第百九十話:愛人
「では、話を戻そう」
急にキリッとした顔になるギルマス。
「自分の幸せは見せつけたくて、他人の幸せは掠め取るか踏みにじりたいのが貴族というもの。であるからして、たとえ王命であろうとも、貴族という身分を盾にしてきみから税をはじめなんらかのカタチで貢ぎ物を強要しようとするだろう。王都からはある程度距離もあり、直接監視する目もないとあれば、多少強引なこともやるだろうさ。…………たとえ、後でバレたとしても」
うわ、なにそれ。
貴族って盗賊なのかな?
ウィルさんはそんな感じじゃなかったのに。
「そんな顔をするな。私も貴族の端くれ。そうあれかしと教育を受けた身だ。それで得たものが警戒心というろくでもない話だから、きみの気持ちが分かるのだがね」
あんまりな話に思わず顔をしかめると、苦笑するギルマス。
「家を離れ、自らの力で冒険者ギルドのギルドマスターにまで上りつめたつもりだったが……。実際のところ、実家の子爵家の意向も多分にあったようだ」
そういって肩をすくめ、首を横に振るギルマス。
「そうやって、貴族の干渉をはねのけることができる力と自由を持つはずの冒険者ギルドも、権力という強大な力には屈せざるをえないところもある」
なら、ギルマスに王様の書簡を見せたのは失敗だったのかな? と思えば、
「しかし、今となっては、ギルドへの子爵家の影響はそぎ落としたがな」
忌々しそうに鼻息を吐くギルマス。
……それで、結局のところ、どうなんだろうと首を傾げれば、
「きみに手を貸してやろう。領主は私の弟だ。兄であり支部とはいえ冒険者ギルドの長たる私の意向は無視できまい。……ああ、これは、きみたちに恩を売るとかではなく、まあ、色々あってな」
そういって、ちらり、とギルマスの視線が動く。
「あら? 私ですか? ただの孤児院出身平民受付嬢兼都合のいい愛人に気を遣うとは、貴族であり冒険者ギルドの長たるギルドマスターらしくもないですわ」
頬に手を当てて、にっこり笑うナリエお姉さん。
……ただし、眉間に血管が浮いてるけど……。
「……愛人って……」
すとんと表情をなくしたミナトが、ぽつり、とつぶやく。
その場にいる全員の視線が、ギルマスに集中した。
「都合のいい愛人って」
トールくんが、姉のような人への無体な扱いに、感情が抜け落ちたような声でギルマスに問いかければ、
「実家の子爵家や周囲が伴侶にと勧める女性は、どなたもイチモツ抱えていらっしゃるから信用できないと言って、同居もしないし夜の相手も夜会の同席も必要ないし毎月お金を渡すから、カタチだけの愛人となりなさいと言われた私のことなど、気を遣わなくてもいいですわよ?」
…………うわあ、なにそれ。
「公的機関のはずの街の孤児院に領主からの援助が打ち切られて、孤児院の子どもたちが餓死寸前まで追い込まれているから、なんでもするから援助してくださいと泣きついた私に、じゃあ都合のいい愛人になれって言ったギルマスですから、体も尊厳も、なにもかも差し出す覚悟だったのに、本当に手を出す様子もなくて。そばに置くだけでなにもされずにお金だけ渡されるたびに惨めな思いもして、私は女としてのプライドとかズタズタですが、本当に、気を遣う必要とかありませんよ?」
………………あー………………。
「……きみの存在が都合良かったのも本当だが、きみの身内に危機が訪れた原因が、弟でもある領主の怠慢で。それが、身内の恥を晒すようで、いたたまれなかったから、というのも本当だ」
この場にいる、ギルマス以外の全員の視線がいっそう冷たくなる中で、身内の恥、と絞り出したギルマスに、場の空気が少しだけ和らぐのを感じる。
「えーと、つまり?」
僕が結論を促せば、
「繰り返すが、全面的に協力する。領主であろうと私の弟だ。そしてなにより、王命である。必ず開拓村の自治権を認めさせよう。なんなら、今すぐにでも領主館へ赴き、領主を説き伏せようじゃないか」
胸を張って高らかに宣言するギルマス。
……その額から大粒の汗がこぼれて、口元が引きつってるのを、バッチリ目撃したけれども。
「ナリエさん、本当に大丈夫? ほんとは陰でひどいことされてない?」
「大丈夫よ、トールくん。ギルマスは神経質で警戒心が強いから。私を愛人にしたという噂が広がって、何かにつけてそばに置いても、自分からは必要以上に近寄らなかったし、本当に私に手を出そうとはしなかったわ。……私が淹れたお茶は飲むけれど、触れることすらしないのよ?」
「うーん、義理堅いのか?」
「ミナトちゃんが男心を理解するには、ちょっと早いかな……。実際のところ、暗殺とか警戒し過ぎて女抱く勇気もないのよ」
「それは、ヘタレというのでは?」
「ステラさん、容赦ないけどそのとおりね。おかげで、犯罪以外なら本気でなんでもすると覚悟完了した私のプライドとかは、ほんとにもう……」
「冒険者のダクさんと特に仲が良くて信頼し合っているみたいだし、どちらも未婚だから、ギルマスは一時期男色の噂もあったんだよね」
「リンドくんの言うとおりで、そう思われるのが本当に嫌だから、私の提案は本当の本当に都合が良かったみたいなの」
『……小物が……』
「本当、妖精様の言うとおりなのよね」
「お前たち、聞こえているぞ。陰口なら、せめて、聞こえないように言いなさい」
「ナリエさん、本当のところ、ギルマスのことは好きじゃないの? 結婚とかしないの?」
「……うーん、それはね。……ミコトさんにも、今はナイショ」




