深瞳
普段は意識することもない、ドクンドクンと鳴り響く鼓動の音。
自身が発しているというのはわかってはいても、緊張感から少しばかり癪に障る。
<三体の人型アンノウン、一メートル程の金属塊所持を確認。何らかの近接武器であると推測されます>
この惑星の文明は、おそらく地球における中世盛期の欧州と同程度。
手にしているであろう金属は、野盗たちが使っていたような、剣やそれに準ずる物であると思われた。
急に現れた存在が武器を手にしているという事実に、僅かに心臓が跳ねる感覚。
だがここは冷静にならなければならない。
まだ敵対行動を取られると決まった訳ではないし、敵意を向けられたとしても戦えば十分勝てるはずなのだから。
とりあえずは眼前の林から姿を現すのを待ち、相手の様子次第で接触すればいいだろう。
先頭を走る動物はともかくとして、三人の人物がもしもこちらに害を成そうというのであれば、その時はまず逃走を第一の選択肢とする。
<目視距離半径まで五〇m。……目視距離内に侵入>
エイダのアナウンスと同時に林の中から飛出し、月明かりの下に姿を晒したモノ。
それは一体の巨大な動物であった。
「あれは……、猪か?」
<形状は地球に生息する種に近いようですが、同一の進化を遂げた存在であるかは不明です>
姿を現した獣。その見た目自体は猪ソックリなのだが、これもまた僕が先日倒した大猿同様にかなりの大型。
以前に図鑑で見た地球に生息するらしい種に比べても、体積だけで四倍以上はくだらない上に、背には角のように突き出た白い物体。
体毛が存在するという点と、背から突き出た物体を除けば、サイの方が近いだろうか。
それにしても、どうにもこの星に生息する生物は巨大というか、凶暴な進化を遂げているようだ。
だがそんな異様に大きな野生動物ではあるが、良く見れば大きな体躯の所々から血を流していた。
緊張してその姿を見つめる僕の視線の先、動物の現れた林から続けて複数の影が姿を現す。
次いで現れたのは、エイダの告げた通り明確に人とわかる存在。
現れたその三人は、革や薄い金属で作られたと思われる鎧を纏い、内二人の手には長い一筋の銀光。
予想した通り、それは湾曲の無い直線的な剣であった。
その剣も同様に赤く血に塗れており、先に姿を現した動物を攻撃してなったものであると知れる。
「狩りの最中か……?」
僕は小さく呟く。
それが聞こえた訳でもないだろうが、興奮した様子の動物はこちらを振り向くと、突然くぐもった鳴き声を上げて突進を仕掛けてきた。
沢を勢いよく越える獣の、淡く月に照らされて見える口元には大きく発達した牙。
勢いそのままに一撃でもされようものなら、僕などいとも簡単に命を落としてしまいそうだ。
「っ! 危ない、逃げて!」
後から姿を現した三人組の内一人が、まだどこか幼い少女の声で叫ぶ。
暢気に観察などしている場合ではなかった、とりあえずは何とか対処をしなくては。
腰に差した武器は強力すぎるため、人前では使い辛い。
しかし都合よく無難な行動を思い付くこともできず、僕は仕方なしに焚火用に集めていた薪を何本か拾い投げつけた。
だが装置の起動を解除している今の状態では、さして効果も無いようだ。
何本もの薪を顔面に受け続けても、意に介した様子すらなく突進を続ける大猪。
<敵性生物接近。回避行動をとってください>
「っチクショウ!」
脳に響くエイダの声に反応した訳ではないが、変わらず興奮して突進を仕掛ける動物の巨大な牙を、横っ飛びで回避する。
直前で装置を起動させたため、間近に迫ってはいたがなんとか掠りもせず避けられた。
飛んだ先で起き上がると同時に足下の小石を拾い、力一杯に投げつける。
すると石を顔面に受けた大猪は痛そうにうめき声を上げ、盛大に暴れ回った。
今度はそれなりに効果を現しているようだ。
<効果を確認。同一の攻撃手段を繰り返すよう提案します>
「わかったからちょっと黙ってろっ!」
若干エイダの声を煩わしく思いながらも、他に打てる手段がないため、石を拾って幾度か投げつける。
しかし足止め程度の効果は得られているものの、到底有効とまではいかないようだ。
足止めの域を越えず、ただ大猪の興奮を煽るばかり。
「こっちだ! 走れ!」
今度は先ほど危ないと叫んだ少女とは異なる、大人の男による野太い声が夜闇に響く。
その意図するところはわからないが、僕はただ言われた通りに反応し、彼の下へと走った。
