血涙(2)
あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願い致します。
――――ハイネ王都/住居区画/ボンベイ子爵邸
不快な寝汗と息苦しさで目覚めたアイラ。
ベッドから身を起こし、腰をかけたまま足を下ろすと、今だ鮮明にならない視線を窓に向ける。
徐々に鮮明になっていくアイラの視界には、窓に打ちつける激しい雨風と、延々と空を覆い尽くす黒い雨雲が見えた。
「…………事件。」
同日、同時刻帯に起こった二件の殺人。
華麗なる経歴を持つ考古学者ジョセフィーヌ・クラレット女史殺害事件。
王家三女オリヴィア・シャルトリューズ姫殿下並びに、その婚約者ルイ・クラレット氏殺害事件。
真面目なアイラは寝起きにも拘らず、口に出して頭の中の整理を始める。
「ジョセフィーヌさんの方は幾つかの違和感と齟齬がありましたね……オリヴィア様の方は……やはりジョセフィーヌさんの孫であるルイ・クラレット氏でしょうか……何かしらの関係性はあるんでしょう。それにしても、王族一人に有名人とその孫まで手に掛けるなんて……それだけ大きな対価があるのかもしれませんね……訳の分からない捜査撹乱や偽装工作なんて朝飯、ま……いや、そうされた方が犯人の意図も分かる……か。何にしても推測と憶測だけではいけませんね。」
幾分手掛かりや糸口も見えて来た気がしたアイラは、思い当たる事を口に出して頭の中を整理し終わると、両腕を大きく広げて目一杯伸びをしてからベッドを後にした。
▽
シャワーの後、空腹を覚えたアイラが食堂へ向かうと、子供達の賑やかな声が聞こえてきた。
「アイラちゃんおはよ~♪」
「もう10時だよアイラちゃん。」
「アイラおねちゃ、おはよ~♪」
「えっ?!どうして皆ここに?」
アイラが食堂に入ると、学園に居るはずのリズとフィズ、カザンの三人が、カイラ指導の元、テーブルを囲んで編み物をしていた。
カイラは朗らかな笑みを浮かべたままアイラの方に振り向くと、両手で持っていた編み物をテーブルに置く。
「アイラ、少しは休めましたか?」
「はい、お母様。昨夜は申し訳御座いません。」
「良いのです。疲れていたのでしょう。朝食は厨房に置いてありますから。」
「はい、お母様。……ところで、皆は何故ここに?」
アイラの問いに、カイラの朗らかな笑みは消え、眉間に皺を寄せた。
「皆さんには昨日の夕刻にお越し頂きました。今回の事件にはボンベイ家が深く関わっています。幾ら学園とはいえ、皆さんの安全は補償出来ないでしょう?ですから、事件解決まではこちらで過して頂く事にしました。あなたも……もう少し周囲の安全を確保してから行動する様に心掛けなさい。」
「それなら昨日教えて頂ければ……。」
「話す前にあなたが眠ってしまったのでしょう?それとも気を使って叩き起せば良かったのかしら?」
「それは……その………。」
親の想い子知らずといった所か、アイラの言葉にカイラは正論を返して詰め寄る。
幼少期から見ていた母カイラの『御小言と叱責』は、父ルドラだけに向けられて来た『裁きの鉄槌』であり、少し甘えた事を言っただけでその矛先が自分に向くとは思いも寄らず、恐怖と戦慄に血の気が引くアイラ。
「そんな事ではいつまで経っても―――――――――
「申し訳ありません、お母様!」
「あなたがもう少し思慮深い人間だと思って――――
「お母様の仰る通りです。」
「それにお父様の様になったら困ま――――――――
「改めますからお許しを~;;」
泣きの入ったアイラを見て、リズとフィズ、カザンの三人は、カイラだけは怒らせない様にしようと顔を見合わせて頷き合った。
カイラはアイラから視線を外し、深い溜息を一つ吐くと、溜息の原因である我が子に向き直る。
「そろそろロブ・ロイ様が御越しになられます。早く支度をなさい。」
それを聞いたアイラは、涙目のまま慌てて厨房へと向かった。
▽
「ロブ・ロイ様、こちらから御伺いするべきですのに、御越し頂いて申し訳御座いません。」
「カイラよ、今は緊急事態じゃ。それにウィリアムズ家の嫁であるアイラ君は儂の孫みたいなもんじゃからな。ラッセルとヘラが不在の間、ロイが最大限ボンベイ家の力になる事を約束しよう。」
「心強い御言葉、当主に代わり御礼申し上げます。」
「なぁに、堅苦しい挨拶はこの辺で良いじゃろ。カイラよ、他の客人もおるから茶でも出してやってくれ。」
「では皆様、こちらへどうぞ。」
▽
玄関ホールでの挨拶を終え、カイラの案内で応接間に通されたロブ・ロイと二十代前半の男女二名。
三人がソファに腰を掛けるのを確認して、執事のシモンが温かい紅茶を各自の前に置いていく。
客人達が紅茶に手を付けて間もなく、応接間に入ったアイラは皆に一礼してからカイラの座る横のソファへと腰を下ろした。
アイラに紅茶のカップを差し出したシモンは、カイラが小さく手を挙げたのを確認し、応接間を後にする。
ロブ・ロイはアイラに笑顔を向けると、紅茶のカップを置いてカイラに視線を向けた。
