22 信じること
誰かを本気で殺したいと思ったのはこれで何度目だろう?
落ち着けよ、俺。と宗人は大きく深呼吸した。戸村夫婦のことを思い出す。面倒事を起こしたら、またあの二人に迷惑が掛かってしまう。
「柳瀬君、捨て子なんだってね」茉奈の高飛車な声。「あの女には、お似合いだ」
「おい、お前、いい加減に」
吠える翔太を、宗人は手で制する。なぜ? と戸惑う翔太に、宗人は勇ましい顔つきで答える。
宗人は茉奈と対峙する。茉奈は机に腰をかけ、いたぶるような視線を宗人に向ける。しかし、宗人からあふれる静かな怒りに、茉奈は一瞬、臆した。振り払うように、宗人を睨む。
「あんたに言いたいことは色々あるが、とりあえず、足元に落ちているスマホを拾ったら?」
「あ?」
茉奈は足元に目をやる。確かに茉奈のスマホが落ちていた。
茉奈は机から降り、スマホを拾うとする。宗人はその瞬間、力を使って茉奈の足を操り、自分の足に引っかかったようにして、茉奈を転ばせた。
派手に転ぶ茉奈。転んだ茉奈を見て、男子たちがどよめいた。
「いったぁ」
「ま、茉奈! パンツ見えてる!」
「は? あっ」
茉奈のスカートがめくれ、ヒョウ柄のパンツが露わになっていた。かぁっと茉奈の顔が熱くなって、茉奈は慌ててスカートを正す。
茉奈の友人たちが、攻撃的な視線を男子に向ける。男子は気まずそうに目をそらした。
「おいおい、ヒョウ柄のパンツかよ」宗人は不敵さをにじませ、茉奈に歩み寄る。「ビッチとはあんたのことか? そのケツで今まで何人の男を誘って来たんだ? ヒョウ柄ビッチ」
「あぁん?」
宗人は茉奈の前に立って、茉奈を見下ろす。宗人の凄味に、茉奈は押される。が、舐められまいと睨みかえす。
宗人はしゃがんだ。茉奈に手を伸ばし、その胸倉を掴んで、立ち上がらせた。
「お、おい、宗人! それは!」
クラスが騒然とする。駆け寄ろうとする翔太。宗人は振り返って言った。
「大丈夫だ、佐野。俺はとても冷静だ」
「いや、でも」
宗人が微笑みかけると、翔太は不本意そうだが、口を閉ざした。
「放せよ、くそっ!」
茉奈はもがき、暴れるが、宗人は胸倉を揺すって黙らせる。
「あんたが誰に俺の話を聞いたのか、だいたい想像はつく。ただ、そいつは警告していなかったのか? 俺に捨て子と言うと、病院送りにされるって」
茉奈は愕然と目を開く。
「どうやらその様子だと、知らされていなかったみたいだな。なら、教えてやるよ。俺は中学のとき、俺を捨て子だと馬鹿にした奴を病院送りにした」他の人にも聞こえるような声量で語った。「安心しろ、そんときの件で懲りたから、あんたを病院送りにしようなんて思わない。俺が正気を保っていたらの話だが」
宗人の胸倉を掴む力が強くなる。
「俺をあまり怒らせるなよ? そして俺は今、キレそうなんだが、なぜか、わかるか?」
「あ、あんたのことを、捨て子と言ったから」
「それは本質的な答えじゃない。俺は、てめぇが自己満足のために、他人を傷つけて喜んでいるから、キレそうなんだ」
宗人は茉奈を軽く突き飛ばした。茉奈の友人が、茉奈を慌てて、支える。宗人は茉奈を見すえる。茉奈も宗人から目を離さなかった。
睨み合う二人。宗人は深呼吸して、落ち着いてから、口を開いた。
「あんたはプライドを傷つけられて、ムカついたんだろ? 俺も昔、それで病院送りにしたから、あんたの気持ち、わかるよ。でも、感情的に行動しちゃ駄目だって、そのとき知った。俺以外の善意ある人に迷惑をかけてしまうからな。だから、あんたも、もう少し頭使って、周りに認められるようなやり方でプライドを示せよ。虎の尾を踏んで、泣きっ面になるようなダサいやり方じゃなくて、周りが不幸にならないようなそんなやり方で、自分のプライドを示せ」
宗人は批判の色を濃くして目つきを鋭くした。茉奈の目に涙が滲む。茉奈は悔しそうに顔を背けた。茉奈の友人たちに睨まれるが、外野からの敵意など、蚊に刺されたようなものだ。
宗人は踵を返し、手早く黒板の絵を消すと、教室から出て行った。入口にて、戸惑う俊也と目が合った。
「あ、あの、柳瀬君」
宗人は俊也の言葉を遮るように、肩に手を置いた。
「……そういうことだ」
宗人は俊也の言葉を待たずして、歩き出した。柚子が走り去った方へ。鐘が鳴る。しかし宗人は止まらなかった。
