13. 阿比野明、撮る
三元市。かつては城下町として栄えていたもののこの地で教祖・羽佐間光照さまが三元教を立教し、教団規模が拡大するにつれて宗教都市として発展していき、戦後になって三元市と名を改めて今に至っている。
三元駅には城下町側の北口、門前町側の南口がある。南口から出て大通りを歩けば本部までものの数分でたどり着く。まず私たち東海教区の信奉者たちはそこに赴いた。
本部の建物はギリシャのパルテノン神殿に大きな屋根瓦を乗っけたような、和風造りとも西洋造りともとれるような不思議な造りをしている。中に入るとすぐそこには超巨大な「神殿の間」が現れる。奥行きも祭壇が豆粒のように見えるほどに相当あるけれど、いざ近づいてみるとうちの教会のよりも幅、高さともに十倍以上の大きさを誇っている。それだけ何もかもが巨大なのだ。
それなのに不思議なことに圧迫感はなく、ここに来ればすべてを包み込んでくれるような気持ちになれる。
お参りを済ませた後、東海教区の区長を務めている教師が『御詰所』に入っていった。私からは見えないが、中では教主、七代目羽佐間光照さまが自ら『御用聞き』をしてくださっている。「光照」の名は教祖さまが三元神さまから啓示を受けて名乗ったもので、代替わりとともに子孫に受け継がれている。だから私たち信奉者は教主さまのことを単に「光照さま」と呼ぶか「教主光照さま」と呼び、教祖さまは「教祖光照さま」と呼んで区別している。
区長先生はすぐに「御詰所」から出てきた。顔は晴れ晴れとしていた。教主光照さまの御言葉には力があり、聞くと誰もが救われる気持ちになる。しかも信奉者だろうが非信奉者だろうが、大人だろうが子どもだろうが、例え総理大臣だろうが何の変哲もない一国民だろうが、区別なく誰のお話でも一年じゅう聞いてくださるのだ。これが三元教の最大の特徴であり、誇るべきことだ。
私たちは教主光照さまに向かって拝礼し、本部を後にして宿泊所に移動した。私は畳敷きの大部屋をあてがわれ、年の近い女子の信奉者さんたちと一緒に寝泊まりすることになった。だけど何度も一緒の部屋になっているので気兼ねすることはなく、自分の部屋にいるように落ち着ける。
お風呂までの時間、私たちは車座になっておしゃべりをしていた。話題のほとんどは理知さんとの対談会について割かれた。私が出席することがどこからか知れ渡っていたようだ。
「阿比野さん羨ましいなあ」
「何を話すんですか? やっぱり教えについてとか?」
「思い切ってご趣味のこととかどう?」
普段なら一般人と変わらない他愛もない会話をするのに、同じことばかり聞かれて内心少しうんざりしていた。でも気持ちはわかる。理知さんは私たち十代の信奉者にとってアイドルのような存在だからだ。
こんな伝説がある。本部から西に行ったところに三元学園高校・中学校という教団が建てた学校があり、理知さんはそこに通われている。この学校は非信奉者でも通学でき、むしろ非信奉者の方が数が多いのだが、理知さんの神々しいお姿に触れて改宗を申し出た者がいるという。他にも信奉者の中でも柔道部空手部の屈強な者を集めて結成した親衛隊を引き連れているとか、校長ですら凌ぐ権力を持ちたった一言で校則を変えられるとか、直撃コースだった台風を祈りの力で逸らせたとか真偽不明の逸話が残されている。でもそれだけのカリスマ性がこの御方にはある。
そういう方と明日、私は面と向かって話すのだ。気持ちがだんだん昂ぶってきて、こりゃ寝られるかなと不安になったけど見事的中してしまった。
それでも五時には起きてまずは朝の掃除をした。布団あげと掃除は自分たちでやるのが宿泊所でのしきたりだ。みんなあくびを噛み殺しながらも黙々と仕事をこなした。
それから朝のお祈り。船を漕いでいる子もチラホラ見かけて、隣に座っていた子なんか前のめりに倒れかけたから引っ張って起こしてあげたりもした。自分も危なかったけれど。
それが済んでようやく朝食。ご飯に味噌汁、鮭の切り身という超定番のメニューだった。一斉に食前詞を唱えて箸をつけると、ようやく人心地ついた気分になった。
「阿比野さん、目がウサギになってる」
目の前にいる同い年の子に指摘された。
「さすがに寝れなかったなあ」
「仕方ないよ。誰だって緊張すると思うし。でも目薬はちゃんとさしておきなよ。尊いお方に会うんだからね」
「うん。目一杯さしとく」
そういうわけで食後にクールタイプの目薬をさした。痛いぐらいだったがちょうどいい。さらにお兄ちゃんが良いものを持ってきてくれた。
「ほら明、こいつを飲んでおけ」
赤い牛が缶に印刷されている、私の大好きなエナジードリンクだ。星花女子受験の前夜にこれを飲んで追い込みをかけて、当日朝も飲んで気合いを入れて望んだら見事合格した。それ以来ここぞという日には飲むようにしている。
「ありがとう」
神様からいただくようにして両手で丁寧に受け取ると、一気飲みした。炭酸の刺激がいつもたまらない。
「よしっ、元気出てきた!」
祭事だから私は学校の制服を着用。玄関にある姿見でリボンのタイが歪んでいないことを確認して、さらに頬をバシバシと叩いて気合いを入れると、お兄ちゃんに思いっきり笑われた。
いざ出発だ。
*
神殿の間は全国各地から集まってきた信奉者さんたちで埋まり、大祭のときのみ開放される二階席は若干空いているもののほぼ満員といったところだった。
――掛けまくも畏き天之元神、地之元神、水之元神の大御前に、三元教教主羽佐間光照、畏み畏み白さく――
教主光照さまが奏上されている祝詞の声がマイク越し聞こえてくるものの、お姿は遠くてよく見えない。私たちは後ろの方の席にいた。
年の近い信奉者さんたちも各々の学校の制服を着て祭事に臨んでいる。我が星花女子の制服は評判がなかなか良く、ある子曰くリボンに刺繍された校章が神秘的なシンボルに見えるのだと。確かに六芒星はユダヤ教のシンボルでもあるけれど。
――♪ピンポーン
「あっ、やばっ!」
メッセージアプリの通知音が流れ出てしまい、追い打ちをかけるように声も出してしまった。私としたことがスマートフォンの電源を切り忘れるなんて。
「こらっ」
案の定、小声で隣のお兄ちゃんに怒られる。慌てて電源を切ったけど、その直前、ポップアップ表示でえる先輩の名前がチラッと見えた。
一体何のメッセージだろう?
