血涙(4)
――――ハイネ王都/ハイネ王城/医務室
「…………ぅ…夢か……。」
薄暗い部屋で目覚めたアイラ。
ベッドの上で上体を起すと、正面に見える大きな窓を見て夜だと認識する。
「ここは………病院……医務室。」
部屋を見渡すと、壁に駆けられた燭台が一つだけ灯っている。
アイラの意識がハッキリと覚醒に至る最中、周りに幾つかのベッドが並んでいる事を確認し、眠る前の記憶と現状を精査した結果、自分が王城の医務室で寝ていた理由を理解した。
「あら、お目覚めになられたのですね。」
アイラがベッドから足を下ろしてすぐ、扉の無い出入り口の方向から声を掛ける者がいた。
「サラさん。ごめんなさい、私、倒れたんですね。」
「いえ、驚きましたが謝る様な事ではありません。お気になさらず。」
アイラが腰かけるベッドのそばまで来たサラ・クラレットの顔には、アイラが気を失う前程の憂いや不安の色は見えない。
どちらかといえば王城に来た事で、幾分ホッと安堵しているのだろうと、アイラは軽くサラに会釈しながら笑みを浮かべた。
「あ、そうでした。アイラさんこれをどうぞ。」
「何でしょう?」
サラが茶色い紙袋をアイラに手渡す。
アイラは紙袋を受け取ると、手に伝わって来る熱と食欲を刺激する香辛料の豊かな香りに、慌てて紙袋の中身を確認した。
「カ……カレーパン!………ほひぅふほほは?」
余りにもカレー好きなアイラの為に、夫であるラッセル・ウィリアムズが考案した揚げパン。
ラッセル考案故、揚げパンの中に入っているのはアイラの知らない『日本のお母さんカレーを一晩寝かせた感じ』ではあるが、若干パン生地が薄くて飛び出したカレーが油で揚げられる事により、揚げパン全体に香辛料の豊かな香りを纏うという、嬉しい失敗品である。
しかし何処か違うが何故か懐かしい味。
そんな思いにさせてくれるカレーパンに、空腹から条件反射的にパクついたアイラ。
カレーパンを口に入れたまま話すアイラへ、瓶に入った冷たい牛乳を渡したサラは、穏やかな顔で頷くと、アイラの問いに答えた。
「陛下との謁見が済み次第、御家族がこちらへ御越しになりますから、食べながらお待ちください。」
サラの返答に、咀嚼しながらコクコクと頷くアイラ。
ラッセルが自分の為に考えてくれた料理を食べ、寂しさからか不安からか、咀嚼しながら涙をポロポロと流すアイラの世話を、家族が来るまでの間、サラは甲斐甲斐しく世話をするのであった。
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病室でリズとフィズ、カザン、長兄オムを省くボンベイ家の面々と合流したアイラとサラ。
夜も深い時間になり、ウィリアムズ家のお子ちゃま三人を近衛騎士に預け、アイラとサラを含むボンベイ家一同で、ルドラ・ボンベイが保護されている尖塔の最上階へと向かう。
「お母様、ロブ・ロイ様はどちらに?」
「既にお休みです。貴方達を救うのに力を使われて、明日の朝まで指一本動かないと仰ってましたよ。」
「そうですか……。ではオリヴィエ・クラレットさんもお休みに?」
「彼なら大勢の騎士団員を連れて、消火の終わった美術館に戻られました。確かあそこの学芸員でいらしたかしら。職場をあんな風にされて気の毒ねぇ……真面目そうな方だったから。」
「………そうですね。」
尖塔の最上階まで凡そ400段の階段。
100段ほど登って早速休憩する姉達を残し、アイラはカイラとサラを連れて会話しながら先に進む。
「そういえば、サラさんの御家族は無事なのですか?」
「もう居ません。……今回の事件で天涯孤独の身になってしまいました。」
「………そうですよね………すみません。」
少し寂しそうな笑顔で俯き、顔をゆっくりと横に振るサラ。
