適性 01
距離にして百km少々。
共和国との国境に沿って聳える山脈の麓に在った都市から、南西へ移動すること数日。
僕等はようやくラトリッジへと帰り着いていた。
辺り一帯には一切の雪も見えず、冬ではあるが何枚も上着を着込まずとも容易に過ごせる。
同盟内において中部に位置するそこは、比較的気候も温暖で、季節による変動も少なく過ごし易い。
そもそもにおいて標高が違うのだから、寒さが厳しくないのも当然といえば当然か。
ようやく帰り着いた我が家であるボロ屋に入ると、それだけでホッとしたような感覚。
然程長く留守にしていたとは思えないのだが、それでも若干の懐かしさすら覚えてしまう。
今となってはこの中規模の都市こそが、僕等の居るべき場所であると認識でき始めた証拠に違いない。
「おかえりー。結構遅かったじゃん」
棲家に足を踏み入れた僕等へと降り注ぐ声。
見上げてみれば、階段を軋ませながら降りてくる一人分の影。ケイリーだ。
以前の任務で負った怪我が原因でラトリッジに残っていた彼女は、僕等が留守にしている間、業者に依頼して家の修繕を行ってくれていた。
上から降りてきた点からして、ある程度二階部分を使用する目途が付いたのかもしれない。
「すまないな、思ったよりも時間がかかった」
「いいんだって。おかげであたしもゆっくり出来たし」
ノンビリした様子で笑みながら、右腕を振るケイリー。
ただその腕には包帯が巻かれており、どこか痛々しげな姿であるという印象は拭えない。
右の腕に多くの包帯が巻かれた姿は、出がけに見たのと同じだ。
「傷はもう大丈夫なのですか?」
荷物を置き姿を現したマーカスもまた、ケイリーの姿を見るなり開口一番心配の声を上げる。
やはり短い期間ながら、チームを組んで以降ずっと一緒にやってきたのだ。
同じ家で暮らす仲間でもある以上、その身を案じるのは当然と言えた。
続いて姿を現したレオとヴィオレッタも、やはり同様の質問を投げかける。
「心配し過ぎだってば。ほら、もう大丈夫」
そう言ってケイリーが外した包帯の下から見えたのは、塞がり皮膚の出来つつある肌。
ただ塞がってこそいるものの、大きな傷跡は生々しい。
これはここから一日ほど行った場所に在る、小村付近に現れた野盗を殲滅する際、不意を突かれて負ったものだ。
かなりの深手であったのだが、今では人に見せるのを躊躇わぬ程には良くはなっているようだ。
そんな怪我を負ったケイリーを一人置いていくということについては、少々負い目があっただけに、まずは一安心といったところ。
ただやはり動かすと違和感を覚えるのか、握る掌の動きはぎこちない。
やられたのが利き腕であるだけに、実戦への復帰にはまだ時間がかかると思われた。
「で、良い子で留守番してたあたしに、何かお土産はないのかな?」
ニヤリとし近寄り、怪我をしていない左の手で僕の背嚢を軽く叩く。
仕方がないとはいえ置いていかれたのだから、何かプレゼントの一つでもあって然るべきだとでも言いた気。
僕は小さく肩を落とし、叩かれた背嚢を下ろして中から取りだすのは一つの包み。
中に入っていたのは、向こうの街で購入したチーズだった。
こんな事もあろうかと、出立する日の早朝に買い求めておいたのだ。
帰り着くまでに数日が経過しているが、比較的塩分濃度の高い品であったので、まぁ問題はないだろう。
「さっすが! これでお土産無しだったら、後が怖いけどね~」
いったい何がどう怖いのかは知らないが、念の為土産を買っておいて良かった。
ケイリーはこれで存外根に持つタイプなのだ。
「で、どうしたのそれ?」
包みを広げ、中身を見て嬉しそうにするケイリー。
その彼女がこちらをチラリとみるなり、訝しそうな様子で問うてきた言葉。
いったい何を言っているのだろうかと思うも、それを察したであろう彼女は僕を指さした。
「動きがおかしいじゃない。歩いてる時とか」
向けられた指は僅かに迷うように動き、少しして僕の脇腹へと達する。
