聖女様とこぶたさん
友人と話している時に豚さんの話になって、短編書きたくなりました。
どうぞ、お楽しみ下さい。
昔々、とある大陸に“森の国”と呼ばれる小さな王国がありました。
国全体が大きな森に囲まれていて閉塞的な国ですが、それ故、他国との軋轢がほぼ皆無の一言で、つまらないと言えばつまらないですが、ただ生き、ただ死ぬのであれば――この“森の国”がピッタリと言えるほど平穏な国でした。
この国に住む国民は“森の民”と自称し、自然の防壁として自分達を守り、そして自分達に幸を分けてくれるこの森を“聖なる森”として崇め、敬っていました。
そんな長閑な“森の国”に、今、漠然とした危機が迫っていました。
それは――“大侵攻”
字面的には恰好良い名ですが、簡潔に説明すると『百年に一度か二度起きる森の動物達の暴走』であります。
国の記録によれば起こった年は必ず、町がムチャクチャになってしまい、人々に酷い悪影響を与えてしまうと書かれるほどの規模。
そんな大災害が近づいている……そう、巫女様が警告しました。
――それを耳にしたある一人の女性が、民を救うべく立ち上がったです。
それが“森の国”の第一王女であり、その精練とした佇まいとその卓越した魔術の才能から国民に愛され、敬われている――聖女様でした。
そして聖女様は、この大災害に対する対抗策として、“森の国”における秘奥――“勇者召喚の儀”を行なおうとしていました。
――――――――――
「我ら、森の民を見守りし聖獣よ。どうか私の祈りを聞きたまえ」
“森の国”の真ん中に位置している王宮の奥深くにある召喚の間……そこに聖女様が立っていました。妙齢の女性らしい肉感溢れる肢体を白いローブで覆い、お気に入りの杖を握り締め、部屋の中央にある魔法陣目掛けて魔力を込めていました。召喚の間は魔力に余波で風が吹き荒れ、美しい金色の髪が靡きます。
今、聖女様が考えているのは、森の民の安全と自らの婚期……そして聖女様の父、王様への不満でした。
「そして森に生きている精霊よ。どうか浅はかな私をお赦し下さい」
と、言うのも。聖女様が“大侵攻”の対抗策として、この“勇者召喚の儀”を行なう際――王様がそれを渋ったからです。『いや……別に勇者は召喚しなくてもいいだろう?』『こういう時は民達が一致団結してだな……』『ていうか、お前一人でどうとでも出来るだろう!?』――と、最初は窘めるように、そして最後は王様に長く仕える執事さんまで参加して懇願するように、“勇者召喚の儀”を反対したのです。
「四方囲む我が国を守る御力……雄を備える戦士をどうか……」
聖女様は激怒しました。
父である王様は温厚で平和的で、剣や槍を作るなら鍬や鋤を作れと言うぐらいに平和が好きで森の民の事を考える名君ですが――ヘタレなのが難点でした。
国がメチャクチャになってしまうかもしれないというのに、聖女様一人で何とかなるなど…………まあ、確かに何とかなるやもしれませんが、だからと言って使える物を使わないのは愚か者のやる事だと聖女様は思いました。
その為、聖女様はもう王様の事など知らないとばかりに“勇者召喚の儀”を断行しているのです。
無論、それを阻止しようと王様と執事さん、そして王宮に勤めている騎士達が総出で止めてきましたが――聖女様は≪捕縛の魔術≫を王宮にいる全員に掛けたので、王様と執事さんと騎士達、そしてとばっちりでメイドさん達と聖女様の妹様と王妃様は、今も王宮の何処かで転がっている事でしょう。
「――私は願う。我らを守護せし戦士よ!今此処に現れ、我らを守りたまえ!」
聖女様の呪文の締め括りと共に、魔法陣が一際強く輝き、召喚の間全体に光が溢れました。国の記録に書かれていた召喚成功の瞬間です。
聖女様は眩む視界の中、ほっと息を吐きました。“勇者召喚の儀”に使われる魔術が、聖女様が使っている魔術体系とはかけ離れていて、成功出来るか五分五分だったのです。ですが、成功出来たので問題ありません。失敗すれば魔法陣から半径数十メートルが大爆発するかもしれなかったのですが――そんな事は無かったのです。成功したのですから何ら問題はありません。
「はぁ……疲れました。でもこれで――!」
聖女様は確かな満足感を覚えていました。
これで森の民は救われます。“大侵攻”のせいでご飯が食べられなくなる事態になる事は無くなるはずです。それに、国の記録によれば、召喚される勇者は大変美形であると書かれていました。それも実際に召喚した歴代聖女様自身がそう告げたという事が書かれていたので間違いありません。
……聖女様は今年でもう25歳になりました。もう結構なお年です。小さい頃から魔術の勉強をしていたので、婚約者はいませんし、異性の知り合いもいません。
つまり、結論からいえば――この“勇者召喚の儀”は聖女様の結婚相手召喚の儀でもありました。一応は“森の国”の第一王女なので、後継ぎとかの必要もあるのです。
勇者は“勇なる者”です。強く、且つ美形なのです。……行かず後家に片足突っ込んでいる聖女様にとっては垂涎のチャンスでありました。
魔法陣の光が除々に消えて行きます。さらに召喚陣の上には誰かいるような気配を感じます。召喚に成功したようです。
聖女様はニヤリとその綺麗な顔に似合わない悪どい笑みを浮かべました。後は一緒に“大侵攻”について調査しつつ、親交を深めれば、そのまま結婚、ハネムーンです。やる事は――ヤる事。とても単純で、魔術よりも楽な事です。
出来れば、十代前半の美少年がいいなぁと思いながら、聖女様は光が止んだ瞬間を見計らって、三日三晩考えた台詞を言う為に口を開きます。
「ようこそいらっしゃいました勇者様!どうか、この“森の国”を御救い下さいませ!その為ならば、私は――貴方様に全てを捧げましょう!!」
ド直球でした。初対面から『娶れ』宣言です。
ですが、聖女様的には『民の為に一生懸命涙目で訴えているから、自分の言っている事が分かってない初心な女の子』のつもりでした。つもり、という事は――つまりそういう事です。
