20. 阿比野明と冴島える、家族会議に出る
阿比野明日香――私のお兄ちゃんが実は次男だと知ったのは、二年前の年末のことだった。大掃除をしていらひょこっと出てきた昔の家族写真。まだ私が生まれていない頃のものだったけど、そこにはお兄ちゃん以外の男の子が映っていたのだ。
この子は誰なのかとお兄ちゃんに聞いたら、初めは昔の友達だと答えた。だけどその後にもう一枚、同じ男の子が私を抱っこしている写真が見つかった。場所は病院で恐らく産まれた直後に撮られたもので、いくら友達どうしでもわざわざ産まれたばかりの妹の顔を見せに病院まで呼び寄せるものだろうかと疑念を抱いた私はもう一度問いただした。すると、実は阿比野家には明彦というもうひとりの兄がいて、交通事故で亡くなったのだと聞かされた。
だけどこれはお兄ちゃんらしくない幼稚な嘘だった。なぜならば阿比野家のお墓の霊標には「明彦」なんて名前は刻まれてないし、霊祭(※)も今まで一度も行われたことがなかったからだ。私はお父さんやお母さん、おじいちゃんにもしつこく聞き回って、ようやく本当のことを話してくれた。
私が五歳の頃に、明彦さんは家を出ていってしまったという。何でも、好きだった同級生の女の子に宗教のことでからかわれ、宗教家の息子として生まれたことを恨むようになったらしい。そこから家族との仲が悪化していき、中学卒業と同時についに家出してしまったのだ。
当時の記憶はほとんど残っていなくて、特に明彦さんについては一切覚えていない。ただお母さんから聞いた話では、明彦さんが出ていった後の私は一週間近く泣き喚いていたらしかった。スタパレのUFOキャッチャーで人形を取って欲しいと泣き喚いた日のことはまだ覚えているのに。きっと、明彦さんとの別れは記憶が抜け落ちるほどショックだったのかもしれない。
それ以来、明彦さんの話はすっかり阿比野家のタブーとなってしまい、私もあまり意識することはなくなっていった。だからえる先輩の画像を見ても、最初は明彦さんだとわかりはしなかった。
それでも家族は、いつかひょっこり戻ってきやしないかというわずかな望みを持っていた。だけどよりによって、える先輩のいとこさんと結婚していたのが発覚したという形で行方が知れるとは。これは果たして、偶然の一言で片付けられる事象なのだろうか。
実家の教会の「神殿の間」で緊急家族会議が開かれて、その場にえる先輩も同席した。
「神様が引き合わせてくれたとしか思えんな……」
明彦さんの画像を見たおじいちゃんは、ゆっくりとそう言った。
「あごひげなんか生やして立派になって……」
気丈なお母さんですら涙を流している。それを手で拭うと、える先輩に聞いた。
「冴島さん。明彦について知っていることがあれば何でも話して」
「ええと……」
える先輩がみんなの中で一番状況が整理できていないかもしれない。いとこの結婚相手が実は後輩の生き別れた兄でした、なんて展開はフィクションとしか言いようがないほど現実離れしているのだから。
「確かに名前は明彦です。今は私の母方の名字を名乗ってますが、旧姓は阿比野じゃなく埴岡だと言ってました」
「埴岡はあたしの旧姓だ」
阿比野もだけど、埴岡もそうそう見かける苗字じゃないから、やはり明彦さん本人で確定だろう。お母さんの旧姓を名乗るあたり、家と縁を切っても親子の縁は完全に切れなかったようだ。
「あと――」
「何だい?」
お母さんが身を乗り出したもんだから、先輩がビクッと体を震わせた。
「お母さん、落ち着いて」
「ああ、ごめんよ。つい」
今のお母さんは宗教家じゃなく、一人の母親になっている。
「すみません先輩、続けてください」
「はい。明彦さんは大工をやっていて、いとこの住む集落に引っ越して来たのはニ年ぐらい前だったかと思います。それまでは全国を放浪して腕を磨いてきたって言っていました」
確かに今の明彦さんは明日香お兄ちゃんと違い体格ががっしりとしていて、力仕事が得意そうではあった。
「こうも言ってました。俺には身寄りがいないから今まで好き勝手に生きていたけど、大切な人ができたからこれからは根を張って生きていくんだ、って」
おじいちゃんが大きなため息をついた。
「全く、立派になったもんだ。あいつは神様を見捨てたが、神様は見捨てていなかったのだな。子どもまで授けてくださって……」
「本当に。あたしもこの年でおばあちゃんになるなんて思って無かったよ。明、あんたなんかおばさんだよ?」