僕としてはあまり気にもしていなかったのだが、どうやら知らず知らずの内に患部を庇う動きとなってしまっていたようだ。
こちらもかなり傷は塞がり、痛みも失せて来たというのに。
ケイリーはその快活な性格から気付きにくいが、思いのほか人をよく見ている。
僕の取った行動の僅かな違和感も、彼女にしてみれば明らかな違いであるようだった。
「ちょっとしくじってね。この様だよ」
上着の前を開き、シャツを捲って下に巻かれた包帯を晒す。
するとケイリーはそっと包帯の上から触れ観察すると、憎たらしげに小突き始めた。
流石にもう普段の痛みなどはないが、乱暴に触られると痛みが奔るのでやめてもらいたいところだ。
「ボクらは直接見ていないんですけど、それなりに強い相手だったみたいですよ」
「だがあと一歩まで追い詰めた所で反撃を食らったようだからな。まさしく油断大敵だ」
痛みに悶える僕の背後から、代わって説明をするマーカスとヴィオレッタ。
圧倒される程の強敵とは言い難かったが、最後で自身の不覚により怪我を負ったのは事実。
油断大敵という言葉には、否定しようもないものがある。
「そっか……。アルが怪我する程の相手だったら、あたしなんかが戦ったらアッサリ殺されちゃうね」
軽い調子で言い放つ。
ケイリーが発したその言葉は、あながち間違ってはいない。
傭兵団の中に居るベテランたちよりも強いと思われる男だっただけに、現状で彼女が真っ向から打ち合えば、切り伏せられてもおかしくはなかった。
ただその言葉を聞いた僕は、どこか妙な感覚を覚えていた。
どういう訳かケイリーの言葉からは、どこか重い気配を感じられる。
「そういう時は全力で逃げればいいんだよ。何も正々堂々戦う必要なんてないんだし」
「それもそっか。ていうかそんな強い敵だったら、あたしは相手しようなんて思わないんだけどね」
腰に手を当て言い放ち陽気に笑う。
笑いながらも他の皆、レオの力強さやマーカスの冷静さ、ヴィオレッタの技量の高さなどを褒めていく。
しかし彼女の言葉からは自虐の空気が漂い、笑う姿からはどこか虚勢めいた気配を感じる。
僕は何やら普段の彼女とは異なる、おかしな様子を肌で感じていた。
「ねぇ……、アル」
そんなケイリーはひとしきり皆を褒めた後、こちらを見やり意味深な視線と共に名を呼ぶ。
顔にはどこか申し訳なさそうな感情が浮かんでおり、言わんとしているモノが、彼女にとって重要なことであると窺わせた。
「どうした?」
「あー……。やっぱいいわ、ゴメン」
どうしたのだろうかと思い問うも、開きかけた口をつむぐケイリー。
直後に彼女は僅かに首を横へ振り、荷解きをするヴィオレッタの手伝いに近寄っていく。
何かを僕に対して言わんとしていることが有る。
そう感じたのだが、どうやら彼女は何らかの理由によって言葉を呑み込んだようだ。
話すまでもない内容であると判断したのか、それともこの場では話し辛いのか。
どちらであるか判断はつかないものの、決して軽い世間話のような内容ではないのが明らか。
「どうしたんだ……、あいつ」
各々の部屋へと戻っていく皆とケイリーの姿を見送り、一人家の入り口で呟く。
いつもの彼女であれば、快活な性格通り思ったことをどんどん口にしていく。
もちろん相手の心情次第で言葉を選ぶ柔軟性を持った娘だが、基本的にはそうだ。
<彼女の声から、心拍数の異常を検知しました>
「異常……?」
<原因の特定はしかねますが、おそらくは心因性。ストレスによるものであると推定されます>
エイダの半ば断定的な言葉に、僕は首を傾げる
ストレスなど、当然誰しもが持っていて当然のものだ。
ただそれが表に出てくるとなれば、余程強く圧し掛かっているものであると考えるべき。
僕等が留守にしている間、彼女に何がしかが起きたのだろうか。
ケイリーに小突かれ、未だ若干の痛みが残る脇腹を擦り、僕は彼女が消えていった部屋の扉を凝視し続けた。