「宗人!」
が、翔太の声で立ち止まる。宗人は振り返らなかった。
翔太の歩み寄る気配がある。その歩みを止めるように、宗人は言った。
「幻滅しただろ?」
「幻滅?」翔太の歩みが止まる。「何に幻滅すればいいんだ?」
「俺が……捨て子だったってこと」
「何だ、そのことか。実は、知ってた」
宗人が驚いて振り返る。翔太は、申し訳なさそうに頬を掻いた。
「ほら、隣の中学だったじゃん? だから、友達がいて、その友達から宗人の話は聞いていたんだ。すまん、黙ってて」
「いや、べつにそれは良いんだが、俺が捨て子だと知っていて、一緒にいたのか?」
「ああ。いちゃ悪いのか?」
「悪くはないが……」
「俺は宗人が捨て子とあることを気にしなかったよ。だって、それは宗人が悪いわけじゃないし、軽蔑すべきは親の方じゃん。むしろ、そういった辛い過去があるはずなのに、それを感じさせない力強さみたいなところを尊敬していた。だから、一緒にいたのさ。まぁ、病院送りにしたって話を聞いたときは、さすがにやり過ぎだと思ったけど」
「……佐野、いや、翔太。お前ってやつは、本当に心までイケメンなんだな」
「知ってる。でも、村井のことに関しては、まだ、どうすればいいかわからない。だから、宗人。村井のことは任せた」
「ああ。俺に何ができるかはわからないが、できることをやってみようと思う」
「頼んだぞ。また、三人でゲームをしような」
「ああ」
宗人は頷き、背を向けた。その背中に迷いは無かった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
勉強部屋の前までやってきて、宗人は扉に手をかける。鍵が掛かっていた。しかし、鍵はあるし、中に柚子がいることはわかっていたから、宗人は鍵を使った。
扉を開けると、机に突っ伏す柚子の姿があった。
「何しに来たの?」
柚子は涙声で、怒りも混じっていた。
「慰め、なんて言ったら、傲慢かもしれないけれど、それに近い言葉を村井に伝えたくて」
「いらない。どうせその言葉は嘘なんでしょ」
「信じられないか、俺のことが」
柚子は答えなかった。
宗人は柚子の斜め向かいに座る。
「昔話をしてもいいか。俺が、誰も信じられなくなったときの話だ」
柚子は何も言わなかったが、鼻をすする音が控えめになった。話は聞いてくれるらしい。宗人はポケットティッシュとハンカチを柚子の前に置き、柚子の方を見ないようにして、話し始めた。
「あの女が黒板に描いていたように俺は捨て子だ。俺は魔力が生まれつきないことを理由に、親から捨てられた。捨てられたときはショックだったよ。確かに、魔力は無かったけど、その分、良い子にしていたから。だから、裏切られた気がして、ショックだった
親に捨てられた子供がどうなるか知っているか? 人間界でただの人間になるための施設に入れられるのさ。俺はその施設に入れられた。ひどい場所だった。職員はだいたいろくでなしで、気に入らないことがある度に殴られた。何度も逃げ出そうと思った。でも、逃げ出さなかった。きっと、良い子にしていたら、親が迎えに来てくれると信じて疑わなかったんだ。
けど、結局その場所が嫌になったのと、親に会いたいという気持ちが強くなって、俺はその施設から逃げ出した。当然、施設の職員たちは、血眼になって追いかけてきたさ。だから俺は、そいつらから隠れながら、逃げ回った。馬鹿だよな、逃げたところで、魔法界に行く手段がないから、意味がないのに。それでも俺は逃げ続けた。
そして、とある公園のテントウムシめいた遊具の中に逃げ込んだとき、そこに先客がいた。俺と同じくらいの男の子だった。話を聞くと、そいつは親と喧嘩して、隠れていたらしい。俺は何でか忘れたけど、『見つからないといいね』と言った。そしたら、その男の子は『でも、いつも見つかってしまう』と言った。だから俺は、『でも今回はきっと、見つけられないよ』と言った。そしたら、そいつは『いや、でも見つけるよ、今回も』と言った。おかしいよな、逃げたいはずなのに、見つかることに変な自信を持っているんだ。俺はそれが何かムカついた。だから俺は聞いたんだ。『どうして見つかると思うの?』って。そいつは『お母さんは僕のことが好きだから』と言った。好きだから、心配になって、ちゃんと見つけてくれるとそいつは主張したんだ。見つからなければいいのに、って俺は思ったね。でも、そいつの母親はちゃんとそいつを見つけ、二人して手を繋いて帰って行ったんだ。喧嘩していたはずなのに、二人は、とても楽しそうだった。それで、俺は気づいた。親はもう、俺のところに来ないことを」