………………しかし、たっぷり数十秒経っても返事がありませんでした。おかしいな?と思った聖女様は光によってやられた視界で何とか召喚陣にいる人を見ます。
「あら?」
見える……というか、掠れて見えるのは――小さな塊でした。子供が丸まっているかのようです。いやしかし、子供が丸まってるにしてはやけに小さい……そう、まるでつい最近出産した酒場の女将の赤ん坊のよう――
「はっ――!」
――そこで聖女様に天啓が降りました。なんという……未だ男女の営みすらやっていないというのに、母になれと言うのでしょうか。いや、王様が隠していると思っている艶本集の中に、育て親と子供の云々があった。たぶんソレだろう。
つまり、これは理想の勇者を一から育てよ、という神の啓示なのだと、聖女様は思いました。とても神様が可哀想です。
「……どうしましょ」
ですが、一応聖女様には常識がありました。“勇者召喚の儀”は即ち、大陸中にいる人間を召喚する魔術――平たく言えば拉致なのである。赤ん坊を拉致……その、結構アレです。
今更ながら罪悪感を抱いた聖女様。しかも、記録によれば送還の魔術はありません。
これは……責任を取って、育てるしかないな――と、抱き起こしたと同時……違和感を覚えました。
「ん?」
丸々とした身体。聖女様の手に触れる柔らかな毛の感触。突き出された四本の小さなあんよ、丸くて可愛いお鼻、小鳥の羽のような耳……。
光によって眩んでいた視界が治り、聖女様の目に映ったのは――
「子豚様……?」
ふがふがと鼻を鳴らし、すぴすぴと昼寝をしているとても可愛らしい“こぶたさん”でした。
―――――――――
「ふもっ!ふもっ!」
「……どういう事なのかしら?」
所変わって、聖女様の私室――第一王女様のお部屋で、聖女様は≪自動の魔術≫で一人でに動くティーセットが淹れた紅茶を飲みながら、思案していました。
あの後――
赤ん坊は赤ん坊でも、子豚の赤ん坊を抱えて茫然していた聖女様を我に返させたのは、魔術の鎖でグルグル巻きにされながらも芋虫の如くぬるぬるした動きで、召喚の間に乗り込んできた王様達でした。悲鳴を上げてしまってもしょうがない光景です。
王様達は聖女様の手の中ですぴすぴ眠っているこぶたさんを見ると――この世の終わりのような顔をして、固まってしまいました。
固まってしまった王様達に首を傾げた聖女様でしたが、ともかくこのままでも埒が明かぬと思い、そのまま王様達を置き捨てて、私室に戻ったのです。その時、≪捕縛の魔術≫で縛られていたメイドさんと王妃様にこってり怒られましたが、やっぱり手の中のこぶたさんを見ると固まってしまいました。
皆の異様な驚きようにびっくりしましたが、まあ“勇者召喚の儀”でこぶたさんを召喚した事にびっくりしただけでしょうと当りを付け、≪捕縛の魔術≫を解除して、そのままこぶたさんと一緒に私室に――という事なのです。
「ふももっ!」
それにしても、いったいどういう事になれば、こぶたさんが召喚されるのだろうと聖女様は考えます。
“勇者召喚の儀”は人間を召喚する魔法陣のはずです。昔からある魔法陣をそのまま描いたので間違いありません。聖女様は小さい頃から魔術に触れているので魔術のエキスパートです。失敗も三割ぐらいの偉大な魔法使い様なのです。何かあればいち早く察知も出来ます。なのにどうしてこぶたさんが召喚されてしまったのでしょう。
これでは聖女様の薔薇色の計画が台無しです。
「ふもーっ!」
「……まあ、召喚しちゃったのですからしょうがないですね」
≪送還の魔術≫が無い以上、このこぶたさんを元の場所に戻す事は出来ないし、このまま森に返しても獰猛な獣にムシャムシャされてしまうのがオチでしょう。
召喚者の責任です。聖女様はこのこぶたさんをお世話する事に決めました。これが気性の荒い狼さんなら考えましたが――絨毯の毛の感触が面白いのか、ゴロゴロ転がって遊んでいるこぶたさんの可愛らしい姿を見れば、特に問題が見当たりません。
聖女様は遊ぶこぶたさんを見て、頬を緩めます。薔薇色の計画は失敗に終わりましたが――可愛らしいペットが出来たのですから、あまり失敗に思えません。
「それにしても……本当になんで失敗してしまったんでしょうか?」
「ふもっ?」
「あっ……子豚様」
「……はむ」
「……ふふふっ、私の手は食べ物ではありませんよ?」
――癒される。それに尽きました。
聖女様としての仕事に――母である王妃様のお見合い写真地獄。生温かい目でそれを見守る王様と妹様……その疲れが瞬く間に癒されるのを感じました。もうこぶたさんと結婚したい。
聖女様は手を甘噛みしてくるこぶたさんの口から優しく手を抜き、頭を撫でた後――≪浮遊の魔法≫で本棚に納められていた召喚系の魔導書を手元に引き寄せました。
こぶたさんをお世話するのはいいとしても、しっかりと疑問点を解消させる必要があります。修正出来るのであれば修正した方が、後世の役にも立ちます。……婚期に狂い、魔術が暫定恋人な聖女様でしたが、基本的に勤勉なのでした。
「ふもっー!ふもっー!」
聖女様のおみ足に突進するという良く分からない遊びに耽り始めたこぶたさんを微笑ましく思いながら、魔導書を捲る聖女様は――気になる記述を見つけました。
「……えっ?」
それは『召喚の際、脇の甘い魔法陣の場合に介入が起きて悪魔が召喚される可能性がある』という記述でした。
――“悪魔”
聖女様は見た事がありませんが、この世界とは別に異層にある負の世界に住む生き物であり、人を悪の道に誘う凶悪無慈悲なまさしく悪魔という名に等しい恐ろしい生き物であるというのは知っていました。
もしや――と、聖女様は考えます。使った魔法陣は大昔に作られた物そのまま……それに使った事の無かった魔法陣です。可能性は、ある、かもしれません。
それに悪魔は人が想像も出来ないくらいの醜悪な見た目をしていると聞きましたが、何かしらの魔術で『偽装』をしているのでは?
