3 魔族になった少年
宗人の対面に座る男の表情は晴れやかなものだった。
「おめでとう、柳瀬宗人君! 君は魔族だったよ!」
「そうですか」
宗人は淡々と答える。
「あれ? 嬉しくないの?」
「別に」
「そっかぁ、嬉しくないかぁ」男は宗人に同情するような顔で言った。自分は何も悪いことをしていないと言いたげに。男は宗人を連行した組織の職員だった。「まぁ、でもそうだよね。君の気持ちもわかるよ。やっぱり魔族でしたじゃ、納得できないよね。ほんと、前の担当者は何をしていたんだろうって感じ。それに医者も――」
宗人は、男の言い訳めいた話を聞きながら、ここに至るまでの経緯を思い出す。
施設で魔族になったことを告げたとき、高井は馬鹿にするように笑った。だからそのムカつく顔面を念力でぶん殴った。怒った高井が掴みかかろうとしたから、さらにぶん殴った。激昂する高井とは対照的に、冷静な女医が、宗人がただの無能ではないと判断し、病院で検査を受けることになった。
検査を受けるため、魔法界へ戻った際、宗人は魔法界が魔力で溢れていることに気づいた。魔法界では人間以外の生物も魔力を生成する。さらに地球も魔力を生成することが知られ、地表にうっすらと薄い光の膜があった。地表の魔力は、たんぽぽの綿毛みたいな形で地表から離れると、空気中を漂った。綿毛めいた魔力が、空気中に多く存在するので、宗人は魔法界が眩しく見えた。
病院に向かう道中で、宗人は空気中の魔力を、自分の体の中に移動させてみた。魔力は体の中に入った瞬間、薄くなって、胸にたどり着く前に消えた。隣にいた女医で試したら、やはり薄くなるものの、ちゃんと胸まで届いたことから、体質的に魔力が維持できないことがわかった。
このままでは魔力検査で引っかかるな、と思った宗人は賭けに出た。血液検査で、血液を採取した際、直接その血液に魔力を移動させた。綿毛のような魔力は、血液に触れた瞬間に砕け、小さな粒となって、血液中に拡散した。光が薄いため、どれほど維持できるか不安だったが、検査にクリアしたことを考えると、有効な手段であったようだ。
そして今に至る。
宗人の回想が終わっても、男の話はまだ続いていた。そのため宗人は、呆れながら言った。
「あの、話を進めてもらえませんか?」
「え? ああ、うん、ごめんね」男はとくに悪びれた様子もなく、話を続けた。「それで、宗人君は魔族であることが確認されたので、今後は魔法界で生活することができます。どうする? 魔法界で生活する?」
「はい」
「するんだ」
「何か問題でも?」
「あ、いや、そういうわけじゃないけど。ただ、大変かもしれないと思って。宗人君のような『捨て子』が、こっちで生活をやり直すのは、かなり大変だと聞くから」
「そうですか。でも、俺は魔法界で生活します」
「わかった。それじゃあ、こっちで生活できるように手続きを進めるよ。もちろん、君が『捨て子』であることは上手く隠すよ。あ、でも、ちょっと問題があるんだ」
「何ですか?」
「その、実に言いにくいことで、心して聞いて欲しいんだけど、その、親御さんと一緒に住むことはできないかもしれない」
「……あっちが、拒否しているんですか?」
男は気まずそうに目をそらし、それで宗人は察した。しかし、ショックは無かった。最初から期待していなかったからだ。自分を見捨てたあの親に、自分とやり直す勇気があるとは思えない。
「一緒に住めないのは別に構わないのですが、あの後、親がどうなったのかだけ教えてくれませんか? 俺がいなくなったことで、彼らの生活がどんな風に変わったか、興味があるんで」
男は戸惑った。言えないことらしい。しかし宗人が、聞くまで梃子でも動かぬという決意を顔で示すと、男は「僕から聞いたと言わないでくれよ」と前置きを置いて言った。
「宗人君の両親は、あの後、別れたみたいだ。母親は精神科に通うことが多くなって、父親は再婚したみたいだね」
「……そうですか」
喜びも悲しみもない。ただ、無機質な感情があるだけだった。
それから男と30分ほど事務的な話をした。
「ありがとう。それじゃあ、今回の話を基に手続きを進めるよ」
「お願いします」
「あの、宗人君」男は真面目な顔つきになって言った。「脱走してから、君はどこでどんな生活をしていたの?」
宗人は沈黙を貫いた。
