第十三話 大猿
第十三話 大猿
2236年 冬の始まり 東南アジア
シェイの家の中に僕らは居る。
シェイの目の前で僕とサヤは身支度をする。
今は二人ともシェイが用意してくれた防具に身を包んでいる。
なんか、見るからに高そうなものだ。
僕たちが使っていいのだろうか。
そんな僕の気持ちを察したのか、
「おいおい、その防具は貸してんだからな。やらねぇぞ。」
そう言うと、出入り口のほうを一度見て言った。
「本当に、楽しみだよ。」
シェイは楽しみのようだ。
少し前は背を向けて逃げていた相手に、今度は立ち向かっていくのだから。
僕は大剣を背負うとシェイに言った。
「大猿の毛皮を持ってくればいいんですね。」
「一応倒した証拠が欲しいからな、持ってきたら何か報酬をやるよ。」
シェイは何か楽しそうだ。試されているということか。
今の実力を発揮するまでさ。
サヤも用意が出来たらしい。
「森の入り口まで一緒に行ってやる。なんとなくだ。」
森の入り口で帰りを待っているということか。
「行こうよ。カイ。」
僕はサヤの言葉に頷いて、シェイの家を出る。
日差しが強い。
僕は手を太陽にかざす。
思えば今頃日本では涼しかったり寒かったりする時期だと思う。
暑いのは嫌いじゃないけど。これから続くと思うとなんともいえない。
「お前らがあいつを倒せるわけねぇだろぉ。」
どこからかそういった声が何度か聞こえてくる。
シェイはその都度気にするなと言った。
結果を見せれば良いんだ。
「俺はお前たちの力を信じている。」
シェイはそれだけ言うと森の入り口まで何も言わなかった。
僕たちも何も言わずにシェイとともに入り口まで行く。
シェイと一緒に森に入っている間は、大猿は僕たちの前に現れていない。
シェイは、私を恐れて出てこないのだろうと言っていた。
なら、僕たちだけのときなら現れるだろう。
現れたときが勝負だ。
そう思っている間に森の入り口につく。
「さぁ、行ってこいよ。待ってるぜ。」
シェイの言葉に僕たちは頷いて、深き森の中へ進んでいく。
僕たちは森と森の間に足を踏み入れた。
そこまでは特に変わりない。
鳥の鳴き声が聞こえてくる森の中を抜けてきた。
眼前に見える奥の森を見る。
前回はここであの大猿が目の前に落ちてきた。
いや、降りてきた。
空を見上げれば青く雲はない。
ひとまず奥の森に入ろう。
「行こう。」
僕はサヤに言うと再び森に入った。
村のほうの森とは違う。
森に入ると、猪をもっと大きくして一本の角を生やしたような動物や蜂を大きくしたような昆虫がそこには居た。
ぼくらはそれぞれ一角猪と大蜂と呼んでいる。
名前なんて人間が勝手に決めた記号なんだ。
その程度のことである。
そう思っている間に一角猪がこちらに気が付く。
一角猪は勢いをつけて突進してくる。
本番前の準備運動ですか。
ぼくとサヤはそれぞれ左右に避ける。
避けたらすぐに横を通り過ぎていく一角猪を追いかける。
突進を終えて止まった一角猪の背中に僕の大剣が振り下ろされる。
攻撃を受けた猪は衝撃でよろめく。
素早く剣をしまって離れる。
大蜂も僕たちに近づいてくる。
僕の大剣では、大蜂をうまく倒すことが出来ない。
だからサヤの片手剣にお任せしている。
「たぁ。」
サヤが近づいてきた大蜂を真っ二つにしている。
真っ二つにされた体の中から液体が飛び出す。
サヤの顔面にその液体がかかる。
サヤはそれを手でぬぐってこちらに来る。
再び一角猪がこちらに向かって突進してくる。
僕たちは左右に避けて、止まった猪の背中に剣を振り下ろそうとする。
しかし、その前に猪は反転して僕のほうに突っ込んできた。
「うおぉ。」
僕は鋭い角で胸を突かれて後方に飛ばされた。
防具がしっかりしていなければ今の攻撃だけで行動不能になりかねない。
今回はシェイがいい防具を用意してくれたためか、体内への衝撃はそれほどなかった。
サヤがその隙に後ろから猪の頭に剣を突き立てる。
一角猪の悲鳴の声が森に響く。
僕は立ち上がって、、剣が突きたてられた猪の頭に大剣を振り下ろした
刃は猪の首のあたりに深く食い込む。。
猪は一度大きく叫ぶと横になって動かなくなった。
サヤが猪から剣を抜こうとする。
無理やり抜くと血が噴出してきた。
僕も外に出したままの剣を収める。
「ふぅ。」
一息ついて周りを見渡すと、サヤはまた現れた大蜂の駆除に対応している。
