騎士道 04
<接近。北東に数八五、距離七〇〇m>
最初に聞いた時点よりも、少しだけ東寄りに移動しただろうか。それに人数も僅かだが増えていた。
廃村の中で息を潜める僕等は、迫る小部族連合の戦士たちを待ち構える。
向こうもこちらが感付いているというのは察しているだろう。
互いに明りを持ってはいないが、多少の月明かりがあるのに加え、暗がりにも目が慣れている。
実際に戦闘となれば然程問題はないはずだ。
ただ矢を射られたら避けようがないというのはあるが、遠くから狙いをつけられないという点では、向こうも似たような条件か。
闇雲に撃ってくるという可能性もあるので、それが少々恐ろしくはあるけれど。
「わたしにはよく見えないのですが……、近づいているのですか?」
「ええ、間違いなく。もう数分もすれば、戦闘に入るでしょうね」
目を凝らすも相手の姿を認識できていないであろうエリノア。
よく見ようとしたのか、身を乗り出して覗こうとする彼女を制す。
何せ相手は普段から自然を相手にし、狩猟を生業とする部族の戦士たちだ。
僕等よりも遥かに夜目が利く可能性は捨てきれず、目立つ格好をしているエリノアを、格好の獲物と認識してしまう危険性があった。
「戦闘……、戦争……」
僕の告げた言葉に対し、反芻するように繰り返すエリノア。
やはり実際に敵が間近に迫っていると認識すると、少々精神状態にも変容があるのか。
彼女は既に自身の刺突剣を抜き放ち、緊張した様子で柄を握りしめていた。
エリノアの持つ実力がどの程度か、僕は知る由もない。
当人はそれなりに戦えるだけの鍛錬を積んでいると言ってはいたが、果たしてそれがどの程度のモノであるのか。
ただ騎士という立場上、彼女に実戦経験はないだろう。それは緊張を露わにする姿からも明らかだった。
緊張に動悸を速めているであろうエリノアへ、落ち着くよう声をかけようとしていた矢先。
突如夜闇に轟声が響き渡った。
「「「ヴおぉぉぉおおぉぉおおぉぉぉぉおぉおおおぉぉ!!!」」」
突然の異常に驚き、発生源であろう北東へと目を向ける。
重低音の怪声が発せられ、戦場全体へと染め抜かんばかりに圧し掛かる。
エイダを介し、高空の衛星から送られてきた画像が脳裏に映し出されると、そこには地を踏みしめ全身を使って空に向け吠える戦士の姿が。
しかも一人だけではない。幾人も、何十人もの連合の戦士たちが、同時に天へ向けて叫んでいた。
「な……、何なのだこれは!?」
エリノアの横に立っていたヴィオレッタが困惑を露わにする。
だが彼女の気持ちもわからなくはない。多少なりと戦場の空気に触れたことが有る僕等だが、敵がこんな行動を取るのを見るのは初めて。
突進する兵が雄叫びを上げることそのものは珍しくはない。自身の戦意を高揚させ、気持ちを奮い立たせるために叫ぶのだ。
だがこれは少々、そういったものとは毛色が異なる。
「「「戦士に誇りを! 部族に栄誉を! 讃えよ!!」」」
一糸乱れず、同時に響き渡る声。
確か以前に聞いたことが有った。連合に属する部族の中には、戦いの前に儀式を行うように叫ぶ者たちが居ると。
今まさに戦士たちがしている雄叫びが、噂に聞くそれであるのだとわかる。
こんなことをしていては、折角潜んで近づいたのが台無しであろうに。
だとしてもこのような行為に及ぶのは、これが連中にとっての誇りであり、戦場における文化だからだろうか。
それにこれはこれで別の効果があるようだ。
現にヴィオレッタとエリノア、他にも数人の若い傭兵たちに、動揺が奔るのが見て取れる。
戦いを前にしてこのような勇猛さを見せつけられれば、中には怖気づく者が居たとしても不思議ではなかった。
「腰が引けておるぞ! あんなハッタリに臆しおって!」
