血涙(3)
――――ハイネ王都/公共区画/ハイネ王国立美術館
国立美術館に到着し、馬車から降りたアイラは空を見上げる。
依然、分厚い雲が空を覆っていたが雨は止んでいた。
オリヴィエ・クラレットの案内で【本日休館日】の看板を横目に館内に入ると、必要最低限の燭台にしか火が灯っておらず薄暗い。
「ロブ・ロイ様の仰っていた、絵画『忠誠の十騎士』は二階の特別展示室になります。どうぞ皆様、御案内致します。」
オリヴィエは先頭に立つと、勝手知ったる自分の職場を嬉しそうに案内し始めた。
▽
ボンベイ家で先史時代のお勉強と、二つの事件の内容を共有したアイラ、オリヴィエ、サラと引率のロブ・ロイ一行。
昼食後、ロブ・ロイとオリヴィエの提案でハイネ王国立美術館へとやって来た。
「ロブ・ロイ様、忠誠の十騎士とは一体?」
「アイラは知らぬか。では説明しようかの。うおっほん!」
ロブ・ロイが説明しようと咳払いを一つすると、サラが勝手に説明しだした。
「絵画群、忠誠の十騎士は、現ハイネ王家であるシャルトリューズ家の地下室で発見された十枚の大型絵画です。約二百年前、当時のシャルトリューズ家当主が、封印されていた地下室から発見した物だと云われています。十枚の絵は、それぞれ中心の人物が、叙任式で騎士の称号を与えられている様子が描かれていると云われていますが、描かれている人物は今日まで特定されておらず、作者も年代も不明である事から、発見当時の展覧会でつけられた愛称がそのまま作品名になったそうです。」
「参ったね。流石はサラ、当館の学芸員に是非とも推薦したいと館長に伝えておくよ。」
「学芸員に興味はありませんが、修復作業を終えて、十年ぶりの展示だと付け加えておきます。」
やれやれとばかりに肩をすくめるオリヴィエと、顎髭を扱いて目を細めるロブ・ロイの姿が可笑しくて、アイラは少し頬を緩めた。
▽
「ここが特別展示室になります。カーテンを開けてくるので、暫くそのままお待ちください。」
真っ暗な部屋に案内された一行は、オリヴィエの指示に従いその場で待機する。
それから一分と待たずに、展示室の奥から明かりが差し込み、然程待たずに通路と同程度には明るくなった。
「これは………。」
アイラは目に飛び込んで来た部屋の様子に息を飲む。
そこには濃紺の天鵞絨が贅沢に使われた壁に、3m四方の大きな絵画がそれぞれ十分な間隔を空け、部屋を囲む様に10枚飾られていた。
アイラは落ち着きを取り戻す様に、大きく息を吐いて呼吸を戻し、一番近くに飾られた右手の絵画の前に立つ。
「それは絵画群・忠誠の十騎士、作品名『栄光』と呼ばれているものです。」
絵を眺めていたアイラに、部屋の奥から戻って来たオリヴィエが声を掛けた。
「栄光………ということは、これらの絵画には、それぞれに主題があるのですか?」
「そうです。とは言いましても、あくまで忠誠の十騎士という言葉自体が通称ですから、この『栄光』に関しても、見た目の印象から当時の学芸員が展示用に付けたんだそうです。」
アイラはオリヴィエの説明を聞くと、再度目の前にある絵画に目を移した。
絵には高価な金箔や瑠璃が使われ、栄光の名に恥じない威厳を放つ。
しかし、絵を見た瞬間こそ圧倒的な威厳に気圧されたアイラだが、その美しさを評価する半面、栄光と名付けられた理由や、そもそも忠誠の十騎士なる命名が何故されたのかという疑問にも似た違和感を感じていた。
「……ですが、これは………。」
アイラは自らの記憶を辿ると同時に思考を加速させる。
千年ぶりに行われる筈だった、ジョセフィーヌ・クラレット女史の騎士叙任式。
十年前にアイラが見た、王宮での煌びやかな光景と重なる目の前の絵画。
そして、ネグローニ侯爵邸に足を踏み入れた瞬間から度々感じた違和感。
それらの正体に気付くと同時、その事を捕捉する言葉が次の瞬間には聞けるであろう事をアイラは理解する。
「ロブ・ロイ様が仰っていた『死の告げ人』と『聖母』は、奥に飾られていますよ。どうぞ皆さんこちらへ。」
オリヴィエの言葉を聞き、漸くアイラは最も厄介な問題の解決に至った。
「それ等を見る必要はありません。」
後方から発せられた言葉に、展示室の奥へと進もうとする三人は立ち止まり、目を丸くしてアイラへと振り返る。
「なっ、何ですか!?いきなり……。」
「?」
「ふむ、どうしたアイラ。気づいた事があれば教えてくれんかのぉ。」
皆からの問いに、アイラはスッキリとした表情で頷くと、展示室内を見渡して小さく微笑んだ。
「残されていた血文字は、ジョセフィーヌさん殺害の犯人による罠といった所ですね。つまり、私がこの美術館へと向かうよう犯人に仕向けられたのです。」