当時の記憶が鮮明によみがえる。夕焼けの公園に伸びる二つの影。その光景を思い出すたびに、胸が絞めつけられる。宗人は大きく息を吐いた。
柚子を一瞥する。静かになっていた。机の上には、丸められたティッシュがある。不意に、柚子が言った。
「それで」
「え?」
「それで、あんたはどうしたの?」
「ああ。それで、もうこの世界には、自分しかいないんだなと思った俺は、あてもなくさまよった。正直、そのまま死んでもいいと思ったね。俺に生きる場所なんて、ないと思ったから。でも、そんな俺の前に、おっさんが現れた。
おっさんは、革ジャンを着ていて、煙草をくわえていたから、最初はすげぇ怖かった。だから、無視しようとした。けど、おっさんは俺が泣いているのに気づいて、紙袋に入っていたパンを、俺の前に差しだしたんだ。このとき、おっさんは、何のパンを差しだしたと思う?」
「……メロンパンとか?」
「可愛いチョイスだな。でも、違う。おっさんが差しだしたのはフランスパンだった。正直、俺はおっさんの感性を疑ったね。だって、フランスパンだぜ? 泣いている子供に渡すか? 硬いし、食べづらいだろ。そこは普通、アンパンとかだろ」
「ふっ」と笑みがこぼれるのがわかった。「いいじゃん、べつに、フランスパンでも。むしろ、くれたことに感謝しなさいよ」
「そうなんだよな。結局それに尽きる。それに、そのときのフランスパンは、想像していた以上に、柔らかくて、そして温かった。多分、俺が今まで食べてきた、そしてこれから食べるフランスパンの中でも、最もおいしいフランスパンだった。
で、そのおっさんに誘われて、俺はおっさんとともに日本を旅した。六年くらい一緒にいたんじゃないかな。その生活を通し、俺は色々なことを学んで、そしてまた、こうやって、この世界に戻ってきた。
だから、つまり、俺がこの体験を通して、村井に言いたいことは、味方がいないと思うような世界でも、困ったときに頼れる存在は、意外とそばにいるってことだ。だから、心を閉ざさないで、周りを信じて欲しい。俺の場合は偶然だったけど、村井の場合はすでにいるんだから」
「……いるのかな」
「いるじゃん。目の前に」
柚子は少しだけ顔を上げた。宗人と目が合うと、また顔を伏せた。
「俺だけじゃない。佐野だって、村井の味方でありたいと思ってるよ。だから、そんな俺たちを信じてくれないか? 俺が村井を信じているように」
「……あんたは私の何を信じているわけ?」
「また、一緒にゲームをしてくれること」
「……私は、あんたの何を信じればいいの?」
「また、一緒にゲームをすること」
「ただ、遊びたいだけじゃん」
「ああ。でも、そんな友達がいるって最高だろ?」
「……かもね」
宗人は微笑む。柚子はまだ顔を見せてはくれないけれど、でも、何となく、さっきよりは良い表情をしているような気がした。
「あんたが、結構、ハードな人生を歩んできたことはわかった。もしかしたら、何気ない言葉で、あんたのこと、傷つけていたかも。ごめん」
「気にしていないから、気にするな」
「どうして。どうしてあんたは、そんな風に振る舞うことができるの? どうやってその辛い過去を乗り越えたの?」
「どうやって、乗り越えたか、か……。正直、乗り越えられたのかはまだよくわからん。ただ、気にしていないように見えるのは、武器を見つけたからかな。これなら、他のやつに絶対負けない。そういうものを見つけ、磨いてきたから、他人に何を言われても動じない」
「あんたの武器って?」
「……秘密」
「何でよ」
「村井が、自分の武器について語れるようになったとき、そのとき俺は、俺の武器について村井に話すよ」
「ずるいなぁ、その言い方。……私には、あるのかな。武器」
「あるよ。少なくとも俺はあると思う」
「例えば?」
「何だかんだ優しいところとか」