他の動物に攻撃しているときにあの針で刺されるといいことは無い。
シェイの話では、あの針からは毒が出るらしい。
大猿との戦いに参戦されてもいいことは全く無い。
なのでサヤに駆除を頼むとして、僕はこっちに向かってきた新しい獣を狩るとしよう。
近くで咆哮が聞こえてくる。
聞こえた方向を見ると、奴が上から降ってきた。
大猿は大きな音をたてて着地する。
そして、一度大きく咆哮をする。
「来たか。」
やっと本命の登場だ。
しかし、大蜂はサヤのおかげで居なくなったが、一角猪がまだ一頭近くに居る。
ちょうど大猿と一角猪の間に僕らはいる。
だったら片方に寄せよう。
勢いをつけて突進してくる一角猪を僕らは避ける。
突進する先には大猿がいる。
そのまま一角猪は止まらずに大猿に突進していった。
角が大猿の体に突き刺さる。
次の瞬間、大猿は右前足を振り上げて一角猪へ振り下ろす。
見事に一角猪の体の側面に当たって、猪は悲鳴を上げながら飛んでいく。
着地した先で動かなくなる。
一撃ですか、そうですか。
この深き森の中で、ぼくらと大猿は対峙する。
僕らはそれぞれ自分の剣に手をかける。
さぁ、はじめようか。
大猿がこちらに向かって突進してくる。
大猿は図体が大きい割に動きが素早いことがすぐ分かった。
僕は避けようとしたが、体の一部がぶつかって飛ばされる。
「うおっ。」
一瞬空中に浮かんだあとに、冷えた地面に叩きつけられる。
ごろごろと転がって勢いは止まった。
「だ、大丈夫。」
サヤは大猿のほうに注意を向けながらこちらに近づこうとする。
「来るな。それこそ危険だ。」
すぐ傍に大猿はいる。
そして、大猿はこちらを向こうとする。
ここって凄く危険地帯。
「せやっ。」
大猿がこちらを向き終わるかいなかのときにサヤは大猿の体に切りつける。
大猿はちいさく悲鳴をあげる。
その間に僕はその場を離れた。
そばに居たらさっきの一角猪のように一撃で殺されかねない。
赤い血が青白い毛を赤く染める。ほんの少しだけど。
大猿は向き直ってその場から飛ぶ。
左右前後の足を一杯に広げて僕らの上に落ちてこようとした。
僕とサヤは左右にそれぞれ避ける。
落ちてきた大猿の背中に大剣を振り下ろす。
大猿は衝撃でよろめく。
込めた力のためか切れ味のためか分からないが、大猿の体に深めの傷をつける。
僕は剣をしまって一度離れる。
その間にサヤは片手剣で何度も切りつける。
大猿がぐるぐるとサヤを捕捉しようとすると、サヤはそれにあわせてぐるぐると大猿と一緒に回る。
そして、立ち止まって前足を振り上げたときに切りつける。
いいな、片手剣って。
僕はそう思いながらも、前足を振り上げる大猿の体に大剣を振り下ろす。
青白い毛がどんどん赤く染まっていく。
これなら簡単に勝てるんじゃないか。
僕は思ったが、その気持ちは大猿の咆哮によって吹き飛ばされる。
これまでとは桁違いの大きな咆哮を至近距離で受けた。
耳を塞いでも容赦なく侵入してくる。
頭がくらくらする。そんな音だ。
奴は本気で怒ったらしい。
手で耳を押さえながら何とか動く。
大猿との戦いでは、咆哮で足元がふらついても絶対に立ち止まるな。
シェイが前にそう言っていたことを思い出す。
直後に大猿が突進してくる。
僕じゃなくてサヤのほうに。
サヤは耳を押さえながらも動きは早く、大猿の突進を避けていた。
なんで、あんなに早く動けるんだ。
あの音は大きかったよ。大きかったよな。
僕は大猿に近づきながらサヤをみた。
そして気が付いた。
サヤと僕とは耳の抑え方が違っていた。
サヤは布の上から耳を押さえていた。
僕は大猿に切りつけたあとに頭の防具に触れてみる。
すると音を遮っているように感じる。
再び大猿は大きく咆哮をする。
今度は両手で布を挟んで押さえると、思ったよりも音が耳に侵入してこない。
これだったら布を挟んで押さえればよかった。
サヤは偶然分かったのだろうか。
この際どっちでもいいか。
そう考えつつ、隙の出来た大猿の背中に大剣を振り下ろす。
サヤは咆哮が止んだ直後の隙を使って切りつけている。
大猿がよろよろと動くようになっていた。
もう大猿の体は真っ赤だ。
僕はよろよろと動く大猿の背中に力を込めて大剣を振り下ろす。
一度大きな悲鳴を発するとその場に倒れて動かなくなった。
「た、倒したのね。」
サヤが僕に近づいてくる。