「………」
「ふもっ!?……ふもっー!」
聖女様は≪浮遊の魔術≫でこぶたさんを宙に浮かせます。
急に足が地から離れた事にびっくりしたのか、小さなあんよをジタバタさせているこぶたさんのあまりのキュートさに、にへらぁ……となりかけた聖女様は直ぐに顔を引き締めます。なにせ、もしかしたらこの天使のような可愛らしさを持っているこのこぶたさんは悪魔なのかもしれないのです。……いや、小悪魔のような可愛――聖女様は考えるのを止めました。
「……こほんっ」
ともかく――悪魔の可能性は否定出来ません。
聖女様は、対悪魔の魔術を何個か知っているので大丈夫ですが――この“森の国”では聖女様以外に魔術を使える人がいません。これは危険です。しっかりと監視し、悪魔が偽装しているこぶたさんなのか、天使と小悪魔の可愛さを兼ね備えるただのこぶたさんなのか見分けなくてはなりません。
“大侵攻”が間近に迫っている今、さらなる脅威はお呼びではないのです。
「子豚様……しっかりと見定めさせて貰いますよ」
そう決意し、目をキッと尖らせて、こぶたさんの顔を睨みますが――宙に浮くのに慣れたこぶたさんが、円らな瞳で聖女様を見ているのを見てその目が直ぐにユルユルになってしまいました。
……色々心配になってしまうような光景でした。
―――――――――
“勇者召喚の儀”ならぬ“こぶたさん召喚の儀”から二週間近く経ちました。寝食を共にし、聖女様は色々とこぶたさんについて分かった事がありました――
「お母様。まず、子豚様はとても綺麗好きなのです」
「へっ、へー……そうには見えないけれど――」
「――なんと!お母様も子豚様の香りを嗅ぐべきです!とても芳しい匂いがするのですよ?」
「……そっ、そうなのね」
時刻は昼過ぎ。今は、たまに行なう聖女様と聖女様の母である王妃様のお茶会の時間でした。“森の国”でも有数の御庭で行なうお茶会は優雅の一言でした。
テーブルの上には民が作ってくれたお菓子が並び、紅茶も民の働きによって生まれたとても芳醇な香り漂う葉が使われています。
そんな優雅なお茶会の中で、娘である聖女様の報告――否、ノロケに王妃様は引き攣る顔を抑えきれませんでした。
「あの時は驚きました。お風呂に入ろうとした時に、あの可愛らしい足で猛然と走ってこられたので、もしや悪魔は悪魔でも淫魔の類やと邪推しましたが――単に水浴びがしたいとは。それに洗ってあげるとフルフルと震えて喜ぶのです。ああっ……!あの可愛らしい姿を是非お母様に見せたいです!」
「……まあ、可愛らしいのは認めるけれど……」
まるでパーティーでカッコイイ異性について話す乙女のような聖女様の言葉を王妃様は軽く受け流しながら――チラリと脇を見れば、庭の方でお菓子が盛られているトレーを持つメイドさんを通せんぼするこぶたさんをいました。
「ふもっ!」
「こっ、子豚様……?これは王妃陛下と王女殿下にご献上するお菓子でして……」
「……ふも」
「あっ、うぅ……!」
「――そこのメイドさん」
「……王女殿下?」
「そのお菓子は子豚様にお上げなさい。お母様も良いと言っています」
「……いや、良いって言ってないんだけれど」
しかし、王妃様の呟きが聞こえなかったのでしょう。メイドさんはおずおずとトレーをこぶたさんが食べられるように芝生の上に置きました。……こうして、王妃様の大好物であるラズベリーのケーキはこぶたさんのおやつになってしまいました。
ですが、王妃様は大人なので怒りません。……でも、この後、料理長とお話して聖女様の食事を一週間ぐらいピーマンとカボチャづくしにしてあげるように言わなければならなくなりました。聖女様の嫌いな食べ物のフルコースなのは気のせいです。
そんな事を知らない聖女様はムシャムシャとケーキを食べるこぶたさんをエヘエヘと人に見せてたイケない顔をしながら――
「えへへ……それにお母様。子豚様は大変な健啖家でいらっしゃるのです」
「……まあ、子豚ですものね」
「ええ、それはもうあのように何でも食べるのです。それはもう美味しそうに……裏の鶏にやる飼料を食べさせようとしたメイドがいましたが、一カ月無口の刑に処しました」
「――いったい何してんのよ貴女」
「当然の報いです」
そういえば最近声が出なくなったメイドが出たと言って、王宮に常駐しているお医者さんを難儀させていて、もしや何やら奇病が蔓延する兆しか!と密かに騒がれていたのだが――元凶が自分の娘であるとは……王妃様は頭が痛くなってきた。後でそのメイドに対する待遇改善をしなくては。
溜息を吐いた王妃様は、紅茶を一口含む。その間も延々、こぶたさんの素晴らしさを語る聖女様。もう悪魔がどうこうは、彼方へ放り投げたようです。
「――で?“大侵攻”について、分かった事はあるの?」
王妃様は聖女様の言葉を遮るように、意図的に真面目な声を作ってそう言いました。そうすれば、幾らトリップしている聖女様でも真面目にならざるを得ません。ものすっごく不満そうでしたが。
「はい。無論です。とはいえ、栄えある勇者様である子豚様を矢面に立たせる訳には行きませんので、まずは対策を町に布告致しました」
「……動機はともかくとして、それで?どのような対策を?」
「まず、町の大工さんや失業者の皆さんに町の端の全てに柵を作るように命じました。先ほどそれが終わったのを確認したので、国庫から御給金の支給も完了です。……まあ、ほぼ無駄でしょうが、気休めに」
“大侵攻”は森の動物達の暴走です。これが兎や鹿程度であれば、柵も活躍しましょうが――森の動物は多種多様であります。狼も居れば猿や熊もいます。図体の馬鹿デカイ動物達に対しては柵など無力です。その身体で薙ぎ倒してしまうでしょう。
しかし、無いよりかはある方が民の皆の気休めにはなります。これが結構大事なのです。
「後は、いざという時の為の避難所として、王宮の一角を空けましたが宜しかったですか?」
「……どの一角を空けたの?」
「お父様の趣味で集めている小さな木が沢山ある所です。お父様は泣きながら空けて下さいました」
「……だから最近、あの人は泣き暮らしているのね……」
王様はとても優しいのです。自分の趣味と民の安全を天秤に掛ければ、後者を取るほど優しいのです。別に聖女様が『魔術で強制的に空けるのと、自分で空けるの……どちらがいいですか?』と脅しつけた訳ではありません。王様は王族の鑑なので、自分から空けに行ったのです。
「対策として出来るのはこの程度なので、後は“大侵攻”が起こる方角と日にちが分かれば確実なのですが……」
“森の国”は四方八方が森です。そして暴走する動物達は森に住んでいます。つまり、どの方角から暴走する動物が来るのは分からないのです。北か?南か?それとも西?東?いや、もしかしたら二方向から?いや、全方位から来るかもしれない。予測が付かないのです。
聖女様はたまに≪浮遊の魔術≫と≪爆破の魔術≫を間違えるぐらいに偉大な魔法使いではありますが、全方位をカバー出来るなど不可能です。
