休息のアサヒナ村~エレクタイル ディスファンクション
――――パドラ王国/東部・大樹海隣接地域/アサヒナ村
「あ~あぁあ‶ぁあっ、もうっ!!かゆいぃー!!」
悲鳴の様な声を上げ、藪から飛び出したロミルダは足や腕を叩きながら、蚊に刺された場所に爪を立てて如何にも不機嫌そうに眉を顰める。
『はて?薮蚊にでもやられたかのぉ。それとも蚤でも飼っとるのかお主は。』
「そんな訳ないじゃないですかっ!」
『じゃが儂はひとっつも刺されておらんぞ。』
痒みが納まって来たロミルダは、イワンの傍へ近付くと大きく息を吸う。
「私は普通の女の子なんです!!竜人族の分厚い皮膚と一緒にしないでくーだーさーいーっ!!」
『分かった分かった~。分かったから耳元で怒鳴るでないわぁ。もうちょっと年寄りを労わらんか。』
「だから空から行きましょう、って言ったじゃないですか~。」
『じゃが空には毒竜が居るでのぉ……正直、急ぎの用事以外でアレの相手などしておれんわぃ。それにお主を迎えに行った時も大概しつこかったからのぉ……まあ、怒るでない。』
「まったく~、ホントにまったくも~。」
▽
「はいは~い、あら!イワン様じゃありませんか~♪」
『おぉ、ミサエか。村長はおらんか?』
「昨日から収穫祭の準備に行ってますよ。今頃は広場で豚の解体でもやってると思いますけど……そちらの御嬢さんはどちら様です?」
「は、初めまして。ロミルダと申します。」
イワンに連れられ村長の家にやって来たロミルダは、埃塗れになった自分の姿が恥ずかしく、俯いたまま名乗った。
「あらあら、こんなに埃塗れじゃ美人も台無しね♪お風呂湧いてるから入って行きなさい♪」
「あっ、あのっ!」
「いいからいいから♪遠慮しないで、こっちにいらっしゃい♪あ、靴はそこで脱いでね♪」
ロミルダの腕を掴んでさっさと風呂場に案内しようとするミサエ。
『酒は何処じゃったかのぉ~。』
「イワン様は台所のキュウリとおナスでも齧ってお待ちくださいな♪」
『早う頼むぞ~。』
「は~い♪」
▼
台所にあったツボから糠漬けの胡瓜と茄子を拝借し、甕の水で糠を軽く洗い落とすと、庭へと廻って居間に繋がる縁側に腰を降ろし、獲物に嚙り付いて満足そうに小気味良い咀嚼音を鳴らすイワン。
「お待たせしました♪イワン様、はい一献♪」
『おぉおぉ、すまんなっとっと。』
茶碗の様なぐい吞みになみなみと注がれた無色透明の酒を、喉が鳴るほど勢い良く飲み干すイワン。
「相変わらずいい飲みっぷりですわねぇ♪ささ、もう一献♪」
『美味い酒じゃのぉ。前に相伴した時の酒より辛口で………ふぃ~、切れが良いのぉ。香りも芳醇と言うよりは、華やかで瑞々しい果実の様じゃな。』
「あの人が直接皇都の酒蔵に出向いて作らせたお酒です♪何でもお米を磨いて芯に近い所だけを使った特級品らしいのですけど……詳しい事は分かりませんわ♪」
『うむ、この出来ならハイネに卸しても相当な値が付くじゃろう。儂も只で頂くには忍びないでな……ほれ、礼に取っておいとくれ。』
イワンは懐からぐい吞みと同程度の大きな金塊を取り出すと、ミサエの前にゆっくりと置いた。
「あらあら♪お大尽様、御代わりどうぞ♪」
『ふぅう~、生き返るようじゃわい。』
酒瓶と共に作り置きの海鼠酢と小鯵の南蛮漬けをイワンの傍に置いたミサエは、縁側に腰を降ろすとエプロンのポケットから封筒を取り出した。
「イワン様。これは一昨日アズーロの大使館から届いたものです。」
封筒を受け取ったイワンは酒を注いだばかりのぐい吞みを傍に置き、ミサエから受け取った封筒の中身に目を通す。
『………なるほど。極秘でパドラに入国し、高官との商談を目前に行方不明か……。相手も中々に頭の廻るもんが居るようじゃのぉ。』
「やっぱりロミルダちゃんがルドルフ様の娘さんだったんですね。」
『おお、そう言えば説明しとらんかったな。』
「おお、じゃありませんよぉ。理由は大体承知していますけど、女の子を大樹海で連れまわすなんて感心致しませんよ。」
『連れまわしとった訳では無い。聖地まで迎えに行った帰りじゃったんじゃよ。』
「聖地?まさかロミルダちゃんは妖精使いなのですか?」
『いや違う。じゃが聖地に居った。』
「まさか………。」
絶句したミサエを他所に、南蛮漬けを箸で掴んで頬張るイワン。
『父親がルドルフ・ライゼンハイマーだという事には疑念もあるが、あの娘は間違いなく半妖じゃろうな。』
「そんな……ですが彼女にそんな特徴はありませんでしたよ。」
『まだ目覚めておらんのじゃよ………。蝶になるには妖精郷での儀式がいるからのぉ。まあ己の子を妖精郷に導かなかった妖精が居るなど聞いた事も無いが、この十五年内に限って言えば思い当たる節もある。』
そう言ってイワンはぐい吞みに注がれた酒を一気に飲み干す。
『どちらにせよあの娘が暴走しない様、監視せねばならん。妖精郷へ連れて行った方が手っ取り早いんじゃが………まあ、それも今回の騒動が収束してからじゃな。』
「……分かりました。ではこの村も知らぬ存ぜぬは通用しないと。」