「では紹介しよう。この二人は、ジョセフィーヌ・クラレットの孫と甥じゃ。」
孫という言葉に眉根を寄せるアイラ。
そんなアイラを気にする者はおらず、ロブ・ロイに紹介された男女は、ソファから腰を上げる。
「初めまして。私はオリヴィエ・クラレット。ジョセフィーヌ・クラレットの甥に当たります。ハイネ国立美術館で、絵画の専門学芸員として勤めています。」
「孫のサラ・クラレットです。公共区画の国立図書館で司書をしております。宜しくお願い致します。」
爽やか金髪イケメンのオリヴィエ・クラレットは、笑顔でカイラとアイラに握手をして白い歯を見せる。
対照的に、サラ・クラレットはカイラとアイラに俯き加減で軽く会釈をすると、直ぐにソファへ腰を下ろした。
ロブ・ロイは二人が挨拶を終え、再度ソファに腰を下ろしたのを確認して話を切り出した。
「早速じゃが……此度の事件には恐らくクラレット一族の成り立ちに関係があるんじゃろうと思う。それもあるから二人には同行してもらった。」
「……成り立ち……ですか?」
アイラの問いに答えるのを躊躇うように、ロブ・ロイは顎髭を撫で付けながら少々悩んだ後、語りだした。
「話はハイネ王国建国以前に遡る。皆も知っての通り、この国の建国史は英雄と竜姫の出会いから始まるのじゃが、その遥か昔からこの地域に留まり、未熟ながらも国を形成して暮らしておる者達がおった。」
アイラとオリヴィエは、ロブ・ロイの話に驚き、顔を強張らせる。
「……そ、それは余りにも……。」
「幾ら何でもそれは有り得ない!」
優雅に紅茶を飲むカイラとサラ以外の二人が、不快感も露にロブ・ロイへと詰め寄る。
ロブ・ロイの話が真実だとすると、この地を侵略して先住民を征服、平定した蛮族が、現王家や貴族、延いてはハイネ王国民の先祖という事になる。
そんな事が公になれば、ハイネ建国史に記された王家や貴族がこの地を統治する正統性も、必然性も、その寄る辺たる根拠が根底から揺らぐ。
アイラ達に限らず、ハイネ王国の国民がそんな事を肯定出来ないからこそ感情を露にしたのである。
「俄かには信じがたい……興味深い題材ですね。」
サラのマイペースな発言に、ロブ・ロイは肩をすくめた。
「ロブ・ロイ様のお話は真実ですよ。」
「お母様っ!」
落ち着きのある優雅な所作で紅茶のカップをテーブルに置き、アイラ達の感情など柳に風と、ロブ・ロイの主張を肯定するカイラ。
カイラの言葉に反論しようとするオリヴィエの前に、ロブ・ロイは右手の平をかざす。
「まあまあ、サラの言う様に俄かには信じられんじゃろう。じゃが皆、最後まで儂の話を聞いてくれんかオリヴィエ。のぉ、アイラよ。」
「……すみませんでした。続きをお願いします、ロブ・ロイ様。」
ロブ・ロイの言葉に若干の平静を取り戻したアイラとオリヴィエ。
それぞれ冷めた紅茶のカップに手を伸ばし、一気に煽って飲み干すと、アイラはロブ・ロイと視線を合わせて小さく頷いた。
「では進める。え~っと、そうじゃ、ハイネ村が出来る前にこの地で住んでおった者達は、自らをエウル人と名乗り、国を作って原始的な酒造りや農業を主に生活しておった。さて、話を少々端折るが、ある日を境にそんなエウル人達の間で内乱が起きた。」
「内乱ですか……。」
アイラの呟きに笑みを返すロブ・ロイは、横に並ぶサラとオリヴィエにも視線を送り、軽く頷きながら話を続ける。
「まあ話は簡単、時のエウル人の王が、エウル人以外の優秀な者を国の要職へと重用し、古くから仕えていた臣下達を冷遇したからに他ならぬ。そこから王家の求心力は徐々に低下し、内乱の末に国は崩壊、滅亡の道を辿った。この話はハイネ王家と一部貴族の当主だけに代々語り継がれておる。」
一旦、喉の渇きを潤す為に、ロブ・ロイは冷めた紅茶を飲み干し、紙巻きに火を点けた。
「ではハイネ王家が、そのエウル人の国を侵略したのではないという事ですね?」
口から紫煙を一気に吐き出し、オリヴィエの問いに両の眉を上げ、もう一服したところで灰皿に紙巻きを押し付け、ロブ・ロイは返答の言葉を返す。
「それは肯定も否定も出来ん。何故ならば当時の政権に重用されたのが現ハイネ王家の血脈を含む、13の氏族の代表者達だからじゃ。内3氏族の起こした謀反が、エウルの国崩壊の切っ掛けとなる内乱の原因に深く関わっておる。」
ジョセフィーヌ・クラレットが残した血文字にあった『13』との関連性を、アイラは直ぐに頭の中で推測しようとするが、直ぐにそれをやめた。
ロブ・ロイの話を全て聞き終わるまでは、間違った憶測になり兼ねないと判断したからである。
サラは顎に手をやり、オリヴィエは額を手で押さえ、王家や貴族が公表していない建国以前の歴史を何とか頭の中で整理し、一応の納得をしようとしている。
アイラがロブ・ロイから次の言葉を待っていると、カイラが徐に口を開いた。
「お気付きかも知れませんが、ボンベイ家とクラレットの一族は、その要職に就いた13氏族の末裔です。」
「「えぇっ!」」
カイラの言葉に驚きの声を上げるアイラとオリヴィエは、二の句が継げずにそのまま絶句した。