もし、方角が一つだけなら聖女様が何とか出来ますが、もし、全方位だったらさっさと民全員を王宮にいれなければなりません。
「……お母様。何か知っている事はありませんか?“大侵攻”の事が書かれている記録を漁ろうとも、ただ動物達が沢山来て暴走した、としか書かれていないのです」
「……まあ、そうでしょうね。うーん……」
王妃様は紅茶を一口飲むと、虚空を睨みます。言葉を選んでいるようでありました。
「……“大侵攻”を予言した方は、知っているわよね?」
「はぁ……巫女様ですよね」
「ええ」
“巫女”
それは“森の国”における宗教機関の統括のようなモノです。とはいえ、“森の国”は他国にある教会のような一神教ではなく、森を神として敬う自然信仰であります。明確な宗教家というのは巫女様ただ一人で、後は猟師さん達の集まりのようなモノです。
巫女様は森の精霊様とお話出来るらしく、良く『今日は木の実が良く取れる』『あの辺は狼がたむろしている』『そこには余所の森から来た大きな熊がいる』などと町の皆に教えてくれる為、巫女様は聖女様と同じくらい敬われています。
因みに聖女様は偉大な魔法使いですが、精霊様とはお話出来ません。魔道とは相いれないようです。
「巫女様は今日は休息を取るって言ってたから、お話を聞きに行きなさいな」
「……えー」
そう言う王妃様に、聖女様は――露骨に嫌な顔をしました。
しかし、
「そんな顔をしても駄目です。これはこの国の危機なのですよ?」
「でしたら、お母様が行って下さい。それか妹でもいいでしょう?」
「私はぁ……ほら、忙しいのよ。あの子も立派な王女様になる為に修行しているの。ダンスとか社交のね?……何処かの誰かさんはそんな物より、魔術にのめり込んだようだけど」
「うっ……」
そう言われると聖女様は口を閉じるしかありません。
“森の国”では魔術実験も兼ねて民に奉仕活動をしているので”聖女様”と敬われていますが、他国では『魔術姫』と呼ばれている事は知っています。字面はカッコイイですがちょっとした侮蔑な意味です。
基本的に“森の国”は他国との交流はありませんが、それでもどうしてもやらなければいけない事はあります。その際、国の顔として出かけるのが王族です。
そんな王族として見れば、聖女様は落第なのです。
「……わかりました。この後、行ってきます」
「はい。宜しい。あっ、それとそこの子豚ちゃんは置いて行きなさい」
「――えっ!なんでですか!?」
「巫女様に失礼でしょ」
「――失礼?今、失礼と言いましたか……?」
あっ……と思っても後の祭り。
「こんな愛らしい子豚様を失礼と申し上げるのであれば、お言葉ですがお母様の方が失礼です!見て下さいこの愛らしいフォルム!プヨプヨとした身体!とてとてと歩くその佇まい!……世界広しと言えどここまで高貴な動物は子豚様ただ一匹!……いえ、匹など使えません。一柱と申し上げるべきです!」
それ以降、王妃様への糾弾からノロケに戻った聖女様の言葉をスルスルと流しながら、王妃様は溜息を吐きました。
――やっぱり、血なのかしらね、と。
―――――――――
「ぐぬぬ……ぐぬぬぬぬ……!」
あれから一時間ほどこぶたさんを素晴らしさを伝えるプロパガンダを行なった聖女様でしたが、暴走しがちな聖女様の扱いに長けた王妃様に隙はありませんでした。王女様としては失格である事を言われてしまえば、ちょこっとだけ負い目を感じている聖女様には効果絶大でありました。
その為、しょうがなく……本当にしょうがなく……一人で!巫女様に会う為に町へと繰り出していた。
町に出れば、活気に溢れた町民達が当然います。
そして基本的には好感度が高い聖女様なので、町民達は話し掛けようとして――止めます。何故か?聖女様が女性がやっちゃあいけない顔をしているからです。
何故、鬼みたいな顔をしているのかと町民達はひそひそと話しますが――聖女様の足元をちょろちょろしているこぶたさんが居ない事に気が付いて合点が行きました。
聖女様は目立った存在です。つまり、その聖女様が飼っているこぶたさんも目立つのは当然です。確かに可愛らしいとはいえ、様付けしているので余計にです。
何でうちの姫さんはあんなに残念なんだ……と町民達は天を仰いでいますが――聖女様の頭の中はこぶたさんの事で一杯でした。
聖女様が王妃様に丸め込まれた時――聖女様はこぶたさんを呼びました。こぶたさんが一緒に行きたがれば、王妃様も文句は言えまいと思ったのです。
ですが……こぶたさんは王妃様の大好物なだけあって、ラズベリーのケーキに夢中であり、聖女様の言葉を聞こえていませんでした。さらに、王妃様の命令に従い、新たなラズベリーのケーキを餌にこぶたさんがメイドさんにドナドナされてしまいました。
ああっ、なんて悲しい二人!王族の意向で別れるしかない運命!こんな悲恋……誰も味わった事が無いに違いありません!……と聖女様は本気で思っていました。本当にどうしようもない聖女様です。
こうなってしまってはこぶたさんが人質になってしまっても当然。
聖女様は涙を飲んで巫女様の所に真面目に行く……という事は当然無く――グチグチ文句を言って、抵抗した為、メイドさんに引き摺られて此処まで来ていました。てか、今も引き摺られています。町民達が話しかけづらいのも頷けます。
「王女殿下……!そろそろお歩き下さい!」
「嫌です。子豚様が居ないとやる気が出ません。子豚様を連れて来てくれれば歩きます」
「無理ですぅ!」
「なら、私も無理です」
公然と見せつけられる王族による使用人へのパワハラです。これには町民も苦笑いしか出ません。
数十分して――巫女様のお家である“社”に着きました。それと同時にメイドさん達も力尽きました。
聖女様は一応、労いの意味も込めて≪治癒の魔術≫をメイドさん達に掛けた後、社へと歩を進めます。
社の雰囲気は独特です。良く分からない形をした門を通れば、遠くの方に見える社と呼ばれている謎の建物。他国でも存在しない良く分からない構造の建物……町民の皆は不思議な荘厳さで人気ですが、聖女様はこの雰囲気が嫌いでした。
「ごめんくださいませー」
社には巫女様一人しか住んでいない為、とても閑散としています。その為、ちょっとした声でも良く通るのです。
その声が数瞬、社の内に響き渡ると――ドタドタと社の中を走る音が聞こえ始めて、ガラガラと珍しい横開きのドアが開いた。
「はい、どちら……あっ!王女様!いらっしゃいませ!」
「……ええ、お元気そうで何よりです、巫女様」
ニコリともしない聖女様でしたが――出迎えた巫女様は満面の笑みでした。
巫女様は聖女様が見た事の無い裾が大きい服を着ていて、さらに見た事の無い黒色の艶やかな髪を靡かせて、聖女様の来客を喜んでいます。
「王妃様からお話を聞いています。どうぞ、中へ……あっ、すみませんが、靴を脱いで下さると……」
「――何回も来てますから知ってます。いいからとっとと終わらせますよ」
