黒幕を追う算段~暗闇に慣れた少女
――――ギリンガ帝国/首都イグナート。
ギリンガ帝国の歴史は、三千年前に起きた龍王から帝への国譲りに始まる。
人種を好み、聖域を嫌ったという龍王イグナートが治めていたのが、現キリンガ帝国の国土であった。
三千年前、妖精と人の間に生まれた少年が、この地を訪れた事により国譲りの物語は始まる。
イグナートの娘であったバルハーネが、無断で国に侵入した少年に怒り狂い、父から譲られた槍で少年を貫こうと飛び掛かった。
しかし少年は、不思議な力で槍を受け止めると、バルハーネから奪い取り、真っ二つに折ってしまったのである。
これに臆したバルハーネは慌ててイグナートの元へ逃げ帰り、事の顛末を伝えた。
その話を面白がったイグナートは、すぐさま少年の元に駆けつけるとこう言った。
「玉鋼の槍を折るとは大したものである。貴様の椀力は認めよう。だが、それだけでは我の国に入れてやる訳には行かぬ。そこで儂が出す試練を乗り越えられれば、我が国に入る事を認めてやう。」
イグナートの言葉を快諾した少年は、すぐさま南のマカダン砂漠へ向かうと火の絶界に入り、凍てつきの宝輪を持ち帰る。
少年がその宝輪をイグナートに渡すと、彼は喜び勇んで聖域へと向かい、宝輪を使って聖域の気候を春から冬へと変えてしまった。
これに怒った聖域の龍達は、数万の群れでイグナートの国を一夜にして滅ぼしてしまう。
罪を問われたイグナートは、罰として五体を引き裂かれ、首だけになった状態で放置された。
そこに再度現れた少年は、首だけになったイグナートが泣いているのを不憫に思い、願いを聞いてやる事にする。
「儂がこうなっては民を導く事も出来ぬ。人種など早晩に飢えて死んでしまうであろう。だから力と知恵のある其方が儂の代わりに民を導いてほしい。」
少し悩んだ少年であったが、生き残った人々が汚泥に塗れ、食うや食わずの状況を目にし、イグナートの申し入れを受け入れた。
初代帝ギリンガ・エールの誕生である。
龍王の首はギリンガ帝国北部に建てられた塔に安置されていたが、建国から千年後、大地震により大地に亀裂が入り、塔ごと地底深くに飲み込まれてしまったという。
その亀裂は地震から数日後に閉じてしまい、現在は石碑のみが存在する。
『焔魔書房刊/童話・古王と帝の国譲りより抜粋』
――――ギリンガ帝国/首都イグナート/大陸南部商業組合本部
「そうか……ズアークがねぇ。それはそうと、上手く彼女を逃がす事は出来たのか?」
「いえ、私も国境を超えるまでしつこく追われましたし、ギリンガよりパドラの方が遠いですから……あと十日は掛る筈です。ですがこっちは普段使われていない道を選んで来たんですがね……先回りの追手に出くわしましたから、残念な事に裏切り者も居るようです。」
大陸南部商業組合は、ギリンガ帝国、アズーロ共和国、コロナ獣王国、ロールシュ共和国を行商する商人達によって作られた互助組織である。
その始まりは街道の整備がされていない地域で獣や族の被害を減らす為、商人同士で隊商を組んでいた事が組合発足の起源となっている。
「しかし犯罪奴隷九十五名に……組合員八名が死亡か。奴らがここまで無茶するとはな。流石に俺の読みが甘かった。」
故に組合員である商人達の結束は強く、同胞を殺されたり裏切られた場合の報復は凄惨を極める。
「だが舐められたままでは掟に反する。アズーロ役人共の首を全て挿げ替えてやるさ。」
「誰にやらせるつもりですか?」
「ギリンガの傭兵崩れを百人程送り込めばいい。一族郎党根絶やしにしてやる。」
「それでは戦争どころか虐殺ですよ。」
「お前はムカつかねぇのか?同胞を殺されて、見て見ぬふりでもしろと?」
「まあ黒幕と裏切り者には落とし前を付けさせますが、それ以上の粛清は必要無いと思っていますよ。」
「だがなぁ……。」
「ホセさんの言いたい事も分かりますけど、そもそもアズーロの不穏な動きを牽制しに行ったのに、自分達で戦争を起こしてたのでは本末転倒です。少し冷静になってください。」
オムは組合長のホセ・マルティネスを宥める様に諭すと、懐から紙巻きを一本取り出して火を点けた。
