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26 事件発生④

 徳川寮に駆けつけた宗人は、力を使って、男子寮の一階を調べる。ローブは切られ、杉内の姿はなかった。宗人の顔に、嫌な汗が浮かぶ。


 食堂へとすぐさま意識を向ける。入口がわずかに開いている。中に入り、厨房へ急ぐ。その途中に、男子生徒が倒れていた。顔を見る。その男子生徒は杉内だった。


 宗人の意識が体に戻る。その顔には驚きの色があった。


「どうしたの?」柚子は心配そうに声を掛けた。「突然、立ち止まって、何か考えていたようだけど。私が声を掛けても、無視するし」

「すまん。無視をしたくてしていたわけじゃないんだ。ただ、これは儀式みたいなもんだ。取りあえず、中に入ろう」


 宗人は足早に寮へ入り、食堂へと進んだ。


 倒れている杉内を見つけ、しゃがんで杉内の様子を観察する。脳へ魔力が送られていない。胸にある魔力の量を見るに、脳に送るだけの魔力はまだあるように見える。宗人は探るような視線を厨房へ向け、菊山達が息を潜めていることを確認し、立ち上がった。


「菊山、いるのか? 俺だ。柳瀬だ」


 宗人は厨房へと歩み寄る。


「誰?」とネオの声がした。

「黒ゴマおむすび。柳瀬宗人だ」


 ネオがカウンターの向こうから顔を出し、微笑んだ。


「無事だったんだね。おや? 後ろにいるのは、村井さんかい?」

「ど、どうも」


 柚子は少し緊張した顔で、一礼した。


「明智組でも、同じように、生き残っていた……と言うと、語弊があるけど、無事だった人が何人かいて、村井はそのうちの一人なんだ」


 宗人は厨房に入る。カウンターの影に、梅ばあと瀬奈が座っていて、橋崎が倒れていた。


「橋崎先輩は大丈夫なのか?」

「うん。命に別状はない。杉内先輩から攻撃されて、それで気を失っちゃったみたいだ」

「杉内先輩から攻撃された?」宗人は恍ける。「でも、彼は倒れていたみたいだが、誰がやったの?」

「僕だけど」


 ネオは、表情で仕方なかったんだと語る。


「菊山がやったのか? どうやって?」

「どうやってって、普通に気絶させただけだよ。痴漢用の撃退魔法でね」

「……へぇ」

「何か問題でも?」

「良かったら、その魔法を教えてくれないか? 今後、役立つかもしれん」

「……べつに、いいけど。杖を持ってる?」

「ああ」


 ネオの杖先に、自分の杖のポートを向ける。ネオの杖先が赤く光って、術式を受信した。


「ありがとう」

「よくある【気絶魔法】の一つだけど。それより、これからどうする?」

「明智組の無事だった人には魔剣チャンバラ部の道場へ移動してもらったんだが……」


 宗人は一同を見回す。気絶している橋崎。足を怪我している瀬奈。そしてご老体の梅ばあ。


「僕たちには、難しいね」とネオは渋い顔で言う。

「ごめんね」瀬奈がしょ気る。その足首は包帯で固定されていた。「私のせいで」

「いやいや。瀬奈ちゃんが悪いわけじゃないですよ」

「そうです。今は誰が悪いとかそういう状況じゃない」

「意外と労わることができるんだ」

「……俺を何だと思っているんですか?」


 瀬奈は答えなかった。やれやれと宗人は肩をすくめ、ネオは苦笑する。


「取りあえず、僕たちはここに隠れていた方がよさそうだね」

「そうだな。んじゃ、俺は豊臣寮の方を見てくる」

「またどっか行くの? ここで大人しく助けを待った方がいいんじゃない?」

「電話したのか?」

「それが、なぜか、外部と通信できない状態になっていてね。できていない。元々この辺は電波が弱かったけど、固定も使えなくなるとは」

「やっぱり、そうだよね」と柚子。「私たちもやってみたんだけど、うまくできなかったの」

「何かしらの方法で外部と遮断されているというわけか。その状況で、来るかもわからない助けを待つのか?」

「朝になれば、通いの先生とか来るでしょ」

「朝まで、彼らが大人しくしてくれていればいいが」


 宗人は時間を確認した。現在、0時32分。来るとしてもあと6時間くらいはある。その間、彼らが大人しくしているとは思えない。


「まぁ、いずれにせよ、俺は豊臣寮へ行く。無事な奴らがいる情報を得ているから。彼らを迎えに行く」

「ちょっと待ちな」


 これまで沈黙を保ってきた梅ばあが立ち上がった。


「梅ばあ。危険なことはわかっているが、止めないでくれ」

「止めないよ。あたしがもう少し若かったら、止めたかもしれないが、今のあたしにはあんたら若い人たちを止める元気はない。歳は取りたくないねぇ。だから、一つだけ言わせてもらおう」