聖女様はさっさと靴を脱ぐと、木で出来た不思議な床を歩き、何回も行った事のある応接間に向かいます。直ぐについた応接間は草の一種が使われている床を採用しており、言い様が無い不思議な香りを漂わせていて、とても落ち付く空間でしたが――聖女様は鼻で笑うと、その床に正座します。聖女様は正座が大得意です。やらかした後のお供で良く登場しますから。
「あっ、すみません!今、お茶を淹れますねっ!」
「いえ、お構いなく」
聖女様は言葉の通りにそう言いましたが、巫女様は楽しげに不思議なキッチンへと向かい、お茶の準備を始めました。それを横目に、聖女様は忌々しいと言わんばかりにその背中を睨んでいます。
ここで、秘密の情報をお知らせすると――聖女様は巫女様が嫌いです。
どのくらい嫌いかというとピーマンのカボチャ詰めという良く分からない創作料理を作った料理長と同じくらいに嫌いでした。
巫女様は不思議で異様な人物です。黒色の髪と目をしているというのもありますが、森の精霊様と会話出来る事、何某か良く分からない言語をたまに言う事、そして王宮の文官すら唸らせる知識を披露する事があったりするからです。巫女様自身、一般人です!と言いますが、こんな大きな建物を精霊様に貰った人が言っても説得力皆無です。
――が、別にそういう理由で聖女様は巫女様を嫌っていません。その知識は有用で、“森の国”に良い影響を与えてくれます。毎日の入浴もその一つでありますし、話も興味深い物ばかりですし。
そういう意味で嫌いなのではなく……
聖女様は、巫女様の行動の一つ一つが気に障るのです。聖女様が脱ぎ捨てた靴を綺麗に揃えた行動、手際良くお茶の準備をする姿、料理も出来る。何処か気品のある佇まい、頭も良い、顔も良い。身体の凹凸はぁ……勝ってます。
ここで、また秘密の情報をお知らせすると――聖女様は、巫女様の女子力の高さに嫉妬しているだけです。
「はい!お待たせしました!」
「……いえ、お構いなく」
「そういう訳にも行きませんよ!」
ハキハキと元気の良い巫女様に唾を吐きたいインドア派聖女様は何とか愛想笑いに止めます。差し出されたカップは歪な形をしていますが、何処か味のある長細いカップでその茶の色は緑……紅茶と違う風味で、聖女様は心を落ち着かせますが、目の前に同じように正座してニコニコしている巫女様を見て、心がダウナーになりました。早く帰ってこぶたさんに会いたい、と思った聖女様は単刀直入に話を切り出しました。
「それで、母から聞きましたでしょうが――“大侵攻”について知っている事はありませんか?」
「……それが、えっとぉ……」
何故か苦笑いで言い淀む巫女様に疑問を覚えた聖女様ですが、早く話を進ませたいので無視して次の言葉を待ちます。
その間、巫女様はあらぬ方向を向いて、視線で何やら合図しています。端から見れば変な人ですが、聖女様には見慣れた光景です。
「あの、私も良く聞かされていないんですが……どうやら、森の動物さん達が怖がっているようで……」
「怖がる?」
「はい。森の動物さん達も無闇に自分達を殺さない王女様達に迷惑を掛けたくないそうなんですが、怖すぎて理性が効かないようで……」
「……つまり、動物達が怖がるほど恐ろしい動物が森に近づいていると?」
そうすれば合点が行くと聖女様が考えます。
たまに巫女様が『そこには余所の森から来た大きな熊がいる』等と告げるように、余所の森から来る動物に“森の国”も度々被害を被っていた。人間である聖女様達には良く分からない事ですが、動物達にはナワバリがあり、知らない動物が入って来たら怒ってナワバリを守ろうとするのです。
が、余所の森に入ってくる動物もそういうのは承知しているので、殆どが強い動物ばかりです。そしてそんな強い動物はその森の近くにある“森の国”にも危害を加えるのです。その為、魔術実験を兼ねて聖女様が追い払ったり、倒したりしている。“聖女様”と敬われる所以はこの辺であります。
つまり、ソイツを倒せば大丈夫か?と一人頷いていた聖女様ですが――
「いえ、そういう訳ではないみたいなんです……」
――申し訳無さそうな巫女様の言葉に眉を顰めました。
「……?どういう事です?」
「ええっと……あの……」
「――早く言いなさい。私も忙しいのです」
もう我慢の限界で、早くこぶたさんに会いたい聖女様は気遣いを投げ捨てて、巫女様を急かすと、巫女様は「ちょっと失礼」と前置きをして、
「ねぇ、なんで黙るの?王女様が困ってるでしょ!?忙しい仲、やっと来てくれたんだからちゃんと……えっ?言うの恥ずかしい?身内の恥?――そういうのどうでもいいからはよ。はよ。あくしろよ。踊り食いにするよ?」
聖女様に背を向けて、聖女様には見えない誰かと話す巫女様。異様な光景だが――もう慣れていました。
緑色の紅茶を啜りながら、聖女様はどういう事なのだろうと考えを巡らます。
“大侵攻”が強い動物に恐怖して逃げ出す動物達の群れであるというのは納得しました。なら、走り抜けるだけで人的被害が少ないのも理解出来ます。だが、いったいどんな強い動物なのだろう。余所者でないのならば、この森に住んでいる動物なのだろうが……そんな強い動物なんて知らない……――と。思っていましたら、
「ええっ!?」
はしたなく大声を上げる巫女様。見れば、巫女様も聖女様を見ていて、その顔は真っ青でした。
「どうしまして?」
「えっと、あの、その……!!」
そんなに衝撃な事でも聞いたのかしどろもどろな巫女様に優越――いえ、可哀想になった聖女様は寛大なお心で落ち付くように肩を支えて、背中を撫でてあげました。真、聖女様は王族の鑑であります。
その効果があったのか、巫女様はゆっくりと息を吐くと――聖女様に詰め寄った。
「王女様!早く、えっと……社の反対側――西に向かって下さい!」
「……どういう事です?」
「怒ってるんです!この“森の主”さんが!」
「森の主?」
聞いた事の無い言葉に首を傾げる聖女様に、
「説明は後です!ここの森の主が怒って、この国に向かっているんです!怒り狂ってるんですぅ!」
「なんですって?」
瞬間――遠くの方から、人の声が聞こえてきました。……どうにも楽しい雰囲気ではありません。
聖女様は白いローブを翻すと、西の森が見えやすい位置に移動します。そして――絶句しました。
そこには――大小関係無い動物達が、何かから逃げるようにこちらに向かう影が、無数に百は超える影が迫っていました。聖女様のいる“森の国”に。
――“大侵攻”の到来です――
「――っっ!」
聖女様は瞬時に≪浮遊の魔術≫を自身に掛けて、そのまま≪加速の魔術≫を併用し、向かうは――王宮へ。
その迅速極まる行動に、巫女様の声は聞こえませんでした。
「何でも、御子が消えてしまったらしく――って。王女様?王女様ぁ!?」
―――――――――
時間を少し遡って、王宮の庭にて――こぶたさんは暇でした。
「……ふもっ」
たまに森で見る甘い実の良く分からないモノを平らげたこぶたさんはキョロキョロと周りを見渡しますが――あの白いローブの人間がいません。いつもは自分の周りにいるのに何処にいるのだろう?また杖から母のようなのを出す事に忙しいのだろうか?