壮年の傭兵たちによる怒声。やはりベテランたちはこのような状況にも動じない。
中には以前に同じ相手と対峙した人も居るようで、動揺する若手の背を叩き、あんなものはハッタリだと笑っていた。
「大丈夫、普通に戦えば問題ないよ」
「そ、そうだな……。みっともない姿を見せてしまった」
平静を極力保ち、静かに声をかける。
ヴィオレッタはすぐに反応し、ハッとしたように我に返って顔を背ける。取り乱した姿を晒してしまったのが、彼女にとっては恥ずかしかったのだろう。
一方エリノアはまだキョドキョドと周囲を見回し、落ち着きを取り戻すに至れずにいた。
「落ち着いて戦えば、ちゃんとやれますよ。貴女はしっかりと訓練を続けた、誇り高い騎士なんですから」
肩を抱くように柔らかく引き寄せ、彼女にとって最も正気をくすぐるであろう言葉を耳元で囁く。
すぐさま平静を取り戻すとまではいかないものの、ゆっくりと動きは収まり、エリノアは覚悟したようにこちらを見て頷いた。
直後に暗がりでもわかってしまう程に頬を染め、一歩僕から距離を置く。
その性格からだろうか、あまり男性に対しての免疫はないようだ。
顔を赤くするエリノアに対し、少々スキンシップが過ぎただろうかと反省していると、真横から感じるジトリとした視線。
見ればヴィオレッタが鋭い眼光で、こちらを射抜かんばかりに凝視していた。
「どうした?」
「……いや、別に。この短い時間で随分と親しくなったものだな」
彼女は僕とエリノアを交互に見やり、呆れ混じりな表情を向ける。ただ若干ながら、苛立ちとも取れる感情が滲み出ているようにも思えなくはない。
エリノアに近づき過ぎていた僕に対し、不快な想いを抱いているのだろう。
形だけの秘匿された婚約者である上に当人にその気はないはずだが、これはこれで気に入らないのかもしれない。
実のところヴィオレッタは、それなりに独占欲の強い娘であるのかもしれない。
「来るぞ」
こちらのノンビリとした空気とは裏腹に、レオはマイペースを貫く。
敵の接近を淡々と告げるレオの言葉に、こんな会話をしている場合ではないと思い出し、物陰から小さく顔を覗かせ草原を窺う。
小部族連合の戦士たちは、今では隠れることもなく堂々と身を晒し駆けていた。
動物の毛皮を用いた粗雑な分厚いコートと、その下に纏う同盟謹製の鎧や武器がチグハグだ。
ただ走る勢いからは勇猛さが溢れ、到底油断ならぬであろう迫力を示威するようであった。
▽
戦闘開始の合図は、こちら側が放った矢による攻撃だった。
この廃村に派遣された五〇名弱の中で、十人にも満たない弓手によって放たれた矢による攻撃。
それらは次々に小部族連合の戦士たちへと降り注ぎ、幾人かが矢を身体に受けていた。
しかし戦士たちは肩や腕に受けた矢を強引に引き抜くと、意に反さぬ様子で直線的に突っ込んでくる。
粗雑ながらも分厚い毛皮のコートと、その下に着た同盟製の防具によるせいか。あるいは強靭な肉体が深手を阻んだか。
双方が理由であるかもしれないが、弓による攻撃はさしたる効果を得られずに終わった。
そして今、連合の戦士たちは廃村へと突入し、両者入り乱れての戦闘へ突入している。
嬉々とした表情で大剣や斧を掲げて突進する姿は、まさしく勇猛果敢。もしくは獰猛とでも言うべきか。
同盟の住人たちにして北方の小部族たちを、"蛮族"と言い表わすのも理解が出来る。
「ヴィオレッタ、後退してくれ」
「冗談ではない、私はまだ戦える!」
「他が皆下がろうとしてるんだよ。一人で囲まれる気か!?」
斬り結ぶ連合の戦士を前に、後退を指示するも難色を示すヴィオレッタ。
廃村に展開している傭兵たちも、今は多くが村の南半分辺りまで後退しているだろうか。
これ以上後退するというのは、実質撤退を意味するも同然だった。
