9 歓迎会
4月4日の日曜日。宗人は北町駅にて、戸松夫婦と別れのときを迎えていた。
「いいのか?」と重文。「寮まで送るぞ?」
「大丈夫ですよ、ここで」
「あっちに行っても頑張ってね。何かあったら連絡を頂戴ね」
琴子は、はらはらと心配そうな顔つきだ。
二次試験も合格した宗人は、晴れて明治魔術学校の分校に入学することになった。今日から寮生活が始まるため、戸松夫婦の下を離れる。
時計を確認する。もうそろそろ出発の時間だ。
「それじゃあ、行きますね」
「ああ。いってらっしゃい」
「……いってきます」
宗人は照れくさそうに笑い、手を振って、二人と別れた。
南北線に乗って、中央駅へ。そこから東西線に乗り換え、西山町駅に向かった。
西山町を含む西区は、自然が豊かで、住宅地として開発されてきた場所だと重文は言っていた。実際、西山駅に近づくにつれ、緑が増え、山が近くに見えるようになった。駅前に商業施設は少なく、マンションや家屋が多かった。
バスのロータリーには、分校行のバスがあって、新入生と思しき、スポーツバックやキャリーバックを持った生徒が、バスに乗り込んでいた。
宗人は最初、バスに乗るつもりだった。しかし、山を眺めているうちに、おっさんとの生活を思い出し、自然を感じたくなった。西山に目を向ける。西山の斜面に城のような建物が見える。あれが、分校なのだろう。西山自体は近いため、10分も歩けば麓に、さらにそこから坂を上るとしても、一時間以内には分校に着きそうだ。
「……行ってみるか」
宗人は分校に向け、歩き出した。
麓には予想通り、10分で到着した。麓にある看板によれば、分校への行き方は2種類あって、うねうねした緩やかな坂道を上るコースと階段を使い急な斜面を上るコースだ。宗人は自分の荷物を確認した。今は衣類の入ったスポーツバックしか持っていない。そんなに重くないし、これなら階段でも行けると思い、階段を上ることにした。
階段は幅の広い石の階段で、『1000段以上あるため、上る際は注意してください』との注意書きがあった。確かに、急できつい印象を受ける。しかし、山を登ることには慣れているので、臆することなく、最初の一歩を踏み出した。
階段を上りながら、おっさんと山を登ったときのことを思い出す。どれも肉体的には辛かったが、楽しかった。多分、おっさんがいたからだ。そのおっさんは今、隣にいない。しかし宗人は、晴れやかな表情で、上を向いた。
30分かけて階段を上りきった。とくに辛いとは思わなかったが、息は上がっていた。山に慣れている自分でこれなら、普通の人にとってはかなりきつい階段なのだろうと思った。
宗人は振り返る。その場所から街が一望できた。高い所から街を眺めるのは慣れていたから、夜景がきれいそうくらいの感想しか浮かばなかった。
階段から歩いてすぐの所に、広い駐車場があって、その先にゴシック様式の立派な赤い建物があった。
「あれはすごいな」
宗人は興味深そうに建物を眺め、足早に建物へと向かった。
正門の前で足を止める。建物の前は芝生の広場となっていて、石畳が入口まで伸び、中央には噴水があった。
「金が掛かってんなぁ」宗人はしみじみと言う。「芝生とか育てんの大変そうだ」
「あれは全部人工芝なんだ」
柔和な顔つきの警備員が、宗人のそばに立った。警備員は軽く帽子を上げ、微笑む。
「君、新入生かい?」
「はい」
「寮の場所がわからないのかな?」
「あ、いや、わかります。ただ、あまりにも立派な建物だったので」
「そうか。僕も初めて来たときは、君のような反応をしたなぁ」
二人はしみじみと校舎を眺めた。
「あ、それじゃあ、俺は行きますね」
警備員に別れを告げ、宗人は自分が住むことになる寮を目指した。
分校に入学する生徒は、織田・豊臣・明智・徳川という四つの組に分けられ、その組に応じた寮に入居することになる。宗人は『徳川組』への配属となったため、徳川寮を目指す。
各組の寮は、分校を囲むように配置されていて、徳川組の寮は、分校の南西側にあった。寮は凹型の真新しい建物で、周りも開けていた。
「お、良さそうな場所じゃん」
想像していたよりも住みやすそうな環境だ。劣悪であっても生活できるが。
建物の入口は中央の低い棟にあった。入ると、玄関となっていて、左右の壁に下足箱が設置されていた。下足箱に自分の名前があり、そこで内履きと履き替えることは事前に知らされていたので、下足箱にスニーカーをしまい、スリッパに履き替えた。
奥に進むとロビーだった。右手側に受付があって、中央には食堂が、左手側にはソファーやテレビなどの団らんスペースがあった。
来たらまず、受付にとのことだったので、宗人は受付の前へ移動した。受付は売店も兼ねていて、カウンターの周りに飲料水やお菓子、文房具などが売っていた。
カウンターには、面長で気難しい顔つきの老婆が座っていた。老婆は宗人を認め、顔を上げる。
「新入生かい?」
「はい」
「あたしは、この寮の寮母みたいなことをやっている梅崎トヨだ。皆、あたしのことは梅ばあと呼ぶよ。で、あんたの名前は?」
「柳瀬宗人です」
