騎士道 12
モウモウと立ち上る湯気を顔に浴び、気の抜けた頭でただひたすらに身を委ねていく。
足下の小川に流れるのは少し熱めの湯。そこへと素足となってそこへ浸かる。
熱く温かいそれによって血は巡り、かいた汗で冷え切った身体に熱が戻ってくるようだった。
「堕落だよな」
「うむ、実にけしからん。だがたまには良いのではなかろうか」
小岩に腰かけ湯へと足をつけるヴィオレッタは、僕の言葉にも呆けた様子で緩い言葉を返す。
普段であれば眉を吊り上げて罵声を浴びせそうな状況であるというのに、この快楽には抗い難いのか、頬を緩め堕落を貪っているようだった。
「だが都合よくこんな場所が近くに在るとは」
「この辺りは一応火山地帯だからな。休火山らしいが、こういった湯が沸き出る場所には事欠かないらしい」
「休かざ……、何だかよくわからんが、気持ち良いから問題はないか」
足下から湧き出る温かな湯を不思議に思っているであろうヴィオレッタに、僕は他の傭兵たちから聞いた話を聞かせる。
しかし気持ち良さのせいだろうか。返ってくるのは思考を放棄したであろう、ヴィオレッタの暢気な声だけだった。
でも気持ちはわからないでもない。この温かさの前では、小難しいことなど些細なモノでしかないのだから。
僕等が足元から湧き出る堕落の元に気を抜いているここは、戦場となった廃村から西へと僅か三km程度移動した場所だ。
ヴィオレッタに説明した通り、地熱で温められた湯がいたる所から湧き出ている場所で、壮年の傭兵曰く、「この場所のためだけに戦う価値はある」とのことだった。
とりあえずの脅威には対処し終えたため、傭兵団の面々で順番に休憩がてらここへと足を延ばしている。
僕ら四人は部族の族長を見事打ち倒したこともあり、いの一番にここを使わせてもらえることになったのだ。
もっとも全身で浸かれる程の深さがないため、足湯だけとなっているのは少々不満ではあるのだが。
「でもそろそろ戻らないとな。エイブラートへの撤収もしないといけないし」
「それを言うな。私はまだここから動くつもりはないぞ」
横で寝転がって脚を浸すヴィオレッタを見ると、その顔は完全に緩みきっており、普段のキリリとした表情の痕跡は微塵もない。
幸せそうという言葉がピッタリなその姿に、戻る刻限が近いにも関わらず、もう少しだけ堪能しても良いのではないかという気にさせられる。
逆に無理にでも引っ張って帰り、この幸せそうな表情が不貞腐れていく様を見るのも悪くはないが。
気の抜けた表情のままである隣のヴィオレッタから視線を外し、反対側へと顔を向ける。
そちらではレオとエリノアの二人がくつろいでいるところであり、各々に僅かな休息を堪能しているようだった。
「なあ……、入らないのか? 折角来たんだし」
「俺はいい」
とはいえレオに関しては湯に触れず、一人湯が沸き出る場所から離れている。
声をかけるも淡々と拒否し、温泉に感心がないのか自身の大剣を手入れするのに余念がない。
僕等が普段拠点としている地域では珍しい代物なだけに、折角なのだから堪能すれば良いのにと思うのだが。
それにしても、今回はレオのおかげで助かった。
もう一度だけ装置を起動すれば、ドーエンを返り討ちにすること自体は可能だっただろう。
だが身体にかかる負荷は想像以上であったため、それによってこちらも当分身動きとれぬ状況になったかもしれない。
追々にはなるだろうが、レオに対して何がしかの礼はしておくべきか。
他人行儀過ぎると思われる可能性はあるけれども。
「エリノアさんはこちらの方ですから、温泉もあまり珍しくないのでは?」
マイペースなレオはとりあえず置いておくとして、一人足を湯に浸し瞼を落とすエリノアへと声をかける。
彼女は眠っているのか起きているのか、微動だにせず軽い前傾姿勢のまま小岩に腰かけていた。
僕が話しかけると彼女はすぐさま瞼を開き、小さくこちらを向いて苦笑い。
どうやら眠気に身を任せていた訳ではなく、ただ単純に湯の温かさを堪能していただけのようだ。
「そんなことはありませんよ。この辺りに来る機会なんてほとんどありませんし、エイブラートでは掘っても出てくるのは水だけです」
そう言いつつ足元の湯へと視線をやり、浸す足を動かしてパシャリと跳ねさせる。
跳ねた湯がこちらへと散り、僕の顔を僅かに湿らすと、可笑しそうに表情を変えた。
ここまで緊張や苦悩から顔を強張らせていたが、今はどうやら笑うだけの余裕も生まれていると見える。
「あの……」
しばし小さな笑い声を上げた後、エリノアはおずおずと何かを言いたそうにする。
なので彼女のすぐ隣に移動して話を聞いてみると、何のことはない。
廃村で最初ドーエンにやられそうになっていた時、僕が割り込んだことへの感謝であった。
気にする必要などないというのに、何度となく頭を下げるエリノア。
それよりも最後に助けてくれたレオに礼を言えばいいと伝えるも、そちらはそちらで何度も言っているとのことだった。