「アイラさん……。もう少し詳しく説明して頂けると有難いのですが……。」
オリヴィエの言葉を聞き、無言のまま頷くロブ・ロイとサラ。
皆の表情から説明不足を反省するアイラは、軽く鼻から息を吐くと、絵画『栄光』へと向き直る。
「この絵は叙任式では無く、戴冠式が描かれています。つまり、クラレットの一族からすれば先祖に当たる方々です。」
「戴冠式?それは王位継承の儀式の事かい?本当ですかロブ・ロイ様?」
混乱した様に目を泳がせるオリヴィエは、アイラとロブ・ロイへ交互に首を向ける。
オリヴィエと視線が合ったロブ・ロイは、目を細めて深く頷いた。
「良く覚えておったのぉアイラ。確かにその絵には戴冠式が描かれておるな。」
ロブ・ロイの返事を聞き、アイラは皆の方に向き直る。
「私も十年ほど前、現国王様の戴冠式に出席していたので、朧気ながら覚えていますから戴冠式で間違い無いでしょう。」
オリヴィエは渋々了承といった感じで頷きながら聞いている。
「ジョセフィーヌさんが死の間際に血文字でこれらの絵の名を書けば、必ず騎士団が故人と絵との関係性を調べます。そんな事になればクラレットの起源を調べる者や、その秘密に気付く者が現れる可能性がある。数千年の間、王家と一部の貴族当主にだけに伝えられてきた秘密を、死の間際に書き残せば如何なるかぐらい、ジョセフィーヌさんは分かっていた筈です。それこそ自分を殺した犯罪者の手に渡れば、何に使われるか分かりません。聡明で在られたジョセフィーヌさんであれば、寧ろ何も残さない事が正解である事ぐらい理解していた筈です。ジョセフィーヌさんが残したので無いなら、それは犯人かその協力者が偽装して残したとしか考えられません。それに高潔な方でいらした様ですし、命乞いの為に秘密を話す様な行為はジョセフィーヌさんの人物像からも乖離してしまいます。」
「ふむ。そう言われると確かに違和感があるのぉ。あの婆さんは豪快じゃったが面子を気にするからな、無様を晒す様な人間では無いし、寧ろ殺すなら殺せと犯人に食って掛ったじゃろう。」
「ジョゼお婆様は対面を大切になさる御方でした。」
「確かにジョセフィーヌ叔母さんはそういう方でしたが……では犯人はここで何を………!?」
ロブ・ロイ達の感想を聞いた所でアイラは皆に背を向けると、どうやって収納していたのかショーツの中から二本の短剣を取り出し、展示室の出入り口に向かって歩きながら、オリヴィエの問いに答えた。
「何か異変が訪れれば、私の推測が補完されます。それが殺意ある行動ですと、室内では対処出来ないかもしれないので一旦廊下に出ましょう。」
アイラにそう言われて三人は顔を見合わすと、険しい表情で頷き合い、特別展示室出入口へと向かった。
▽
「なっ、何て事をっ!クソッ!!」
「屋上じゃ、屋上に向かうぞぃ。」
異変は一行が廊下に出て直ぐに訪れた。
焦げ臭さと同時に、視界には薄っすらと煙が漂っていた。
幸い高い天井のお陰で煙に巻かれずに済んではいるが、一階に通じる階段は四本全てが激しい炎に包まれている。
階段にも展示されていた絵画や彫刻を焼かれて激昂するオリヴィエを宥めながら、一行は安全確保の為、ロブ・ロイの指示に従い屋上を目指すことにした。
階段を上りながら、サラがアイラへの質問を続ける。
「先程の続きがお聞きしたいのですが、アイラさんは犯人がお判りなのですか?」
「犯人というか……端的に言うとジョセフィーヌさんを殺害したのは、ネグローニ侯爵か彼の息のかかった者です。」
「「なっ!」」
アイラの言葉を聞き、声を揃えて驚きの声を上げた後、すぐさま絶句するロブ・ロイとオリヴィエ。
それは犯人が誰かというよりも、アイラが余りにあっけらかんと名指しで断定した様に聞こえたからである。
そんな周囲を気にする事も無く、アイラは淡々と話を進めた。
「飽くまで犯行経緯を見聞きした限りです。警戒厳重な侯爵家の客室、それも証拠隠滅が容易いシャワー室で対象を殺害する為には、ネグロー二侯爵邸の建築構造や、犯行当日に誰がどの部屋に泊まるか、更には警備の状況などを事前に知って置かなければなりません。特に、就寝時間も部屋も分からないジョセフィーヌさんを殺害するには、長い時間待ち伏せなり潜伏なりせねばならないのですから、ネグロー二侯爵自身に深く関係する者以外には非常に困難であり、ネグローニ侯爵の協力が無ければ不可能なのです。結論ですね。全ての情報を掌握出来て、尚且つ屋敷内を自由に行動し、事件後の情報操作や偽装工作が容易な人物は、犯行経緯を考慮する限りネグローニ侯爵以外にありえないのです。」
