1 捨てられた子供
「お前は私たちの子じゃない」
母親は別れ際にそう言った。
宗人は見知らぬ大人に掴まれ、「嫌だ。そばにいたい!」と泣き叫んだ。しかし母親は、抱きしめることを拒み、父親は救いの手を伸ばさなかった。
「嫌だよ、こんなの! 放してよ!」
宗人が懇願しても、大人たちは止まらなかった。ロボットみたいに淡々と任務を遂行する。宗人を親元から引き離し、人間界へと連行する任務を。
宗人の両親は魔族であるのに、宗人は魔族ではなかった。魔族とは魔力を有し、魔法が使える種族のことで、魔法が使えない種族は『無能』である。宗人は生まれつき魔力が生成できなかったため、無能だった。そして、魔法界に無能のいる場所などなかった。
宗人は今でも覚えている。見知らぬ大人たちに連行される自分を、憑き物が落ちた表情で見ていた二人のことを。彼らの目は息子を見る目ではなかった。
人間界へ追放された宗人は、魔族ではなかった子供たちが集まる施設へ入れられた。ただの人間には魔族の存在を知られてはいけない。そのためその施設で、ただの人間としての生き方を学ぶのだ。
宗人はその施設で生活しながらも信じていた。両親が迎えに来てくれることを。「自分たちが間違っていた。宗人は私たちの子よ」と言ってくれることを。しかしいくら待っても、両親は現れなかった。
そして、宗人は施設から逃げ出した。会いに来ないならば、自分から会いに行けばいいと思った。が、逃げている途中で気づいてしまった。自分はもう、両親の子供ではないことを。会ったとしても自分が辛くなるだけだと。
逃げ疲れた宗人は、橋の下で膝を抱え、虚ろな目で川を眺めていた。施設に帰っても、きついお仕置きが待っているだけだし、このまま死んでしまおうか、と思った。
そのとき、宗人の前に一人の男が立った。
「どうした、坊主」
宗人に声を掛けたのは、煙草と革ジャンが似合うタフガイだった。
宗人は答えなかった。沈黙を貫き、男を見ないようにした。すると男は、宗人の隣に座り、宗人にパンを差しだした。
「食え、焼き立てのうまいパンだぞ」
もしもこのとき、パンのうまそうな匂いがしなかったら、宗人はそのパンを食べなかっただろう。でも、そのパンが、言葉通り焼き立てのパンだったから、宗人はパンを食べた。
「坊主、家は?」
「……ない」
「ない?」
「俺にはもう帰る場所なんてないんだ」
「……なるほど。なら、俺と一緒に来るか?」
怪しい人にはついて行ってはいけませんと言われていたが、その男は怪しい人には見えなかった。むしろ、宗人がこれまで出会った大人たちよりも大人に見えた。
「行きたい」
「よし、んじゃあ、行くか」
「おっさん、名前は?」
「俺に名前なんて無い」
「でも、それじゃあ、呼ぶとき困るよ?」
「さっき、俺のことを何て呼んだ?」
「おっさん」
「なら俺はおっさんだ」
おっさんは優しい笑みを浮かべた。
それから宗人は、おっさんの車に乗って、野宿をしながら、日本中を旅した。夏は北の方で過ごし、冬は南で過ごす。楽な生活ではなかったが、おっさんと一緒だったから、楽しむことができた。
おっさんとの生活を通し、わかったことがある。おっさんはワイルドな男だった。食糧は山や海から調達し、金が必要になったときは、それらを売った。自給自足のその生活は、現代の日本ではかなり珍しい生き方だった。
宗人は、「どうしてこんな生活をしている?」と聞いたことがある。そのときおっさんは、「この生き方が性に合っているからさ」と笑った。
「周りの目とか気にしないの?」
「気にしないよ。我が道を行く。俺はそういう生き方を選んだからな」
