07. 冴島える、再び教会に足を運ぶ
土曜日、私は制服に着替えて商店街の方に足を向けた。
本当は外に出かけるのは好きじゃない。この180センチを超える身長はどうしても人の目を引いてしまうし、それで何度もからかわれたりもしたから。
だけど先日に阿比野さんのお家、三元教の教会に足を運んでついでにお参りにもさせてもらったけれど、何だかスッキリした気持ちになった。
それに阿比野さん本人も、私なんかと違って明るくてニコニコしていて……。
あの日から阿比野さんのことがずっと頭から離れない。でも学校で会いに行こうとしても、中等部の校舎まで行くのは私にとって相当勇気がいることだった。きっと、みんな私の図体を見て嗤ってくるだろうから。
だからお休みの日を利用して、また教会に赴くことにした。宗教施設だから一応、正装として制服を着込んで。
土曜日の商店街はやっぱり人が多い。他人の視線が気になって仕方なくて、早足で横道から商店街を抜け出た。ここは人通りが少なく、以前もこの道を使っていた。
商店街を抜けたところの丁字路を右手に曲がってしばらく進むと、「三元教空の宮教会」の小さな看板が見える。看板の文字の上には、黒い丸を赤緑青の三本の線が支えているようなデザインのマークがある。私は、祭壇に飾ってあった御幣にも赤緑青の三種類あったのを思い出した。きっと、三柱の神様たちが世界を守っているという意味かな、と解釈した。
出入り口の引き戸を開けると、祭壇のある大広間が目に飛び込んできた。だけど今日は参拝者らしきおばちゃんが三人いて、阿比野さんはいなかった。
上がっていいのか迷っていたら、おばちゃんたちが私の姿を見るなりススッと歩み寄ってきた。
「あらまっ、若い子が来られるなんて珍しい!」
「その制服、星花女子の子ね?」
「もしかして明ちゃんのお友達?」
矢継ぎ早にしゃべってくるから、私はたじろいだ。
「え、ええ……知り合い、ですけど……」
「あら~ようお参りです~」
「今日のお嬢ちゃんはついてるわよっ」
「何せ若先生に『用事』を聞いて貰えるされているんだから! さあさあ!」
「???」
わけがわからないまま、私は三人に引っ張られるようにして大部屋に連れ込まれた。
「「「ささっ、どうぞどうぞ!」」」
「え……え……?」
この前来たときは気づかなかったけど、この大部屋は一部が出っ張っている。そこは実はお詰所と呼ばれている小部屋で、中で教会の教師が相談事を聞いてくれるのだとおばちゃんたちに言われた。
「あ、あのっ私別に……」
「わかせんせー! この子初めてなんで丁寧にお願いしますねー!」
「ちょっとタツコさんたら、何意味深なこと言ってるのよ!」
「きゃははは!!」
きっと信者さんだとは思うけれど、宗教の信者さんって慎ましいってイメージがあったから、ちょっとショックだった。
それはそうとて、私はお詰所の中に押し込まれるように入れられてしまった。
「こんにちは」
机一つ隔てた向こう側に、黒い紋付き袴を着た若い男の人が正座していた。といっても顔立ちは女性的で、声の低さでかろうじて男性だと判別できた(それでも男性の中では高い方だ)。どうやらこの人が若先生、と呼ばれている人らしい。
怖い人ではなさそうだけれど、一畳ちょっとしかない狭い部屋で初対面の人と相対するのは相当な圧迫感がある。
「何か御用でしょうか?」
「あっ、あの……」
御用と言われても。さっきおばちゃんたちが悩みを聞いてくれると言ったけれど、突然のことでどうしたらいいのかわからない。
「わ、私……明さんに会いに来ただけなんですけど……」
「明に? あー、あなたが冴島さんですか。話に聞いてますよ。参拝してくれたんだって明が喜んでいました」
「えっ……」
私が来てくれたのを喜んでくれていたなんて。一瞬、心がフワッとした感じになった。
「明は僕の妹なんですよ」
「そうでしたか……」
言われてみれば目元と鼻が阿比野さんにそっくりだし、ツーブロックの髪型をショートボブに変えて前髪を斜めぱっつんにすればほぼ阿比野さんの顔になる。
