黒竜vs烏合の衆~転移~青薔薇の夕べ
――――アズーロ共和国/北部森林地帯/パドラ皇国要塞跡
『ふむ……粗方片付いたかのぉ。』
それは一瞬の出来事であった。
空から落ちて来た黒き厄災は、パドラ皇国使節団を襲撃していた傭兵達の目前に降り立ち、地響きを伴う咆哮を上げながら傭兵達を鋼の尾で薙ぎ払い、次から次へと鋭い爪で切り裂いていった。
全ての傭兵が地に伏すまで数分。
死屍累々となった要塞周辺を見た使節団の兵士達は、数秒の後に大きな歓声を上げた。
「黒竜様!助けて頂いて感謝いたします!後日、必ず御礼を御用意致しますので、可能であればパドラ皇国まで御一緒して頂きたいのですが……宜しいでしょうか?」
『ふむ、それは構わんが、ここにロミルダじゃったか?その娘をパドラから迎えに来たのじゃが……居るかね?』
「そうで御座いましたか。ロミルダ様は地下に避難して頂いております。御案内致しますので、どうぞこちらに。」
『地下か……少々やり過ぎたが下敷きになって死んでおらんじゃろうな……。』
「何か仰いましたか?」
『いやぁあ、何でもない!それと儂の名はイワン・ストリチヤナじゃ。聖域の長老である。』
「これはこれは、彼の有名なストリチヤナ長老様でおられましたか!無礼を御許し下さい。」
『いや、それは構わんのじゃが……先ずはほれ、分かるじゃろ?』
「何がでしょうか?」
『何がってほれ~、こういう時はアレがいるじゃろ~♪』
「はて?こういう時に必要なアレですか?」
『お主も固いのぉ~♪アレじゃアレ~♪パドラでは「はんにゃとう」とも「ごまず」とも呼ばれとるじゃろ?』
「おおおっ!これは失礼致しました。少ないですが御用意出来ますので、ロミルダ様との用件が済み次第、お楽しみください♪」
『催促したみたいで悪いのぉ~♪うっはっはっ♪』
「何を仰いますか♪あっはっはっ♪」
▽
「はぁ、はぁ……何だか……少し息苦しいですね。エルザ、政務官殿の容態は?」
「はい……今は、眠って居られます……呼吸も安定していますし……問題は無いかと。」
「御二人とも、如何なさったんです?」
カールハインツの指示で、地下通路の天井崩落から身を守る為に避難した研究室。
半刻ほど室内で過すロミルダに変化は無いが、エルザとアシュリーは息苦しそうにしゃがみ込んでしまった。
「先程から……息苦しくて……悪寒もしますし……。」
「何でしょうか……威圧と言いますか……胸を抑えつけられている様な……頭痛も酷くて……。」
二人の様子を見て首を傾げるロミルダ。
「私は何ともないですが……部屋の奥に何かあるかも知れませんし、少し見て来ますね。御二人は少し休んでいてください。体の大きなウンダーベルクさんを運ぶだけでも大変だったでしょうからね。」
「いえ、御一人では危険です……私が……はぁはぁ……。」
「お待ちください……私が……。」
「大丈夫ですよ。室内ですから誰かに襲われる何てことはありません。襟のボタンを緩めて、暫くゆっくりしててください。」
「申し訳……ありません。」
「お気をつけて……ロミルダ様。」
そう言ってアシュリーから松明を受け取ったロミルダは、暗い室内を照らしながら辺りの確認していく。
研究室は想像以上に広く、エルザ達に松明の灯りが届かなくなった事で少々の不安を感じ始めるロミルダ。
「……これは………扉?エルザさーん!カールハインツさんは、き…気付かれましたかー!」
「……うぅ。」
「あ、アシュリーさーん!ちょっと聞きたい事が!カールハインツさーん!!」
「………。」
「………。」
「ちょっ、ちょっと………みんな返事してよぉぉ………。」
描かれた五芒星の頂点を、色鮮やかな宝石で装飾されたアーチ状の扉。
何故かその扉から異様な雰囲気を感じ取り、不安に駆られたロミルダは、エルザ達の名を呼ぶも返って来たのは呻き声と無言という状況に、冷静な判断を下せなくなっていく。
「扉の向こうに、何かあるのよね?私以外、みんな倒れるって可笑しいわよね。」
焦りからか恐怖からか。
「開けて確認しなきゃ……。」
自分が独り言を呟いてる事にも気付かないロミルダは、扉に把手が無い事を確認すると、まるでそれが正しいと知っていたかの様に、扉に描かれた五芒星の中心に左手の平を伸ばす。