『聖地に飛ばされたのは予想外じゃろう。じゃがロミルダが半妖である事は知っとるじゃろうから……近いうちに傭兵共を使った大規模な捜索と情報収集を始めるはずじゃ。アズーロで戦った時も命懸けで来とったからのぉ、それこそ歯向かう者には容赦なく刃を向けるじゃろうな。』
「ならば西の狐に使者を出しておきましょう。」
『鍛冶狂いの夜叉狐どもか……。まあ試し斬りし放題となれば、大勢を伴ってやって来るじゃろうが……万が一にも事が起こったからと言って、虐殺にはならんよう見張って置くのじゃぞ。』
「それは勿論で御座いますよ♪後始末も大変ですからね♪」
『分かって居ればよい。』
「イワン様こそ、ロミルダちゃんの秘密に関わる事を、他所で口外されない様に御気をつけくださいね♪」
ミサエは立ち上がると、笑顔でイワンに忠告する。
『すっ、する訳なかろう!人と妖精を同時に敵に廻す馬鹿者共と一緒にするでないわ!』
「なら良いんですけど♪それじゃそろそろロミルダちゃんの湯浴みも終わるでしょうから行ってきますね♪」
『お、おう。』
「あっ、そうそう♪もうすぐヒロシさんが帰って来るでしょうから、イワン様もそろそろ居間に移動してくださいね♪」
そう言ってミサエは居間への襖を開いて部屋の奥へと消えて行った。
『ふむ……あの護衛には少々話過ぎたかもしれんのぉ………。』
▽
『……お主の嫁は蟒蛇か猩猩の類か……。人の身であれだけ飲む女子を見た事が無いわい……。』
「あははっ……おかげさまで………申し訳ありません。」
昨夜の宴会でイワンの頭をぺシぺシと叩いて大笑いしながら、大きな盃に注がれた酒を豪快に煽るミサエ。
そんな御機嫌だったイワンとミサエの姿を思い出し、毎度の事ながら最後は無礼講になってしまう嫁の酒癖に、苦笑いを浮かべてヒロシは謝罪する。
『よいよい、謝る事ではないでな。単純に何を喰ったらあんな風になるのかと思っただけじゃよ。』
「本当に如何してなのやら……。」
広場の中心に置かれた大きな噴水の淵に腰を掛けた二人は、早朝のひんやりとした空気の中、朝食向けの屋台で買ったうどんに箸を付ける。
『それはそうとミサエには伝えておいたが、有事の際にもやり過ぎんようにな。指一本ぐらいで勘弁してやれ。相手が気付く間も無く首を刎ねる事を「情けだ。」とか言っちゃう奴は、頭のネジが飛とんだ拗らせ中だと心得よ。』
「もちろんで御座います。そういった病の者は見回りから外しておきますので、イワン様は憂いなく皇都に御向かい下さい。」
『うむ、よろしく頼む。では麺がのびては勿体無いでな、頂くとしようか。』
「頂きます。」
朝方までミサエに付き合わされたイワンとヒロシは、締めとばかりに熱々の金平うどんを啜り、出汁を飲んでは空に向かって白い息を上げる。
「あぁ、こちらに居られたのですね。」
睡眠をしっかり取ったロミルダは、パドラの民族衣装である矢絣の着物に紫紺の袴、腰には業物を帯剣し、髪を肩口に切り揃えた姿でイワン達の前に現われた。
『赤の矢絣に紫紺の袴とは古風じゃが、中々に似合っておるのぉ。孫にも衣装というやつじゃな。』
「少し動きにくいですが、ミサエさんが用意してくれたので……。」
『ヒロシ、早う仕込んでやらんとミサエも寂しいじゃろ。儂が次に来るまでには夫の務めを果たしてやるのじゃぞ。』
「はぁ……これが中々思う様にいきませんで……お恥ずかしい。」
『なぁにを情けない事を言っとるのじゃ。お主もまだ四十をまわった所じゃろ?その齢なら抜かずの三発は無理でも、孕むまで毎晩抱いてやるぐらいの甲斐性が無くてどうするんじゃ?昨日から甲斐甲斐しく小娘の世話を焼いておったが、流石に不憫でならんわい。』
「イワン様、幾ら御知り合いでも御夫婦の事に………。」
「いいえロミルダ様。イワン様の仰る事はもっともで御座います。」
「ですが………。」
うどん鉢を足元に置いたヒロシは、立ち上がるとイワンへと頭を下げた。
「仲人までして頂いたイワン様に気遣いをして頂くなど、男として情けないばかりで御座います。」
『頭を下げる事は無いが、何か悩みでもあるのか?折角じゃから言うてみぃ。』
頭を上げたヒロシは深い皺を眉間に刻み、口を真一文字に結んで肩を落とすと大きな溜息を吐いてから小さく呟いた。
「………が………で、す………。」
『「…うん?」』
「ヒロシが………で、す……………。」
『「ヒロシが??」』
「ヒロシが無反応で、す…………………。」
『「はぁ???」』
ヒロシが何を言いたいのか全く分からないロミルダとイワン。
そんな二人の様子に意を決したヒロシは天に向かって叫んぶ。
「ヒロシが無反応で、すこしも硬くならんのです!!!」
早朝の広場に木霊したヒロシの熱い叫び。
驚いた鳥達が広場から一斉に飛び立つのを、険しい視線で見守るイワン。
ロミルダは唇を噛み、只々込み上げる感情を抑えながら二人に背を向け歩みだす。
この程度でツボに入ってしまった自分を恥じながら。
6/13 誤字修正