「その様子だと、強引に中に入れられたという感じですかね」
「……」
はい、とはっきり答えてしまうとおばちゃんたちに悪い気がしたから黙るしかなかった。
「しょうがない人たちだなあ。久しぶりに若い方が来られたから、テンションが上がっちゃったのかな?」
「はあ……」
「教会では悩みを無理に聞き出したりしませんからご安心ください。どうしても相談事を聞いてもらいたい、というときにまたこちらにお寄りください」
「ありがとうございます……」
「では、よろしければ芳名帳にお名前と住所をどうぞ」
若先生は冊子とペンを差し出した。
「名前ですか……」
「はい。御神前にお供えして、おかげを授かるようお祈りさせて頂きます。もちろん、お代は一切頂きません」
「わかりました……」
私は記入欄に「冴島」と書き、そこから躊躇した。
私の下の名前、若先生に笑われたりしないだろうか……。
それでも私はゆっくりと書いた。
『える』
「はい、ありがとうございます」
若先生は芳名帳を目の高さに掲げて、一礼した。心のなかで何と思っているかわからないけれど、顔つきは柔和なままだった。
「あの、明さんは今おられますか……?」
「部活で学校に行ってますけど、もうそろそろ帰ってくるんじゃないでしょうか」
するとまさにそのタイミングで、外から「明ちゃんおかえり!」という声がした。
「噂をすればなんとやらだな。さ、どうぞ会ってあげてください」
私は頭を下げてから、お詰所を出た。
「わっ、冴島先輩だ!」
笑顔がすごく眩しく見えた。
そう、それはまるで明星のような。
「お詰所で『用事』を聞いてもらってたんですか?」
「い、いやその、私は明ちゃんと……」
ああっ、と私は口を抑えた。おばちゃんたちにつられて、明ちゃん呼ばわりなんて失礼なことを……。
「いえ、明ちゃんで良いですよ! 私、苗字が珍しいからよくアビーって呼ばれてるんですけど、下の名前で呼んでくれたらもっと嬉しいです!」
「そうよ、明ちゃんって呼んだげて!」
周りのおばちゃんたちがワイワイ囃し立てる。恥ずかしくて穴に入りたい。それと同時に嫌な予感が頭をよぎった。
「私も先輩のことを下の名前で呼びたいですっ」
ああ、やっぱり。
「そういえば私、先輩の下の名前を聞いてませんでしたね。教えて頂きたいです」
「……」
阿比野さんとおばちゃんたちがプレッシャーをかけてくる。ついに耐えかねた私は、小声で言ってしまった。
「える……」
「える? どう書くんです?」
「ひらがなです……」
目の奥がじん、としてきた。
私が産まれたときすでに体重が4500グラムもあったため、お医者さんは「Lサイズの子どもですね」と言ったらしい。それを聞いた両親があろうことかそのまま「える」と名前をつけてしまった。
小さい頃は名前のせいでLサイズ女と周りの子からかわれた。しかもかなり昔に「エル」というあだ名がある大柄な女の子が出てくるラブコメ漫画があったらしく、それを読んだであろう良い年をした大人からもからかわれた。
こんな名前、早く変えてしまいたいのに……。
「……縁起がいい名前じゃないですか!」
「!?」
えっ、縁起がいい……?
阿比野さんは指で空中に文字を書いた。
「だって、えるは『得る』に通じるでしょ? 良いものを手に入れられるよう神様が取り計らってくれるかもしれないです!」
「本当に素晴らしい名前ねえ」
「私キクエだけどキクエルに改名しようかしら」
「きゃははは! 天使みたい!」
おばちゃんたちは、からかっているわけではなさそうだった。自分の名前をそういう意味に解釈して、褒めてくれるのはもちろん初めてだった。
私は阿比野さん……明ちゃんの笑顔をまともに見られなかった。恥ずかしいとか怖いとかじゃなく、全然違う理由で。
「じゃあ、える先輩。今日も一緒にお参りしましょう」
「……はい、明ちゃん」
私は気取られないようさっと目元を拭って、祭壇に向かったのだった。