「柳瀬宗人……」梅ばあはタブレットを操作する。「あった。103号室だね。一階の部屋だ」梅ばあは宗人にカードを渡した。「このカードを、男子棟の入口でかざし、部屋に入る前も、このカードでタッチするんだ。寮の使い方に関しては、今日の16時から説明会があるから、忘れずに参加するように。あと、荷物はすでに運んであるよ」
「わかりました。ありがとうございます」
「問題ごとは起こさないでくれよ」
「はい。気を付けます」
宗人はカードを入口のリーダーにかざし、男子棟に入った。寮は清潔感があった。廊下も壁も綺麗である。入口側に部屋は無く、入口側は団らんのためのスペースとなっていて、端の方にトイレがあった。部屋は入口の反対側にあって、全部で6部屋。103号室と104号室の間に、2階と地下へ通じる階段がある。
宗人は103号室の前でリーダーにカードをかざし、いざ中に入ろうとして、すでに同居人がいることを思い出す。一緒に生活することに対する抵抗感はないが、常識のある相手であることを望みながら、ノックした。
足音が聞こえ、扉が開く。中から顔を出した少年を見て、一瞬、間違って女子棟に来てしまったのかと思った。同居人の顔が女の子みたいだったからだ。しかし冷静に考えれば、そんなわけがない。もらったカードキーは男子棟専用のはずだ。ゆえに、彼は男なのだ。
宗人はすぐさま頭を切り替える。
「こんにちは。これからこの部屋で一緒に生活する柳瀬宗人です」
「あ、えっと、こんにちは。紅俊也です」
「よろしく」
「よ、よろしくお願いします」
俊也は挨拶をした後も、おずおずして扉の前から動く気配がない。
「入ってもいい?」
「あ、ごめん」
俊也が大きく扉を開き、宗人は中に進んだ。
部屋は意外に広かった。入口付近に、共有のクローゼットと靴箱があって、ベッドと机が左右の壁にくっつけるような形で配置され、左側のベッドは、すでに俊也が利用しているようだった。
「あ、ごめん。ベッド、勝手に使っちゃって……」
「別に構わんよ。紅が、先に来たんだろうし」
宗人は右のベッドに荷物を置き、そのまま座った。スマホを取り出し、確認する。戸松夫婦から無事に着いたかを確認するメッセージと、翔太からもメッセージが来ていた。
翔太とは二次試験後に連絡先を交換し、何回かやり取りを行っている。翔太からメッセージが来て、宗人が応えることがほとんどだ。翔太も試験に合格したらしく、分校に入学することになったが、翔太は『豊臣組』だった。
それぞれにメッセージを返し、顔を上げると、不安な顔つきで部屋の隅に立つ俊也と目が合った。宗人は苦笑する。
「緊張しているのか?」
「あ、うん。ちょっと」
「俺のことは、石か何かだと思って、気を遣わなくてもいいよ」
「う、うん」
「紅は、こうやって、知らない人と一緒に生活するのは初めてか?」
「うん。柳瀬君は?」
「まぁ、何回か、経験はあるよ」
「へぇ」
話しているうちに俊也の表情も柔らかくなった。
俊也と部屋の使い方についてあれこれ話していると、扉をノックする音が聞こえた。扉を開けると、部屋を囲むように少年が3人立っていた。中央の前髪を上げた小柄な少年が、快活な笑みを浮かべて言う。
「おっす。俺は海老名利治っていうんだ」
「柳瀬宗人だ。よろしく」
「おぉ、よろしく。寮の説明会の前に、一年生で集まって、互いの顔を知っておきたいなと思って、今、こうやって各部屋を訪れているんだ。もしも時間があるなら、集まらないか?」
「それは良い考えだな」
「だろ? もう一人はいる?」
「いるよ」
「んじゃ、そいつと一緒に、そこのソファーの所にいてくれ」
利治は団らんスペースのソファーを指さす。
「わかった」
「よろしく」
宗人は部屋に戻って、俊也に説明し、二人で団らんスペースへ向かうと、すでに寮生が集まっていた。
「適当な場所に座って」と利治。
宗人と俊也は空いている場所に座った。
分校への入学生は96人いる。そのうち各組で24人ずつに分けられ、さらに男女で12人に分けられる。そのため徳川組の一年男子は12人いて、全員集まったところで、利治の進行による寮生の自己紹介が始まった。
自己紹介は終始和やかに進んだ。自己紹介を通し、落ち着いている人が多いなという印象をもった。自己紹介が終わり、雑談をしているうちに、説明会の時間になった。男子全員で食堂へと移動する。
入寮式を兼ねた説明会は一時間ほどで終わった。18時から歓迎会があるとのことだったので、利治の提案で女子も含めた懇談会をすることになった。食堂が歓迎会の準備で使えないため、中庭で行った。女子も落ち着きのある人が多く、男子よりも全体的に元気があるように見えた。
そして18時からの歓迎会。寮生全員が集まる。皆の前で自己紹介をしたり、席で談笑したりした。楽しい一時である。が、宗人は疲れを感じ始めていた。長い時間、見知らぬ人と話しているのは宗人にとってしんどいことだった。
歓迎会が始まってから一時間が経ち、宗人は席を立った。ロビーのソファーで休むのもいいが、夜風でも浴びようと思い、玄関へ向かった。