「終わった。」
大きく深呼吸をする。
ちょっと前までは追いかけられていた大猿を、今は追い詰めて倒していた。
「さてと、皮を持ち帰ろうか。」
僕はそう言うと腰に挿していた短い剣を出して大猿の肌につきたてる。
この剣は武器には使えないが何かを切り取ったりといったことに使える。
いびつだけど皮は取れた。
大猿の皮を折畳んで、持ってきた袋に入れる。
「帰ろうか。」
「うん。」
サヤは僕の言葉に返事をして歩き出す。
先に歩き出したサヤの後ろを、僕は周りを注意しながら歩いていった。
「おかえり。」
森を出るとシェイが待っていた。
シェイは怖い顔をしている。
結果を言うのもちょっと怖いくらいだ。
「約束どおり皮を持ってきましたよ。」
僕は袋から出した大猿の皮をシェイに見せる。
シェイは大猿の皮を受け取ると、じっと見つめている。
一度頷いて僕らに言った。
「これで森を越えられるな。」
シェイは笑顔になっていた。
シェイは大猿の皮を自分の持っている袋に入れる。
「約束どおり報酬はやるが、明日の朝にやる。今日は泊まってけ。」
シェイはそう言いながら村のほうに歩いていく。
僕らもその後を付いていく事に。
この状況は大猿に追いかけられて、逃げてきたときと同じようだと思った。
あの日からどのくらい経ったのだろうか。
シェイは村につくと真っ先にあの場所へ行く。
初めて僕らがこの村に来たとき、僕たちに彼らの議論を聞かせた場所だ。
そこには今日も彼らが居た。
シェイは彼らに近づくと、袋から僕らが狩った大猿の皮を出して見せた。
議論を交わしていた数人がみな驚く。
シェイは僕たちを見て笑顔になる。
議論を交わしていた彼らも僕らを見た。
「お、お前らが。あ、あの大猿を。」
その中の一人が口を開くもそれ以上は言わない。
いや、言えないのか。
「抜けられる」とか「抜けられない」とか言う話をしていたこと自体が懐かしく感じてしまう。
この村での時間が凄く長く感じた。
これで、この村ともお別れなのかと。
隣ではサヤがあの大猿の登場とか、どうやって狩ったといった事を自慢そうに話していた。
サヤには多々助けられたので、何も口出しは言わないようにした。
シェイの家に戻ってこの村での最後の夜を過ごす。
僕たちは大猿との戦いのためか、すぐに眠りに付いた。
金属が擦れる音で僕は目を開ける。
目を擦りながら起き上がるとシェイが大剣を背負って家を出て行くところが見えた。
この時間帯に狩りをするのだろうか。
僕は急いで外に出られる服に着替える。
サヤは隣ですやすやと寝ている。
起こすと悪いから止めといた。
家を出てシェイを追いかける。
「シェイさん。」
僕はシェイが森に入る前に捕まえた。
「なんだい。こんな時間に。大猿との戦いも疲れたろう。早く寝たほうがいいぞ。」
いや、こんな時間っていうのはこっちの言いたいことだと思うけど。
「なぜこんな遅くに森に。」
僕はシェイに言う。
シェイは森を見ながら言った。
「昼間に活動する動物と夜間に活動する動物は違う。」
シェイは僕を見て続けた。
「お前たちが倒した大猿はな。昼間の森では一番だが。一日を通した森の中では一番じゃないんだ。」
「え。」
僕はなんとかそれだけを言うことが出来た。
森の奥から微かに咆哮が聞こえてくる。
僕は、咆哮の聞こえてくる方向を素早く見る。
あの大猿よりも強敵が今この森の中をうろうろと動き回っているということなのか。
「村の人間は知らないさ。俺が動物から取った素材に触れる人間以外はな。」
「僕らが寝ている間、何時も夜の森に。」
僕はシェイを見て言う。
彼の顔は月明かりに照らされている。
「そうだ。」
彼は首だけをこちらに向けて言う。
「気が付かなかったです。」
僕は下を向く。なぜ教えてくれなかったのだろうか。
「気が付かないようにしていたからな。」
そしてシェイは笑いながら続けた。
「今日、お前たちが大猿を倒してきたからな。俺も負けられないって気持ちがあったんだろうな。」
そこでシェイは一息つくと。
「それじゃあ、行って来る。お前は早く寝ろ。」
そして、シェイは森を見つめながら続けた。
「ここからは俺の仕事だ。」
言い終わるとそのまま森の中へ入っていった。
僕はその後姿が見えなくなるまでその場に立っていた。
僕らが知らないことは、僕らが思っている以上に多いんだって思った。