2 手にした力
久しぶりに訪れた施設は寂れた建物にしか思えなかった。来たばかりの頃は、監獄のように見えたのに。
「こんな場所を恐れていたなんて、俺もずいぶんと小さな男だったな」
宗人は苦笑し、施設へ足を踏み入れた。
宗人は入口へ向かう。その途中に子供たちがいたが、誰も宗人に対し興味を示さなかった。皆、死んだ顔で俯いていた。
「相変わらずだな、この場所は」
宗人は渋い顔で進む。
入口のガラス戸を開け、中へ。受付の小窓を叩くと、怪訝な表情の男が顔を出した。その男に宗人は見覚えがあった。昔よりも禿げて、太っていた。
「何の用だ?」
「俺です。6年前、この施設から脱走した柳瀬宗人です」
「柳瀬宗人? あっ」男の顔に、わかりやすいほど驚きの色が広がる。「あの、柳瀬宗人だと? 今までどこにいたんだ!?」
心配よりも怒りの色が濃い。何も変わっていないと宗人は呆れた。
「そこで待ってろ! お前には聞きたいことがたくさんある!」
男は小窓を閉め、事務所の扉を開けて現れた。自分の前に立った男を見て、宗人は眉をひそめた。男の胸の辺りに、6年前には無かった、毛玉めいた光の塊があったからだ。
「どこを見ているんだ? こっちに来い!」
男は宗人の右手を掴み、乱暴に引いた。光の塊は背中側からも見え、体の内側にあるように見えた。
この光の塊は何なのだろう。廊下の途中に怯えた表情の子供がいた。その子供の胸には、光の塊が見えない。念力で操ることはできるのか。左手へ光の塊を引き寄せてみる。男の内側にあった光の塊は、煙のように流れ、宗人の左手に集まる。手のひらで渦巻き、塊となった。
操ることができるのか。宗人は左にある光の塊をまじまじと眺めた。不意に、右の手首を掴む男の力が弱くなって、男は倒れた。男の体が痙攣し、白目をむく。
「誰か! 誰かいませんか!」
宗人は慌てて叫んだ。
事務室から、気の弱そうな女が顔を出した。女の胸の辺りにも、男ほどではないが、光の塊が見える。女は血相を変え、男に駆け寄った。
「杉浦さん! 大丈夫ですか!」宗人は女に睨まれる。「あなた、何をしたの!?」
ううぅ、と杉浦が低く呻く。女は心配そうに杉浦を見て、短い悲鳴を上げる。杉浦に噛まれそうになったからだ。杉浦は歯を剥き出しにして、ゾンビみたいに襲いかかろうとした。しかし宗人が、念力で抑え込んだ。
「この症状、もしかして……」
「何か心当たりがあるんですか?」
「急性魔力欠乏症かも」
「急性魔力欠乏症?」
騒ぎを聞きつけ、他の職員たちもやってきた。涎を垂らしながら、床でもがく杉浦を見て、怪訝な表情を示す。
「何があったんだ!?」
「その子が杉浦さんに何かしたみたいなんです!」
「何?」
角刈りの男に睨まれる。宗人はその男が高井であることがすぐにわかった。何度も殴られたから覚えていた。そして高井の胸にも光の塊がある。
「お前、誰だ? そして、何をした!」
「何もしていません」
「本当か!?」
「本当です」
宗人は念力を解いた。杉浦は跳ね起き、高井に噛みつこうとした。高井は杉浦を抑え込み、舌打ちした。気弱そうな女や他の男の職員が、高井と一緒になって杉浦を抑え込んだ。杉浦は奇声を上げ、もがく。
「事情は後で聞く! それよりも、杉浦さんはどうしたんだ!」
「この症状は、急性魔力欠乏症ですね」
6年前にもいた女医が、杉浦の顔を覗き込んで、冷静に告げる。
「急性魔力欠乏症だと?」と高井。「どうすればいい?」
「そのままの状態で魔力を注入してあげて。そうすれば、とりあえずは落ち着くはず」
高井たちは頷き、杉浦に目を落とした。すると、高井たちの光の塊に変化が生じた。光の塊から、光がゆるやかに流れだし、両手を通って、杉浦に流れ込んだのだ。杉浦の中に流れ込んだ光は、胸へと向かい、塊となっていく。ただ、高井たちの光は、杉浦の中に流れ込んだ際に、薄くなり、改めてできた光の塊は、先ほどよりも小さなものだった。
宗人も左手にある光の塊を、杉浦の胸に向け、放出した。やはり、高井の体に入った瞬間に薄くなったが、塊の一部となった。
杉浦は暴れるのを止め、大人しくなった。気を失ったらしく、大の字になったまま動かない。高井たちは安堵の息をもらす。
宗人は高井たちを眺めながら確信した。杉浦たちの体の内側に見える光の塊が『魔力』であることを。そしてこの魔力は、高井たちには見えないことも。左手の光の塊を指摘する者は誰もいなかったからだ。
こいつは面白いことになったな。宗人の口角が上がる。想像していた以上に、興味深い力を手にしたようだ。
「さて」と高井は立ち上がり、威圧的に宗人の前に立ちはだかる。「改めて、聞こうか。お前が何者で、杉浦さんに何をしたか」
「俺は、柳瀬宗人です。6年前に、この施設を脱走した」
「柳瀬宗人? あ、お前か!」高井の目つきが鋭くなる。「まさか、復讐か?」
「復讐?」宗人は肩をすくめる。「そのつもりなら、杉浦さんが倒れたときに助けを求めたりしません。杉浦さんには何もしていませんよ。だって、魔力欠乏症でしたっけ? それを人為的に引き起こすことなんて、できませんもん。それに復讐するほどの恨みもないですし」
「できないことはないですよ」と女医。女医は杉浦の体を触診しながら言った。「ただ、彼には難しいでしょう。なぜなら彼は無能だから。それに彼が仮に、魔族だとして、相手の魔力を急激に減らす、高難度な魔法が使えるとは思えない」
できないことはない、と言われたときはドキッとしたが、余計な疑いが掛からなさそうなので、宗人は安心した。
「なら、杉浦さんは何で急に?」
「さあ? 検査してみないとわかりません。何か、病気があるのかもしれませんね。すぐに魔法界の病院へ連れて行った方がいいかもしません。佐藤さん、あっちに連絡して」
「は、はい」
気弱そうな女が、事務所に向かって駆けた。
「あっ、待ってください」宗人は呼び止める。訝しそうに振り返った佐藤に対し、宗人は不敵な笑みを浮かべて言った。「魔族になった子供がいるってことも伝えてください」