「何ですか?」


 梅ばあは冷蔵庫脇の段ボールから小型のペットボトルを取り出して、宗人に放り投げた。


「こういうときこそ、落ち着いて行動するんだ。あと、水分補給を忘れるな」

「ありがとうございます」


 宗人はペットボトルを開け、口を付けた。スポーツドリンクだった。軽く喉を潤し、柚子へ差しだした。


「えっ」と柚子。

「飲めよ。走っただろ?」

「あ、うん」


 柚子は受け取り、気恥ずかしそうに口をつけた。


「村井はどうする?」

「私はあんたと行くわ」


 柚子からペットボトルを受け取る。まだ残っていた。ネオに促されたので、ネオに渡した。


「それじゃあ、行ってくる」

「気を付けて。あ、そうだこれを渡しておくよ」


 ネオから折り紙で作ったパクパクを渡される。


「無線機代わりに使って。スマホは使えないから」

「OK」

「気を付けてね。村井さんも」


 柚子は頷き、二人は厨房から出て行った。



◇◇◇◇◇◇◇◇



 豊臣寮へ向かう道中。柚子に聞かれた。


「黒ゴマおむすびって何?」

「合言葉だ。俺が俺であることを示すための。ほら? 皆、おかしくなっちゃっただろ? だから、俺はそうじゃないですよって、意味さ」

「なるほど」


 宗人は杖を抜いて、魔法を発動した。ネオからもらった【気絶魔法】だ。杖の先に魔法陣を展開し、青い魔球を放つ。魔球は10メートル先にいた人影に命中した。青い光が弾け、人影が吹き飛ぶ。


「ちょっと! いきなりそんなことしなくても」

「あいつは不審者だよ」


 人影が起き上がって、魔法を放ってきた。宗人は杖を向け、もう一度、【気絶魔法】を放つ。魔球は、相手の魔球に命中し、花火のように散った。


 相手は魔球を放ちながら、歩み寄ってきた。宗人も魔球で応戦する。


「柳瀬! 私の後ろに!」


 柚子は【盾魔法】を発動した。魔法陣がそのまま魔球から身を守る盾となる。


「サンキュー村井!」


 宗人は柚子の後ろに移動し、身を隠しながら、魔法を発動した。相手の魔球が盾にぶつかって、弾ける。


「大丈夫か?」

「うん!」


 柚子は安定させるため、両手で杖を握った。


 正直不安だったが、柚子の魔法が強力な盾として機能することに確信を得た宗人は、不審者に向かって、魔球を放った。


 全弾命中。軌道を操り、宗人は全ての魔球を不審者に当てた。


「すごいね!」と柚子。

「村井の守りがあってこそだ」


 しかし宗人に喜んでいる余裕は無い。相手が気絶しないからだ。ネオからもらった術式は【気絶魔法】ではない? いや、ネオからもらった術式は【気絶魔法】のように思う。命中した瞬間、相手の脳への魔力の流れが一瞬途切れるからだ。ただ、脳への魔力はすぐに供給され、相手は弁慶めいた勇ましい足どりで、近づいて来るのだった。


 相手が異常なのか。それとも、ネオが何か隠しているのか。いずれにせよ、この魔法では相手を気絶するに至らないことを悟った宗人は、不審者に向かって、魔球を放った。


「気を付けろ。【閃光魔法】だ」


 柚子の耳元で囁く。柚子は目を細め、宗人も目を細めた。


 不審者が放った魔球にぶつかる。その瞬間、【閃光魔法】が炸裂する。辺り一帯、光に包まれ、不審者――岡根の姿が浮かび上がった。岡根は予想していなかったのか、慌てて腕で目を隠し、後ずさった。


