17. 阿比野明と冴島える、映画館に行く
土曜日の朝。私は春先に買ったばかりのよそ行き用の服に身を包んで、える先輩を待っていた。今日の映画館デート、いやデートと呼ぶにはまだ早いかもしれないけれど、とにかくそれが上手くいくように神様にお祈りも済ませてある。
ちょうど先輩が指定した時間に、チャイムが鳴った。側面玄関のドアを開けると、私服姿のえる先輩がそこにいた。男性用のシャツとスキニーパンツ、上下とも黒色を基調にしているからか、普段のほっそりとした見た目と一味違い重厚感が溢れている。つまり、かっこいい。
「おはようございます! 私服の先輩、すごくキマってますね」
「そ、そうですか? こんな背丈だし、男物の服しか合うものがないだけなんですが……」
照れる先輩。何を恥ずかしがることがあるんでしょう。
「さっ、行きましょう!」
私は玄関から家族に「行ってきまーす」と声をかけて、星川電鉄学園前駅に向かった。通りすがりの人がちらちらとこちらを見てくるけれど、視線の先は私ではなく推定180cm以上の長身の方に向いている。
「やっぱり、目立っちゃいますね」
先輩が苦笑いする。
「私と一緒に歩いて、迷惑じゃないですか……?」
前みたいな自信の無さげなボソボソ声になってしまっている。
「何をおっしゃいますやら。見たい人は勝手に見せとけば良いんです。それで相手が得するわけでもないし先輩が損するわけでもないのです。堂々としましょう、堂々と!」
握りこぶしをかざして高らかに訴えた。ちょうどそのときに丸坊主の体格の良い、近隣の高校の野球部員らしき男子の二人組とすれ違う。すると片方がボソッと。
「俺もあれぐらい背があったらなあ……」
「おい、聞こえるぞっ」
はい、ばっちり聞こえてますよっと。私が男子たちを睨みつけると、ペコリと頭を下げてそそくさと立ち去っていった。
「ね。こんな感じでみんなきっと、先輩を羨ましがっているんですよ」
「そう、かなあ……」
「そうですよっ!」
グイッ、と押してみると、える先輩の表情が柔らかくなっていった。
「ありがとう明ちゃん、気が楽になりました」
声の張りが戻る。良かった、良かった。
私たちは下り線に乗って、二つ向こうの六礼駅で降りた。そこにはスターパレスショッピングモール、通称スタパレと呼ばれている大型商業施設が連結しており、休日ともなると大勢の人で賑わう。この中には映画館もあって、土曜日だからやはりお客さんは多かったけれど、目当ての『君の那覇』のチケットを買うことができた。
上映までまだ時間があったので、ウィンドウショッピングをすることにした。原宿に本店を持つアクセサリーショップに入ると、若者の街原宿ブランドのファンシーなアクセサリーが所狭しと並んでいた。
「このブレスレットなんか先輩に合うんじゃないでしょうか」
「明ちゃんがつけた方が似合うと思いますよ。可愛いものはそれが似合う人がつけるのが一番です」
本当に、先輩はゴールデンウィークの後から雰囲気が違って見えるようになった。私の意識が変わっただけじゃなく、先輩にも何か変化があったとしか思えない。その変化の方向は、私にとって魅力的なものに向いていた。
ああ、顔が熱い。恋って、こんな熱っぽいものだったのか。
「おっ、冴島じゃん」
店の外から声をかけられた。振り返ると、二人連れの私たちと年が同じぐらいの子たちがいた。
「あっ、カガミさん」
「お前がこんな店に来るなんて思わなかったよ」
「ちょっと友達と映画を見に来てて、まだ上映前だから暇つぶししてただけですよ」
「友達?」
カガミさんと呼ばれた人が、私の方を見てきたから会釈した。カガミさんはニヤッと口角を上げて、
「はー、お前もやるねえ」
と、える先輩の背中を叩いた。
「え、いや、その……」
「さっ、お邪魔しちゃ悪いから違うとこに行こっか」
カガミさんは、相方のぽっちゃりしている女の子の手を引いて去っていった。
「あの人は?」
「私のクラスメートです……」
える先輩の顔はかなり赤くなっていた。
「私たちのことカップルと思われたかも……」
カップル。その一言でドキン、と心臓が跳ねた。今、何か下手なことを言ったら墓穴を掘りかねなかったから、笑ってごまかした。
「そ、そろそろ時間ですよね。行きましょうか」
「そうですね」
私たちは映画館に戻った。
*
結論から言うと、当たりだった。笑いあり涙あり恋あり、青春物語の王道が詰め込まれていたストーリーは真新しいものでは無かったかかもしれないが、展開の起伏がしっかりしていて終わり方も綺麗だった。