「あら?食べ終わったの?」
その声に振り向くと白いローブの人間……に似た顔をしている赤い服を着た人間がこちらを見ていました。
こぶたさんは誰だろう?と顔を見上げます。
「ふふっ、良く食べるのね。お義姉さまの子豚ちゃんもそのラズベリーのケーキが大好きだったわ。やっぱり同じ“母”なのかしらね?……ふふっ、まったくなんて面倒臭い血筋なのかしら……私の娘も逃げられないとは――」
「ふももっ……」
こぶたさんは白いローブの人間に似た人間の言葉は良く分かりませんでしたが――“母”という言葉に声を上げました。
そういえば、母は大丈夫だろうかと。こぶたさんは子というからには母がきちんといます。その母はこの頃、変にムズムズしていたのをこぶし大の脳みそしかないこぶたさんは思い出しました。
いつも一緒にいる母が何故かずっと寝床にしていた藁に居たがり、遊びに行きたいのにこぶたさんも付き合わされた。
さらにそういえば、こぶたさんはこの頃母に会っていない事を思い出しました。白いローブの人間が母に似ているからと言って母ではないのです。そろそろ帰らなければご飯抜きになってしまう。また美味しそうな熊の肉を目の前で食べられるのを見るのは悲しい。
早く帰らねば。
「ふもっ、ふもっ」
白いローブの人間に良く似た人間は未だに“お義姉さま”とかいう人間についてブツブツ言っていたが、こぶたさんは小さな足を動かして此処を出る為はとたとたと走ります。
本人……本豚的には猛然と、端から見れば散歩しているように見える足取りは――直ぐに止まる事になりました。
「お母様ー!お姉さまが何処に行ったか……って、豚さん?」
こぶたさんの目の前に壁が如く立ち塞がったのは、これまた白いローブに良く似た顔をしている人間でした。でも、少し小さい。もしかしたら末っ子なのかもしれない。こぶたさんも末っ子であるから良く分かりました。
しかし、こぶたさんは急いでいるので迂回して、そのままとたとたと走ります。
「……あの豚さん……なんかスッゴイ可愛い」
「――姫様!?」
「爺や!あの豚さん飼っていい!?」
「いやその……あの……」
「こんの爺!」
「あっ、お母様!あの、あの豚さんを――」
「ちょっと貴女を黙ってなさい!爺……ちゃんとこの子を王宮の中にいさせなさいって言ったわよね!?」
「でっ、ですが王女殿下居なくなったのを見たので、てっきり子豚様も……」
「――出てってもちゃんと見張っとけって言ったでしょう!?貴方、この国の王族の血を途絶えさせるつもり!?」
「ねぇ、お母様?あの豚さん――って、爺や!?何するの!?」
「ご無体を失礼します!今ならまだ間に合うやもしれません!」
「ちょっと!?離して!豚さん!豚さぁーん!」
「……あぁ!私は、あの人になんていえば……」
後ろで何やら騒いでいますがこぶたさんはそのまま町の方向に走り出します。早く母か白いローブの人間に会いたいからです。
ちょっとしたと思ったら町に出ていたこぶたさん。本豚的には猛然と駆けています。その後ろを聖女様に怒られないように警備している騎士が数人いましたが、こぶたさんなので気付きません。
首を動かせば、見覚えのある森の木々が見えました。森に戻れば、母に会えるだろう。そう思ったこぶたさんは小さな足を頑張って動かします。母を探して三千里なのです。
すると――
「……なんだ?」
「森の方から何か聞こえねぇか?」
「そうかぁ?また一の姫さんが魔法でもぶっぱなしてんじゃないのか?」
「んにゃ、その姫さんはさっき社の方に行ってたぞ。巫女さんに会いに行ったようで」
「んじゃ、姫さんじゃねぇのか。んじゃ何が……?」
『皆さんッ!急いで王宮の方へッ!』
「おん?おーっ、一の姫さんじゃねぇか。……空飛んでるぞ」
「鳥みてぇな羽もねぇのに良く飛べるな。魔法って奴はスンゲェな」
「……それにしても、あの姫さんローブの下、もっと他に着るモンあんだろ」
「おい馬鹿!見上げるな!嫁さんに見られたら死ぬのはお前だぞ!」
『世間話してないでいいから逃げて下さい!――“大侵攻”です!!』
「「「「……まじべか」」」」
――何やら人間達がザワザワと騒ぎ出して、さっきまでこぶたさんのいた大きな建物に向かって走り出していましたが、こぶたさんには関係無いのでマイペースに帰路に立ちます。
すると――風上から懐かしい匂いが鼻を撫でました。
「ふもっ!」
――母が迎えに来てくれたようだ、とこぶたさんは嬉しく思いました。
――――――――――――
「……良かった。やっと通じた」
聖女様は“森の国”の上空から俯瞰してみていて、民達が王宮の方に駆けだして行ったのを見て、ほっとしました。まだ老人や子供が町に少し残っていましたが、後は騎士達に任せ、聖女様は森を睨みました。
ドドドドドッッ!と森の斜面を駆ける動物達。それは兎から熊まで多種多様で、空も鳥が沢山森から離れているのを見るに森の動物全員がその“森の主”から逃げ出したいのでしょう。
……このままでは民の建物がメチャクチャになってしまいますが、その“森の主”が原因と聞いてしまった以上、恐怖している動物に魔術ブッパ出来るほど聖女様は豪胆ではありません。
狙いは“森の主”とやらです。精霊様がそういう呼称で呼んだのであれば、普通の動物と比べ物にならない強さなのだろう。だが、こう見えてもこの“森の国”の第一王女です。民を助けるのが王族の仕事なのです。……それにこぶたさんも王宮でしょうから民も守らなければこぶたさんも被害を被ってしまうでしょう。
聖女様はお気に入りの杖を≪転移の魔術≫で右手に握り、森を見据えました。
瞬間――雪崩のように、森の動物達が町を横断し始めました。建物も、進行上にあるものは避け、薙ぎ倒し、とにかく前へ、前へ、前へ、主様から離れねば……と。
聖女様はその惨状に眉を顰めますが、本当に逃げたい一心で横断しているらしくそのまま何もしないで反対側の森に消えて行きます。……町の四割ほどメチャクチャですが、四割で済めば安いモノだと前向きに考えました。