沢の向こうに位置する三人へと向け大きくジャンプし、途中にある岩の一つを足場にして飛び越える。
彼らのすぐ近くに辿り着いて振り返れば、視線の先には半狂乱となった大猪の姿。
ヤツは再び僕を狙い、沢へと飛び込んで猛烈な水飛沫を上げ突き進む。
「下がっていなさい。レオニード」
「……はい」
どうすればいいのだろうと考えていた僕に、男性は下がるよう告げ、次いで傍らに立つ一人の人物を呼ぶ。
呼ばれ一歩前へ出たその人物は、僕とさほど変わらない年齢と思われる少年。
長く伸びた銀色の髪によってよく表情は見えず、僕よりも少しだけ高い背ではあるが、輪郭からはどこか幼さすら感じられる。
その少年は男性の言葉へと簡潔に返事を返すと、腰に下げてあった剣を抜き、一歩二歩と歩を進めた。
僕と迫る大猪の直線状に立つと、剣の柄を握る手を胸の高さにまで持ち上げ、グッと後ろへ引く。
その姿は迫る対象に対し、突きを繰り出そうとしているようにしか見えないものであった。
「ちょ……、ちょっと待ってよ、本気で!?」
「大丈夫だから、黙って見てなよ」
さきほどの少女があっけらかんとした様子で、少年が行おうとする行為に慌てた僕の肩へ、ポンと手を乗せる。
前に出た少年を信用しているのか、少女だけではなく指示をした男性も平然とした様子を崩さない。
だがあの巨大な野生動物を相手に、真っ向からぶつかろうというのだ。
僕のように身体能力を強化する装置の補助を得ているのであればともかく、普通の人が耐えられる衝撃ではないはず。
心配する僕を余所に、猪は尚も勢いつけて迫り来る。
間近まで迫り、僕が危ないと思った瞬間、少年は予備動作すらなく一気に地を蹴った。
「……ッ!!」
そのまま猪へと肉薄し繰り出した剣は、突き出された牙の間をすり抜け、頭部へと真っ直ぐに伸び、突っ込む両者の勢いもあって深く沈み込む。
ドゴンッ。
鈍い衝撃音と共に、動物の顔面へと剣身が柄の部分まで刺さったところで両者はピタリと止まり、それまでの勢いが嘘のように微動だにしない。
少年が纏う服の袖下から見える筋肉は隆起し、細くもしっかりとした様子が見て取れる。
前傾となった姿勢のままで脚はガッチリと、砂利混じりな地面を捉え、重い衝撃を受けたとは到底思えぬほどにその身体は安定を保ち続けていた。
ほんの僅かな後に、少年が手から剣の柄を離すと、グラリと四足の脚から力が抜け崩れゆく大猪。
倒れた衝撃で、足元の砂利が大きく跳ね転がる。
「ほら、大丈夫だったでしょ? レオは強いんだから」
未だに僕の肩へと手を置いたままの少女は、少しだけソバカスの浮いた顔をニカリと笑ませ、自慢げに告げる。
僕はその言葉を受け、再び自身の真正面に立つレオニード、あるいはレオと呼ばれた少年の背を見つめた。
そんな僕の視線に気づいたという訳ではないだろうけれど、彼は手から離れた剣を引き抜き、ゆっくりこちらへと振り返る。
瞬間、長い銀色の前髪から覗く少年の胡乱気な瞳に、僕は息を詰まらせた。
彼の向けるダークブルーの瞳は、ただひたすらに静かで深い。
その時僕が彼の瞳から感じたのは、背筋を凍らせるような圧力。
底なしの沼へと引きずり込まれるような、あるいは濃紺の宇宙へと生身で放り出されてしまうかのような。
そんな深い場所へと引きずり込まれていく、何とも言い難い纏わりつく感覚。
僕はそのどこか感情の色が薄い目を恐ろしいと感じつつも、どういう訳か釘付けとされてしまっていたのだ。
「……どうしたの?」
少女の言葉に、僕は我に返る。
それと同時に少年はフイと余所を向き、もう一人の男性へと近寄り小さく頭を下げていた。
「い……、いいえ。なんでもないです……」
僕は若干しどろもどろになりながら、なんとか少女へと言葉を返す。
もう一度レオと呼ばれた少年の横顔を見るも、その瞳の半分は髪に隠れ、先ほどまでの纏わりつく空気も鳴りを潜めていた。
それどころか、こころなしか瞳の色自体も変わっているようにすら見える。
いったいアレはなんだったのだろうか。そしてどういった意志が込められたものだったのか。
僕はただそればかりが気になり、思考は侵食されていく。
呆として考える僕に再度少女が話しかけてくるも、今度は真っ当な返事をすることができずにいた。
<敵性生物の死亡を確認しました。身体保護の観点から、装置の動作停止を推奨します>
単調でありながらも、どこか暢気な空気を感じるエイダの言葉へと無意識に従い、僕は彼の瞳を凝視したまま装置を停止した。