五芒星の中心に手が触れると同時、装飾と思われていた五つの宝石は淡い光を放ち、石と石が擦れる様な削れる様な音を立てながら、地面に大きな揺れを引き起こす。
「うわぁっ!……今度は何!?」
恐慌状態に陥るロミルダは左手の平に扉が動くのを感じ、慌てて手を離すと足元の揺れに支えを無くし、右手に持つ松明を庇って勢い良く尻餅をついた。
「痛った~っ!!……治まったぁ?何だったのよ~。」
揺れが治まった事を確認したロミルダは、恐る恐る目の前にあった扉の方に松明の灯りを向ける。
「開いて……る、わね。……床から青白い光………何かしら?」
ロミルダは扉の向こうに広がる部屋の存在を確認し、立ち上がると青白く発光する床へと近付いた。
「……何か書いてある……けど読めないわね。古代文字かしら?」
▽
「どうされたのですかー!!イワン様ー!!」
『娘に危機が迫って居るかも知れん!後を追って来いっ!!』
護衛隊長グスタフ・イェーヴァーと共に、老人の姿になって要塞地下へと降りて来たイワンは、足元の揺れに何かを察したのか、先導する隊員達を置き去りに、地下道を猛ダッシュで走り去ってしまった。
「……な、何なんだぁ?一体。」
地下道を疾走する事、数十秒。
イワンは目的の部屋の前に到着すると勢い良く扉を開け、縦に割れた瞳孔を目一杯に開き、転送陣の前に居るロミルダを視認すると同時に大声で叫んだ。
『小娘っ!!その転送陣から離れろーっ!!』
余りにも大きな声に驚いたロミルダは、振り返ると同時に数歩後退り、思いがけず転送陣の中に入ってしまう。
「えぇ?……あれ?動けない!?……どうし………。」
『愚かな……っ!何じゃと!!』
転送陣から放たれる光がロミルダを包み込み、その光が収束すると同時に姿が消える。
『あれは……。妖精使いでもない娘が何故……。』
イワンはロミルダが消えた事に怪訝な表情で首を傾げていたが、足元で息苦しそうに倒れているエルザ達三人に気付くと介抱を始めた。
▽
「これは一体?ロミルダ様はどちらに行かれたのですか?」
イワンに遅れる事、半刻。
グスタフ含む十人の護衛兵士が研究室に到着した。
『グスタフよ、急いでこの者達を連れて地上に出よ。これは命令じゃ。』
「それは構いませんが、後ほど状況の説明をお願いできますか?」
『無論じゃ。お主達もこの場に居てはその者達と同じ様に倒れる事になる。今は急げ。』
「了解しました。……皆!執政官殿とエルザ、アシュリーを地上へと搬送する。三人一組で担いで行くぞ!」
イワンの命令に従い、グスタフの先導でエルザ達は搬送されて行った。
『こんな物があったとはな。予想だにせんかったわい。』
転送陣の傍に来たイワンは大きく溜息を吐くと、そこに書かれた文字に目をやる。
『大樹……始原の森……約束の都……ナハ・バイエ……これ以上は読めそうもないのぉ。』
目頭を指で挟み、疲れた様にゆっくりとその場で膝を付いたイワン。
『見知った地で一安心じゃが……何れにしてもこの騒ぎが終われば、婿殿とヘラ様に報告せねばなるまいな。』
そう言って懐から黒い鱗を一枚取り出すと、転送陣の中心に置くイワン。
すると転送陣の青白い光が弱まり、数秒の後に光と文字は消えてしまった。
『ふむ、先ずはあの娘を迎えに行くかのぉ。』
イワンは立ち上がると、転送陣の部屋を後にした。
▽
「するとそのナハ・バイエですか?そこにロミルダさんは飛ばされてしまったと。……何とも妖精様達の英知には驚かされるばかりですな。」
イワンは地上に戻るとグスタフを呼び出し、状況説明と口裏合わせを始める。
『本来この事を人間に話す事は許されておらんのじゃが、お主には説明しておかねばならんじゃろ。じゃが今話している内容はパドラの皇にも話してはならん。よいな、グスタフよ。』
「了解いたしました。ですが、クリームヒルデ様にはどの様に報告すれば良いでしょうか?」
『これから儂はナハ・バイエに向かう。彼の地は獣も人も寄せ付けない場所じゃからな、あの娘の命は保証はしよう。見つけ次第パドラに送り届けるとして、凡そ一週間と言った処か……。お主らがパドラ皇都に少し早く着くぐらいかのぉ?』
