洗濯ばさみ
私の仕事は、炊事、洗濯、掃除などの家事全般だ。生活費は「パートナー」が外で稼いで来てくれるから、家でそれらの仕事をこなしていれば、あるいは、こなさなくても、生活していけなくなることはない。しかし、家事を怠ればすぐさま「パートナー」に指摘されて、怒られる。私の「パートナー」の怒ったときの常套句は、「君以外にもいくらでも代わりはいるからな」。「パートナー」に見放されてしまっては生活していくことができないので、私は毎日必死に家事をこなすことに徹していた。
この生活は、意外と窮屈で大変だ。たとえば、「パートナー」の許しなく休憩してテレビを見ることはできない。「パートナー」は家でテレビを見ないので、電気代を調べられればすぐにばれて、怒られるからだ。同じように、許しなく休憩して読書をすることや、お菓子を食べることなんかもできない。「パートナー」は本を読まないし、お菓子も食べないので、少しでも予定外の支出があればすぐにばれて、怒られるからだ。休憩をとるときはその都度「パートナー」に連絡を入れて、許しを貰わなければならなかったし、時間の定められた休憩中にできることなど、座っているか、寝転ぶか、家の中を歩き回るか、くらいのことしかなかった。昼寝をしたり、気分転換に出かけたりすることはできなかった。休憩の終了時にも「パートナー」に連絡を入れなければならないため、寝過ごしてしまっては怒られてしまうし、家の外に出るときは、前日までに外出・帰宅時間や目的地、必要な金額などを記入した許可願を「パートナー」に受理してもらう必要があるからだ。
それさえこなしていれば、何不自由なく生活していけるのだから、贅沢を言うものではない。そう言われてしまえば、首肯する以外の選択肢は私にはない。お金の面や身の安全の面などで「パートナー」には常々守ってもらっているのだから、その点では感謝が尽きないのは事実だ。しかし、このような生活を続けていくことが、「人間らしい生活」をしていると言えるのだろうか——いや、この時代にもはや、「人間らしい生活」を求めることは間違っているのだろう。しかし——おっと、考え事をし過ぎたせいで、「パートナー」の夕食を焦げ付かせてしまうところだった。まもなく「パートナー」が帰って来る。帰って来た時にまだ夕食ができていなければ、また怒られてしまう。危ない、危ない。ただでさえ、今日は謝らないといけないことがあるというのに、これ以上怒られる原因を増やすわけにはいかなかった。
そうこう言っているうちに、「パートナー」が帰宅した。十九時ちょうど。幸いにも、夕食はちゃんと完成していた。
「ただいま」
「おかえりなさい。お疲れ様。すぐ夕食にしますか」
「いや、今日は先に風呂に入る。明日早いんだ。だから、夕食を摂ったらすぐに寝るから。その後で、風呂の掃除を頼むよ。」
「わかりました」
「パートナー」は風呂場へ向かい、服を脱いでシャワーを浴び始めた。いつもからすの行水なので、私はすぐに夕食を温め直し、器に盛った。机に並べ終えたところで、「パートナー」が入浴を終えてダイニングに入って来た。
「いい匂いだ。今日はモリブデンだね」
「はい」
「いただきます」
「パートナー」はそう言うと、私には何なのかわからない、最初に指示された通りに高温に熱した棒状の金属を、美味しそうに食べ始めた。
私の「パートナー」はロボットだ。正確には、ロボットというのか、アンドロイドというのか、または他の名称があるのか私は知らないけれど、少なくとも人間ではない。この「パートナー」はこの時代にはどの家にもいて、どの家の「パートナー」も私の「パートナー」と同じように、外で働いて生活費を家に入れている。と言うのも、この時代には全ての仕事という仕事が「パートナー」にしかこなせないようにできているらしく、人間は家で家事をこなして「パートナー」に養ってもらうより他はないのだった。
「今日は、内緒で外出などしていないだろうね」
「はい、していません」
「それはよかった。最近はこの辺りでも放射能が濃いことが多いんだ。今後は極力外に出ない方がいいだろう」
「……はい、わかりました」
「パートナー」は食後のガソリンを飲みながら、まるで私のことを心配するように言った。しかし私は知っている。それは優しさなどではなくて、私が脱走しないように釘を刺しているだけだということを。「パートナー」にはAIという技術が使われていて、人間である私よりも思考が高性能らしい。脱走したところで、すぐにでも連れ戻されてしまうことを私は知っているため、今更逃げ出そうなどと考えることはなくなっていた。それは、どこの家でも同じらしかった。
「何か私に謝ることがあるのだろう」
「え……」
「そう顔に書いてある。言ってみなさい」
「……はい。今日、あなたの洋服を外に干していたのですが、洗濯ばさみをし忘れてしまって、一着が風に飛ばされてしまいました。申し訳ありません」
「そうか。だから、そんな前時代的な方式はやめなさいと、あれほど言っておいたのに。新しいものを買って来るから、洗濯ばさみ? そういう古いものを使うのは、もうやめなさい」
「……はい、わかりました。申し訳ありません」
やはり、怒られてしまった。言いつけを守らなかった私が悪いのだろうけれど。洗濯ばさみは、珍しく私から「パートナー」に頼んで取り寄せてもらったものだ。洗濯のとき、昔はどの家でもこの洗濯ばさみを使っていたらしいけれど、この時代には変に機械機械したものばかりになってしまっていて、私は一度も使ったことがなかった。昔の、人間が人間らしく生活していたであろう時代を想像して、それを羨むように昔の道具を所望したのだった。「パートナー」は嫌そうな顔をしたけれど、拒否して逃げられるよりはいいと渋々承諾してくれたのだった。しかし、このような失態を犯してしまっては、もう使うことはできないだろうな。私は顔に出さないように、静かに落胆したのだった。
「じゃあ、私は寝るよ。電源を頼む。いつも言っていることだけれど、私を壊しても無駄だからね。すぐに新しい私がやって来るようになっている。私たちの関係は、互いのためなんだ。いいね」
「……はい」
「明日は五時に起こしてくれ。君も早く寝なさい。じゃあ、おやすみ。」
「……おやすみなさい」
私は「パートナー」が普段洋服で隠している部分にある電源をオフにした。「パートナー」はぴくりとも動かなくなった。もう二度と動かなければいいのに、と思うと同時に、動いてくれなければ私が生活できなくなってしまうという不安が過ぎる。とはいえ何のことはない、明日の朝になって電源をオンにすれば、何事もなかったかのように動き出すのだ。「パートナー」に比べて、人間の方がよっぽど簡単に動かなくなるものだ。
「パートナー」は電源をオフにすると、何をされても反応しない。それこそ、殴りに殴って壊してしまうことも不可能ではなかったが、何の得もないので、最近はそんなことを考えもしなくなった。前述の通り夜の時間にもやることがないので、早いところ風呂掃除を済ませてしまって、明日に備えて寝るとしよう。
その時、私は思いついてしまった。私は、明日からは使うことがなくなるであろう洗濯ばさみを持って来た。そして、睡眠中は何をしても反応しない「パートナー」の鼻を、洗濯ばさみで挟んでみた。やはり、「パートナー」は一切反応しなかった。
「……ふふ、案外かわいいな」
鼻に洗濯ばさみを装着した「パートナー」を見て、私は面白くなり、笑ってしまった。これからは、これが「パートナー」に対する私からの復讐であり、唯一の楽しみになるのだろうなと思った。