「答えてくれないか」男は渋い顔で言う。「なら、別の質問をするね。君は施設で、男性職員に対し、魔法を使ったらしいけど、君は杖などの魔導具を所持していなかったね。それでどうやって魔法を使ったの?」
「……6年前に、防犯のため、所持していた魔法陣を使いました」
「それらしいものは見当たらなかったけど?」
「その男性職員と揉みあいになったときに、落としたんだと思います」
「ふぅん」
男は懐疑的であったが、一応は納得してくれたようだ。
「もう一つ聞きたいことがあるんだけど、どうして君は魔法界に戻ろうと思ったの? さっきも言ったように、苦労することは多いだろうに」
「魔法界で強く生きようと思ったからです」
「……なるほど」
男の表情から察するに、男は言葉の意味を理解していない。しかし、男に理解してもらおうとは思っていないから、宗人はそれ以上語らなかった。
男は書類をまとめながら言った。
「何か聞いておきたいことはある?」
「これはただの興味なんですが、どうしてあなた方は、子供たちの記憶を消すなり、洗脳するなりして、施設に送らないんですか?」
「……そうすれば、苦しまずに済んだのに、とでも言いたいのかい?」
「いや、そういうわけではないですけど」
「君のように、後になって魔法が使えるようになる者もいるから、そういった子のために、記憶は消さずにおくんだ。それに、そもそも【忘却魔法】は技術的に難しくて、できる魔族もいることはいるんだけど、君たちのような子供に使いたがらないから、技術的に消せないという理由もある」
「なら、洗脳して良い子にすればよいのでは?」
「【洗脳魔法】も難しい。というか、基本的に他人の精神というか、脳に影響を与える魔法は高度なことが多くて、できる魔族は少ない。研究が進んでいる今でも、まだまだ術式は確立されていないしね。それに【洗脳魔法】は寄生虫みたいなもので、常に宿主の魔力を吸い取ることで発動することができるんだ。そんな魔法を、魔力を持たぬ君たちに使ったところで無意味なのさ」
「つまり、魔法を発動できるだけの魔力がないから、洗脳ができないと」
「ああ、そうだ」
「無能で良かったと笑うとこですかね?」
男は答えに窮し、苦笑でごまかした。
◇◇◇◇◇◇◇◇
書類上は魔族となった宗人であるが、まだ、魔法が使えるかどうかという問題は残っていた。そこで、男に軽くレクチャーしてもらってから、魔法を実践することになった。
宗人は男ともに『実践室』へ移動する。ここは実際に魔法を使うために用意された部屋だ。
宗人は、男から話を聞いて、魔法発動のステップを確認する。まず自分の脳と杖に内蔵された賢者の石をシンクロさせる。これによって頭の中で組み立てた術式が、賢者の石を通し、魔法陣として展開される。あとは術式を組んで魔法陣を展開し、魔力を注入することで、魔法が発動できる。このとき、流し込む魔力の量が多くなりすぎないように注意する。入れすぎると、風船みたいに、魔法陣が壊れるからだ。
「それじゃあ、誰でもできる【手しょく魔法】をやってみようか」
男から、【手しょく魔法】の術式が書かれた紙を渡される。
宗人はその紙を見ながら、魔法発動を試みた。まず、自分の脳と杖に内蔵された賢者の石をシンクロさせる。宗人は杖を握り、頭の中で、脳から光のコードを伸ばし、そのコードを杖に内蔵された賢者の石へつなぐことをイメージする。シンクロするという感覚をうまく表現できないが、つながった感覚がある。次に、紙を見ながら、術式を黙読する。すると、杖先に直径20センチほどの魔法陣が展開する。二重の丸から成る魔法陣で、内側の丸は空白、内側と外側の丸の間に、よく知らない文字が書いてある。宗人は魔法陣を壊さないように、慎重に空気中の魔力を流し込む。魔法陣は全体的に暗かったが、魔力の流入によって、輝き始め、内側の丸の中心に、ろうそくほどの小さな火が灯った。
「おお、すごい、一発でできたね」男は心底感心しているようだ。「最初は、シンクロの部分で躓くんだけど」
感覚的な作業は、念力を扱う上で重要なので、鍛えていた。だから、それが一発でできた理由だろうと思った。
「それじゃ、他の魔法も試してみようか」
宗人は、それから男の指示に従って、一時間ほど色々な魔法を試した。終わった頃には、男は、宗人が魔族であることに疑いをもっていないようだった。