アイラは立ち止まると申し訳なさそうに謝罪の言葉を口にして、再度階段を上り始めた。
▼
「……アイラか。……迷惑を掛けてすまぬ。」
「御父様………。」
ベッドに腰を掛けたルドラ・ボンベイは、アイラの顔を見るなり力なく謝罪の言葉を口にした。
アイラが知る父親の姿とは、威厳、厳格、頑固を絵に描いた様な『つまらない人』であった。
決して頼りなく、情けなく、弱々しい姿で娘に謝る様な『おもしろい人』では無い。
目の前にいる人物は紛れもなくルドラ・ボンベイ子爵であり、父がこれ程までに人間臭い姿を見せるなど信じられず、アイラは何度も瞬きをしてから父の傍に寄り、ベッドの向かいにある椅子に腰を下ろした。
「………本当にエンゾが……ネグローニ侯爵がやったのか?」
「状況からの推測でしかありませんが……ネグローニ侯爵が深く関与している事は間違いないかと。」
「……そうか。」
右手で額を覆い、小さな溜息を吐くルドラ。
アイラとルドラのやり取りを見守っていたカイラは、夫に寄り添い肩を優しく抱きしめた。
「……あなた、辛くても今はアイラの話を聞いてやってくださいな。」
「カイラ、私には信じられないのだ……エンゾがジョゼ先生を殺したなど、そんなはずは………。」
「御父様、一つだけ………一つだけ、お聞きしても良いですか?」
アイラの言葉に顔を上げ、ゆっくりと深く頷くルドラ。
ルドラの瞳に危ういものが無い事を確認し、アイラはカイラに向かって一度目線をやると、一言だけの問うた。
「………ルイ・クラレット氏の母親は誰ですか?」
アイラが問い掛けた言葉の意味が分からず、一瞬の間を置き驚愕の表情を浮かべて絶句するルドラ。
声が出なくなったかの様に口をパクパクと動かすが、カイラに背中を擦られて深呼吸をした。
「そういう事だったのか………。」
再度右手を額に当て、溜息を吐きながら何度も小さく頷くルドラ。
その反応を見て事件の真相が凡そ推理出来たアイラは、椅子から立ち上がりルドラとカイラに一礼した。
「御存じなかったのですね……お許しくださいお父様。後は自分で確認してきます。」
そう言って尖塔から去ろうとするアイラ。
「待ちなさいアイラ。」
「はい。何でしょう?お母様。」
カイラは立ち上がり、机で紙に何かを書きこむと、手の平サイズの盾と共にアイラへ手渡した。
「これは……いつの間に……流石ですね、お母様には敵いません。」
カイラから受け取った身分を証明する子盾と、紙に書かれた目的地や名前を確認して、アイラは呆れと畏怖を込めて称賛の言葉を口にした。
「昼には今回の関係者が王宮で会する事になります。それまでに帰って来るようになさい♪」
「ありがとうございます。行ってきます♪」
礼を告げて部屋を後にするアイラは、部屋の外で待っていたサラの手を引いて階段へと向かう。
「や、やっと着いた~。」
「こんな格好で階段なんてキツイよね~。」
「あ、あれ?アイラ?!えっ!もう下りるの?」
アイラと入れ替わりで部屋に雪崩れ込んで来たアドラ、アユーシ、アイシャの三人は、ドレスが汚れる事も気にせず床に倒れ込んだまま、涼しい顔で階段を下りて行く妹を見送った。
それを見て、呆れ顔のルドラとカイラを、三人は暫く床から眺めるのであった。
―――ハイネ王都/公共区画/ハイネ国立第三病院
朝焼けの王都。
昨日の天候が嘘の様に、雲一つ無い空は美しく清々しい。
カイラのメモに書かれた病院へとやって来たアイラとサラ。
騎士15名を御供に、王宮から騎馬で爆走してきた二人は、風で乱れた髪を撫で付けながら病院へと入って行った。
▽
「ど、どうされました!?」
可憐な女の子二人が、屈強な騎士の一団を率いて来た事に驚く男性看護士。
更にアイラが看護士の目の前に掲げた右手の子盾には、蔦に包まれた美しい騎士の絵が刻印されている。