サブヒロイン役の美滝百合葉先輩は大人しめのキャラという設定だったけど、途中からメインヒロインを食ってしまうぐらいの縦横無尽の活躍を見せていた。私としては面白かったけど、メインヒロインを押し退けるように見えるところがネットで叩かれている要因だろうな、と思った。
フードコートに出店しているワックドナルドでハンバーガーとフライドポテトを頂きつつ、える先輩と感想を語り合った。
「百合葉さんが『ハイサイおじさん』を歌ったときの声の大きさは凄かったですね。椅子がビリビリ震えてましたよ」
「ただ歌詞が何なのかさっぱりでしたね。字幕がついていたら良かったんですけど」
「調べてみましょうか」
える先輩がスマートフォンで検索する。
「歌詞はやっぱり琉球語ですね。あ、翻訳も載ってるサイトがここに……えー、こんな凄い歌を百合葉さんが歌ってたなんて……」
「凄い?」
える先輩にサイトを見せてもらったが、確かにある意味凄い歌詞が載っていた。おじさんに酒をせびる、おじさんの娘をくれとねだる、おじさんに昨日の女郎は良かったと言う。アイドルが、いや、女性が歌うにはちょっとばかしきつい歌詞じゃないだろうか。
「百合葉先輩は歌詞の意味を知ってるんでしょうか?」
「さあ」
知ってて歌っていたのなら、大物だ。
える先輩のスマートフォンが震えた。
「あ、光ちゃんの新しい画像が来ましたよ」
光ちゃんというのはえる先輩のいとこさんの子で、まだ産まれて間もない女の子の赤ちゃんだ。ゴールデンウィークに先輩が祖母の家に行った折、私に光ちゃんの画像を撮って送ってきたのだけれどこれがとても可愛いくて、える先輩にそう伝えたらまた何枚か追加で送ってきてくれた。それだけでなく、実家に帰ってきた後もいとこから光ちゃんの画像を送ってもらって私に見せてくれていた。
今届いたのは、いとこさんに抱っこされてご満悦の光ちゃんの画像だった。傍らにはもう一人、男の人が写っている。
「うわ~、一段と可愛いですねー! 隣は旦那さんですか?」
「はい」
いとこさんの旦那さんも、幸せが顔に表れている。
「すごく良い人ですよ。集落で一番の働き者で、何と言っても優しくて。まるで明ちゃんみたいな」
「えっ」
「あっ、ああ! ごめんなさいつい……」
「ふふっ、あたふたしている先輩も光ちゃんみたいに可愛いです」
心の中に思っていたことがつい漏れてしまって、私は口を抑えた。先輩は目を伏せてコーヒーに口をつけて、私の顔はますますヒートアップしていく。かっこいいと言ったり可愛いとも言ったり、我ながらなんと節操のないことか。
「すみません、何だか変な空気にしちゃって……」
こういうときはやっぱり笑うしかない。先輩も笑ってくれて、どうにかこの場はお互いごまかしきれた。
*
再び学園前駅で降りた私たちは、商店街の方に歩き出した。
「家にお参りしに寄っていきます?」
「はい。もちろんです」
前向きな返事を頂いた。夕方までには帰ってくるようにと言われているらしくあまり長居はさせられないけれど、できる限り話がしたい。先輩に私のことをたくさん知ってもらいたい。先輩のことをたくさん知りたい。
「今帰ってきたのかい?」
「あっ、お兄ちゃん!」
ジャージ姿のお兄ちゃんとばったり出会った。時間があるときはこうして外に出て体を動かしている。
「今からえる先輩がお参りしに行くって」
「いつもありがとうございます」
お兄ちゃんが頭を下げた。
「どこへ遊びに行ってた?」
「スタパレまで映画見に行ってた」
「スタパレか。明がまだ小さかった頃よく連れて行ったな。子どもコーナーのUFOキャッチャーでどうしても欲しい人形があって取ってくれってわんわん泣いたこともあったっけな」
「ちょっと、そんな昔話はいいから!」
える先輩は案の定笑っている。恥ずかしい。ちなみに子どもコーナーは今は天寿系列のアパレルショップに変わっていてもうなくなっている。
これ以上過去を暴露されないよう、私は話を逸らそうと試みた。
「える先輩から良い画像を貰ったんだ。お兄ちゃんにも見せてあげる」
「どれどれ」
私は貰った光ちゃんの画像を見せてあげた。
その途端、お兄ちゃんは今までに見たことのないぐらい険しい顔つきに変わって、聞いたことのないぐらい大きな声を出した。
「明っ!!」
「あ、ちょっと!」
お兄ちゃんは私のスマートフォンをひったくり、画像を指差した。その先は光ちゃんではなく、隣の父親を。
「この人はどこにいるっ!?」
「え、わ、私に聞かれたって……ていうか、一体どうしたの?」
「いいか、冷静になって聞いてくれ」
「う、うん。お兄ちゃんも冷静になって」
「そうだな。すまない、大きな声を出して」
お兄ちゃんは深呼吸をして、告げた。
「この人が明彦兄さん――生き別れになったお前のもう一人の兄だ」
「……」
私も先輩も、ただ絶句するしかなかった。