逃げる動物達も疎らになった頃――
――《ブモォオオオオオオオオオオオオオオオ!!》
響く雄叫び。雄々しく、遠くにいるはずの聖女様のお腹の奥にまで響く重低音。
どうやら来たようです。“森の主”が。
森から逃げる動物が居なくなって数瞬――グシャァ!と木々を薙ぎ倒して出てきたのは、まるで一個の建物がそのまま動いているように見えるほど巨大な――四足の動物。
猪とも――豚とも言える、その中間のような雄々しい動物でした。
森の主は開けた場所に出たと認識したのか、脚を止め――また大きく雄叫びを挙げた。その目には極大の赫怒が宿り、怒っているのは誰にでも分かるほどだった。
「………っ」
聖女様は慎重に宙から地に降りる。とても緊張していました。ここまで巨大で、圧倒される動物は初めてだったからです。魔術を使えば大丈夫であると確信しててもあんなデカイのの目の前に立つのは流石に度胸がいるのです。
そして――降り立ちました。
《フゥ……!フゥ……!》
目の前の森の主は、聖女様が、人間がいる事を認識したのかその目を聖女様に向けました。
「……んくっ」
吐き気にも似た悪寒が聖女様の身体を突き抜けましたが、何とか耐えます。
杖を地に叩きつけ、それの勢いのまま口を開きます。
「貴方が“森の主”であるのでしょうか?」
《ブモォォォ……!》
その問いに返されたのは――言葉にもならない呻きでした。
ですが、森の主は前脚を踏みしめ、頭をブンブンと振り出しました。それはまるで魔術の開発が上手く行かなくなって苛立つ自分に重なった聖女様はじっと待つ事にしてみました。
すると、少しして目から赫怒が薄れたような気がした――
「ふもっ!」
「えっ、子豚様!?」
《ブモォ……ブモォオオオオオオオオオオ!!》
――だけでした。
動物達の通り道になってしまい、残骸と化した町からひょっこり現れたこぶたさんを見た“森の主”はその目に敵意を乗せて、聖女様目掛けて突進してきました。
「っと!」
それは≪浮遊の魔術≫で軽く宙に浮かして回避し、そのままこぶたさんにも魔術を掛け、腕の中で抱き抱える。
「ふも!」
「はい!久しぶりです子豚様!あぁ……」
数刻振りに感じるこぶたさんの体温に癒されるのもつかの間――
《ブモォオオオオオオオオ!!》
――森の主が聖女様目掛けて再度突進を仕掛けます。
聖女様はこぶたさんを抱えている以上、無茶な回避はこぶたさんが可哀想なので直ぐに≪防御の魔術
≫を唱えます。
杖を目の前に突き出すと現れた魔法陣――と同時に森の主の突進がぶつかりました。
――ギィィィィイイイイイ!!
魔法陣と森の主の巨体のぶつかり合いによって、魔法陣が悲鳴を上げ始めました。元々≪防御の魔術≫は攻撃魔法を防御する為の魔術なので、物理にはそれなりの強度しかありません。
このままでは突き破られると思った聖女様は直ぐ様≪腕撃の魔術≫を森の主の後ろに展開しました。背後に浮かぶ魔法陣には森の主は気付きません。そしてその魔法陣から――魔力で使われた巨人の手が出て来て、横合いから森の主を殴りつけました。
≪ブモォ!?≫
予測もしていなかった方向からの攻撃に、森の主はバランスを崩して、廃墟になった建物に突っ込んだ。……民に罪悪感が湧いた聖女様でしたが、元々壊れてるから大丈夫大丈夫で自分に言い聞かせます。
すると――
「ふもっーー!」
「えっ、あっちょっと噛まないで下さい!どうしたんですか子豚様!?」
――手に抱えていたこぶたさんが甘噛みではなく、本気で噛んできました。とはいえ、それでも赤ん坊であるから≪強化の魔術≫を瞬時に使って、噛み千切られないように強化します。
聖女様は何故いきなり怒りだしたのか分からず、あわてましたが――廃墟からのっそりと起き上ってきた森の主の姿を見て……思いつきました。
――もしや――
「ふももっ!ふもももっー!」
「子豚様。少々、離れて下さいますか?」
「ふも?」
「危ないですので……」
「ふもっ……?」
聖女様はこぶたさんを離して、他所の方に逃がすとこぶたさんは森の主に駆けだそう――とするのを止めて、手近な場所に身を潜めました。フルフル震えているのは気のせいでしょう。
森の主は脚を踏みしめ、ノシノシと聖女様に歩み寄ります。その身体に魔力の手で殴った時の傷はありません。単に予想外の方向からの勢いに吹き飛んだだけ……何の痛痒も無さそうでした。
しかし――聖女様は恐れずに、森の主に向き直り、叫びます。
「森の主様……――お子さんを私に下さいッ!!」
《――誰がやるか、人間がァアアアアアアアア!!》
あっ、喋った。
――――――――――
「ふもっ」
「へえ、あの大きな豚さんが貴方のお母さんなのね。立派なお母さんだね」
「ふもっも」
「えっ?人型になれるの?……聖獣?……流石ファンタジー……やる事が違うわ」
「ふもっ?」
「――あっ、ううん。何でも無いよ。それよりさ」
「もふ」
「――いつ終わるんだろうね、王女様とお母さんの喧嘩」
「ふもぉ……」
こぶたさんは何処からかひょっこり現れた黒い不思議な人間と話しをしていました。人間と話しが通じるというのも何だか不思議な気分です。その不思議な人間の周りには母が良く話している丸っこい光が沢山ありました。もしや、この人間も母と同じ“せいじゅう”という由緒正しい獣なのだろうか、と考えるこぶたさんでしたが、そんな事よりお腹が空き始めたので早めに帰りたくなりました。
《このォ、どいつもこいつも我の愛し児を盗りよってからにぃ!》
「しょうがありませんっ!子豚様が可愛らしいのが悪いのです!」
《そんな事、我が一番知っておるわ戯けェ!》
「なら、どうかお子さんを私に!絶対に幸せにします!」
《やらん!……何故、何故何度も何度も貴様のような同じ顔をした人間が我の児を盗るのだ!?他の者共は優しい人間達とほざくが我にとって貴様らなど悪鬼羅刹じゃ!!》
「そんな!そんな哀しい事言わないで下さいお義母さま!」
