第百五話:閑話:剣士の本懐
帰還した第一次テストプレイヤーの視点。
ゲーム世界から現実世界に帰還して一週間。
開発スタッフの皆は今も死に物狂いで仕事をしているようだが、その枠から外された私は、前妻のことを振りきれないまま若返った体で今の妻を抱くということをしている。
正直、やりきれないところはある。
……帰還してすぐ赤井くんとじゃれあった際に何発か殴られておいた方がよかっただろうか。
ともあれ、今の仕事は今の妻と子をなすこととされていて、開発の方に直接関わることができていない分やりがいがないというか、日々に張り合いがないというか。
……そんなことを言ってしまうと、今の妻に失礼だろうか。
別方向の話なら、やりがいがあるのは確かなのだが。
「耕一さん?」
「なんだい? 佐知子さん?」
一緒に寄り添って見ているテレビから目を離し、こちらをうかがってくる今の妻。
「このテレビ番組、楽しくなかったかしら?」
可愛らしく首をかしげてくる今の妻に、苦笑する。
「正直つまらないね。と、いうより、佐知子さんの方もこのお笑いバラエティ番組はどう楽しんだらいいか分からなくて困っているように見えるよ?」
正直に言うと、さすがに妻も困った様子。
「耕一さんは、私のこと何でも分かるのね。……私は、まだ耕一さんのことよく分からないのに……」
私の武骨な手に、細くしなやかな手を重ねてくる妻。
ゲーム世界へダイブする前の、死を目前とした痩せ細った手とは違い、健康的で日に焼けてもいない白い手を思わず握りしめる。
間違っても握りつぶしたりしないように、そっと、優しく。
「……まあ、その、なんだ? まだお互いを詳しく知るには時間が絶対的に足りていないと思うよ? できるだけ、同じ時間を歩んでいこう」
今の妻に不安を感じさせる自身を不甲斐なく思いながらも、誤魔化すように唇を重ね妻を抱く。
今の妻は、ここ数年、苦痛耐性などというスキルを発現させるほど痛みを耐え忍んできたのだという。
その反動か、キス一つで顔を赤くして硬直する少女のように初な妻を抱き締めるだけで、ささくれだった心が洗われるようで。
しかし、現状に納得した上で私を受け入れてくれる妻には、感謝以上に申し訳ない気持ちを抱いてしまう。
身体的に若くなったことでもて余し気味の情を吐き出しても、別のなにかが心の隅に溜まっていくような感覚を覚える。
時間が経つごとに、元の私の家族はどうしているかとか、今の妻は私に不満はないのだろうかとか、二人の間にちゃんと子どもはできるのだろうかとか、昼間から妻と寄り添ってバラエティ番組を見ていていいのだろうかとか、大事なことからどうでもいいことまでいろんなことが頭に浮かぶ。
そうやって、別のことを考えながら妻を抱き締めれば、不安を見せながらも精一杯笑顔を浮かべて私に抱き付いてくる。
「……耕一さん。……今は、私のことを見て、私のことを考えて、私を感じてください」
そう言って笑顔を見せて、自分の発言に顔を真っ赤にしてしまう可愛い生き物に、苦笑しつつもついついたくさん意地悪してしまう。
そこらへんは、ぜんぶ妻が可愛いのがいけないと思う。
※※※
「部長、どうもありがとう。忙しい中ご足労いただき感謝する」
ところ変わって、地下の体育館。
ここは、スキル発動時のモーションパターンなどの映像を撮るために用意された広い空間だが、現在は一時的に閉鎖されている。
ここで様々な武器を利用したスキルの動作を撮影されたのは、実際は数ヵ月前くらいなのに、もう何年も前のような気がする。
口頭で告げられる動作を正確になぞるというのは難儀だったが、楽しくもあった。
……身体がまともに動く内は。
妻と一緒にいない時間は、ここで身体を動かすのが日課となっている。