人としては重要な行為かもしれないが、随分律儀なものであると思う。
「おそらくお二人に助けていただかなければ、わたしはあの場で命を落としていたでしょう」
「ならば助けた甲斐もあるってものですよ。折角こんな真っ当な騎士さんに会えたんですから」
僕は多少皮肉めいた内容であると自覚しつつも、あえてエリノアにそう返す。
今では彼女も理解しているだろう。彼女がこれまで憧れ続けていた騎士という存在が、そこまで誠実なモノではないということを。
エリノアはそんな言葉に対し、否定も肯定もせぬ苦笑を浮かべる。
「エイブラートにまで攻め込もうとする敵を討つという目的は達せました。命は惜しくありませんでしたが、それだけは何としても果たさねばなりませんでしたので」
そんな騎士たちに囲まれていると知っても尚、彼女の本質は変わらない。
何よりもエイブラートという都市を、この地に暮らす人たちを護るために戦おうというものだ。
例え他の騎士たちがどうあろうとも、彼女だけはそこを貫こうとするのだろう。
「本当に、エリノアさんは真面目だ。僕としては眩しすぎて目が焼かれそうですよ」
「何を言われるのですか。本当に真面目であれば、多少納得いかずとも騎士隊の上や家族に従います。わたしはただ単に、我儘が過ぎるだけですよ……、きっと」
僕自身に対する自虐を込めた言葉を放つも、笑みで返されると思っていた僕の期待は裏切られる。
なるほどそれも一つの捉え方か。
エリノアは自分自身の理想が高く、願望が強い。ある意味では人の事情以上にそれを押し付け、正しさを求めようとしていると言えなくはない。
言いえて妙ではあるが、真面目であるが故に不真面目であるとも考えられる。
その我欲に忠実な人間臭さに、これまでと異なるエリノアの気質を見た気がした。
ただ場合によっては、本気で同盟に侵攻しようとする部族以外とも、正しさを求めんが為に相対しようとするかもしれない。
それによって彼女の立場が騎士隊内でどうなるか。若干ながら心配の種ではあった。
「程ほどにしてくださいね。エリノアさんみたいな騎士が居ないと、街の人たちも安心できないでしょうから」
「……心得ました。精々愛想をつかされないよう、自重しておきますね」
今度はエリノアも苦笑いを浮かべ、自身の行動への自制を誓ってくれた。
易々とそうはならないだろうが、あまりに無茶をして騎士隊を追い出されてしまう可能性はあるのだ。
もしそうなって家から勘当でもされようものなら、僕としても一抹の責任を感じてしまう。
彼女に状況の説明をしたのは僕だし、最初に戦場へ残ろうとした時点で無理にでも追い返していれば、また違った展開が待っていたはずなのだから。
いずれは僕等もラトリッジへと帰還するだろうが、その後も彼女が大人しくしているのを祈るばかりだ。
「ところで助けて貰っておいてなんですが、あの煽りはどうなのでしょうか……」
湯にしばし当たり続け、それなりに温まった頃合いで帰ろうかと考え始めた頃。
エリノアは僕へとよくわからない言葉を投げかける。
いったい何だろうと考える。
すると彼女は僕がドーエンと対峙していた最後の時、限りなく侮辱を込めた挑発を行った件についてであると説明した。
確かにあの時の僕は、それこそドーエンの感情をひたすら逆撫でするべく、最大の侮辱であろう内容を口にしていた。
それは背後から迫っているレオの存在を気付き難くするためであったのだが、騎士である彼女にしてみれば、戦いにそういった要素を持ち込むのは心苦しいモノであったようだ。
「仕方ないでしょう、より確実性を期すためです。それに僕は傭兵ですからね、使える手は何だって使いますし、敵の内面に配慮してやる義理はない」
「そう言われるとは思いました。ですがこれでわかりました、わたしには騎士としての生き方が性に合っている」
傭兵としての手段であると堂々と言い切った僕の言葉によって、彼女もまた自身の在り様を再認識したようだ。
どこかスッキリとした、晴れやかな様子を浮かべ空を見上げる。
これまで内で燻っていたであろうことが、こんな単純な会話によって取り払われようとは、彼女自身思ってもみなかっただろう。
だが確かにエリノアには、傭兵よりも騎士で在り続ける方が似合っていそうだ。
「ではわたしも騎士として、今後相手を中傷して隙を窺うような戦い方は許容しません。正々堂々戦うよう、遠慮なく止めさせてもらいますよ」
「そいつは困りましたね……。僕は騎士みたいな戦い方はできませんよ」
「なら教えて差し上げます。アルフレートさんは騎士には向いてなさそうですが」
湯に足を浸けたままで立ち上がり、胸を張って言い放つエリノア。
確かに僕は騎士のような正直な戦い方は出来ないだろう。
だが冗談である可能性は高いが、折角教えてくれると言っているのだ。
彼女の大切にしているであろう、騎士道の在り様を知るというのも、決して悪くないのではないかと思い始めていた。