いやいや、ちゃんと集中しないと。
*
祭事はつつがなく終わった。私とお兄ちゃんはいったん本部から出て、裏の「新生の池」に向かった。この池は教祖光照さまが三元神さまから啓示を受けた場所であり、私たちにとっては聖地の中の聖地だ。参拝を終えた信奉者さんたちがゾロゾロと集まって立ち話をしている中。聞き覚えのある声がした。
「おーい!」
お父さんだ。新年に帰省して以来三ヶ月ぶりの再会だった。
「元気してたか?」
「うん!」
「父さんこそ元気そうで良かったよ。ちゃんと自炊してるか、母さんが心配してたよ」
「はははっ、全然信用されとらんな」
まだ対談まで時間はたっぷりとあったから、親子三人揃って大通りに繰り出した。大祭の日の大通りは歩行者天国になり、左右に屋台が所狭しと並んで、様々な出し物も催される。今の時間帯は三元学園のマーチングバンドが吹奏楽の音色を響かせているところだった。とにかく賑やかだから非信奉者の人たちも集まってくる程だ。
私は父さんからお小遣いを貰って屋台でフランクフルトを買った。父さんはお兄ちゃんにまでお小遣いを渡そうとして、お兄ちゃんがもう大人なのにと拒絶しても「親の好意はありがとうございますと素直に受け取るもんだ」と、無理やりスーツの胸ポケットに押し込んだ。
大通りの賑わいを眺めながら、私たちはフランクフルトを頬張る。デートのカップル連れや、スマートフォンで自撮りしている外国人もいた。何も知らない人が見たら、宗教の祭事に絡んだイベントとは到底思えないだろう。
「家に変わりはないか?」
お父さんが不意に聞いてきた。
「星花の先輩がお参りに来てくれるようになったよ」
「ほう? 珍しいな。法月さんや愛粕さんのとこでもお参りには来たことが無いのに」
「ちょっとしたきっかけで知り合って仲良くなったんだ」
「そうか。その縁、大切にするんだぞ」
いつかのおじいちゃんと同じことを言ってくれた。
「あいつは?」
父さんの視線は、お兄ちゃんに向けられた。お兄ちゃんは無言で首を横に振った。
「そうか……」
父さんはそれ以上なにも言わなかった。私も気に留めるようなことではなかったから、口を挟まずただフランクフルトをかじった。
今はただ理知さんの対談のことで頭が一杯になっている。あと何か肝心なことを忘れているような……
「そうだ!」
える先輩からのメッセージを読んでいないことを、不意に思い出した。私はスマートフォンの電源を入れて、アプリを立ち上げて中身を確認する。
それは、土がついているキャベツとたまねぎの画像だった。その下には『祖母の畑でとれました』という文が。
みずみずしさが画像からもはっきりと見て取れる。何と美味しそうな大地の恵みだろうか。
「またあの子かい?」
お兄ちゃんが声をかけてきたから、私は慌ててスマートフォンを隠した。
「覗き見するわけないだろ。本当に明はわかりやすいなあ」
「何だ? まさか男じゃないだろうな……?」
「違うよ! さっき言ってた星花の先輩!」
そりゃ身長は男性並かそれ以上だけどさあ……。
とにかく返信しとかなきゃ。
『うわー! 美味しそー!』
よだれわ垂らしている顔文字つきで送信。それだけじゃ愛想ないので、私からも画像を送ることにした。
「お兄ちゃん、私を撮ってよ」
お兄ちゃんにスマートフォンを渡す。あの子に送るんだろわかってるぞ、と口にしなくても意味ありげな微笑みでそう言っているのが丸わかりだった。
「よし、どう撮るんだ?」
「本部と大通りの様子が映るようにして」
「わかった」
本部の建物に背を向けて立つと、「何かポーズとりなよ」とお兄ちゃん。言われなくとも。
「はい、撮るよー」
私は敬礼するように、右手を頭の前にかざした。もちろん笑顔をばっちりとキメて。
「うん、なかなか良い顔してたぞ」
お父さんもニッコリ。
「ありがとう」
「おっと、メッセージが来たぞ」
お兄ちゃんがスマートフォンを返すと、早速内容を確認した。アザラシのキャラクターが目をキラキラさせて「ありがとー!」と叫んでいるスタンプ。私は『どういたしましてー!』と送り返して、お兄ちゃんが撮ってくれた画像を『本部にお参りしてまーす』というメッセージとともに追加送信した。
『すごい人!』
『屋台が並んでお祭りみたいですね』
返信はやっぱりめちゃくちゃ早かった。さらに、
『明ちゃんの笑顔もまぶしいです』
そこまで言われたら嬉しさを通り越して、恥ずかしい。でも喜んで貰えたようで何よりだ。