「確かに最短の経路で一週間程ですが、政務官殿を医者に見せねばならないので……皇都到着は早くて十日後になると思われます。」
『ならばそれまでに必ずあの娘を連れて戻ろう。もし儂よりも早く着いたら、娘と聖域に寄ってから来るとか何とか云って誤魔化しておけばよい。それで問題ないじゃろ。』
「それは構いませんが……余り長くは誤魔化せないかと………。」
『しつこい様なら娘が聖域を見たいと言って、勝手に黒竜の背に乗って飛んで行ったと言っておけばよい。後の事は儂が如何とでもしてやるから安心せい。』
「私が怒られていたらお願いしますよ、イワン様。」
『任せておけ。では急ぐから儂は行くぞ、グスタフ。』
そう言って巨大な黒竜に変身したイワンは、グスタフとの話を強引に打ち切り、暴風を纏ってさっさと飛び去ってしまった。
「ホントに大丈夫かなぁ?」
――――ギリンガ帝国/首都イグナート/帝城・第一王子寝所
「……という事で、パドラの外交部はアズーロとの戦争を望ましく無いと判断している様です。報告は以上になります。……次の任務があるのでそこを退いて頂きたいのですが。」
「そうですか。ですがその報告を信用するには、パドラのギリンガ大使館から彼女の安否確認が取れるまで……オム、貴方をここから帰す訳には行きませんよ。」
「………私が工作員だとでも?」
プラチナブロンドの髪を短く刈り込んだ青年は、オムに近寄ると耳元でそう囁いた。
「素直なオムが、私は好きですよ。」
「触らないで……。」
「どの道、連絡があるまで暫くは帝都を出れないのです。……それまで御互い楽しむぐらいは……ね?」
俯くオムの顎を人差し指で持ち上げると、青年は優しく口付けをする。
「……嫌かい?」
青年の言葉に、触れ合った後の唇を押さえるオムは、伏し目がちに首を横に振る。
「少し……怖いだけ。……昔の事、思い出して。」
「怖がらなくてもいい。……良い想い出も、沢山あっただろ?」
「……うん。」
壁を背にしたオムは、青年と両手を繋いだ状態で再度口付けを許す。
やがて部屋の灯りは消え、自然とベットへ向かう二人は愛を確かめ合う。
「……とても綺麗だよ、オム。」
「こんな……見ないで………。」
そうして二人の夜は、甘く溶けて行くので………あった?
「ちょっ、ちょっと待ってブラッド!その前に聞いときたい事があるんだ。」
「何だいオム?幾ら私から誘ったと言っても雰囲気を壊すのは感心しないよ。」
「ごめん……じゃなくって!何故オイゲンはロミルダを殺さずに捕まえようとしてるのです?ルドルフさんを濡れ衣で処刑したのなら、奴等の宿願は叶ったも同然でしょう?この上、彼女まで捕らえて処刑する必要があるのですか?」
「その事か。ルドルフの処刑は飽くまで黒幕の意図だよ。オイゲンの意図はもう少し気持ちの悪い物だろうね。」
「じゃあロミルダの処刑はオイゲンの意図……という事?」
「あの男は処刑をチラつかせて、彼女の血を手に入れたいのだろう。」
「血?パドラ公爵家の血統って意味?」
「近からずも遠からず、と言った処だね。」
「ブラッド……そろそろ教えてくれませんか?」
「痛い痛い♪そうだね、オムにだけは教えてあげようっ♪」
太腿を抓られたブラッドは、仕返しとばかりに優しくオムに抱き着くと、先程までの体温が残るベッドに押し倒す。
「彼女の母親は妖精だ。」
「え!?ルドルフさんは妖精使いだったんですか?」
「いいや、彼は妖精使いではないよ。言うなれば彼女は不義の子になる。意味は分かるだろ?」
「不義にも色々あると思いますが……。」
「はいはい。これ以上の話はオム君との旧交を温めてからにしたいんだけどね、私は。」
「……わ、わかりましたよ。」
「やけに素直じゃないか。それとも諦めというものかな?」
そう言うブラッドの言葉に視線を逸らすオム。
「我慢できないんでしょ……さっきから……ブラッドの当たってるから……。」
その言葉に蕩けた笑顔を見せるブラッドは、オムの首元にキスをする。
そうして二人の手は重なり、今度こそ熱い吐息が交わり合うのであった。




