急勾配からの転落~右目と左……
――――アズーロ共和国/首都ライゼンハイマー/中央広場大通り
「だれかたすけてっ!おかあさんがっ!おかあさんがまだおうちのなかにいるのっ!」
『いかん!離れろ童女っ!!』
燃え盛る宿屋が倒壊し始めたのを察したイワンは、龍化して泣き叫ぶ少女の上に覆い被さる。
「えっ?!」
次の瞬間、燃え盛る木造の柱や焼けた漆喰がイワンの背に降り掛かった。
『ぐおぉっ!!』
「大丈夫?!ドラゴンさん!!」
イワンに守られた少女は、その行動に驚いて心配の声を上げた。
『……な~んての♪……ほれ童女、早うここから離れるのじゃ。』
「う、うん!……ありがとうドラゴンさん!」
龍化したイワンの腹の下から這い出した少女は、走って近くに居た大人にしがみ付く。
「もう大丈夫だよ、お嬢ちゃん。」
―――少しの間、お眠りなさい。
「えっ、でもまだおかあさ……あ……は……い……スピ~。」
そう言ってクリスが少女の首元に手を当てると、少女は一瞬で眠りに落ちた。
『手遅れか……。』
イワンは燃え盛る宿屋の中に視線を向けると、手足を縮め、黒炭となった人型を見つけて瞑目する。
『皆少し離れるのじゃ、倒壊した火の粉がそちらまで及ぶぞ。』
そう言ってチャールズ達が距離を取ったのを確認したイワンは、背に乗った柱や漆喰を払い落とす様に宿屋の前から離れた。
「イワン様、御背をこちらに!」
―――水を乗せるわよチャールズ。イワン、そこに横になって。
『す、すまぬ……。』
鱗が剥がれ、赤く焼け爛れたイワンの背に、クリスは直径五メートル程の水球をあてがう。
間もなく宿屋は屋根にまで火が廻り、数分の後に完全倒壊した。
▽
『まさかここまでとはのぉ……。』
「見るも無残とはこの事ですな………。」
ズアークから四日間飛び続け、アズーロにやって来たイワンとその一行が目にしたのは、そこら中で炎を上げ、見るも無残に倒壊したライゼンハイマーの街と、燃え尽き、崩れ去った代表官邸の姿であった。
―――それにしても、竜人の超再生も火傷には手を焼くのね。
『焼かれると同時に皮膚がかなり変形してしまいますからな、切り傷や擦傷の様には行きませんのじゃ。』
少女を救う際に受けた火傷を、小一時間程かけて自己再生を終えたイワンは、おどけた様に両手を広げ、クリスに笑顔を見せる。
「イワン様ーーー!」
大通りに木霊する呼び声が、軽快な蹄の音と共に接近してくるのを察したイワンは、声のする方に振り返り、手を上げて自らの居場所を知らせた。
『おお、オムよ。それでどうじゃった?』
「各国の王達が宿泊していた宿は全て燃え尽きていました。残された遺体は全て炭化していましたから……現状は誰が誰だか判別出来ません。」
馬から降り、イワンへの報告を終えたオムは険しい表情のまま俯く。
そのオムの目の前には、火傷や怪我の治療を受け乍ら呻き声を上げる、大勢のアズーロ市民が通りに横たわっていた。
―――とにかく人命が優先です。私とチャールズは治療に当りますから、イワンとオムは瓦礫に埋もれた者や、やけどをした者がいれば救助して、ここまで連れて来て下さい。
『了解じゃ。儂は火災が続いて居る街の北東部へ行く。オムは男手を連れて鎮火した西部を見廻ってくれ。』
「……分かりました。では行って参ります。」
『オムよ、気を落とすで無い。下水道を悪用したのは奴らなのじゃ。ロミルダ救出に使ったお主のせいではない。』
「ですが………。」
『奴らが狡猾であるという証拠を見せられただけの事じゃ。とにかく今は前を向け。ロミルダや王達の行方は何れ分かるじゃろうからの。』
「はい。」
そのから一週間。
イワン達はアズーロでの救助活動を続け、途中からライゼンハイマーに訪れた商人達も救助に加わり、近くの街からも大勢の人々が救助に駆けつけてくれた事で、火災は全て鎮火し、復興へシフトして行く流れとなった。
臨時政府の代表を務める事になったイワンは、生き残った市民の中で経理経験者や退役兵士を急遽招集し、被害状況の精密な情報収集を始める。
その結果分かった事は、被害は想定以上に甚大であり、倒壊、焼失家屋は二十万を超え、死者、行方不明者は四十万を超える大惨事であった。