アイラの推測を聞かされ、呆気に取られるロブ・ロイ達は、混乱した頭のまま屋上の扉を潜るのであった。
▽
屋上に出ると雨がまた降りだしていた。
屋上といっても手摺も無い三角屋根の為、四人は出入り口で立ち往生する事となる。
漸く頭の中を整理出来たサラは、再度アイラに問いかける。
「ジョゼお婆が殺された経緯は理解出来ましたが、ネグローニ侯爵が犯行に及んだ動機は何だったのでしょうか?」
「よく分かりません。憶測になりますが、恐らく第三王女様の婚約が原因かと思われます。お昼前にロブ・ロイ様からお聞きした話を踏まえて推測すると、エウル人達が内乱を起こした原因は、王位継承権問題だったと思われます。つまり、エウル人以外の人種が立法、司法、行政の中枢を牛耳る特権階級になるのですから、王家が子に恵まれなかった場合や、何らかを事由に王家が失脚させられた場合、エウル人の血を引く王では無く、特権階級に居る他の人種がエウル人の王になってしまう可能性が高くなる事に、国民は危機感を覚えたのかもしれません。」
「そんな昔の事が動機でお婆様は殺されたと?」
「いいえ、ジョセフィーヌさんが殺害されたのは……もっと複雑な理由があったと思われます。殺害動機の一つとして考えられるのは、エウル人の末裔であるクラレット家が、現王家であるシャルトリューズ家と結びつく事を、何らかの理由で危惧した人物が居たのだと思われます。それがジョセフィーヌさんだったと仮定すると、王女様の婚姻に邪魔となるからネグロー二侯爵は犯行に至った。逆にネグローニ侯爵が婚姻に反対する側だったとしたら、婚約者の男性だけ殺害すれば良いのですから、何れにしても王女様を殺害する意味はありません。そうなると、遺恨や怨恨でクラレットに深く関わる人間ごと根絶やしに……何て事もあるかもしれませんね。」
「根絶やしなんて……。」
「ですが私達は、今まさに生存の危機に晒されていますよ。」
サラは現状をアイラに指摘されると青褪めて俯いた。
「アイラさん。話を戻してすみませんが、先程仰っていた絵画『栄光』に描かれた人物が、騎士では無いという理由は何でしょうか?」
怯えた様子のサラと入れ替わり、オリヴィエがアイラに問いかけた。
「王位継承とは、普通に考えて王統直系の子孫が継承する事になります。つまり、この国では当時から王統直系の血縁関係を持つ王家そのものが最高位となります。」
「それが一体?」
「ですから、叙勲を受ける者は、授ける者よりも下位の人物なのです。最高位を持つ王家より上位の権威を持つ者など、今日一万年以上生きているという妖精様方しかいません。」
「そ、それは……。」
「妖精様方は、契約者である妖精使い以外のあらゆる人種に対して完全な平等を貫かれます。自らの契約者である妖精使いですら、道を踏み外せば命を奪う事すらあるのです。ですから妖精様が王家の人間を叙勲する事などありえませんし、平民に対してもそれは有り得ません。それに国王から叙勲を受けただけで王位継承権を得るとか、まして戴冠などありえませんし、生り上がりが戴冠を受けるなど、忠誠どころか王家への反逆行為です。本末転倒も良い所です。他にも理由は沢山ありますが、あれらが騎士だというには何もかもが支離滅裂で、理論的に破綻しているのです。」
「で、では――――――
説明を聞いても納得がいかないオリヴィエは、更にアイラに問い掛けようとしたところでロブ・ロイに制された。
「気持ちはわかるがのぉ、この続きは無事に脱出してからにしておこう。」
「は、はい。すみません。」
ロブ・ロイはサラとオリヴィエの頭をポンポンと軽く撫でると、滑り落ちない様、四つん這いで屋根伝いに地上を見下ろして何かを確認し、それを終えると同時に天を仰いで呟いた。
「アネル。飛び降りるから水陣を頼む。」
―――怪我しない程度か?
「ギャ――――!!!」
ロブ・ロイが呟いた瞬間、周りの雨粒や屋根に滴る水が一瞬で人型を構成し、妖精アネルが顕現する。
そして、アネルが言葉を発した瞬間に、過去のトラウマからか、アイラは奇声を上げその場で気を失った。
「「………えぇ?」」
―――ロブ・ロイよ、この娘は誰だ?
「ハァ………。」
オリヴィエとサラはアネルの登場にも驚いたが、それ以上に突然奇声を上げて気を失ったアイラの反応に戸惑う。
ロブ・ロイも相棒からの問いに答えるのも面倒になったのか、大きなため息を一つ吐き、右手で蟀谷を押さえていた。
その後、アネルによって地上に作り出された、5m四方の水で出来た立方体。
それに向けて屋上から全員飛び込み、気を失っていた若干一名を除いて事なきを得たのだが、ロブ・ロイの指示で王宮に到着するまでアイラが目覚める事は無かった。