湿っぽい空気を取り払うかのように、おじいちゃんと明日香お兄ちゃん、える先輩までもが大笑いした。
「明おばさんかあ……」
自分で呟いてみたけど、全く悪い気はしない。
「家を出てからもう十年は経つ。いい加減頭が冷えた頃だろう。何も家に戻ってこなくても良いんだ、もう一度明彦と腹を割って話がしたい」
おじいちゃんもまた、一人の祖父となっていた。
「そういうことだから、冴島さん。申し訳ないが兄と連絡を取ってくれませんか。お願いします」
お兄ちゃんが土下座に近い格好で頭を下げた。
「わかりました。だけど私が勝手に連絡するとややこしいことになりかねないので、まず家族と相談してみます」
「はい、それはもちろんのことです」
える先輩は阿比野家の事情に巻き込まれる形になってしまったから、内心では面倒事になったと嫌な思いをされているかもしれない。そうであれば非常に申し訳ない。
やがて先輩はお暇することになったが、私は商店街の学校側口までお見送りすることに決めた。少しでも一緒にいたかったから、というのが本音だ。
今日は土曜日だから、商店街を行き交う人は多め。八百屋のおっちゃんも精肉店のおばさんも今が稼ぎ時とばかりに張り切って声を出している。写真店の横を通ったら奥さんに挨拶された。ここの一家はみんな熱心な信奉者さんだ。
いつもと変わらない商店街の中を、いつもと違う私たちが行く。学校側口を出ると、横断歩道の赤信号に引っかかった。青信号になったら先輩とお別れだ。
「大ごとになっちゃいましたね」
える先輩が言った。
「今日一日遊んだだけでも、一ヶ月分の時間が流れたみたいです」
「実際、明ちゃんと出会ってまだ一ヶ月少しなのに、何だか半年は一緒にいるような気がしますね」
そう、まだ一ヶ月しか経っていないのに。私も時間感覚が狂ってしまっているようだ。
「思えば私たち、最初に出会ったときも普通じゃなかったですよね」
「そうですね。私が部室で下校時刻を過ぎてもこっそりプラネタリウム鑑賞をしていて、明ちゃんが様子を見に来て、ちょっと怖い思いをしましたけど」
「あはは……」
橘さんが部室の窓をぶち壊した光景が頭に甦ってきた。それも今となってはもう過去の話で、天文部の八尺様騒動はもうみんなの話題に上ることもなくなった。
「もしも私が星好きじゃなかったら天文部にも入っていないし、プラネタリウム鑑賞なんかすることもなかったわけで。となると明ちゃんと出会うきっかけもなかったわけで」
「全く、その通りですね」
「そもそも、私は何で星が好きなのかわからなかったんです。こんな自分が星が好きだなんて気持ち悪いとさえ思っていました。でも、今答えを見つけたような気がします」
歩行者用信号が青に変わった。だけど先輩は歩きださず、ただ私の方を見つめてきた。
「明ちゃんというお星さまを見つけられるように、神様が仕向けてくれたんだって」
「んなっ」
先輩の口から飛び出したロマンチックな言葉に、みるみる血液が茹だっていくのを感じた。先輩も赤信号に負けず劣らず、顔を赤くしていた。
「あっ、私、変なこと言っちゃった……」
「い、いいえ。私のことをお星さまと思って頂いて光栄でございます……」
私も自分で何を言っているのかさっぱりわからない。
「で、でも神様のおかげというのはその通りでしょうね。何もかもできすぎてますし。全ては神様の手のひらの上だったのかなー、って……」
信号が点滅をはじめる。える先輩は恥ずかしさを振り払うためか、いつもより大きな声を出した。
「じゃあ、家族に話してみますね! 今日はありがとうございました! また学校で!」
「こちらこそありがとうございました! お気をつけて!」
先輩は小走りで横断歩道を渡って、住宅街の中に入っていった。
頭の中では、さっきの先輩の言葉がリピート再生されている。
「あの言い草じゃ、まるで口説いてるみたいだよ……」
帰路につく足がついふらついてしまった。お酒を飲んだらこんな感覚になるのだろうか。
「もしかしたら先輩も私のことを……」
いやいや、先走っちゃだめだ。まずは明彦さんのことを考えよう。
そしてその夜、える先輩からメッセージが来た。
『家族から明彦さんに話が行きました。会ってくれるそうです』
心臓の鼓動が早くなった。私が返事しようとする前に次のメッセージが届いた。
『ただし、阿比野家からは一人だけ出して欲しいと』
※…仏教で言うところの法要にあたる祭事。