開発スタッフもストレス発散のために身体を動かすことはあるようだが、それはここより上の階のスポーツジムの方で足りている。
そのため、わざわざ閉鎖しなくても、今は何の設備もない広いだけの空間に誰かが来ることもないようだ。
とはいえ、全部署に一時的な閉鎖を通達して立ち入りを禁止するあたり、部長としては念には念を入れたいらしい。
「なに、私も身体を動かしたいところだったから構わんよ」
そう言って、固太りの男性は上着を脱ぎ、そばに侍る秘書の女性に預けていた。
そして、付与魔法で耐久値を上昇させ呪与魔法で攻撃力を低下させ、スキル《手加減》まで付与されたという木刀を投げて寄越してくる。
何度か振って感触を掴み、準備はできたと告げれば、では始めようかと無造作に近寄ってくる。
木刀を持った右手をだらりとたらしながら近寄る部長に対し、間合いに入った瞬間に打ち込もうと中段の構えで徐々に距離を詰めれば、こちらが反応するより一瞬速く木刀が側面から強打され、危うく取り落とすところだった。
部長の剣速は、速いなんてものではなかった。
一切の挙動を認識させず振るわれた木刀は、とにかく速すぎた。そして、凄まじい威力でもあった。
これではまともに相手にならないかもしれない。
「……部長、あなたを侮っていたわけではないのだが、ここまで差があるとは思わなかった。あなたのことを人の範疇で収まっている人だと思っていたよ」
「ふむ、さすがだね鈴原くん。たった一振りで実力をある程度読めるとは」
あまりの実力差に戦きながら言えば、感心したように返す部長が若干猫背気味だった身体をほんの少し起こしたと思えば、瞬間移動でもしたのかと思えるくらい距離が離れていた。
……その速度は、目で追えるレベルではない。
……はは、最盛期の速度なら、風より速いと、人間辞めてるとまで言われた私だが、部長はまるで手が届かない領域にいる。
そんな人間がいるとは思わなかった。
いや、戦国の世ならともかくとして、現代において私より強い剣士がいるとは思わなかった。
自然と、口角がつり上がる。
全身が、歓喜に震える。
死合ってみたいという衝動が抑えられなくなる。
たとえ、その先に何が待っていようとも。
それが剣士の本懐と信じて。
「…………全力でいきます」
「来たまえ。受け止めよう」
「……紫電、絶刀、《雷切》!!」
最少動作で最大速度を発揮する踏み込みと斬撃、ただそれだけの技。
しかしながら、正しく発動すれば、音すら置き去りにするほどの速度を発揮し、直後に雷鳴のような轟音が鳴り響くという。
未だかつて成功させたことのない奥義が発動したことを確信したのは、自身と部長の持つ木刀が粉々に砕け散った際に鳴った、雷鳴のような轟音を聞いたときだった。
「……ふむ。スキルのアシストに加え、瞬間的な付与魔法と強化魔法の重ね掛けか、あるいは別の何かか?」
今出せる全力を出しきり、脱力して膝をつく。
一時的な酸欠か、自身の呼吸と心臓の音がうるさくて部長が何を言っているのか聞き取れない。
「魔法が無いはずの世界で魔法のようなことをしでかす剣士がいるとは……。……実に面白い」
意識が朦朧として、ふらつく。
このまま倒れて、眠ってしまいたい衝動に駆られる。
「奇しくも、私の属性も《雷》なのだよ。礼と言ってはなんだが、《紫斬のサザン》の持てる全力をお見せしよう」
…………しかし、なせかはっきりと聞こえてきた部長の言葉を受けて、剣士として、今倒れるわけにはいかないと意識を強く保つ。
「《雷纏》。……よく、見ていたまえ……。絶剣、《武御雷》!!」
いつの間にか部長の右手に鍔のない両刃剣が握られていたかと思えば、部長の体から放電して光輝き、
「……あっ!? ぶ、ぶちょ」
秘書さんが慌てた様子で何か言おうとした瞬間、光が弾けて、意識が途絶えた。
このあと、三人そろって赤井くんにめちゃくちゃ説教された。