03. 阿比野明、八尺様に出会う
「ボランティア部の部室も確か旧校舎にありましたわね。阿比野さんは何か変わったことに出くわさなかったのですか?」
二階に続く大階段を登る途中で、二階堂先輩が聞いてきた。
「無かったですね。そもそも月に一、二度会合がある以外は出入りしないので。一応、ほぼ毎日出入りしている部活の生徒にも聞き取りをしてみたんですけど、部活中に八尺様を見たって人は一人もいませんでした」
「単なる噂話で終わっていましたわね。実際に警備員さんが見ていなければ」
ちなみに警備員さん、本人の希望で別の勤務地に異動になったと聞く。相当怖かったんだろうな、本人に取っては。
大階段を登って左手に曲がると、天文部の部室である二〇六教室がある。かつて高等部校舎として使われていた頃は二年二組の教室の一部だった。現校舎に移転後に各教室は二つに分けられて、それぞれが文化部の部室に割り当てられたと聞いている。
二〇六教室の窓には暗幕がかかっていた。
「誰か中にいます!」
「ええ、いますわね」
二階堂先輩と橘さんが同時に身構えた。
「何でわかったんですか?」
「ええ。今さっき拾ったものですけど、こちらを御覧ください」
二階堂先輩が手のひらを差し出した。綺麗な髪とは違ってマメだらけでボロボロになったのが気になったが、もっと気にするべきところはその上に乗っている黒い一筋のものだった。
「髪の毛……?」
「そうです。あまりツヤがよろしくないしロクに手入れもされていないのですが、これと同じ匂いが部室からプンプンしています。貧血持ち独特の重苦しい匂いですので間違えようがありません」
「そこまでわかるんですか……」
噂通り、体調まで判別してしまうとは。しかも髪の毛一本だけで。警察犬もびっくりの鬼のような嗅覚だ。
「しかし妖怪が貧血持ちというのは何だか笑えてきますわね」
「橘さんも何でわかったの?」
「気配です。修行を重ねて感覚を研ぎ澄ませれば、五感では感知できないものでも感知できるようになるのです」
この二人の方がよっぽど人外だ……。
――ゴトッ
「!!」
明らかに物音がした。やっぱり誰か中にいるのだ。
私は教室のドアをノックしようとした。
そのとき。唐突に暗幕がシャッ、と開いた。
淡い光が窓から放たれていて、人影を浮かび上がらせていた。それはとてつもなく大きなもので。
こいつが八尺様だ!
――たふとしや あめつちみずのもとがみは よろづのいのちを まもりたまふ
仏教に真言、念仏、題目あるがごとく。神社神道に神拝詞あるがごとく。三元教にも神讃歌という短い祈祷文がある。私はそれを、手を合わせて心の中で大声で唱えてから改めてドアに向かった。さあ行くぞ、八尺様!
「こっちから行った方が早いですわ」
橘さんがずずいと窓に向かい、サッシに手をかけた。
「憤ッッ!!!!」
バキバキィ、と鳴ってはいけない音とともに窓がスライドし、勢い余ってレールから脱線して床に落下して、ガシャーンと無慈悲な音を立ててガラスが砕け散った。
「うわあああ!!」
「きゃあああ!!」
旧校舎は空の宮市の文化財に指定されている。その一部を躊躇なしに破壊した橘さんの暴挙に対してつい悲鳴が出てしまったが、同時に窓の奥からも悲鳴が聞こえてきたのだった。
「あ、あ……」
八尺様の正体が判明した。立ちすくんでいるその人は私と同じ星花女子学園の制服を着ていて、高等部二年生を示す黄色いネクタイをしていた。
背丈は大まかに見て、橘さんよりも大きい。八尺まではいかないまでも六尺、180cmぐらいはありそうな。
そんな八尺様と呼ばれていた先輩は、へなへなと力なく座り込んで、そのまま倒れてしまった。
「あっ!」
私たちは窓枠を乗り越えて部室の中に入った。
「うっ、うーん……」
「大丈夫ですか?」
「ちょっと、立ちくらみが……」
「それはいけませんわ! 私のお部屋に参りましょう!」
橘さんは八尺様を、空の発泡スチロール容器でも持ち上げるみたいにひょいと担ぎ上げて、わざわざ壊した窓から出ていった。
「ふーん、天文部の八尺様ってロマンチストでしたのね」
二階堂先輩がつぶやいたが、私も同じようなことを思っていた。
床下には家庭用のプラネタリウムが置いてあり、部室中に満天の星を投影していた。ぱっと見ただけで天の川ぐらいしかわからなかったけど、キラキラと輝くお星さまは綺麗、という感想しか出てこなかった。
八尺様は果たして何者なのか。詳しくは体調が回復してから聞くことにしよう。