更には代表就任の祝いに参列した各国の王達が全て行方不明になって居り、その警護や侍女達が尽く焼死や変死体で発見される。
無論、倒壊した代表官邸に勤めていた者や、国務大臣に任命されたばかりの者達も誰一人容赦なく殺害されており、臨時政府の代表代行を任されたイワンは、消えたロミルダや各国の王を捜索する事まで手が廻らず、最後の望みを掛けて筆を執る事を決めるのであった。
『婿殿……いよいよ国家間の問題では済まない様ですじゃ……人に仇なす者への処罰……御願い致しますぞ。』
――――大陸最東端/大樹海・聖地ナハ・バイエ隣接地域/地下・洞窟内
「ぎぃやぁぁぁぁぁっっ!!!」
『獅子人族というのは良い声で鳴くね~♪もう一つの目玉を刳り抜いたら死んじまうかも知れないよぉ~♪あ~っはっはっは~♪』
錆び付いた拷問具でディエゴ・ベガシシリアの右目を刳り抜いたバルハーネは、恍惚の表情を浮かべながら自らの陰部に血塗れの手をやり自慰を始める。
「この化け物めが……妾の右目だけでは足りず……ディエゴの……目までも……。」
同様に椅子に縛られた状態で、右目を奪われたブリュンヒルデ・アレクサンドラは、残った左目でバルハーネを睨みつける。
『そう言えばお前の娘はどうやって逃げたんだい?地下には蜥蜴がうようよ居たはずなんだがねぇ。』
「答える義務はない……キサマ等に……死んでも言う訳が無かろう……。」
『まあ良いさ。わたしが聞きたいのはパドラから龍の聖域に繋がる地下道の事だからねぇ。パドラ皇、早く答えないと愛しのハイネ国王が死んじまうよ♪良いのかい見捨てちまっても♪あんたしかその地下道の入り口を知らないんだろう♪あ~はっはっはっは~♪』
「ぐっ!!おのれっ!!」
「い……て……は……なら……ぬ……ヒ……ル…デ………。」
地面に転がる血塗れのダヴィド・シャルトリューズは、親指だけが残った左手をブリュンヒルデに伸ばし、彼女が口を割るのを制する。
「ダヴィド!……これ以上は……貴方は足まで………うぅっ…うぅぅっ……。」
全身無数に付けられた小さな刺し傷から血を流し、手首から先の無くなった左腕で這いながら制止を促すダヴィドの姿を見て、堪えきれずに涙が溢れるブリュンヒルデ。
『フフフフフッ♪あ~はっはっはっはっは~♪御涙頂戴の場面で申し訳ないけどね~、最後に残った首も切り飛ばしたら、そのお芝居も幕を下ろしてくれるんだろうさ♪さあパドラの女皇様~♪そこで愛しい男の首が刎ね飛ばされる様を、じっくりとその目に焼き付けなぁ!!』
「やめろーーーーーーーー!!!」
ブリュンヒルデが叫ぶと同時、地下道が大きく揺れ、バルハーネの振り下ろした長剣が地面を叩いた。
『なっ、何だこれはっ!!何が起きている?!』
十秒ほど続いた大きな揺れに、洞窟に居た全ての者が動揺し、数人の蜥蜴人が外の様子を伺う為に階段を駆け上がった。
「バルハーネ様!!大軍の!狐人の大軍が攻めて参りました!!」
『何だとっ!!……毒竜は何をして居る……数はどれほどだ!』
階段を駆け上がった蜥蜴人と入れ替わりに、地下に降りて来た数名の見張りが恐怖に震えながらバルハーネの問いに答える。
「そ、その数、数、数万!!毒竜に砲撃を繰り返しながら、同胞がすれ違い様に斬り捨てられております!」
『も、もしや……その者達は……。』
「旗印は……菊に胡蝶……間違いなく、ヤ、ヤマトの狂乱狐かと……。」
『何故この拍子であの者共が現れるのじゃ!!』
「お、恐らく!……か、監視されていた模様………。」
『ぐぬぬぬぬっ!!あともう少しだと言うのにっ!!』
「バ、バルハーネ様……如何なさい…ますか……。」
その場で歯を剥き出し、怒りの形相を見せるバルハーネは、長剣を振り上げてダヴィドの首に狙いを定める。
『こ奴らを連れては行けぬが、狙いを知られた以上生かしてもおけぬ。殺して直ぐに撤退する。』
「言わぬ!貴様の目的は言わぬ故!だからダヴィドを殺さないでっ!!」
そう絶叫するブリュンヒルデに見向きもせず、ダヴィドに向かってバルハーネは長剣を振り下ろした。
