺麗な瞳が、鍛錬場のライトでキラキラと反射して見えた。
「天使だ……」
誰ともなくそうつぶやいて、団員たちはみな心の中でそれに同意した。
一同が呆けたように舞い降りた天使に目を奪われている中、フーゲンベルク副隊長がキュプカー隊長に何事か話しかけ、ゆっくりとその天使に向かって歩いて行った。
「「「おれたちの天使が魔王の餌食に……!」」」
団員たちが動けないまま固唾をのんで見守っていると、その天使は輝くような笑顔で副隊長の手を取った。
「義兄上、ご無沙汰しております!」
無表情の副隊長にうれしそうに話しかけながら、亜麻色の髪の天使はキュプカー隊長の前までやってきた。
「こちらがキュプカー近衛第一隊隊長だ」
キュプカーの前に立った天使は、可愛らしい顔をキリッとさせて綺麗な騎士の礼をしてみせた。
「ダーミッシュ伯爵長男、ルカ・ダーミッシュと申します。ご高名なキュプカー隊長にお会いできて光栄です!」
「ああ、フーゲンベルク副隊長から話は聞いている。今日は無理のない範囲で訓練への参加を認めよう。大きな怪我のないようにな。ただし、貴族と言えど、ここでは一介の騎士扱いをさせてもらう。甘えた考えは捨てるように」
団員たちが一気にざわついた。
ダーミッシュ伯爵の子息となると、少し前まで王城に滞在していたあの妖精姫の弟君だ。天使は少年だったとがっくりきていた一同は、その事実に再び気分が上昇した。