ホセはオムの言葉に顔を顰めるが、飲みかけのブランデーを一気に煽ると、大きな溜息を吐いて氷だけになったグラスをテーブルに置いた。
「まあ、それはいい。とにかく相場の半額で小麦関連の売り買いに関わってたズアーク連合国と……生産地のルスバーグ帝国、それと裏切り者の事はこちらで調べておこう。それでルドルフの娘はどうするんだ。あっちにも追手が行ってるんだろう?見捨てるのか?」
「いえ、見捨てる様な事はしませんよ。」
「今から合流するのは無理だろ。」
ホセの問いに笑顔を見せるオムは、紙巻きの火を灰皿で消すと、ホセが飲み干した空のグラスに、テーブルに置かれていたブランデーを注いだ。
「パドラに少々せっかちな御仁を待たせています。あの御方なら三日と待てずに彼女を迎えに行くでしょう。」
「三日で我慢がきかなくなったとして、それから迎えに出てもパドラからじゃ一週間は掛るだろ。その御仁とやらは何か?空飛ぶ馬でも持ってるて言うんじゃねぇだろうなぁ。がっはっはっ。」
ブランデーが注がれたグラスを持つと、オムを馬鹿にした様に笑うホセ。
だがオムは顔色一つ変えず、新たな紙巻きに火を点けると大きく紫煙を吐き出した。
「空は飛びますが馬ではありません。ドラゴンですよ。」
――――アズーロ共和国/北部森林地帯・上空
『……まったく、何日待たせるんじゃオムの坊主は。小娘一人なら儂が迎えに行った方が早いじゃろうに、面倒くさい男じゃのぉ。』
猛スピードでキョロキョロとよそ見しながらアズーロの空を飛ぶドラゴンが一匹。
『早ようハイネに戻ってイリナちゃんとヤキニクパーチーせにゃならんというのに……街道沿いにはそれらしい連中はおらんか……ん?』
愚痴の止まらないドラゴンが街道を見下ろしながらボヤいていると、遠目に黒煙が上がるのを視界に捉え上空で急停止する。
『はて?森から黒煙とは面妖な。……とは言うてもどうせあれなんじゃろうな……。面倒事は構わんが、それならそう言えと言っとるのに……。まったく最近の若いもんはどうして素直に頼み事が出来んのかのぉ。』
今にも説教を始めそうな勢いで愚痴りだしたドラゴンは、首から掛けた大きな酒樽を大事そうに両手で持つと、口に運んでチミチミやりだした。
『……残りが少ないのぉ。はぁ、とっとと片付けてパーチー前にウルケの純米酒でも分けて貰いに行くとするかのぉ。』
溜息と同時に大きな溜息を吐いたドラゴンは、酒樽を手に持ったままの状態で、黒煙に向かって急降下していく。
『小娘の護衛が酒を持っとったらいいのじゃがなぁ。』
――――アズーロ共和国/北部森林地帯/パドラ皇国軍要塞跡
「ロミルダ様、政務官殿を連れて先に地下へ退避してください。我々も地上設備に罠を張り次第、後を追いますので。」
「分かりました。ウンダーベルクさんの事はお任せ下さい。」
首都ライゼンハイマーを出発して五日。
刺客に狙われやすい街道を進む事は諦め、パドラ王国への行程を大幅に遅らせながらも、負傷したカールハインツ・ウンダーベルクの案内で、アズーロ北西部に残された大戦時の遺跡とも言える、パドラ皇国軍の司令部があった要塞跡に身を隠したロミルダ含むパドラ皇国使節団。
「感謝します。エルザ!アシュリー!」
「エルザ・ビットブル伍長であります。御命令を。」
「アシュリー・ウィッチウッド少尉……で、何か御用ですか隊長。」
「アシュリーお前はっ!……まあいいだろ。両名はロミルダ様と政務官殿の護衛に当り、御二人と地下の指令室へと向かえ。」
「グスタフ隊長はどうなさるのです?」
「我々は地上施設に爆薬を仕掛け刺客共に打撃を与えた後、様子を見て其方に援軍を送る。それまで御二人の身を御護りしろ。」
「「了解しました。」」
銃撃だけならば要塞の壁を破壊される事は無いが、刺客が擲弾を投げ始めた事により、地上施設の安全が脅かされ始めた事で、グスタフ・イェーヴァーはロミルダとカールハインツを地下施設に避難させる事にした。
「グスタフさん、御気を付けて。」
「すぐに追いかけます。それまでどうか御無事で。」
▽
「地下は私が案内しよう……。エルザ伍長……こんなおじさんですまないが、肩を貸してくれるかね。」