「ハイネ王国ボンヌ・マール守護騎士団、ルドラ・ボンベイ中将の名代で参りましたアイラ・ウィリアムズです。騎士団特権により証人への聞き取りを行いますので、ミラ・ターシュさんとの面会を希望します。早急なる対応を願えますか?」
「つ、蔦に、騎士………ハイネ最強………中将名代!?しっ、暫し御待ちを!院長を叩き起して来ますっ!」
片膝を付き一礼した看護士は、立ち上がると同時に慌てて走り去った。
アイラは日頃からある種の特権階級を軽蔑していたにも拘らず、今それを自ら行使した事で走り去った看護士の姿を見て複雑な心境になった。
ウィリアムズ家に嫁ぎボンベイとは親戚付き合いになったというのに、今だその威光に守られ助けられている現実と、和解したとはいえ自らの経験から認めたくない特権階級の持つ力。
アイラは右手に握った小さな盾を眺め、小さな溜息を吐いた。
▽
「彼女の一族は貴族との接触を禁じられている身ですが……本当に宜しいのですか?」
「構いません。私は父の名代ですが、一般の方と婚姻したので貴族籍はありません。」
「はぁ……そう仰るなら構いませんが、反逆者の一族故……王家の方にはご内密に……。」
「この件に関しては王家の了承を得ています。院長も、それらの事を含めて他言無用でお願いしますよ。」
「も、もちろんです!……はぁ………。では、どうぞ。」
駆け付けた医院長と数名の看護士に案内され、会話が終わると同時に個室へ入ると、ベッドで上体を起した姿勢の女性、ミラ・ターシュがアイラとサラを見て軽く会釈をした。
アイラとサラは、簡単な自己紹介を終えるとベッドの横に置かれた椅子に腰を掛けた。
「それで……どの様なご用件でしょう?」
アイラ達の突然の訪問に若干の戸惑いを見せるミラ。
「ここでお聞きした事は他言しませんので、正直にお話しください。」
朗らかに話しかけるアイラを見て、ミラは落ち着いた表情で頷いた。
「では、ミラさんの生い立ちから伺わせて頂いても宜しいですか。」
こうしてミラ・ターシュへの聴取が始まった。
――――ハイネ王都/ハイネ王城/謁見の間
アーチ状に作られた柱を繋ぐ飾りは美しく、緑豊かな中庭に挟まれ太陽の光を目一杯取り込む。
天井は透明硝子の半球形状になっており、王座の後方は大きなステンドグラスで飾られていた。
「陛下、本日はどの様な御用向きで御座いましょうか。」
「ネグローニよ、その方がジョセフィーヌ・クラレット殺害の捜査を独自で行っている事は聞き及んでおる。国の宝であったのに……残念だ。」
顔中に脂汗を掻いたネグローニ侯爵は、落ち着かない様子で国王に首を垂れた。
「それで貴公はボンベイの娘であるアイラ・ウィリアムズへと捜査依頼をしていたそうだが……その後何等かの進展はあったのか?」
「い、いえ………今だ進展は御座いません。捜査に関してもまだ三日と経っておりませんので、今暫らくの猶予を与えようかと………っ!」
ネグローニ侯爵は背後からの視線を感じ慌てて振り返る。
「おぉう、デヴィッドよ。何か分かったかのぉ?」
「カ、カイラ、ここでは大人しく、頼むよ……。」
「あなたがいつまで経っても頼り無いからでしょう?!アイラが来たらシャキッとしなさいよ、シャキッと!」
「ハァ……もう僕は必要ないでしょう。早く絵画修復に取り掛かりたいというのに、何故王宮謁見の間に………。」
現れたのはロブ・ロイ、ルドラ・ボンベイ、カイラ・ボンベイ、オリヴィエ・クラレットの四人。
「アイラ・ウィリアムズとサラ・クラレットはどうした。」
国王が騒がしい四人に問うと、笑みを浮かべて問いに答えた。
「先程こちらに戻ったそうです。もうすぐ来ますわ。」
そう言ったカイラと共に、謁見の間に居る全員がネグロー二侯爵へ視線を向けた。