自分の生き様を貫くおっさんの姿勢に、宗人は強い憧れを抱いた。自分もおっさんみたいになりたいと思った。
そして、おっさんとの旅を始めてから6年が経った。「旅館に泊まろう」とおっさんが言うので、珍しいなと思いながらも、提案を受け入れ、旅館に泊まった。
柔らかい布団で寝るのに慣れていなかったから、寝るのに時間が掛かった。その結果、起きるのが遅くなってしまった。
目覚めたとき、部屋におっさんの姿は無かった。荷物もないし、フロントに聞くと、おっさんはすでに旅館から去っていた。
宗人は部屋に戻り、机の上のメモに気づいた。そのメモには「強く生きろ」とだけ書いてあった。自分を置いて行ったことに対する怒りは無かった。むしろ、その一文を見て、宗人はふっと笑みをこぼす。おっさんらしいと思った。最後までおっさんはおっさんだった。
「強く生きろ、か……」
宗人は障子を開け、窓の外へ目を向ける。その旅館から橋が見えた。二人が出会った、あの橋である。
◇◇◇◇◇◇◇◇
おっさんとの生活の中で、宗人が学んだことはたくさんあるが、その中でも『念力』は宗人にとって大きな発見だった。
宗人は、おっさんの真似をして、毎日座禅を組んでいた。
「いいか、坊主。座禅中は何も考えるな。心を空っぽにするんだ」
「わかった」
宗人は、おっさんに言われた通り、心を空っぽにすることに努めた。最初はうまくできなかったが、次第にコツを掴んだ。
そしてある日、河原で座禅をしている最中に、おっさんの驚く声が聞こえた。
「おい、坊主! 何だ、それは!」
「え?」
宗人は目を開けて、驚いた。自分の周りにあった砂利が宙に浮かんでいたのだ。宗人が慌てて立ち上がると、砂利は落ちた。
「坊主、お前は一体……」
やばい、おっさんに嫌われると思った。が、おっさんは目を輝かせて言った。
「すげぇな! なぁ、今のもう一回やってくれよ!」
「えっ、あっ、うん」
宗人は戸惑いながら、やってみる。しかし、砂利を浮かばせようとしても、浮かばせることができなかった。
「ごめん、できない」
「何で、さっきはできたんだろうなぁ」
おっさんは真剣な顔で悩む。その姿を見て、宗人は疑問に思った。
「おっさんは怖くないの? 俺が、こんな不思議な力が使えることが」
「別に。生きていれば、こんなこともあるさ。それより、さっき座禅をしていたのが、関係しているのかもしれない。もう一回やってみて」
自分に対し恐れを抱かないおっさんの態度に、宗人は喜びを感じた。やはりおっさんは自分の知る大人達とは違うと思った。自分を忌み嫌うような大人達とは。
それから宗人は、おっさんとともに自分の力について理解を深めた。おっさんがいなかったら、力を使いこなすことはできなかっただろう。その点でもおっさんに感謝している。
ある程度、力の使い方がわかってきた時に、おっさんが言った。
「しかしまさか、坊主が超能力者だったとはな」
「超能力者って?」
「超能力が使える人間のことだ」
「超能力?」
「何だ、超能力を知らないのか? 超能力は超常現象を引き起こす力のことさ。坊主の場合は、念力って能力だな。自分の意思で物体を操ることができるんだ」
「へぇ」
念力。魔族ではない自分が使える、魔法ではない不思議な力。自分は魔族ではなく、超能力者だったのか。宗人は浮かべた石を眺めながら思った。
「なぁ、坊主。その力を使って、俺を持ち上げることができるか?」
「できるよ」
宗人は念力で、おっさんの体を持ち上げた。
「おお、すげぇ!」
おっさんは興奮する。数秒しか持ち上げることができなかったが、それでも、おっさんは満足したようだった。
超能力は他人を喜ばせることができるらしい。
楽しむおっさんを見て、宗人の頬がゆるんだ。