聖地ナハ・バイエ~新たな決意とお尻好き?
「大きな木…………。おとぎ話に出てくる大樹みたい………。」
転送陣によって見知らぬ場所へと飛ばされて三日。
ロミルダは当てもなく草原を彷徨っていた。
「もう夕方なのに枝の蔭から出れないなんて、凄いわね……。」
とはいえ目的無く彷徨っている訳では無い。
大樹の根元に飛ばされた当日、ロミルダは一日掛けて幹の周りを一周し、二日目、三日目は信じられないほど太い枝の傘から出る為に歩き続けている。
それに何の意味があるかは本人も考えてはいなかったが、見渡す限り木の幹と草原が延々と続く景色に、本能的な避難意識が働いたのかもしれない。
それが功を奏したのか、大樹の幹から離れるに従って細くなっていく枝から、時折大きな水滴が落ちてくる。
その水溜まりの水で命を繋ぎながら、ロミルダは避難行動の三日目を終えようとしていた。
「……お腹すいたなぁ。この草食べられるのかしら……。ペッ!……まっず。」
辺りは暗闇に包まれ何もない。
火を熾す道具も無ければ方法も知らない。
「………寝よう。」
緑の絨毯に大の字で寝転び、自分の手を枕代わりに空を見上げる。
「……枝。……葉。……枝。……。」
腹が鳴るのを独り言で誤魔化し、状況を楽しもうと心掛けて歩んだ三日間。
「助けて………助けてよぉ……うぅ………。」
だが、幾らそう思い込もうとしても限界はある。
ロミルダは静かに涙を流し、弱々しい声で助けを求めた。
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『……力が……………欲しいか?』
覚醒していく意識の中、腹に響く様な声がロミルダに問いかける。
(力?そんな物は要らない。欲しいのは……穏やかな日々。)
夢と現実の狭間で強く願うのは、数日前まで確かにあった、忙しくも穏やかな日常。
『力が……………欲しいか?』
(だから要らないと言ってるの!力で得られる物は従属でしかない。何れ自らも力に溺れ、本当に大切なものを失っても気付けなくなる!私が望む穏やかな日常は、そんなものを行使する必要の無い世界。)
『力が……………欲しいか?』
(貴方は可哀そうな人ね。そうやって与える事でしか、私を従属させる術を知らない。)
『力が……………欲しいか?』
(人は誰かに与えられなくとも、願いを実現する意思を持ってる。力に頼った自己顕示欲なんて、恥を知る大人には耐えがたい恥辱だと理解なさい。)
『力が……………欲しいか?』
(…………しつこいわね。)
『力が…………欲しいか?』
(…………何なのよ。)
『力がで…………欲しいか?』
(…………で?)
同じ言葉を繰り返す謎の声に、初めは真剣に答えていたロミルダであったが、その状況と違和感に気付いてしまう。
ロミルダは草木が風に揺れる音で目を覚ました。
「………朝?」
『やっと起きたか。』
ロミルダが目覚めると、目の前には一体の大きな黒竜が立っていた。
「ドラゴンさん?……貴方は一体!?」
『力が出る朝飯が欲しいか?』
「……って、おまえかーーー!!」
▽
『儂の名はイワン・ストリチヤナ。聖域の長であり、オム・ボンベイの依頼でお主を迎えに来た者じゃ。』
「助けに来てくれたのなら……はむっ……普通に肩を揺するかして……はむはむ……起してください。」
ロミルダはイワンが焼いた巨大な骨付き肉に齧り付いては愚痴を溢す。
『すまんのぉ。寝てるお主に声を掛けたのじゃが、何やら恥ずかしい言葉を呟き始めたのでな、面白くなって語り掛け続けてしもうた。』
「ぐっ……くっく………。」
羞恥から歯噛みするロミルダであったが、イワンと言葉を交わすだけで心の底から安堵する。
「それで、血塗れですけど貴方は大丈夫なんですか?」
『なあに、この程度掠り傷みたいなもんじゃ。龍化を解けば、自己治癒に血流を廻せるから問題ない。』