しかし、バルハーネの振り下ろした長剣は勢い良く弾かれ、空を舞って後方の地面に突き刺さる。
「……何とか間にあいやしたねぇ。」
『何者だキサマは!!』
しゃがみ込んだまま、バルハーネの長剣を弾き飛ばした刀を振り上げた状態で呟く男。
立ち上がって腰の鞘に刀を納めると、男は飄々と語りだした。
「あっしはヤマトのキリシマと申しやす。故あってヤマトの将軍に仕える者でござんす。それも行きがかり上ばったばったと蜥蜴や蛇を斬り殺しておりましたら、今ではヤマトの大将と呼ばれる様になりやしてね。蛇の姉さんにおかれましては、以後、お見知りおきを。」
『へぇ~、ヤマトの大将様が御出座しとはねぇ~。それであんたはあたしの首をここで取ろうって算段かい?』
「いや~、それは如何でござんしょうねぇ。どうやら酷い拷問で、息も絶え絶え処か虫の息って御仁も居られる様だ。手当が遅れちゃ~不味いでござんすからねぇ~。」
『あたしはここでやり合っても良いんだけどね。』
口角を上げて睨み合うバルハーネとキリシマ。
「それは遠慮させて頂きやしょう。姉さんと乳繰り合ってる間にそこの御仁が死んじまっちゃぁ元も子もねぇでやんすからねぇ。」
『ふん。まぁいいさ。それじゃあたし達は御暇させて頂くかね。』
「バルハーネ様!お急ぎください!」
そう言って階段へと向かうバルハーネ。
『何れまた御会いしやしょう。』
「出来れば二度と会いたくないわね。」
キリシマの言葉に振り返ったバルハーネは、その一言を残して洞窟を後にした。
「ふう、何とか退散して貰えやしたね。」
そう言いながらブリュンヒルデの縄を解くキリシマ。
「私より先にダヴィドをっ!……。」
「それは姉さんの仕事でやんす。」
焦るブリュンヒルデの口に、液体の入った試験管の様なガラスの筒を咥えさせ、良い笑顔を見せるキリシマ。
「それは強力な止血と治癒の霊薬でござんす。ゆっくりと彼の御仁に口移しで飲ましてやってくなせぇ。」
「うぐぉ!きゅ、急に口に突っ込むでないわ!」
キリシマの言葉に顔を真っ赤にするブリュンヒルデは抗議の声を上げる。
「早くしねぇとホントに死んじまいやすぜ。」
「分かっておる!!」
そう言って小走りにダヴィドの元へと駆け寄ったブリュンヒルデは、優しく仰向けに寝かせると、キリシマから受け取った霊薬を口に含み、その唇を重ねた。
少しずつ、ゆっくりとダヴィドの口内へ薬を流し込む。
暫くすると、弱々しかったダヴィドの呼吸に力強さが戻り、朦朧としながらも意識を取り戻した。
「う……ん。ヒルデ……か。ここは……あの世なのか……。」
「この世じゃ。無茶をしおって……相変わらず…馬鹿じゃのぉ……。」
「儂の為に……泣く女が居るのだ……馬鹿もする甲斐が……あるだろう。」
そう言われたブリュンヒルデは更に頬を赤らめ、再度ダヴィドと唇を重ねた。
「あ~あ~もう見てられへんわ。あいたたたっ。」
「ならば残った目玉も刳り抜いてやろう。」
ダヴィドとの接吻を終えたブリュンヒルデは、右目を抑えて痛がるディエゴの揶揄いにドスの効いた声で答える。
「まあまあ御二人とも、今はその御仁を早く医者に見せた方がようござんしょ。獅子の旦那は御仁の手足を拾ってついて来てくだせぇ。姉さんは御仁を背負って来て貰えると助かりやすねぇ。」
「何処へ連れて行くつもりじゃ?」
「先ずは遠征に同行しているお医者様に皆さんの手当てをして貰いやす。その後は暫く姿を隠された方が良いでやんしょうから……何でしたら世界一安全なヤマトまで御案内致しやすよ。」
「せやかてキリシマはん。他国に連れて行かれて首ちょんぱ何て事なったら笑われへんで。孰れは五体満足で帰してくれるんやろなぁ?」
「まあその辺りの話は道すがら説明致しやしょう。とにかく今は急ぐが良しでやんすよ。」
「今はキリシマ殿の言うと通りにする方が得策であろう。妾はダヴィドとヤマトへ向かう。お主はどうするのじゃ。」
「あ~!もう!兄貴と姉さんほっといて帰る訳にもいかんやろ。儂もヤマトで世話になるとするわな。」
ダヴィドの足を拾いながら、ディエゴは呆れた様にキリシマの提案を飲んだ。