《――絶対殺すぅ!!》
白いローブの人間は無数の板みたいなのを展開し、母の突進を往なしながら何やら話しています。母が怒っている所を見るに――何やら良からぬ事をしているようだと思ったこぶたさんは、後でまた噛んで叱りつけねばと思いました。
決意を固めているこぶたさんの隣で、黒い不思議な人間がはぁ……と溜息を吐きます。
「やっぱり“豚狂いの血”は争えないのね」
「ふもっ?」
「えっ……?ああっ、貴方は知らなくて当然よ。これは“森の国の秘密”だもの」
黒い不思議な人間は何やら不思議な事を言っていたが、どうでもいいから早くご飯が食べたいとこぶたさんはぼんやりと思っていました。
―――――――――――
――トンカントンカン――
遠くの方で、町を修復している大工さんのトンカチの音が聞こえます。気前の良い親方の怒号とともに急ピッチで復興をしていました。
そんな中――聖女様は泣き暮らしていました。
聖女様、一生で一度のお相手両親へのご挨拶は失敗に終わりました。
流石は森の主と言えばいいのか、なんと魔術が使えたのです。それも魔術の徒としてかなりの力を誇る聖女様以上の魔術を。そのせいで敗北し、こぶたさんを奪われてしまったのです。
あんなに思い合っていた二人を引き裂くとは、なんという悪魔なのでしょうか。悪鬼羅刹なのは絶対に森の主の方だと聖女様は思いました。
私室で茫然としていると――隣に誰か座ってきました。
見れば、妹でした。
「ねぇー、姉さまー。あの豚さんにまた会えないのー?」
「……会えないの―?と言われても困ります。子豚様はあのあん畜生に盗られてしまったのです。いつか殺してやるあのデカブツ……」
「えーっ、巫女様に頼めば?巫女様って森の精霊と話せるんでしょ?事情を説明すればさ!」
「……やりました。この私が頭を下げて頼みました。でも、断られたのです。森の精霊曰くまた“大侵攻”が起こってもいいかと。……精霊ではなく悪魔の間違いです絶対。民を人質に取るなど」
“大侵攻”――またの名を火山の噴火に会いたくない動物達の大逃走……アレがまた来るぞと言われてしまえば、聖女様としても我慢するしかないのです。一応は王女様ですから。
「えーっ、えーっ」
「……にしても、貴女。いつ子豚様に会ったのですか?……そういえば子豚様に会って以降、ほぼ会ってませんでしたね」
「“大侵攻”の日だよ。……にしてもお母様達は酷いよね。あの豚さんは忘れなさいって!ほんと最低!」
「――ですよねっ!酷いですよねっ!」
賛同し、一緒に王様と王妃様の悪口で盛り上がる王女の二人は――知りませんでした。
この“森の国”創立神話と言える話を。そして忌々しい慣習というか……ジンクスというか――呪いを。
「ですが!絶対に諦めません!絶対に鍛えてまた必ずや、子豚様を奪還しますっ!」
「お姉さま!私も手伝いたい!一人より二人でしょ!」
「……しょうがありません。今は手段を選んでいる場合じゃありませんからね。でも、いいのですか?魔術を知ると他の勉強が……」
「――一緒にやるわ!あっ、なら丁度良いからお姉さまも社交の勉強しましょ!豚さんのお母様に断られたのは話術が足りないからよ!」
「……成程。一理ありますね。なら、一緒に勉学に励みましょう」
「わーい!」
――そうして。
数年もすれば“大侵攻”など知るか!とばかりに“勇者召喚の儀”を行なう聖女様と妹様の姿があり、またこぶたさんが母と良く似た人間とちょっとの間過ごして、また母に迎えに来て貰うのはまた別のお話……。
なんか書いてる途中に訳分かんなくなりましたが何か楽しかったので、またこういうのを書けたらいいなと思いました。
あっ、このままじゃ味気無いので、本文に乗せようとして止めた“森の国”の創立神話でも乗せときますね。
―――――――――
その昔――ある一人の女が、森に追放されました。
女は優秀で魔術にも長けた人間でしたが、その優秀さを妬んだ者達によって故郷を追われたのです。
世界に絶望し、唯一持つ事が許された短剣で己が喉を裂こうとしたその時――物陰に一匹の豚が現れ、《止めよ》と女を止めました。
女は言葉を解する豚にたいそう驚き、固まったままその豚の問いにするすると答えました。
この森に追放された理由を答えた後、豚はからからと笑い、《であれば、ここから少しした所に開けた場がある。そこで過ごすといい。死ぬ必要はない。森の動物達にもお主を襲わぬようにと母に頼んでやろう》そう言うだけ言うと、豚はまた物陰に消えてしまいました。
女はその豚に感謝と――何故か女としての情が芽生え、言う通りに開けた場で住み始めた。
女はまたあの豚がやってきても失礼のないようにと、持てる力の全てを使い、家を建て、道を作り、畑をこさえました。
しかし、豚は現れず、何故か人が集まり、集落となり、やがて――町になりました。
女はいつの間にかその町の長となり、いつの間にか夫を名乗っていた男と子を為しました。
そして――死ぬ間際になってしまった女は祈りました。いつか、またあの豚と会い、この思いを伝えたいとそう願いを込めて、最後の力を振り絞ってある陣を描きました。
それは今も記憶に鮮明に残っている子豚を召喚する陣。絶対にまた来てくれると信じていた女でしたが、最後の最後で耐えきれなかったです。
しかし、その陣を書き終わった後――女は力尽き、失意のまま死んでしまいました。
女が死んだ後、ただの町であった集落は――小さな国となり、繁栄の道を進み始めました。
だが、奇妙な事に幾ら産めども王族は娘しか生まず、それも豚を見てしまえば――女の情が湧いてしまうという呪いにも似た現象が起こり始めました。しかし、見せずに恋をした男と子を為せば大丈夫でした。
どんな名医にも直せぬこの現象に難儀した王族は、後世の王族に『絶対に自分の子に豚を見せるな』と伝える事にしたという。
―――――――――
こんな感じです。
読んで下さりありがとうございました!良かったら評価とかもお願いします!