「竜人族にそんな力があったなんて……凄いですね。」
『うおっほん!まあそこまで言うのであれば、儂の自己治癒能力を見せてやろう。』
「おお!」
ロミルダが何となく口にした言葉に気を良くしたイワンは、ポンッと音がしそうな煙と共に老人の姿に戻ると、両手を広げ瞑想に入る。
「こ、これが自己治癒……。」
イワンがローブを着ているので分かりづらい能力に思えたが、それでも見える範囲の顔や手についた傷が見る見る治癒されて行く事に、ロミルダは驚嘆から絶句する。
『ふぃ~。どうじゃ、凄いじゃろ♪』
「ああーーーっ!!」
『な!何じゃ一体!?』
治癒の終わったイワンがドヤ顔で感想を求めると、ロミルダは突然大声を上げて指差す。
「あ、頭が……。」
『頭!?儂の頭がなんじゃ!?』
「ズル剝けて毛が全部無くなったままになってます!!」
『ハゲは元からじゃーーーーーー!!!』
▽
『まったく……最近の若いもんは年長者に対する礼儀がなっとらんのぉ~。』
「死んだ毛根は治癒ではなく蘇生ですものね……。」
『むう、何処までも失礼な小娘じゃのぉ……。良いか、年長者の禿げ頭や長い髭は英知を司る。じゃから薄くなったらみすぼらしく禿散らかしたままにしたり、被り物なんぞをして誤魔化すではなく、剃って堂々として居れば良いのじゃ。』
「飛ぶ時に被り物も飛んで行ってしまいますからね。」
『ドラゴンの姿で被り物する奴などおらんわ!!ふぅ…ふぅ…もういいわい。ほれ、見えて来たぞ。』
「あれは………石碑?」
骨付き肉の御蔭で気力と体力が回復したロミルダは、イワンに近くの石碑へと案内された。
ロミルダは巨大な石碑に近付くと、びっしりと彫り込まれた古代文字を見て感動を覚えると同時に、背筋に悪寒めいた感覚を覚える。
『これは聖域の国宝、樹海文書の全文が記された石碑じゃ。樹海文書の原本と言った方が正しいな。』
「ということは…………ここはまさか!?」
『そう、大陸東の果てにして人類未到達の領域であり、始原の森の中心地。幻の聖地ナハ・バイエじゃ。』
「聖地……ナハ・バイエ………。」
――――聖地ナハ・バイエ/神殿遺跡
「凄いですね……。どれぐらい前の遺跡なのですか?」
石碑のあった場所から空中散歩を十分ほど楽しんでいたロミルダは、前方に見える遺跡群を視界に捉えると、お尻の下にあるイワンの頭に問いかけた。
『詳しい事は未だに分かって居らんが、一万年以上前であると推察されておる。間違いなく現存する世界最古の遺跡じゃ。名をナハ・バイエと言うてな、この地の名の由来はあの遺跡にある。』
「遺跡の名前だったんですね。てっきりあの大樹が地名の由来かと思ってました。」
『人々がこの地に暮らしておった時代には、あれ程巨大な姿はしておらんかったようじゃな。とにかく下に降りてから説明しよう。』
▽
「集合的無意識……ですか?」
石灰岩で作られた遺跡群を散策するロミルダとイワン。
『嘗てこの地に住んでおった人々は、それが輪廻に関与していると信じておった。……いや、それこそが命ある者の因果という事じゃろう。』
「つまり、私という個人は無意識に他者と繋がっていて、産れながらに本能的、又は道義的行動等、全ての意思決定に前世や過去の人々の深層心理が影響を与えているという事でしょうか?」
『お主の言う通り、そういった事に影響を与えていると思われる事例は多くある。しかし、古代の人々はもっと踏み込んだ解釈をしておたようじゃのぉ。』
「踏み込んだ解釈ですか?」
小さな石碑が並ぶ墓地の様な場所に辿り着くと、イワンは一つの石碑を指差し、ロミルダはその石碑に目を落とす。
『ここにはこう書かれておる。』
~~~転生と輪廻~~~
私は異なる世界で産まれ、死後この世界へと転生した。
いつか訪れるであろう同胞の為にこの石碑を残す。