「今のって」と柚子。

「不審者だと思ったら、岡根だったのか」

「柳瀬! お前、自分が何をしているのか、わかっているのか!」


 岡根の怒鳴り声。宗人は飄々と答える。


「すみません、先生。気づかなかったもので」

「嘘を吐くな! 貴様、わかってやったな!」

「どうして、そう思うんですか?」

「言わなくともわかるだろ!?」


 岡根はまだ、視界が不調のようだが、怒りを露わに、宗人へ杖を向けた。


「それは、つまり、先生もリッチの仲間と言うわけですか?」

「仲間などではない。家族だ! Fatherは私もchildrenにしてくださったのだ」

「教育者なのに、そんなこと言っていいんですか? 教育委員会に言いつけますよ」

「ふっ、教育委員会か。何もわかっていないクズどもに、すがるな、山瀬!」

「Fatherのことをかなり信頼しているのですね。あんな、サイコパス」

「Fatherにお会いすればわかるよ。Fatherは素晴らしいお方だ。だから、柳瀬、あの方に会おう。そしたら、きっと、Fatherに対する誤解も解ける」

「先生。先生はリッチに会って、何をされたんですか?」

「何もされていない。俺は、Fatherと対話しただけだ」

「対話、ねぇ。一方的に魔法陣を描きこむことを対話とはいいませんよ、先生?」

「貴様、なぜ、それを! いや、そうではなくて、俺は対話をしたんだ。ちゃんと話し合って、Fatherの子供にしてもらったんだ。だから、柳瀬。怖がる必要はない。一緒にFatherに会おう。会って対話すればわかる」

「リッチと話すことなんてないよ、先生。強いてあげるなら、子供はもう少し利口に躾けるべきだということかな」

「なんだと!?」

「なぁ、先生。俺、雄二先輩の話を聞いたとき、思ったんだ。俺たち魔族は、あんたらのFatherを嫌いながら、Fatherの技術を嬉々として使うFather f*ckerだって。でも、俺、気づいちゃったんです。そんな魔族たちを相手に、何もできないあんたらchildrenが一番のFather f*ckerだってことに」

「死ぃぃねぇぇぇ!!!」


 岡根が魔法を発動しようとした瞬間、宗人は岡根の魔力を散らした。


「あああああああああ!!!!」


 岡根は雄叫びを上げ、倒れた。静寂が訪れる。


 困惑する柚子をよそに、宗人は岡根に駆け寄った。


「ちょっ、何をするの?」


 宗人は岡根のワイシャツのボタンを外す。


「は? こんなときに何をするわけ!? 信じられないんだけど!?」

「心配すんな。俺はノンケだ」


 宗人は岡根のネックレスを引き寄せ、ネックレスにつけていた指輪を外した。


「泥棒!?」

「違う。そうじゃないんだ。頼む。少しだけ静かにしてて」


 宗人は岡根の指輪を手にとって、魔力を注入した。指輪の先の宝石が輝き、鍵の立体画像が映し出された。


「よし、これで間違いない」


 宗人は指輪をはめた。


「やっぱり泥棒じゃん!」

「違う。これが、試練の間に入るときに必要なんだ」

「どういうこと?」

「走りながら、説明する」


 二人は駆け出した。


「詳しいことはまた後で説明するが、今回の事件には『リッチ』が関わっている」

「不滅の王様が?」

「そうだ。簡単に言うと、リッチは今、試練の間にいて、岡根や他の魔族を自分の支配下におき、そして今回はVRを使って、より多くの魔族を自分の支配下におこうとしているんだ」

「え、ちょっと、待って、よくわかんないんだけど。えっと、リッチって死んだんじゃないの?」

「やつは不滅の王様だぜ? 生きていても、おかしくはない。その姿は、俺たちの予想とは事なるかもしれないが。で、リッチは、この鍵で入れる試練の間にいるんだ」


 師範の話を聞いてから、宗人も度々岡根を尾行した。そして、その際、岡根がどのようにして試練の間に入るのかを、しっかりと観察していたのだった。


 柚子を一瞥する。柚子は混乱しているようだった。


「落ち着いたら、ちゃんと話す。だから、それまで待っていてくれ」


 豊臣寮が近づいてきた。


『小僧、今どこにいる』師範の声。

『あと少しで豊臣寮です』

『そうか。気を付けろ! やつら、再び動き出したぞ!』

「えっ」


 豊臣寮から大きな物音がした。宗人と柚子は顔を見合わせ、豊臣寮へと急いだ。


 寮の入口が開き、3人の人影が飛び出してきた。そのうちの一人は気絶しているらしく、両脇を二人に抱えられていた。その3人を追いかけるように、入口から脳に魔力が送られている豊臣組の生徒が出てきて、杖を3人の背中に向けた。


 宗人は杖を構え、魔法を発動した。杖先の魔法陣から、風の塊めいた魔球が放たれ、入口の先頭にいた生徒に直撃する。その瞬間、魔球が弾け、衝撃波が走った。生徒は吹き飛び、ボーリングのピンみたいに、後ろにいた生徒たちを巻き込んで倒れる。