ただ彼女の性格を考えれば、残ると言い出してもおかしくはない。
その少女らしい外見に反し彼女はどちらかと言えば、眼前に立つ連合の戦士たちと近い気質を持つのだ。
最後の一瞬まで戦い抜いてみせると言い出してもおかしくはなかった。
「最初の目的を思い出してくれ。何も相手を殺す必要すらない戦いなんだぞ」
告げる言葉に、ヴィオレッタは歯噛みする。
実力を示したいという感情と、団長の指示を確実に履行したいという想いの双方があるのだろう。
しかし結局は方針に従うべきであると判断したようで、面白くなさそうな表情を浮かべながらも、他の団員が居る廃村の南へと駆けて行った。
レオは指示した段階でアッサリと後退した。なのであとは僕が下がれば問題はない……、と思いきや。
そういえばもう一人、引きずってでも連れ帰らねばならない人物が居る。
彼女もまたヴィオレッタ同様に、命果てるまで戦おうとする考えの持ち主であるはずだった。
「エリノアさん! 僕等も下がりましょう!」
叫ぶ僕の声が届く先。
村の中央に近い場所に在る、枯れ井戸の横で武器を構えるエリノアは、自身の刺突剣を構え一人の戦士を相手に対峙していた。
「ハァッ!!」
振り下ろされる大剣を横へのステップで回避し、程よい距離を保って剣を一閃。
切っ先が戦士の鎧やコートに覆われていない部位を裂き、小さく血を飛沫かせる。
回避と攻撃を一連の流れとし、少しずつ相手を押し込んでいくという戦い方か。
戦闘のスタイルとしては、僕が短剣を手にした時のそれに近いようだ。
蛮勇を誇る部族の戦士を相手としていながらも、一見してエリノアの方が優勢。
相応の訓練を積んでいるという言葉に偽りはなく、他の騎士たちの体たらくを見て来た僕としては、彼女の実力は驚きに値するものだった。
しかし折角やる気に満ちているエリノアには悪いが、彼女にこれ以上戦ってもらう訳にはいかない。
なにせ周囲からは続々と多くの敵が迫っており、このままでは包囲され身動きも取れぬ状況となるのは目に見えていた。
文化的にも捕虜への"人道的な"扱いが期待できない以上、無理にでも連れ帰らねば。
「ここまでです! さあ、急いで」
戦士の男に一撃を加え、距離を取った彼女の腕を掴む。
そのまま強引に引っ張り後方へと向かおうとするも、掴んだ手は振り払われる破目となった。
どうしてだと思いエリノアを見るも、逆にこちらが同様の感情が浮かんでいるであろう表情で見返される。
「止めないで下さい、アルフレート殿! わたしは最後の瞬間まで戦い続ける!」
ヴィオレッタが言いかねないと思っていた発言だが、結局はエリノアの口から聞くことになってしまう。
だがここまでしてきた会話を思えば、そうなるのも不自然ではなかった。
エリノアは騎士として、自国の領地を護ってみせようとしているのだから。
「もうこれ以上は持ちませんよ。潮時です、撤退しましょう」
彼女は自身の武器を取り、再び敵へと向かおうとする。
その行動を制止せんと背後から羽交い絞めにするのだが、尚もエリノアは強引に振り解こうとした。
傭兵というこの業界は男所帯である反面、そこに所属する女性陣は腰の強さが尋常ではない。
だがどうやら騎士に関しても、こちらと同様のことが言えるようであった。
「口惜しくはないのですか!? 何度もこの村を奪われ、誇りを踏みにじられ続けて!」
「仕方ないんですよ! 今回に関しては」
腕力の違いに物を言わせ、無理やりエリノアを引きずっていく。だがそんな中、小部族連合の戦士は武器を手になおも迫ろうとしていた。
正直自身の意志で走ってくれないと、追いつかれ再び戦闘になってしまう。
未だに抵抗し戦いへと向かおうとするエリノアを諦めさせるため、僕は仕方なしに、彼女の耳元で簡潔に撤退の理由を告げた。