「道中アサヒナでそれぞれの御国には文でも送れば宜しいかと。では参りやしょうか。道中の露払いと毒竜の相手は、我等 蝶菊の臣に任せておくんなさい。」
こうして国王達は、アサヒナとヤマトの混成狐人族達によって命を救われた。
そして治療と療養を兼ね、三国の国王は海を渡りヤマトへ向かう事となる。
道中、アサヒナから出された文には、それぞれ静養とトップ外交を兼ねてヤマトへ向かうと記されており、それは急な王の体調不良によって、世継ぎ争いや国内で混乱が起きない様、配慮した物となっていた。
――――アズーロ・ギリンガ国境/国境警備隊詰所
「ささっ、先ずは水浴びを。」
「私は後で良い。先にクリームヒルデ殿に身を清めて貰ってくれ。」
「しかし陛下が泥だらけで御待ちになるというのは……。」
「構わん。彼女は大分憔悴している。水浴びをさせ、何か温かい物を出して差し上げろ。」
「了解いたしました。」
ブラッド・ブレーク・エールの指示により、泥と煤だらけのクリームヒルデ・マーストマイスターは女性兵士に付き添われ、水浴びの為に浴室へと案内されて行った。
同じく泥だらけのブラッドはそれを見送ると、椅子にドカリと腰を降ろし、天井を見上げる。
「……まさか下水道を逆に使われるとはね……間抜けなものだ……これでは親父を笑う事は出来ないな………。」
ブラッドは十日前に起きた、蜥蜴人族によるアズーロ襲撃の夜を思い出していた。
夜中に地響きを伴う爆発音で飛び起きたブラッド。
宿泊していた宿の三階から街に目をやると、既に幾つかの建物の窓から出火していた。
直ぐにブラッドの護衛達が部屋に入って来たが、その後ろから現れた蜥蜴人族数人が斬りかかり、交戦状態に入る。
護衛が敵の隙をついて階段への動線を確保してくれた御蔭もあり、ブラッドはその場から逃げ、一番近くに宿泊しているブリュンヒルデ・アレクサンドラの元へと向かった。
しかし、その宿は既に多くの蜥蜴人族によって制圧されており、ブラッドが駆け付けた時にはブリュンヒルデが連行されている最中であった。
路地裏に身を隠しながらその様子を伺っていたブラッドは、背後にあったゴミ置き場から聞こえる女性の呻き声に気付き、それがクリームヒルデであると知って驚く。
それと同時に彼女の救出が最優先事項となり、奔走すること十日をかけて、漸くアズーロとギリンガの国境まで逃げ延びたのである。
「陛下、タオルをどうぞ。」
「すまないな。」
兵士達が用意した桶の水で顔の泥を洗い落としたブラッドは、受け取ったタオルで顔を拭うと、用意されていた紅茶のカップに口を付ける。
「陛下、御支度が整い次第 帝都へ向かえますが、それで構いませぬか?」
国境に詰めていた外交部官のエレン・フィッシャーが予定の確認をすると、ブラッドは少し考えてから答える。
「いや、帝都には鷹文で帰還が遅れると伝えておこう。それよりも先にやらねばならない事があるからな。」
「……と言いますと?」
「このままだと形勢が不利だからな。成す術無く好き放題にやられるのは、帝国皇帝としてみっともないであろう?」
「……はぁ。」
ブラッドの主語が抜けた様な返答に、エレンは訳も分からず空返事する。
「まあ簡単に言えば人集めだ。先ずはフレデリックとセオドアを捕まえに行く。その後は蜥蜴が大好物のオオワシ先生も呼びに行くとしよう。」
「聖剣様方はともかく、オオワシはこの千年、南の砂漠近くで眠っていると聞いていますが……起こせるんですか?」
「ああ、それは問題ないだろう。アズーロで使ったアレを使って叫べば嫌でも起きるさ。」
「なるほど、アレですか。」
エレンの納得した表情を確認したブラッドは、水浴びを終え、サイズの合わないダボついたドレスを身に纏ったクリームヒルデの姿を確認し、入れ替わる様に裏の井戸へと向かう。
「あ、あの……ブラッド陛下……お気遣い傷み入ります……。」
「気にしなくて良いですよ。それよりも左の乳首が丸見えになっていますから、隠された方が良いかと。」
「ひゃぁっ!」
「では失礼。」
クリームヒルデにそう指摘したブラッドは、顔色一つ変えずに奥へと姿を消すのであった。
(……み、みられた~!!!!!)




