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「そこまでになさいませ、旦那様」
割って入るようにエマニュエルがリーゼロッテに手を伸ばした。驚いて見やると、いつの間にかエマニュエルとマテアスがこの場にやってきていた。
「何があったかは存じませんが、女性に対してそのように声を荒げるなど、紳士の行いではございませんわ」
かばうようにリーゼロッテを胸に抱き、エマニュエルは諫めるようにジークヴァルトに言い放った。
「ヴァルト様、一体何があったというのです? あなた様らしくもない」
呆れとも安堵ともとれるため息とともに、マテアスはジークヴァルトを見やった。
「ジークハルト様がわたくしのためにヴァルト様をこちらにお呼びになったのです。ですから全てわたくしが悪いのですわ」
半泣きになりながら、リーゼロッテはジークハルトの方へ視線を向けた。しかし、いつの間にやらその姿が消えている。さんざ引っかきまわしておいて、相も変わらずマイペースな守護者であった。
「そうだとしてもリーゼロッテ様に声を荒げるなど」
「いいえ、わたくしが悪いのですわ……お忙しいヴァルト様にご迷惑をおかけしてしまったのですから」
本質はそこではないのだろうと、エマニュエルもマテアスも思っていた。執務を放り出してリーゼロッテのへ会いに行くなど、ジークヴァルトにとってはご褒美以外の何物でもない。
「旦那様、申し訳ございません。わたしも迂闊でしたわ。旦那様の守護者とリーゼロッテ様をふたりきりになどすべきではありませんでした」
エマニュエルはリーゼロッテから離れて、ジークヴァルトに深々と頭を下げた。
「いや、いい。オレも言い過ぎた」
ふいと顔を逸らすと、ジークヴァルトは普段通り無表情になった。そのままリーゼロッテに視線を向ける。
「お願いとはなんだ?」
「え?」
突然の問いにリーゼロッテの頭はフリーズしたままだ。
「何かあったのだろう」
「え、あ、はい。あの、カークのことなのですが……」
一同が扉の方をみやる。開け放たれたままの入口で、カークが立ちふさがるように仁王立ちしている。扉は開いているのに、額を押し付けている仕様は変わらずだ。
「あのように立ちふさがっていて、部屋の出入りに少々支障が……」
「カークは護衛の意味がまるでわかっていないのですよ」
エマニュエルが引き継ぐように冷たく言った。エマニュエルは心からカークが邪魔のようだ。
「エマ様、申し訳ありません。わたくしがカークを連れてきてしまったせいで……」
「まあ、リーゼロッテ様のせいなどと。長年カークを放置してきた公爵家にこそ問題がございますわ」
エマニュエルの不敬な言いように、リーゼロッテは青ざめてジークヴァルトの顔を見あげた。しかしその顔は普段通りの静かな無表情だった。
おもむろにジークヴァルトは扉の前まで歩みを進めて、カークの前で立ち止まった。
「どけ。邪魔だ」
平坦な声に、カークは横跳びに瞬時に移動した。
「そっちではない。お前の定位置はここだ」
扉の蝶番のある側に移動したカークは、反対側の廊下の壁際を指定された。再び瞬時に移動する。額は相変わらず壁に押し付けられていた。
廊下に出たジークヴァルトは、カークの正面に立ち威圧するように目をすがめた。
「顔はこちらだ。廊下を向け」
くるりとカークは向き直る。自分より幾分背の低いジークヴァルトを前にして、カークはぴーんと背筋を伸ばした。
「一度しか言わない。いいか、よく聞け。お前の役目はこの部屋の護衛だ。まずひとつ。この部屋の前を通る者をすべて記憶しろ。不審な者がいたらオレに知らせること。念を飛ばせばそれでいい。次に、ダーミッシュ嬢が部屋から出た場合、その後を付いて行け。ただしその際、ダーミッシュ嬢に半径二メートルは近づくな。彼女が部屋に戻るまでの護衛がお前の任務だ。戻ったらまた部屋を護衛しろ。以上だ、わかったな?万が一守れなかったときは……」
ジークヴァルトの能面のような表情を前に、言われなくともといった体でカークはこくこくとしつこいくらいに頷いた。
その様子をぽかんと見ていたリーゼロッテは、はっと我に返ってジークヴァルトに歩み寄った。あんなに怒らせてしまったのに、自分の願いまで聞いてもらってしまった。しかもまだ謝罪のひとつもしていない。
「あの、ジークヴァルト様」
「また何かあったら遠慮なく言え」
ぽんとリーゼロッテの頭に手置くと、ジークヴァルトはいつものようにやさしくその髪を梳いた。
「ヴァルト様……」
結局、謝罪もお礼もできないまま、ジークヴァルトはマテアスを連れて仕事に戻ってしまった。カークは行儀よく扉の横で立っている。その背を見送りながら、リーゼロッテは小さくため息をついた。
「リーゼロッテ様。お部屋に戻りましょう」
エマニュエルに促されて、リーゼロッテはとぼとぼとした足取りなのに不思議と優雅に見える所作で、部屋の中に入っていった。