カールハインツの言葉に優しい笑みで首を振り乍ら肩を貸すエルザ。
「その様な事は仰らないでください。私達の任務は御二人を御守りする事ですから。」
「………すまないね。」
暗闇の洞窟を、先導するアシュリーが持つ松明の灯りを頼りに進むこと半刻。
「とても複雑な……まるで迷路ですね……。」
「ここは二百年前にパドラ皇国が作った要塞でね……。当時の皇と、ライゼンハイマー家がギリンガ攻略の足掛かりに建てたんだ。……掘り返した土で、要塞を守る壁を作ったんだが……丁度その頃に擲弾や大砲が開発されてね。……今のパドラとアズーロの国境にある、岩石を刳り抜いて作られたシュバーテン要塞に司令部が移されたそうだ……。だから戦中は補給線として、ここから最前線である……今のライゼンハイマーへの物資を送る、兵糧庫の様な役目を果たしていたんだが……。」
「大丈夫ですか!?」
ロミルダの言葉に応える形で要塞の歴史を説明していたカールハインツであったが、折れた右腕の痛みと共に、二日前からの発熱によって大きくよろめいた。
膝から崩れ落ちるカールハインツと共に、体勢を崩したエルザはしゃがみこんでしまう。
「ロミルダ様、一度休憩にしましょう。政務官殿の御体が心配ですので、添え木を外して患部を見て見ます。」
「そうですね……大分進んだと思いますし、ここで少し休みましょう。」
ロミルダがそう言い、エルザが壁を背にしてカールハインツを座らせた瞬間。
「うわっあ!?」
「今度は何……!?」
「……何だ!?」
地下道が大きく揺れると同時に、爆音と突風がロミルダ達を襲った。
「……くそっ!!火が。」
数秒程で揺れと突風は治まったが、アシュリーが持っていた松明の炎は消されてしまっていた。
「ロミルダ様!大丈夫ですか!?」
「……大丈夫よ~。みんなは~?」
エルザの呼びかけに、気の抜けた声で返事をするロミルダ。
「エルザ、政務官殿は御無事かしら?」
「息はしています。私が突風を背にしていたので、今の衝撃による怪我は無いかと。」
「とにかく灯りだな。仕方ないか……。」
アシュリーは暗闇の中、腰に差した短剣を手に取ると下着の紐を切り、ズボンからショーツを引き抜いて松明の先に巻き付けた。
「エルザ、貴方のとっておきは度数が高かったわよね?進呈しなさい。」
「こんな時にお酒って……そういう事ですか。」
アシュリーに促され、胸のポケットから凸凹になるまで使い込まれたスキットルを取り出すエルザ。
それを声がした方へと持って進み、腕を軽く叩いたアシュリーに手渡した。
「ぜ、全部使わないでください……ね?」
「半分ぐらいしか入ってないじゃない。諦めなさい。」
「……ぐすん。」
ショーツを巻き付けた松明に、度数の高いブランデーを浸み込ませたアシュリーは、胸元から取り出した燐寸で火をつけた。
「うわ!きっつ~。あんた、病気になるわよ。」
「なんでアシュリーさんが飲むんですか!返してくださいよ~。」
「まあまあ二人共、その辺にして洞窟の様子を確認しましょう。あの衝撃は近くで崩落が起こったのでしょう。先に進めるかどうか……アシュリーさんと私で見に行きましょ。」
そう言ってエルザとアシュリーの間に入ったロミルダ。
カールハインツをエルザに任せ、アシュリーがロミルダの元へ向かおうとする。
「待ちなさい。……この道を少し戻ると……右に進めます。司令部は諦めて、研究室へ向かいましょう。」
左手を突いて立ち上がったカールハインツは、ロミルダ達に目的地の変更を告げた。
「政務官殿、そちらは安全なのでしょうか?」
「少し特殊な空間だが……強度としては問題ない。後続も崩落の危機を考慮すれば……グスタフが研究室に導くだろう……。」
カールハインツの提案に頷き合う三人。
「ではもう一踏ん張りです。エルザさん、アシュリーさん。私が先導するので、ウンダーベルクさんをお願いします。」
「この状況では仕方ありません。ロミルダ様、急ぎましょう。」
「まだ崩落の危険性もあります。あまり私達から離れない様にしてくださいね。」
カールハインツに両側から肩を貸したエルザとアシュリーは、ロミルダと笑顔で言葉を交わし、一行は研究室へと向かうのであった。