「大丈夫か!」宗人が声を掛ける。

「その声は宗人か!」


 翔太は気絶した生徒を抱える一人だった。ヘアバンドをしたもう一人の男子生徒が振り返って、杖を振った。入口に魔法陣を設置していたらしく、入口の魔法陣が光って、壁となった。


「これで数分、もつだろう」

「ゴン君、さすが!」

「その人は大丈夫なの?」


 柚子が心配そうに、二人が抱える男子生徒を見る。


「村井、お前も来てくれたのか。この人なら、多分、大丈夫だ。いきなり魔法をくらって、気絶しただけ」

「豊臣組で、実践魔術の補習を受けた人は、全員男なのか?」

「ああ、そうだ」とゴンが答える。「むさくるしくて、嫌になっちゃうだろ?」

「そう、ですね」


 先輩? と宗人は疑問を翔太に投げかける。彫の深い顔つきは、同年の生徒には見えない。


「1個上のゴン君」と翔太。

「1個上のゴン君でぇす」とゴン。

「柳瀬です」

「村井です」


 二人は若干戸惑いながら、簡潔に名乗る。


 入口付近から大きな音がした。壁に対して、激しく魔法が放たれているようだ。


「速くこの場から離れようぜ」とゴン。

「そうっすね。行きましょう。でも、どこに行けばいいんだ、宗人?」

「取りあえず、徳川寮の方へ。そっから、チャンバラ部の部室へ向かおう」

「わかった。ゴン君。ヨシ君は俺がおぶりますよ」

「OK。任せた」


 翔太はヨシ君と呼ばれた男子生徒をおぶり、走った。


 不意に宗人は、上空から猛スピードで近づいて来る物体に気づき、「危ない、伏せて!」と叫び、柚子の体を守るようにして、しゃがませた。ゴンと翔太もしゃがむ。


 その物体は、宗人たちの10メートルほど先の地面に突き刺さった。それは丸太だった。そして丸太の先端に、師範が立っていた。


「師範!」と翔太。「すげぇ、かっけぇ!」と目を輝かせる。

「ぱねぇ!」その隣でゴンが目も輝かせる。

「ほっ」と師範は得意げに着地する。「このカッコよさがわかるか」

「合図くらいしてくれればいいのに」宗人は呆れる。

「ちょっと、いつまで、私に触れてるつもり?」


 頬を染めた柚子に小突かれ、「ああ、すまん」と宗人は慌てて離れる。


「あのさ」と柚子が言うので、目を向けたが、「やっぱり何でもない」と柚子は顔をそらした。


 師範は一同を見回し、翔太が背負う男子生徒を見て、悲痛な表情を浮かべる。


「事態はあまりよくないようだな。これからどうするつもりだ?」

「宗人が、徳川によってから、道場へ行きましょうって」


 そのとき宗人はポケットから振動を感じた。ネオから渡されたパクパクである。


「柳瀬君! 聞こえる? 柳瀬君!」


 宗人は魔力を込め、応答する。


「聞こえるよ」

「良かった。私たちは隠れているつもりだったんだけど、突然、また、皆、動き出してね。さすがに隠れきれないってことで、急いで逃げ出して、今、君が言っていた道場に向かっている」

「え? 橋崎先輩は?」

「叩き起こした。……梅ばあが」

「……なるほど。容易に想像がつくよ。わかった。それじゃあ、俺たちも道場に向かう。そこで会おう。気を付けて」

「そっちこそ、気を付けて」


 その場にいた全員がパクパクに注目していて、通信が切れると、顔を見合わせた。


「行き先は決まったようだな」と師範。「むっ」そこで師範は倒れている岡根に気づいた。30メートルほど距離があるが、師範にとっては些細な距離であるようだ。「もしやあれは、岡根か?」

「はい。さっき遭遇したんで。これは預かっておきました」


 宗人は指輪を見せる。


「でかした! なら、すぐに道場へ行こう」


 師範は丸太を引き抜き、地面に転がした。老人とは思えぬその動きに、宗人以外はどよめく。


「乗れ!」


 宗人以外は戸惑いながら、ゴン、翔太、宗人、柚子の順に丸太にまたがった。


「よし、では行くぞ!」


 師範は軽々と丸太を掲げる。驚いて、柚子は宗人の背中に倒れた。宗人は少し下がって言う。


「怖いなら、そのまま掴まってた方が良い」

「こ、怖くないし」


 と言いながらも、柚子は手を回し、宗人の背中に密着した。


「えいやっ!」


 師範が丸太を投げる。


 空を切る丸太。師範は丸太の先端に跳び乗ると、丸太を道場まで導いた。

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