「そんなん、誰にでもあるじゃん」
「そっか。それじゃあ」
「ストップ、ストップ! それ以上、言わなくていいから」
「何で?」
「恥ずかしくなってくるから」
「んじゃ、言おうかな」
「あんたのこと、信じられなくなるわ」
「OK。なら、黙っておくよ。……まぁ、武器に関しては、焦んなくても大丈夫だと思うよ。俺だって、最初から武器に気づいたわけじゃない。周りを信じ、自分と向き合うことで、見つけることができたから」
「……わかった」
鐘が鳴った。この鐘は予鈴か。そろそろ一時間目の授業が始まる。
「いいよ、行って。私は大丈夫だから」
柚子を観察する。まだ、顔は伏せているが、弱気な空気はなかった。
「んじゃ、俺は行くよ。また、後でな」
「うん。教室で」
宗人は柚子を残し、教室に戻った。
それから一時間目の授業を受け、二時間目の授業の準備をしているときのことだった。
「山田」と声を掛けられる。振り返ると、笑顔の柚子が立っていた。「さっきはありがとう。って、何、驚いてんのさ」
「いや、ここ教室だけど?」
「もう、いいよ。私はもう逃げないから」
そう語る柚子の目には力強い意思があった。
「……そうか。ついに解禁か」
「んじゃ、俺も普通に話しかけていいってわけだな」
翔太が現れる。しかし柚子は翔太をスルーして、自分の席に座った。
「えっ、無視!?」
「冗談よ」柚子は翔太に微笑みかける。「佐野も、さっきはありがとうね」
「いいってことよ。でも、そんなドッキリはやめてくれよな。心臓に悪いぜ」
宗人は微笑ましく二人のやり取りを眺めた。翔太が宗人に目を向けた。目が合う。翔太はウインクをした。宗人は、下手くそなウインクで、それに応えた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
柚子が実践魔術の補習があるとのことだったので、宗人は放課後、すぐに寮に戻った。
「何で、私が補習なのよ」
柚子は不満そうだった。
翔太も補習らしく、「何でだろうな」と不思議そうにしていた。
部屋に入ると、俊也の姿はなかった。朝の俊也とのやり取りを思い出し、何と説明すればいいのだろう? と考える。
俊也が帰ってくる。
「あ、柳瀬君。帰ってたんだ」
「ああ」
それ以上、会話が続かない。二人の顔に迷いがあった。
このままじゃいかんな。宗人が口を開こうとしたときだった。
コンコンと扉がノックされる。宗人と俊也は互いに見合い、宗人が扉を開けた。
扉を開けると、利治をはじめとする徳川組のメンツが立っていた。皆の顔に、戸惑いの色がある。
「どうした?」
宗人が見回すと、皆の視線が利治に集まった。利治は、覚悟を決めたように咳払いする。
「ああ、えっと、柳瀬。話は聞いたぞ。お前、過去に色々あったんだってな」
「まぁな」
「もしかして、付き合いが悪いのは、そういう引け目みたいなものがあったからか?」
「いや、そういうわけじゃないが」
「そうか。ただ、一つだけ言っておきたいことがある」利治は真面目な顔で宗人と向き合った。「お前の過去がどうであれ、俺たちはそのことでお前のことを馬鹿にしたりはしない。だから、その辺のことは、あまり気にするな」
利治に同意するように、他の面々も頷いた。
お人好しすぎる。宗人は呆れた。しかし、悪い気はしなかった。
「ありがとう」
「俺たちが伝えたかったのは以上だ。邪魔したな」
利治たちが、自分の部屋に戻ろうとする。その背中に、宗人は声を掛ける。
「海老名!」利治が振り返る。「今度はいつ、遊びに行くんだ?」
「まだ決めてない」
「なら、決まったら教えてくれよ」
利治は白い歯をのぞかせ、親指を立てた。
「柳瀬君」
俊也に声を掛けられ、宗人は扉を閉じて振り返った。俊也が見つめていた。男らしい顔つきで。
「僕も、柳瀬君が捨て子だからって、馬鹿にしないよ!」
宗人は自然と笑みがこぼれた。
「ありがとな」
「どういたしまして」
「飯でも行くか」
「うん! ちょっと待って準備する」
俊也の背中を見て、宗人は目を細める。恐ろしいほど恵まれた環境にいるようだ。師範が言っていた通り、自分は幸運なんだなと思った。
――しかし、宗人は思い出すことになる。宗人の下に舞い込んでくるのは、幸運だけではないことを。