私がこの世界に転生した当時、同様に前世の知識を持つ者が八名いた。
だが前世での道義的な価値観はほぼ一致するものの、共通認識である国名や地名が一致するには至らなかった。
残念ながら私には無かったが、ある者は三つ、四つと全く別の前世をそれぞれ語る者も居た。
この事から私は、前世で知ったある種の概念として仮説された集団的無意識が、時空、次元を超えて繋がっていると考えるに至る。
その後数十年、この地で生まれ続ける他の転生者達を観察する事で、言語解釈と美的感覚以外にそれ程の差違が無い事を確信した。
つまり、人は皆等しく死を迎え、転生する際は集団的無意識なる因果で繋がれた、時空や次元を超えた領域に転生し、それを延々と繰り返しているのである。
死期の近い私には、これ以上の観測や考察を纏める時間が無い。
故にいつか訪れるであろう転生者、同胞であるかも知れない者にこの石碑を残す。
恐らくこの因果に関係しているであろう大樹と、何者の意志でこの様な不幸が齎されるのかの根源を解き明かして貰いたい。
何者かの意志によって永遠の生を与えられたとしても、幾度もの生を与えられたとしても、古き記憶を抱きながら生きる事は等しく不幸である。
言うなれば煉獄の炎で焼かれながら、終わりのない旅をするに等しい。
解明された結果、それが如何にか出来る様なものであれば、その扱いは心理に到達した者が判断した上で、その取扱いを任せる。
願わくば聖人君子を気取る者や、悪事に手を染める事を厭わない者が知恵を持ったまま転生しない様、心理の先にその術が齎される事を期待する。
転生者によって齎された多くの争いで失われた命が無駄にならない様、この石碑を見た者に、切に願うばかりである。
~~~セレツェ・カーマ~~~
ロミルダはイワンの話を聞き終わると、近くに咲いていた小さな黄色い花を一本手にし、石碑の前に置いて膝を付く。
「正直難しくて理解できない部分もありましたが、セレツェさんが仰りたかった事は分かった気がします。」
『お主は転生者では無いのであろう?』
「そうですね。自覚もありませんし……伝説にある様な発明も功績も何も産み出す自信はありません。ですが………。」
口籠ったロミルダの背に視線を落としたイワンは、首を傾げて次の言を待つ。
「ですが転生者にセレツェさんの想いを届ける事は、私にも出来ると思うんです。」
『そうじゃな、想いとは繋がれてゆくもの。その想いを知った者は、それを知るべき者に届けるのが使命なんじゃろうな。』
「そう思います。」
立ち上がったロミルダは石碑に向かって一礼し、イワンに振り向き大きく腕を伸ばして伸びをすると、ゆっくりと吸い込んだ息を吐き出した。
「帰るべき場所へ帰りましょう、イワン様。私にはやるべき事が増えましたから♪」
そう言うロミルダの笑顔を見てイワンは眩しさを感じ、剥げ頭を軽くペチペチと叩いて音を出した。
『泣きべそかいておった小娘が、えらく前向きになったもんじゃ。』
「泣きべそなんてかいてませんー、イワン様の見間違いですー。」
『まったく最近の若いもんは………。』
「お説教はいいですから早く竜の姿になって乗せてくださいー。」
『なんちゅう物言いか!儂は馬車でも荷車でもないわい!』
「わー怒った怒った♪聖域の長老ともあろう御方が大人げな~い♪」
そう言ってロミルダは、足取り軽くイワンから逃げ出した。
『待たんか小娘!尻を引っ叩いてくれるわっ!』
「キャー!尻好きのドラゴンに襲われる~♪」
『な、何たる無礼………待たんかクソガキーーー!!!』
「キャー♪」
こうしてロミルダはイワンと共に、聖地からの帰路についた。
しかしイワンは、嬉しそうに草原を駆けるロミルダの姿を見て、真実を告げるのを躊躇ってしまう。
それが後にどの様な結果を齎すのか。
この時は誰も気付かなかった。




